ヤーノシュ・シュタルケルの芸術(19CD)
天才技師ピーター・バルトークによるコダーイの無伴奏チェロ・ソナタの鮮烈な録音で世界的に有名になったヤーノシュ・シュタルケルは、大胆な性格と頭の良さで戦時下のハンガリーを生き延び、戦後もさまざまな苦労を重ねながら、やがて世界的な名声を勝ち得た不屈のチェリスト、シュタルケル全盛期の録音を中心に集めたセット。ピリオド・レーベルの名録音がたくさん聴けるのはありがたいです。
シュタルケルは幼い頃からチェロを弾き、8歳のときには6歳のエヴァ・ツァコーにチェロを教えるという早熟ぶり。その後11歳でリサイタル・デビューし、翌年には海外公演もおこなっており、さらに、14歳の時には、わずか6時間前に連絡を受けてドヴォルザークのチェロ協奏曲に代役出演。
しかし、シュタルケルはユダヤ系だったため、第2次大戦中はメッサーシュミットの工場で働かされたりもします。
戦争が終わると、シュタルケルは、フリッチャイの誘いでハンガリー国立歌劇場の首席チェロ奏者となりますが、ハイパーインフレに嫌気がさして祖国を後にし、まずウィーンでコンサートを開いて成功を収めます。そして、ジュネーヴを経てパリに拠点を移し、コンサートやレコーディングに力を注ぎ、1948年、パシフィック・レーベルにコダーイの無伴奏チェロ組曲を録音、このレコードがディスク大賞を受賞すると名声が一躍高まります。
ほどなくアンタル・ドラティの招きもあってアメリカ移住を決意、まずダラス交響楽団の首席チェリストとなりますが、翌年にはフリッツ・ライナーの誘いを受けてメトロポリタン歌劇場の首席奏者に就任、その後、1953年にライナーがシカゴ響に移るとシュタルケルも一緒に動き、1958年に退団するまでライナーのもとで活躍します。
その間、1954年にはアメリカの市民権を得ており、1956年にはヨーロッパ公演も実施、1958年にはインディアナ大学の音楽学部教授に就任し、インディアナ州ブルーミントンに居を構え、長年にわたって演奏家活動と教育活動を並行しておこなってきました。
そのレコーディング総数は160を超えると言われ、卓越したテクニックと音楽性、優れた音質によって、世界的に高い評価を得たものが数多く含まれています。
レコーディングなどでの使用楽器は、1950年から1965年までは主に、「アイレスフォード卿」という名前で知られるストラディヴァリウス、1965年以降はゴフリラーを中心に使用していたようです。
【年表】
1924年(0歳)
●7月5日、ヤーノシュ・シュタルケル、ブダペスト(ハンガリー語ではブダペシュト)の聖ヤーノシュ病院で誕生。家族は父シャーンドル、母マルギット、8歳年長の長男ティボール、4歳年長の次男エーデの5人で、家業は仕立屋でした。
父はオーストリア=ハンガリー帝国時代のポーランド出身のユダヤ系で、母はロシア帝国時代のウクライナ出身のユダヤ系。2人は1915年、オーストリア=ハンガリー帝国時代のブダペストで結婚。
第1次大戦の敗北でオーストリア=ハンガリー帝国が解体し、2年ほどの混乱期を経て1920年に「ハンガリー王国」が成立しますが、国境線の移動により国籍が失われた人も多く、また、オーストリア=ハンガリー帝国時代の親ユダヤ的な政策方針が廃止。1920年にさっそく反ユダヤ法が整備され始めてさまざまな規制を開始、国籍の新たな取得にも多額の費用がかかるようになったため、シュタルケル家は在留外国人として、毎年滞在許可証を更新していました。
両親ともに音楽とは無縁だったものの、母は教育熱心で、兄2人にはヴァイオリンを習わせていました。
1925年(1歳)
1926年(2歳)
1927年(3歳)
1928年(4歳)
1929年(5歳)
1930年(6歳)
●シュタルケル、チェロのレッスンを開始。教師はフリッツ・テレル。
●シュタルケル、アドルフ・シーファー[1873-1950を師事。シーファーは高名なポッパーの弟子で、その後任としてフランツ・リスト音楽院の教授になっていた人物。毎週シーファーの弟子のレッスンを受け、隔週でシーファー本人が指導するというスケジュールでスタート。
