CD 輸入盤

アントニオ・ヤニグロの芸術(26CD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
AN110
組み枚数
:
26
レーベル
:
:
International
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


アントニオ・ヤニグロの芸術(26CD)

イタリア生まれのチェロ奏者で指揮者、アントニオ・ヤニグロの遺した音源からチェロ作品の代表的なものを集めたコレクション。11歳でカザルスに認められフランスに留学したヤニグロは、世界恐慌と戦争の影響から、近代都市ザグレブでキャリアを構築。戦後は、ユーゴスラヴィア軍によるアメリカ軍機撃墜の影響とも考えられる謎のジュネーヴ国際コンクール2位判定で西側キャリアをスタート、その後は資本主義と社会主義、北半球と南半球も縦横に行き来するなど世界規模で活躍することとなります。
 このセットでは、ヤニグロがヴァンガードとウェストミンスター、RCAで録音した音源を中心にライヴ音源も交えて収録。


【年表】


1918年(0歳)
●1月21日、ヤニグロ、ミラノ・スカラ座の西、歩いて十数分のグイード・ダレッツォ通り近くで誕生。母マリアはボローニャ生まれのヴァイオリニスト、父ニコラはイタリアでは名を知られたピアニストで、戦時中に結婚、その後、兵役でイタリア軍兵士として出征、オーストリア=ハンガリー軍(&ドイツ軍)との戦闘に向かう途中で攻撃され、左腕に重傷を負ってピアニストとしての活動を断念、戦後はミラノ音楽学校で教師として働いていました。


●2月19日、ヤニグロ、教会で洗礼。
◆イタリア社会党、ロシア革命の影響から急進派が躍進、イタリア北部の工業地帯の労働者にストライキを呼び掛けて操業停止に追い込む一方、農村部でも農民を扇動して土地の不法占拠を推進。イタリア北部には大企業の工場が多く、第1次大戦中の成長率は約1,000%、実に10倍という凄いものでしたが、大企業の工場労働に従事する者は、政府により兵役を免除されていたことから労働力を10倍規模に増やすのも容易でした。しかし賃金上昇率を生活指数の上昇率が上回っていたことや、食糧不足もあって、1917年8月には小規模ながら暴動が発生、なんとか鎮圧されるものの、社会主義者の活動もあって火ダネはくすぶり続け、終戦による武装解除や復員と共にストライキや暴動が始まります。

1919年(1歳)
◆3月、ムッソリーニ、新政党「イタリア戦闘者ファッシ」を設立。200名でスタート。
◆夏、イタリア社会党による大規模なストライキの扇動などもあり、イタリア北部と中部では食糧危機が発生、さらに戦後の失業率拡大と物資不足によりインフレ率が、おろし売り段階で約50%に達し、市民生活が危機的な状況に追い込まれる中、イタリア北部と中部で商店略奪や暴動が多発、ストライキ参加者は100万人を突破。なお、社会主義運動の象徴として使用された「鎌と鎚」の絵柄は、左右の向きや角度などあまりこだわらない自由なものだったようです(↓)。


◆「セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国」建国。通称「ユーゴスラヴィア」の1929年までの正式名称。セルビア人は主に正教徒、クロアチア人とスロヴェニア人が主にローマ・カトリック教徒ということで、同じ南スラヴ民族ながら激しく対立。

1920年(2歳)
◆イタリア社会党による扇動による「赤い2年(Biennio Rosso)」は継続展開され、ストライキ参加者は200万人に達し、いよいよ社会や経済への影響が深刻なものとなって行きます。

1921年(3歳)

1922年(4歳)
◆10月、ローマ行進(ローマ進軍とも)。ムッソリーニ率いるファシスト党が、1万4千人の黒シャツ隊をローマに向けて行進させることで国王を威嚇。怯えた国王は、ムッソリーニに組閣を命じるという流れで、議席占有率わずか6.5%ながら政権獲得に成功。ムッソリーニは黒シャツ隊の働きにローマ式敬礼で応えます(↓)。これに影響を受けたヒトラーは翌年11月、ミュンヘン一揆によってクーデターを画策するものの半日で鎮圧されて投獄。



1923年(5歳)

1924年(6歳)
●ヤニグロ、ピアノのレッスンを開始。

1925年(7歳)

1926年(8歳) ミラノ音楽学校在学
●ヤニグロ、ミラノ音楽学校(↓)でチェロを学び始めます。教師は父の同僚のジョヴァンニ・ベルティ。



1927年(9歳) ミラノ音楽学校在学、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院在学
●ヤニグロ、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院に入学し、有名なチェロ奏者でもあるジルベルト・クレパックス[1890-1970](↓)に師事。多くのことを勉強。



1928年(10歳) ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院在学

1929年(11歳) ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院在学
●ヤニグロ、母の尽力もあり、ミラノのホテルでカザルスの前で演奏。カザルスはヤニグロの才能を認め、エコール・ノルマル音楽院の親友ディラン・アレクサニアン[1881-1954]に推薦。


◆ユーゴスラヴィア、「セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国」から「ユーゴスラヴィア王国」に名称変更。主導権を握っていたセルビア人によるクロアチア人の迫害と、クロアチア人の抵抗により対立が激化し、政治家暗殺などの混乱により憲法を停止、セルビア人国王アレクサンダル1世の独裁体制に移行。その国王も5年後に暗殺。
◆クロアチア自治州成立。ユーゴスラヴィア王国の政治が、第1次大戦後のヴェルサイユ体制に支持されたセルビア人専制によっていたため、クロアチア人の反発が激しく、治安維持のため自治州として大幅に権限を委譲。

1930年(12歳) ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院在学
●ヤニグロ、エコール・ノルマル音楽院の夏季コース受講をこの年からスタートし、1933年まで継続。主にカザルス・クラスで教えているディラン・アレクサニアン(↓左)の教えを受けます。アレクサニアンは、フルニエやフォイアマン、ピアティギルスキーらも教えた名教師。



1931年(13歳) ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院在学
●ヤニグロ、エコール・ノルマル音楽院の夏季コース受講。
●ヤニグロ、ミラノ音楽学校のオーケストラの演奏会で家族共演。ヤニグロのチェロ、母マリアのヴァイオリンに、父ニコラが指揮を担当していました。なお、これを機に父ニコラは学校のオーケストラをよく指揮するようになります。

