CD 輸入盤

コンスタンティン・イワノフの芸術〜ストラヴィンスキー:ペトルーシュカ、スクリャービン:プロメテウス、ベートーヴェン:運命、他(3CD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
CDVE00013
組み枚数
:
3
レーベル
:
:
Russia
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明

コンスタンティン・イワノフの芸術(3CD)

LP時代から高い評価を得ていた『ペトルーシュカ』を含み、骨太でエネルギッシュな野性味溢れる演奏です。
 コンスタンティン・イワノフは1907年生まれ。貧しい家庭で育つも若くして頭角をあらわし、ガウク、ラフリンに続き1946〜65年にソビエト国立交響楽団の主席指揮者として活躍しました。その輝かしい活躍とは裏腹に現在入手できる音盤は限られています。コンスタンティン・イワノフの演奏を堪能できるお買い得盤です。CD2の2曲は、CDVE04239からのリマスタリングしての再収録です。(アルブレー)

【収録情報】
CD1
・ストラヴィンスキー:バレエ音楽『ペトルーシュカ』(1966年7月16日録音)
 ソビエト国立交響楽団

・スクリャービン:『プロメテウス』〜ピアノ、合唱、管弦楽のための(1975年録音)
 ワレリー・カステリスキー(ピアノ)
 スヴェシニコフ記念ソビエト国立合唱アカデミー合唱団
 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

CD2
・ベートーヴェン:『レオノーレ』序曲第3番(1952年録音)
 ソビエト国立交響楽団

・ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調op.67『運命』(1973年録音)
 ソビエトRTV大交響楽団(モスクワ放送交響楽団)

CD3
・ベートーヴェン:ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲ハ長調op.56(1961年録音)
 レフ・オボーリン(ピアノ)
 ダヴィド・オイストラフ(ヴァイオリン)
 スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー(チェロ)
 ソビエト国立交響楽団

 コンスタンティン・イワノフ(指揮)

ユーザーレビュー

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 LPからCDへの移り変わりは、単に媒体の変...

投稿日:2012/07/01 (日)

 LPからCDへの移り変わりは、単に媒体の変化にとどまらず、一部の演奏家が忘れ去られる契機となってしまった。ロシアの指揮者、コンスタンチン・イワーノフもそのような演奏家の一人である。アンチェルやカラヤンと同年代にあたり、1946年以降20年近くにわたりソビエト国立交響楽団の音楽監督を努めた。LP時代には国内盤も含めて多数の録音が出ていたが、なぜかほとんどCD化されておらず、現在ではその名を知らない音楽ファンも多いと思われる。一国を代表するオーケストラの監督を20年近くも努めた指揮者としては異例であろう。残された録音のいずれもが大変優れた内容であるだけに、残念である。 イワーノフの演奏は、ピアニッシモからフォルテッシモまでのダイナミックレンジが大きい点では、いわゆる「ロシアの指揮者」のイメージにあてはまると言えなくもないが、一部のセクションが突出しないよう注意が払われており、音楽の骨格は常にしっかりと保たれて揺るぎない。ロシア的良心を反映したような素朴な解釈に貫かれ、大変力強いが、力で押すようなことは決してしない。このようなタイプの演奏を楽しむには、かなり肥えた耳が必要である。通俗名曲を演奏する際も、その解釈は愚直なまでに芸術的である。 レパートリーとしては、自身の風貌がそっくりであったというベートーヴェンを積極的に取り上げた。イワーノフのベートーヴェンは、伴奏部分をやや強調して旋律と対峙させることにより、一部の楽器を突出させたりテンポを揺れ動かしたりすることなく、厳しい性格を描き出すことに成功している。交響曲の多くを録音しているが、7番(未CD化)の第4楽章など、上記のイワーノフの特徴が功を奏した好例である。大変粗悪なモノラル録音であるが、頑として舞い上がらず、突出せず、たたみかけず、あくまでも旋律と伴奏の対峙により、愚直に同じフレーズを繰り返す中に、ベートーヴェンの執拗なまでの執念と人間性が垣間見えてくる。これはおそらく、ワーグナーが「舞踏の権化」と呼んだものとは全く別次元の表現であるが、しっかりしたベートーヴェン観をもった指揮者だということがよく分かる。61年プラハの春音楽祭におけるオイストラフ・トリオとの三重協奏曲は、音楽祭独特の雰囲気も手伝って、同世代の巨匠四人ががっぷり組んだ堂々の充実を示している。  チャイコフスキーの交響曲も、マンフレッドを含め全曲の録音が残されている。ソビエト国立響との悲愴はとりわけ出色である。特に第三楽章では、通常の演奏より微妙にテンポを落として行進曲としての性格が強調され、さぞ辛く苦しかったであろうチャイコフスキーの人生の歩みへの思いが、聴く者の胸に去来する。聴き手が様々な思いをめぐらす余地の大きい演奏であり、同曲ではターリヒ指揮チェコフィル盤とともに、真に名盤と呼べる内容だと思う。モスクワ放送響との金鶏組曲やアンタールといったR・コルサコフの一連のステレオ録音では、オーケストラの色彩に滋味ある統一感を与え、揺るぎない構成感と自由闊達な表現との見事な結びつきを伴って、これ以上望みようがないほどの出来栄えを示している。このような演奏を聴くと、本物の「色彩感」とは、とりどりの色の単なる塗り重ねを指すのではないということがよく分かる。ストラヴィンスキーのペトルーシュカやプロコフィエフのスキタイ組曲では、春の祭典かと思わせるほど原初的な迫力で素晴らしい高揚をみせ、さながらロシアの平原をカッと照らす太陽のような演奏を楽しませてくれる。  イワーノフは1964年にソビエト国立響と一度だけ来日した。その折のショスタコーヴィチの第11番などには、夜も眠れぬほどの衝撃を受けた方もあったようである。来日演奏家の録音発掘が進む今、イワーノフにも一筋の光が当たることを望んでいる。