1931年(7歳)
●シュタルケル、初めてのコンサート鑑賞。演奏者はパブロ・カザルス。シーファーがカザルスにシュタルケル少年を紹介。
1932年(8歳)
●シュタルケル、6歳の少女、エヴァ・ツァコー[1926-1978]にチェロを教え始めます。週1回、2〜3時間のスケジュールで、教師シュタルケルとしての初仕事でもありました。エヴァ・ツァコーはのちにグリュミオー・トリオの一員として活躍。
1933年(9歳)
●シュタルケル、バルトークとフォイアマンの共演するコンサートを鑑賞。感銘を受けます。
●シュタルケル家、世界大恐慌の影響で破産。スラム街の窓の無い2部屋に転居。
●シュタルケル、感染症のため入院。病院でもチェロの練習を継続し、医師や看護師を喜ばせます。
1934年(10歳)
●シュタルケル家、破産状態から抜け出して転居。
●シュタルケル、ギムナジウムに入学。
1935年(11歳)
1936年(12歳)
●シュタルケル、ハンガリー弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者イムレ・ヴァルトバウエル[1892-1952]のクラスで弦楽四重奏を勉強。
●シュタルケル、作曲家レオー・ヴェイネル[1885-1960]のクラスで弦楽四重奏を勉強。
●シュタルケル、フランツ・リスト音楽院の学生コンサートに参加してロカテッリのソナタを演奏。
1937年(13歳)
1938年(14歳)
●シュタルケル、チェロの師アドルフ・シーファーの薦めにより、音楽に専念するためにギムナジウムを中退。
●シュタルケル、ドヴォルザークのチェロ協奏曲の代役を本番6時間前に引き受けて演奏。オーケストラとの初めての共演でした。
1939年(15歳)
◆1月1日、ハンガリー政府、ユダヤ人法を施行。
◆極右政党、矢十字党結党。
●シュタルケル、アドルフ・シーファーの引退に伴い、シーファーからの個人レッスンに変更。これによりシュタルケルはフランツ・リスト音楽院も中退。
●シュタルケル、コダーイの無伴奏チェロソナタによりプロ・デビュー。
1940年(16歳)
●シュタルケル、アドルフ・シーファーの個人レッスンを終了。
1941年(17歳)
◆ハンガリー政府、在留外国人の本国送還を決定。ハンガリー警察が数千人のロシア系ユダヤ人、ポーランド系ユダヤ人を集めてウクライナに移送。ほぼ全員殺害。シュタルケルの親戚も含まれていました。
●シュタルケル家は事前に情報提供を受け、協力者の山小屋に6週間隠れていて難を逃れます。国際的な非難により本国送還(殺害)が停止したのち、シュタルケルは警察署に行き、滞在許可証の更新を求めますが、彼らが助かったことに憤った署長補佐から暴力を受け、更新頻度も年1回から毎月に変更されてしまいます。
●シュタルケル、2つの弦楽四重奏団に所属してプライヴェートなコンサートで生活費を集めます。
1942年(18歳)
●シュタルケル、室内楽のコンサートに出演。
1943年(19歳)
◆ハンガリー政府、ユダヤ人の就学制限を強化。演奏会活動も妨害。
1944年(20歳)
◆3月、ドイツ軍、ハンガリーを占領。
◆4月、ユダヤ人に対して黄色いダビデの星の胸章着用を義務化。
◆7月、スウェーデン外交官のラウル・ヴァレンベリがハンガリーに着任。終戦までに約10万人とも言われるユダヤ人を救出するものの、戦後、ソ連により殺害。
●シュタルケル、硫黄工場での清掃、荷物運び、重い機械類の運搬などの仕事を開始し、賃金を受け取るようになります。
●シュタルケル、警察からの在留外国人出頭要請に応じて逮捕され、移民センターとしてすでに数百人を収容している学校の建物に連行。
●シュタルケル、移民センター収容から7日目に、メッサーシュミットの製造用に改修され、約1万8千人が働く工場群のあるドナウ川の巨大な中洲「チェペル島」に移動。しかし、到着直前にアメリカ軍による絨毯爆撃があり、工場が破壊されるとともに労働者の多くも犠牲になっていました。シュタルケルはそこで、不発弾処理や防空壕掘り、レンガ運搬、電気工事のほか、6千人分の食事を作る炊事場の仕事など多くの作業に従事。絨毯爆撃はその後も続き、シュタルケルのすぐ近くでも多くのユダヤ人がアメリカ軍によって殺されます。