1932年(14歳) ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院在学
●ヤニグロ、エコール・ノルマル音楽院の夏季コース受講。

1933年(15歳) ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院在学
●ヤニグロ、エコール・ノルマル音楽院の夏季コース受講。

1934年(16歳) ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院在学、エコール・ノルマル音楽院在学
●5月、ヤニグロ、ミラノ郊外のパヴィアでリサイタル。
●6月、ミラノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院(↓)を卒業。


●ヤニグロ、パリに転居。フランス語はすでに修得していました。
●ヤニグロ、エコール・ノルマル音楽院(↓)に入学。留学費用は、父ニコラが自分のピアノを売却して捻出しますが、のちにイタリア政府からの奨学金も得られるようになります。


●ヤニグロ、アレクサニアンとカザルスに師事。実際のチェロの授業は、カザルス公認のアレクサニアンが担当。また、ディヌ・リパッティ[1917-1950]と意気投合して親交を結びます。


◆ユーゴスラヴィア王国のセルビア人国王アレクサンダル1世がマルセイユで暗殺。11歳のペータル2世が即位しますが、まだ子供のため、ロシア系セルビア人のパヴレ・カラジョルジェヴィチが摂政に就任。

1935年(17歳) エコール・ノルマル音楽院在学
●ヤニグロ、この頃にアレクサニアンから室内楽の指導を受け、仲の良かったリパッティ、ジネット・ヌヴー[1919-1949]と共にピアノ・トリオを結成、パリだけでなくスイスでも演奏していました。


◆3月、ドイツ、再軍備宣言と共に徴兵制も復活。
●父二コラと母マリア、フランス保護領チュニジアのチュニスに移住。反ファシスト党の立場だった父は、ムッソリーニの権力の拡大によってイタリアにいづらくなり、チュニスのイタリア音楽研究所の職を得ます。

1936年(18歳) エコール・ノルマル音楽院在学
◆7月、スペイン内戦勃発。イタリアとドイツはフランコ反乱軍に軍事援助。
◆10月、イタリアとドイツ、「ベルリン=ローマ枢軸」宣言。
◆11月、日独防共協定。

1937年(19歳) エコール・ノルマル音楽院在学

●ザグレブでプロとしてデビュー
1月14日、ザグレブのクロアチア・ホールでプロとして最初の演奏会に出演。このコンサートは、エコール・ノルマル音楽院での友人であるクロアチアのピアニスト、アーテ・ミレティッチが、ヤニグロのために準備を整えて開催したもので、聴衆と批評家の双方から高く評価される大成功を収めています。
 ザグレブは、1880年の大地震(メルカリ震度階級[〜\、気象庁震度6〜7)で街が破壊されたのを機に、近代的な都市計画が進められ、1891年には路面電車が開通し、市街と住宅地の双方が整備され、1920年代には人口が70%も伸び、1926年には放送局も設置されるなどして1930年代も引き続き繁栄していました(↑↓)。


●ヤニグロ、エコール・ノルマル音楽院を卒業。反ファシスト党の立場だったため、イタリアに戻らずパリを拠点に生活します。
●恩師アレクサニアン、エコール・ノルマル音楽院教授を辞任。きな臭くなってきたヨーロッパをあとにし渡米。ニューヨークとボルティモアに教職を獲得。卒業後、恩師に仕事の世話をしてもらうつもりだったヤニグロは失望。
●夏、ヤニグロ、クロアチアの海辺のリゾート、スプリートに旅行。1月に演奏会を世話してくれた友人のアーテ・ミレティッチの両親を訪ねたほか、クロアチア人ピアニストのボジダン・クンチ教授と交流。
●ヤニグロ、パリで開催された「ルーマニア・フェスティヴァル」で、リパッティ、ローラ・ボベスコ[1921-2003]と、リパッティ作曲のピアノ三重奏曲ほかを演奏。
●ヤニグロ、自分のリサイタルを開くために資金が必要なことから、知人たちの支援を受け、ミラノ、パリ、ロンドン、アムステルダムなどでチェロ奏者として活動。しばらくはそうした生活が続きます。

1938年(20歳)
●ヤニグロ、リパッティとパリのユニオン・アンテラリエでデュオ・コンサート開催。
◆3月12日、ドイツがオーストリアを併合(アンシュルス)。
◆9月13日、プラハで非常事態宣言。自治を求めるズデーテン・ドイツ人のデモ隊が警官隊と衝突。

1939年(21歳) ザグレブ音楽アカデミー教授
●3月14日、父二コラ、チュニジアのチュニスで52歳で死去。パリで危篤の連絡を受けたヤニグロはすぐにチュニスに向かいますが、臨終には間に合いませんでした。
◆3月15日、チェコスロヴァキアはドイツの支配下に置かれ、チェコのボヘミアとモラヴィアは、「ベーメン・メーレン保護領」に、「ズデーテンラントはドイツに割譲」、スロヴァキアとカルパティア・ルテニアは独立を強要されてハンガリーに侵攻され、「カルパティア・ルテニア全土とスロヴァキアの一部地域がハンガリーによって占領」。そこでドイツが調停に入り、「スロヴァキアはドイツの保護のもとに独立」という流れになり、ほどなく独立国のスロヴァキア軍は、枢軸国軍の一員としてポーランドに攻め込むことになります。

●ザグレブへの移住
父が亡くなったことで、ヤニグロは母を養う必要がでてきましたが、直近の数回の演奏会はクロアチアでおこなったもので、当時のユーゴスラヴィアでは、国内で得た利益を外国人が持ち出すことができなかったため、母マリアに対して、夏の間、ユーゴスラヴィアのスロヴェニア・アルプスに滞在することを提案。
 2人は景勝地のクラニスカ・ゴーラで夏を過ごしますが、そこに以前知り合っていたクロアチアのボジダン・クンチ教授があらわれ、ザグレブ音楽院のチェロ科教授、ヘチモヴィッチが亡くなったため、ヤニグロに、当面のあいだでも良いので教授職につくことを要請します。
 政情不安の中、ヤニグロの収入源である、自己資金での演奏会開催が困難になりつつあり、さらに父が反ファシスト党的な人物だったことから、イタリアでの演奏会や教職で利益を得ることも見込めない状況でした。
 しかも9月1日には、第2次大戦が開戦。9月3日には、フランスとイギリスがドイツに対して宣戦布告したことで、ドイツの枢軸国イタリアの国民であるヤニグロには、エコール・ノルマル音楽院でのアレクサニアン教授の後継という話も不可能ということになってしまいます。
 結局、ヤニグロがそれまでの音楽家人生で実績を上げてきた地域で、良い条件で働ける可能性のあるところはクロアチアのみということになり、秋、ヤニグロは母マリアと共に、ザグレブに移住。ザグレブ音楽アカデミーのチェロ科教授に就任する一方で演奏会も開催していきます。