たけひこ さん | 東京都 | 不明

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K・Iに何を期待したのかは判らないけど、...

投稿日:2011/09/29 (木)

K・Iに何を期待したのかは判らないけど、ソ連の指揮者=爆演というドグマに無根拠に捉われると、本質を見失うことになるので、細心の注意が必要だ。K・Iの録音には、かつては、チャイコフスキー《悲愴》交響曲やR・コルサコフ《金鶏》組曲、同《シェエラザード》など、ムラヴィンスキーもかくやと思わせる、有無を言わせぬ名演がいくつもあったが、今では既に忘れ去られている。そのような状況の中、本盤のような企画が出たことは、K・Iが再評価されるよい布石になってくれるだろう。しかし、先のような思い込みや先入観に捉われている限り、K・Iの演奏の価値を見誤る危険性を孕んでいることは拭えない。しかし、そういったノイズを掃って、ピュアな態度で演奏そのものを聴いていくと、K・Iの様々な非凡な側面がみえてくる。例えば《運命》の第一楽章。K・Iの演奏は、正に「Allegro con brio」そのものであり、ベートーヴェンが楽譜に書いたこと以外の、余計な装飾は一切排除されている。これは73年、ロジェストヴェンスキーがモスクワ放送響の主席指揮者を辞任する直前の録音だが、演奏水準は、ロジェストヴェンスキーが指揮する時よりも数段上。まるで、トスカニーニが甦ったような、(新)即物主義的で真摯な演奏である。それは他の録音についても言える事だが、コンドラシンが主席指揮を辞任した年に録音されたモスクワ・フィルとのスクリャービンの《プロメテウス》は、それに加えて、ゴロヴァーノフばりの濃厚なロマン主義も感じられ、クロースアップされるトランペットの響きがとても印象的だ(K・Iは、音楽教育を正式に受ける前、赤軍の楽隊でトランペットを吹いていた)。星評価は、音質が録音年代以下なので4としたが、鑑賞を妨げる程ではない。

MISPRISIONER さん | 東京都 | 不明

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大いに期待して聴いたのですが、全体的に平...

投稿日:2011/06/27 (月)

大いに期待して聴いたのですが、全体的に平凡な演奏だと思いました。特に「運命」は凡演で、がっかりしました。

ヒデ さん | 神奈川県 | 不明

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