 また、もうひとつの収入源として、ザグレブの「ベートーヴェン音楽学校」でも教育に従事。クロアチアの音楽教育者、エリー・バシッチ[1908-1998]の運営する学校で、放送局の仕事にも携わっていたバシッチとの交流は、その後、ヤニグロにとって有益なものとなります。


 ヤニグロは少し前からクロアチア語の習得に務めていましたが、移住後は勉強も本格化。その過程で、クロアチア文学も読むようになり、作家ミルティン・チフラー・ネハエフ[1880-1931]の作品などにも親しみ、やがてネハエフの娘、ネダと知り合うことになります。
◆9月、第2次世界大戦開戦。

1940年(22歳) ザグレブ音楽アカデミー教授
◆イタリア、イギリスとフランスに宣戦布告。

1941年(23歳) ザグレブ音楽アカデミー教授
◆3月25日、ユーゴスラヴィア王国摂政パヴレ・カラジョルジェヴィチ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアに続き、枢軸国の軍事同盟に参加することを了承。反枢軸勢力が強いセルビア軍人と民衆の反発を招きます。
◆3月27日、セルビア人陸軍士官達によるクーデターで、ロシア系セルビア人の摂政カラジョルジェヴィチが失脚。ヒトラーは激怒。
◆ユーゴスラヴィア王国は、17歳のセルビア人国王ペータル2世による親政に移行し、新たな指導者たちは、枢軸国支持の声明を発するものの、枢軸国側の信頼は回復しませんでした。
◆4月6日、ドイツ軍とイタリア軍を中心とする枢軸国軍がユーゴスラヴィア王国に進攻。セルビアのベオグラードを爆撃したほか、各所から攻め込み、11日後の4月17日にユーゴスラヴィア王国は降伏。
 反枢軸勢力が根強いセルビアは主にドイツが占領、ダルマチア地方はイタリアが占領。
 クロアチアについては、1929年、クロアチア自治州成立の年に設立された反セルビアのファシスト組織「ウスタシャ」が存在し、指導者のアンテ・パヴェリッチをムッソリーニが支持していたため、占領ではなく「クロアチア独立国」として4月10日に国家成立を宣言。
◆4月、「クロアチア独立国」では、単一政党ファシスト組織「ウスタシャ」による独裁体制が敷かれ、ユーゴスラビア王国から、スロヴェニアのドレンスカ地方、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ヴォイヴォディナが割譲され、面積は115,133 km²に拡大、人口6,966,729人に増大。域内在住セルビア人(70〜100万人とも)の迫害も開始され、その多くを強制収容所に収容、虐殺などしています。
◆4月30日、クロアチア独立国、国籍法が承認され、ユダヤ人など非アーリア人の迫害を開始。
◆6月7日、日本はクロアチア独立国を承認。その他、枢軸国に加え、スイス、ヴァティカン、スウェーデン、アルゼンチンなど全19か国が独立を承認。
◆6月15日、クロアチア独立国、日独伊三国軍事同盟に参加。
◆6月22日、ドイツ軍、独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻開始。バルバロッサ作戦。同日、クロアチア独立国、ソ連に宣戦布告、東部戦線に2万人を派兵。
◆6月26日、クロアチア独立国、日独伊防共協定に参加。
◆12月14日、クロアチア独立国、米英に宣戦を布告。

1942年(24歳) ザグレブ音楽アカデミー教授

1943年(25歳) ザグレブ音楽アカデミー教授
●ヤニグロ、リパッティとルーマニアのブカレストで演奏会開催。ルーマニア王国は、第2次大戦が始まるとソ連とハンガリーに進駐されて領土を減らし、国民の不満により王制からファシズム体制に移行、枢軸国側として1941年6月に参戦。しかしドイツの敗色が濃くなるとソ連軍がルーマニアに再度侵攻、前国王の息子ミハイ1世はクーデターを起こして政権を奪取し、連合国側に降伏、1944年8月には寝返ってドイツに宣戦布告、国内展開中のドイツ軍を壊滅させたのち戦線を拡大。戦後はソ連の圧力で領土を減らし,1947年12月に王制を廃止,ルーマニア人民共和国となっています。つまりこのリパッティとヤニグロが共演した頃は枢軸国側で、ヤニグロの祖国イタリアも当時は枢軸国側、ヤニグロが暮らしていたクロアチアも枢軸国側ということでまだ一貫していました。
◆9月8日、イタリア、無条件降伏。
◆12月15日、日本はザグレブ市内のホテルに帝国代表部の事務所を開設。

1944年(26歳) ザグレブ音楽アカデミー教授
◆2月11日、日本は在クロアチア帝国公使館を開館。
◆2月22日、アメリカ陸軍空軍によるザグレブ市街地への空爆開始。2度目の空爆の際にアメリカの爆撃機が6機撃墜されたことから作戦が強化。翌年3月14日までに計12回の空爆が実施されています。



1945年(27歳) ザグレブ音楽アカデミー教授
●ヤニグロ、チェロ・リサイタルに加え、ピアノのイーヴォ・マーチェク、ヴァイオリンのスティエパン・スーレクとのピアノ三重奏団の演奏会も継続。また、クロアチア文学の勉強の過程で知り合った、ネダ・チフラー[1913-1989]との交流も続いていました。ネダは、作家ミルティン・チフラー・ネハエフの娘で、薬学を学び、ヴァイオリンを弾き、クロアチア語のほかにドイツ語も流暢に喋った女性で、のちにはイタリア語も習得しています。
◆4月29日、ザグレブ市内で昭和天皇誕生日記念パーティー開催。
◆5月8日、クロアチア独立国解体。
◆11月29日、ユーゴスラビア連邦人民共和国成立。

◆連合国救済復興機関、ユーゴスラヴィアに支援開始
ユーゴスラヴィアに対し、UNRRA(連合国救済復興機関)からの支援を開始。1947年までの総額は4億1千6百万ドルに及び、救護物資のほか、蒸気機関車(↓)や871頭のラバ(↓)など多くの支援がおこなわれています。ちなみに隣国ポーランドが4億7千8百万ドル、中国が5億1千8百万ドル、ギリシャが3億4千7百万ドル、チェコスロヴァキアが2億6千1百万ドル、 ウクライナが1億8千8百万ドル、オーストリアが1億3千6百万ドルといった感じで支援を受けてもいました。また、枢軸国側から連合国側に寝返ったイタリアも4億1千8百万ドル分の支援を受けています。



1946年(28歳) ザグレブ音楽アカデミー教授
◆1月31日、ユーゴスラヴィア連邦人民共和国の新憲法が制定。初代首相にチトーが任命。
●ヤニグロ、スイスでリパッティと演奏会開催。しかしすでにリンパ腫の治療を2年もおこなっていたリパッティの体調は悪化していました。

◆ユーゴスラヴィア空軍戦闘機によるアメリカ陸軍輸送機撃墜事件
8月9日、ユーゴスラヴィア北部を飛行していたアメリカ陸軍のダグラスC-47輸送機が、ユーゴスラヴィア空軍のヤコヴレフYak-3戦闘機のパイロットに着陸するよう命じられるものの、応じなかったたため機関銃で攻撃され、損傷を受けた状態で不時着。4人のアメリカ人のほか、2人のハンガリー人などは無事でしたが、トルコ人将校1人は重傷。全員ユーゴスラヴィア政府により収容され、ほどなく解放されています。
 8月19日、ユーゴスラヴィア北部を飛行していたアメリカ陸軍のダグラスC-47輸送機が、ユーゴスラヴィア空軍のヤコブレフYak-3戦闘機のパイロットにより撃墜。これは、チトー首相により、領空侵犯機に対しては、近くの飛行場に着陸するよう指示し、拒否した場合は発砲するという対応策が命じられていたためですが、アメリカ政府は、搭乗していたアメリカ人5人全員が死亡したことから強く抗議、「デイリーニュース」紙では、首都ベオグラードに原爆を落とせとまで煽る事態に発展。冷戦下での最初の重大な緊迫事態となっています。
 当時のC-47のウィーンからローマへの定期便は、ウィーンの北西に位置するランゲンレバーン空軍基地を飛び立ち、南オーストリアのクラーゲンフルトを通過した後に、国境が交錯する付近を通るというもので、ユーゴスラヴィアの空域に誤って侵入する可能性は十分にあり、8月19日の場合も、国境から10kmほどのスロヴェニアのブレド付近で撃墜されています。C-47は巡航速度274km/hなので、距離10kmの飛行時間は2分ほどでした。
 ちなみにヤコヴレフYak-3は、地表近くの運動性能に秀でた第2次大戦中のソ連製戦闘機で、戦後はユーゴスラヴィア空軍のほか、ポーランド空軍にも配備。
 当時のユーゴスラヴィアには、人道的救済を目的に、UNRRA(連合国救済復興機関)により巨額の支援がおこなわれていましたが、資金の約73%はアメリカが拠出、3代に渡る事務局長も、元ニューヨーク州知事→元ニューヨーク市長→アメリカ軍将軍が務めるという状態だったので、完全にアメリカの顔が潰された格好です。



●ジュネーヴ国際コンクール第2位
11月、ヤニグロ、ジュネーヴ国際コンクールのチェロ部門で第2位。同コンクールはこの年から国際的な規模感となり、各部門第1位も、ヴァイオリンがイタリア、ピアノがオーストリア、チェロとフルートがフランス、オーボエがスイス、弦楽四重奏団がハンガリー、声楽がブルガリアといった多彩な顔触れ。
 チェロ部門の内訳は、1位がその後もまったく無名のフランス人、2位がヤニグロ、3位がハンガリーのエヴァ・チャコー、4位がハンガリーのタートライ四重奏団のエデ・バンダ、6位がハンガリーのヤーノシュ・シュタルケル、9位がハンガリーのヴェーグ四重奏団のポール・サボーといった感じですが、シュタルケル自身の情報では、1位のフランス人女性レモンド・ヴェランドゥーは、コンクール後、デッカのレコーディング・セッションに際して、シャルル・ブリュック指揮でシューマンのチェロ協奏曲の録音に臨むものの、4分もまともに演奏することができず、ロンドンからマルセイユに帰ってしまったのだとか。
 ちなみに当時のハンガリーは、前年2月に「ハンガリー共和国」となった状態でまだ共産化されていなかったものの、戦後のハイパーインフレで共産化への圧力が高まりつつあり、ソ連軍駐留が大規模だったことからも、西側がその関係を重視していた時期でもありました。
 なお、ヤニグロは国籍はイタリアでしたが、生活は戦前からずっとユーゴスラヴィアであり、コンクールの少し前には撃墜事件をめぐってユーゴスラヴィアと西側が大変な事態になっていたので、もしかしたら審査結果に影響があったかもしれません。


1947年(29歳) ザグレブ音楽アカデミー教授
●5月、ヤニグロ、リパッティと共演。レコーディングも実施。
◆9月、「コミンフォルム」設立。ソ連、ブルガリア、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ポーランド、ルーマニア、ユーゴスラヴィア、フランス、イタリアそれぞれの共産党および労働者団体指導者たちの会議で決定。
◆10月5日、「コミンフォルム」本部が、ユーゴスラヴィアの首都ベオグラード(セルビア)に設置。

1948年(30歳) ザグレブ音楽アカデミー教授
◆ユーゴスラヴィアが「コミンフォルム」から除名され本部もルーマニアのブカレストに移転。これはチトー首相がマーシャル・プランを受け入れるとしてスターリンと対立したためで、チトーはこれによりスターリンに睨まれ、暗殺チームを何度も送り込まれますが、チトー側は秘密警察によりすべて検挙。逆にスターリンに暗殺チームを送るとほのめかすことで、危険な事態を回避。以後、東側諸国でチトーに賛同するものはチトー主義者としてソ連による弾圧対象となります。

1949年(31歳) ザグレブ音楽アカデミー教授
●ヤニグロ、ユーゴスラヴィア政府より科学文化賞。戦後の国内外での高水準な活動を評価されての受賞。
●ヤニグロ、指揮活動を開始。

1950年(32歳) ザグレブ音楽アカデミー教授
●夏、ヤニグロ、スイスのクラン=モンタナで療養中のリパッティのもとを訪れ、ベッドの横で数時間を過ごします。リパッティはヤニグロのためにチェロ・ソナタを作曲すると約束しますが、果たされることはありませんでした。
●12月2日、リパッティ、33歳で死去。肺の腫瘍の破裂が原因でした。

1951年(33歳) ザグレブ音楽アカデミー教授
●ヤニグロ、パウル・バドゥラ=スコダ[1927- ]、ジャン・フルニエ[1911-2003]とピアノ・トリオを結成。以後、数多くの演奏会とレコーディングをおこないます。


●ヤニグロ、ウェストミンスター・レーベルへのレコーディングを開始。ウェストミンスターは、戦後のオーストリアで実施された通貨改革で、通貨のシリングが約53%切り下げとなったことをチャンスと捉え、ウィーンでのレコーディングを大量におこなっていたアメリカのレーベル。
 占領国で基軸通貨の国アメリカは、ブレトンウッズ固定相場制下で外貨取引上の大変な恩恵に与り、ウィーンでのアメリカ人の生活費や、アメリカ人がオーストリア人に支払うギャラが対ドル換算で半分以下に低下。さまざまなアメリカ産業や投資マネーがオーストリアに進出、クラシック音楽業界でも、ウェストミンスターのほか、ヴォックス、コンサートホール・ソサエティ、ハイドン協会などといったレーベルが、ウィーンの音楽家を起用したり、ホールを使用したりして積極的な活動を展開していました。



1952年(34歳) ザグレブ音楽アカデミー教授

1953年(35歳) ザグレブ音楽アカデミー教授
◆2月28日、バルカン条約締結。これはギリシャ、トルコとユーゴスラヴィアの3国で、ソ連の侵攻に備えるために結ばれた条約で、間接的にNATO(北大西洋条約機構)に参加という扱いになったため、ほどなくアメリカの相互防衛援助法の対象となって、アメリカ軍の戦闘機・戦車・装甲車・輸送車輛やイギリス軍の兵器まで大量に供与されることになります。
 それら大量の兵器はの、ユーゴスラヴィア連邦軍だけに収まりきらなかったため、セルビア、クロアチア、スロヴェニア、ボスニア=ヘルツェゴビナといった地域に地域防衛軍を設立し、多くの兵器を配備、やがてそれが1991年から10年間も続いたユーゴスラヴィア紛争でも使用されることになっていきます。


●6月、ヤニグロ、ネダ・チフラー(↓左)とザグレブで結婚。最初、医師と結婚していたネダは、ヤニグロと親しくなって離婚。1955年に娘のニコール、1957年に息子のダミールを出産し、1989年に亡くなるまで添い遂げることになります。


●ヤニグロ、ディーン・ディクソン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団とドヴォルザークのチェロ協奏曲をウェストミンスターにレコーディング。
●ヤニグロ、南米ツアー。
●12月20日、ヤニグロとザグレブ放送によりザグレブ室内合奏団設立。チェンバロを含む14名の室内アンサンブル。



1954年(36歳) ザグレブ室内合奏団首席指揮者、ザグレブ放送交響楽団首席指揮者
●1月、ヤニグロ、ザグレブ室内合奏団、演奏会開始。まずクロアチアのビェロヴァルで、次いでセルビアのベオグラードで。
●ヤニグロ、ザグレブ室内合奏団首席指揮者に就任。
●ヤニグロ、ザグレブ放送交響楽団(現クロアチア放送交響楽団)首席指揮者に就任。
●5月、ヤニグロ、シュミット=イッセルシュテット指揮北ドイツ放送響と共演。シューマン:チェロ協奏曲。
●6月16日、恩師ディラン・アレクサニアン、シャモニーで死去。ヤニグロは7月にアレクサニアンとチューリヒで会う約束をしていました。
●11月、ヤニグロ、ザグレブ室内合奏団、西ヨーロッパ・ツアー。

1955年(37歳) ザグレブ室内合奏団首席指揮者、ザグレブ放送交響楽団首席指揮者
●ヤニグロ、ザグレブ室内合奏団、東ドイツ・ツアー。

1956年(38歳) ザグレブ室内合奏団首席指揮者、ザグレブ放送交響楽団首席指揮者
●12月、ヤニグロ、ザグレブ室内合奏団、アメリカ・ツアー。客船SSリベルテでの船旅でした。



1957年(39歳) ザグレブ室内合奏団首席指揮者、ザグレブ放送交響楽団首席指揮者
●ヤニグロ、ザグレブ室内合奏団、ソ連ツアー。
●ヤニグロ、ザグレブ室内合奏団、ニューヨークで国連コンサートに出演。

1958年(40歳) ザグレブ室内合奏団首席指揮者、ザグレブ放送交響楽団首席指揮者
●ヤニグロ、ザグレブ室内合奏団、RCAにレコーディング開始。



1959年(41歳) ザグレブ室内合奏団首席指揮者、ザグレブ放送交響楽団首席指揮者
●1〜3月、ヤニグロ、ベルリン放送交響楽団に客演。フリッチャイの代役でベルリン公演と西ドイツ・ツアーを指揮。チャイコフスキーの交響曲第4番などで成功を収めます。
●4月11日、ヤニグロ、フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団とR.シュトラウス『ドン・キホーテ』をRCAにレコーディング。
●ヤニグロ、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団と最初のコンサート。ここでもハイドンのチェロ協奏曲やモーツァルトの交響曲第29番で成功。
●12月、ヤニグロ、ザグレブ室内合奏団、ニューヨークで国連コンサートに出演。

1960年(42歳) ザグレブ室内合奏団首席指揮者、ザグレブ放送交響楽団首席指揮者
●1月22日、ヤニグロ、スロヴェニア・アルプスのクラニスカ・ゴーラでのスキー中に転倒、手足を骨折する重傷を負います。
●1月27日、ヤニグロ、手術。以後、次第に回復。
●3月、前年に『ドン・キホーテ』で共演したヤニグロを称賛していたフリッツ・ライナーが、ヤニグロの母マリア宛に状況確認と『ドン・キホーテ』の発売に関する手紙を書きます。
●4月、フリッツ・ライナーが療養中のヤニグロを見舞。

1961年(43歳) ザグレブ室内合奏団首席指揮者、ザグレブ放送交響楽団首席指揮者
●ヤニグロ、ザグレブ放送交響楽団首席指揮者退任。

1962年(44歳) ザグレブ室内合奏団首席指揮者
●ヤニグロ、ザグレブ室内合奏団、2か月半のヨーロッパ・ツアー。
●ヤニグロ、ザグレブ室内合奏団、2か月間のアメリカ・ツアー。

1963年(45歳) ザグレブ室内合奏団首席指揮者
●2月、ヤニグロ、ザグレブ室内合奏団、2か月間の南米ツアー。
●3月、ヤニグロ、ザグレブ室内合奏団、2か月間の日本ツアー。ヴィヴァルディ、コレッリ、ペルゴレージ、モーツァルトからヒンデミット、ヴェーベルンまで多彩なプログラム。大成功を収めます。

1964年(46歳) ザグレブ室内合奏団首席指揮者
●1月、ヤニグロ、ハイラー夫妻らとバッハの2〜4台のチェンバロのための協奏曲集をVanguardに録音。

1965年(47歳) ザグレブ室内合奏団首席指揮者、ミラノ・アンジェリクム管弦楽団音楽監督、デュッセルドルフ・ロベルト・シューマン音楽院教授
●1月、ヤニグロ、ベルリン・フィルに客演。モーツァルト・プログラム。カサドシュとも共演。
●1月、ヤニグロ、ローマ聖チェチーリア管弦楽団に客演。モーツァルト、ルトスワフスキ、ラヴェル。
●1月、ヤニグロ、モントリオール交響楽団に客演。ボッケリーニ、モーツァルト、ラヴェル、マルタン。
●2月、ヤニグロ、チトー大統領より「人民功労金星勲章」を授与。
●ヤニグロ、ザグレブ室内合奏団首席指揮者。ザグレブ放送とトラブル。
●ヤニグロ、デュッセルドルフのロベルト・シューマン音楽院のチェロ科教授就任。
●10月、ヤニグロ、ミラノの室内管弦楽団、ミラノ・アンジェリクム管弦楽団の音楽監督に就任。得意のモーツァルトやバッハ、ベートーヴェンのほか、ブルックナーのテ・デウムなどもとりあげます。ソリストとして、カサドシュ夫妻、ディノ・チアーニ、なども登場。公演は盛況でした。


●ヤニグロ家、ミラノに転居。



1966年(48歳) ザグレブ室内合奏団首席指揮者、ミラノ・アンジェリクム管弦楽団音楽監督、デュッセルドルフ・ロベルト・シューマン音楽院教授
●1月、ヤニグロ、ジュゼッペ・サーラガト大統領よりイタリア共和国功労勲章の最高位「カヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェ」を授与されます。
●12月、ヤニグロ、リヨン・フィル、ヴェルディのレクィエムを指揮。ちなみにこのときヤニグロは、右手首を骨折していてギプス装着での指揮でした。

1967年(49歳) ザグレブ室内合奏団首席指揮者、ミラノ・アンジェリクム管弦楽団音楽監督、デュッセルドルフ・ロベルト・シューマン音楽院教授
●ヤニグロ、ミラノ・アンジェリクム管弦楽団音楽監督退任。
●ヤニグロ、シカゴ交響楽団客演のための渡米中に心臓発作。

1968年(50歳) ザール室内管弦楽団首席指揮者、ザグレブ室内合奏団首席指揮者、デュッセルドルフ・ロベルト・シューマン音楽院教授
●3月31日、ヤニグロ、ザグレブ室内合奏団首席指揮者退任。
●9月、ヤニグロ、ザール室内管弦楽団首席指揮者就任。前年12月24日にカール・リステンパルト[1900-1967]が急死したため。

1969年(51歳) ザール室内管弦楽団首席指揮者、デュッセルドルフ・ロベルト・シューマン音楽院教授
●3月、ヤニグロ、ザール室内管弦楽団、アメリカ・ツアー。

1970年(52歳) ザール室内管弦楽団首席指揮者、デュッセルドルフ・ロベルト・シューマン音楽院教授
●11月、ヤニグロ、ザール室内管弦楽団とリゲティ『ラミフィケーションズ』を録音。

1971年(53歳) ザール室内管弦楽団首席指揮者、デュッセルドルフ・ロベルト・シューマン音楽院教授
●ヤニグロ、ザール室内管弦楽団と2度目のアメリカ・ツアー。ヤニグロにとっては19回目のアメリカ・ツアーでした。

1972年(54歳) ザール室内管弦楽団首席指揮者、デュッセルドルフ・ロベルト・シューマン音楽院教授

●6月22日、ヤニグロ、ザール室内管弦楽団首席指揮者退任。
●7月、ヤニグロ、背中の外科手術。1960年の事故の後遺症の治療。西ドイツ、ホンブルクのフリードリヒ・レーヴ医学博士による施術。
●ヤニグロ、ザルツブルク・モーツァルテウムでチェロのマスタークラスを担当。エンリコ・マイナルディ[1897-1976]の後任。

1973年(55歳) ベオグラード室内管弦楽団首席指揮者、デュッセルドルフ・ロベルト・シューマン音楽院教授
●ヤニグロ、ザルツブルク・モーツァルテウムでチェロのマスタークラスを担当。
●ヤニグロ、ベオグラード室内管弦楽団首席指揮者就任。
●9月、ヤニグロ、ベオグラード室内管弦楽団、アスコーナ音楽祭に出演。
●10〜11月、ヤニグロ、ベオグラード室内管弦楽団、アメリカ・ツアー。

1974年(56歳) ザルツブルク・カメラータ・アカデミカ音楽監督、デュッセルドルフ・ロベルト・シューマン音楽院教授、シュトゥットガルト音楽大学教授
●ヤニグロ、ザルツブルク・カメラータ・アカデミカの音楽監督に就任。
●ヤニグロ、ザルツブルク・モーツァルテウムでチェロのマスタークラスを担当。
●秋、ヤニグロ、シュトゥットガルト音楽大学の客員教授として招聘(1988年まで)。
●ヤニグロ、トリノRAI弦楽合奏団のイタリア公演、および北米ツアーを指揮。
●11月、ヤニグロ、シュトゥットガルト音楽大学教授に就任。着任間もない学長で指揮者のヴォルフガング・ゲンネンヴァイン[1933-2015]に請われ、ルートヴィヒ・ヘルシャー[1907-1996]の後任として。

1975年(57歳) ザルツブルク・カメラータ・アカデミカ音楽監督、シュトゥットガルト音楽大学教授
●7月、ヤニグロ、ザルツブルク・カメラータ・アカデミカとベルリン公演。

1976年(58歳) ザルツブルク・カメラータ・アカデミカ音楽監督、シュトゥットガルト音楽大学教授

1977年(59歳) ザルツブルク・カメラータ・アカデミカ音楽監督、シュトゥットガルト音楽大学教授

1978年(60歳) シュトゥットガルト音楽大学教授

1979年(61歳) シュトゥットガルト音楽大学教授

1980年(62歳) シュトゥットガルト音楽大学教授

1981年(63歳) シュトゥットガルト音楽大学教授

1982年(64歳) シュトゥットガルト音楽大学教授

1983年(65歳) シュトゥットガルト音楽大学教授

1984年(66歳) シュトゥットガルト音楽大学教授

1985年(67歳) シュトゥットガルト音楽大学教授

1986年(68歳) シュトゥットガルト音楽大学教授

1987年(69歳) シュトゥットガルト音楽大学教授

1988年(70歳) シュトゥットガルト音楽大学教授
●ヤニグロ、シュトゥットガルトでの授業を終了。イタリア北部の景勝地ブレーシャとメゾロンバルドでのコースは継続。

1989年(71歳)
●5月1日、ヤニグロ、ミラノのアパートで死去。
●5月1日、ミラノの聖エウフェミア教会でヤニグロの葬儀。弟子のマリオ・ブルネロがバッハの無伴奏チェロ組曲からのサラバンドを演奏します。
●10月13日、ネダ夫人死去。


【収録情報】

CD01-02
●バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV 1007
●バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV 1008
●バッハ:無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV 1012
●バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV 1009
●バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調 BWV 1010
●バッハ:無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調 BWV 1011
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
録音:1952〜1955年
Westminster

CD03-04
●ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番ヘ長調 Op.5-1
●ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第4番ハ長調 Op.102-1
●ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第5番ニ長調 Op.102-2
●ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第2番ト短調 Op.5-2
●ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調 Op.69
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
カルロ・ゼッキ(ピアノ)
録音:1952年
Westminster

CD05
●ブラームス:チェロ・ソナタ第1番ホ短調 Op.38
●ブラームス:チェロ・ソナタ第2番ヘ長調 Op.99
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
パウル・バドゥラ=スコダ(ピアノ)
録音:1955年6月
Westminster

CD06
●ハイドン:ピアノ三重奏曲ヘ長調 Hob.XV:4
●ハイドン:ピアノ三重奏曲ヘ長調 Hob.XV:17
●ハイドン:ピアノ三重奏曲ホ長調, Hob.XV:28
●ハイドン:ピアノ三重奏曲ニ長調 Hob.XV:16
●ハイドン:ピアノ三重奏曲ト長調 Hob.XV:25『ジプシー』
●ハイドン:ピアノ三重奏曲変イ長調 Hob.XV:14
●ハイドン:ピアノ三重奏曲ト短調 Hob.XV:1
●ハイドン:ピアノ三重奏曲ト長調 Hob.XV:5
●ハイドン:ピアノ三重奏曲変ホ長調 Hob.XV:10
●ハイドン:ピアノ三重奏曲ホ短調 Hob.XV:12
ジャン・フルニエ(ヴァイオリン)
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
パウル・バドゥラ=スコダ(ピアノ)
録音:1952〜1955年
Westminster

CD08
●シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番変ロ長調 D.898
●シューベルト:ピアノ三重奏曲第2番変ホ長調 D.929
ジャン・フルニエ(ヴァイオリン)
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
パウル・バドゥラ=スコダ(ピアノ)
録音:1951年10月
Westminster

CD09
●ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調 Op.97『大公』
●ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第5番ニ長調 Op.70-1『幽霊』
ジャン・フルニエ(ヴァイオリン)
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
パウル・バドゥラ=スコダ(ピアノ)
録音:1951年10月、1955年6月(Op.70-1)
Westminster

CD10
●バッハ:ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第1番ト長調 BWV 1027
●バッハ:ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第2番ニ長調 BWV 1028
●バッハ:ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第3番ト短調 BWV 1029
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(チェンバロ)
録音:1956年6月
Westminster

CD11
●ヴィヴァルディ:チェロ・ソナタ第1番変ロ長調 RV 47
●ヴィヴァルディ:チェロ・ソナタ第2番ヘ長調 RV 41
●ヴィヴァルディ:チェロ・ソナタ第3番イ短調 RV 43
●ヴィヴァルディ:チェロ・ソナタ第4番変ロ長調 RV 45
●ヴィヴァルディ:チェロ・ソナタ第5番ホ短調 RV 40
●ヴィヴァルディ:チェロ・ソナタ第6番変ロ長調 RV 46
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(チェンバロ)
録音:1956年6月
Westminster

CD12-13
●モーツァルト:ピアノ三重奏曲第1番変ロ長調 KV 254
●モーツァルト:ピアノ三重奏曲第2番ト長調 KV 496
●モーツァルト:ピアノ三重奏曲第3番変ロ長調 KV 502
●モーツァルト:ピアノ三重奏曲第4番ホ長調 KV 542
●モーツァルト:ピアノ三重奏曲第5番ハ長調 KV 548
●モーツァルト:ピアノ三重奏曲第6番ト長調 KV 564
ジャン・フルニエ(ヴァイオリン)
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
パウル・バドゥラ=スコダ(ピアノ)
録音:1950年代
Westminster

CD14
●ドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲第2番ト短調 Op.26
●ドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲第4番ホ短調 Op.90『ドゥムキー』
ジャン・フルニエ(ヴァイオリン)
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
パウル・バドゥラ=スコダ(ピアノ)
録音:1955年6月
Westminster

CD15
●ブロッホ:『シェロモ』
●ブルッフ:『コル・ニドライ』Op.47
●ブルッフ:カンツォーネ Op.55
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
アルトゥール・ロジンスキー(指揮)
録音:1954年10月
Westminster

●ドビュッシー:チェロ・ソナタ ニ短調 L.135
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
ジネット・ドワイアン(ピアノ)
録音:1952年6月
Westminster

CD16
●ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタ ニ短調 Op.40
●プロコフィエフ:チェロ・ソナタ ハ長調 Op.119
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
エーファ・ヴォルマン(ピアノ)
録音:1956年7月
Westminster

CD17
●ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調 Op.102
ジャン・フルニエ(ヴァイオリン)
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ヘルマン・シェルヘン(指揮)
録音:1951年10月
Westminster

●ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番ロ長調 Op.8
ジャン・フルニエ(ヴァイオリン)
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
パウル・バドゥラ=スコダ(ピアノ)
録音:1953年6月
Westminster

CD18
●ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番ヘ長調 Op.5-1
●ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第2番ト短調 Op.5-2
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
イェルク・デムス(ピアノ)
録音:1964年, Stereo
Vanguard

CD19
●ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調 Op.69
●ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第4番ハ長調 Op.102-1
●ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第5番ニ長調 Op.102-2
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
イェルク・デムス(ピアノ)
録音:1964年, Stereo
Vanguard

CD20
チェロ・フェイヴァリッツ
●グラナドス:『ゴイェスカス』間奏曲
●パラディス:『シシリエンヌ』
●バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 BWV1003〜アンダンテ
●スナイエ:ソナタ ニ短調第2巻〜アレグロ・スピリトーソ(サルモン編)
●フォーレ:『夢のあとに』Op.7 No.1
●ポッパー:『村の歌』
●ヴォルザーク:『わが母の教え給いし歌』Op.55-4
●ファリャ:『恋は魔術師』〜「火祭りの踊り」 (コハンスキー編)
●サン=サンス:『白鳥 』
●ポッパー:『蝶々』 Op.3-4
●ルビンシテイン:メロディ へ長調(ポッパー編)
●ショパン:夜想曲嬰ハ短調 遺作(ピアティゴルスキー編)
●ニン:『グラナディーナ』(コハンスキー編)
●フォーレ:エレジー ハ短調, Op.24
●ラヴェル:『ハバネラ形式の小品』(バゼレール編)
●リムスキー・コルサコフ:『熊蜂の飛行』
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
アントニオ・ベルトラミ(ピアノ)
録音:1961年, Stereo
Vanguard

CD21
●ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調 Op.104
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ディーン・ディクソン(指揮)
録音:1953年
Westminster

●ボッケリーニ:チェロ協奏曲第9番変ロ長調 G.482
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
プラハ交響楽団
ミラン・ホルヴァート(指揮)
録音:1948年
Live

CD22
●ハイドン:チェロ協奏曲第2番ニ長調 Hob.VIIb:2
●ボッケリーニ:チェロ協奏曲第9番変ロ長調 G.482
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
フェリックス・プロハスカ(指揮)
録音:1951年10月
Westminster

CD23
●シューベルト:アルペジオーネ・ソナタ イ短調 D.821
●シューマン:アダージョとアレグロ 変イ長調 Op.70
●シューマン:5つの民謡風の小品 Op.102
●シューマン:3つの幻想小曲集 Op.73
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
エウジェニオ・バニョーリ(ピアノ)
録音:1954年7月
Westminster

CD24
●ボッケリーニ:チェロ協奏曲第9番 変ロ長調 G.482
●ヴィヴァルディ:協奏曲集『調和の霊感』作品3〜協奏曲第9番ニ長調 RV 230 (arr.Georges Dandelot)
●バッハ:オルガン協奏曲ト長調 BWV 592 (arr.Milko Kelemen)
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
ザグレブ室内合奏団
録音:1958年9月
RCA

CD25
チェロ・アンコール
●グラナドス:間奏曲(カサド編)
●ラヴェル:『ハバネラ形式の小品』
●ポッパー:『村民の踊り』 Op.62, No.2
●ショパン:夜想曲 嬰ハ短調
●ファリャ:ムルシア地方のセギディーリア』
●アレクサニアン:『オロル』
●アレクサニアン:アルメニアン民謡
●リムスキー・コルサコフ:『熊蜂の飛行』
●フォーレ:『夢のあとに』
●ニン:『グラナダの女』
●ブロッホ:『祈り』
●ポッパー:『蝶々』
●ブレロ:『オリエンターレ』
●クンツ:夜想曲 Op.45
●タルティーニ:『コレッリの主題による変奏曲』
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
エウジェニオ・バニョーリ(ピアノ)
録音:1954年7月
Westminster

CD26
チェロ・リサイタル
●ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調 Op.69
●ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第4番ハ長調 Op.102-1
●ボッケリーニ:チェロ・ソナタ イ長調
●ドヴォルザーク:わが母の教え給いし歌op.55-4
●ポッパー:『村民の踊り』Op.62 No.2
●ニン:『グラナダの女』
●パデレフスキ:演奏会用ユモレスク Op.14
●ショパン:夜想曲嬰ハ短調 遺作
アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
ヤン・ナテルマン(ピアノ)
録音:1956年
Live


【商品説明:年表シリーズ】
指揮
オッテルロー
ガウク
カラヤン
クイケン
クーセヴィツキー
クチャル
クラウス
クレツキ
クレンペラー
ゴロワノフ
サヴァリッシュ
シューリヒト
ターリヒ
チェリビダッケ
ドラティ
バーンスタイン
パレー
フェネル
フルトヴェングラー
メルツェンドルファー
モントゥー
ライトナー
ラインスドルフ
ロスバウト

鍵盤楽器
カークパトリック
カサドシュ
デムス
ニコラーエワ
ユージナ
ランドフスカ

弦楽器
カサド
シュナイダー四重奏団
パスカル弦楽四重奏団
ハリウッド弦楽四重奏団
ブダペスト弦楽四重奏団
リッチ

作曲家
アンダーソン
ヘンツェ

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