●シュタルケル、釈放。のちに妻となるエヴァ・ウラニュイの両親の家に行き、3か月ぶりに入浴し、下着を換え、ダビデの星を外します。釈放された背景には、スウェーデン赤十字社ブダペスト代表団員で大学教授のヴァルデマル・ラングレットとその妻ニーナの存在がありました。ニーナはシュタルケルの恩師アドルフ・シーファーの友人で、その繋がりから、シュタルケルをイェーテボリ交響楽団の首席チェロ奏者に招聘する文書を作成し、さらにシュタルケルをハンガリーから脱出させるためのスウェーデンのパスポートも手配、それらの書類がハンガリーの役人たちには効果があったということでした。
●シュタルケル、ブダペストの一地区の市民防衛隊に入隊して書類が発行され、ひとまず安全が確保。その地区の市民防衛隊の責任者になっていたエヴァ・ウラニュイの父親(予備役の将校)のおかげでした。
●秋、ハンガリー政府により招集されていたシュタルケルの兄2人がユーゴスラヴィアに送られ、ソ連軍により殺害。
●10月、矢十字党が政権をとり、ハンガリーに「国民統一政府」が誕生。総人口約900万人のハンガリーにあって、矢十字党は党員数約30万人と規模の大きな人気政党で、総人口約6800万人で、制限を設けても党員数約850万人だったナチ党ほどの異常人気ではないものの、熱心な党員も多かったことから、僅か3か月の政権ながら約3万8千人のユダヤ系市民を虐殺し、約8万人をナチの強制収容所に移送していました。シュタルケルはドナウ川に浮かぶ大量の遺体と、迫害者たちが戦後、議員に立候補している光景も見ており、やがてハンガリーを離れる決意をします。
◆10月、ソ連軍、ハンガリーへの進撃を開始。
●11月、シュタルケル、ルター派プロテスタントに改宗。両親の友人の牧師の誘いと、エヴァの父親からの改宗希望が重なったことで実施。エヴァの父親も改宗者でした。
●11月、ヴァレンベリがスウェーデンに向けてユダヤ人を移送するための特別編成列車の運行をハンガリー政府に承認させ、そのリストにはシュタルケルの名前も記載。秘密警察に目を付けられていたエヴァも、シュタルケルと結婚すれば同時に出国できるということで、それをきっかけに2人は結婚に踏み切ります。エヴァはカトリック、シュタルケルはプロテスタントという問題がありましたが、なんとかローマ教会の許可証を手に入れて結婚に漕ぎつけています。
◆12月、ソ連軍によって解放されていたハンガリー東部に、臨時政府が誕生。
●12月、ソ連軍、ブダペスト包囲攻撃を開始。市中にいたシュタルケルは、避難民やソ連兵たちに巻き込まれ、友人のハリー・ブロイアーと共に医療関係者に扮して治療活動を実施。性病罹患者だらけのソ連兵たちに対し、放棄された薬局から入手した薬などを処方して感謝され、食糧やチョコレート、タバコなどでお礼をされます。
1945年(21歳)
◆1月、ペシュト(ペスト)が、ソ連軍により占領。
◆2月、ブダがソ連軍により占領。ソ連当局はブダペストの市政をハンガリー人に任せることになりますが、ユダヤ人迫害に加担していた人物も議員に立候補するなど混沌とした状態でした。ちなみにハンガリーのユダヤ系人口は1941年に約82万人でしたが、終戦後は約25万人と3割ほどに激減しています。
●2月、シュタルケルの父、ロシア語を話せることから占領軍のロシア人相手に仕立て屋を再開。
●2月、シュタルケル、エヴァと共にルーマニア行きの貨物列車の貨車に乗車。国境でソ連兵のために演奏して宿泊する部屋を提供されるなどして到着。
ハンガリーはアメリカ軍の絨毯爆撃に加え、ドイツ軍とソ連軍の市街戦で悲惨な状況にあり、しかも敗戦国でしたが、隣国ルーマニアは本土があまり被害に遭っておらず、しかも終戦間近に枢軸国側から連合国側に鞍替えして1944年8月にドイツに宣戦布告、表面上は戦勝国になっていたという大きな違いがあります。
ルーマニアにはエヴァの友人でのちのニューヨーク・フィルのヴァイオリン奏者、ガブリエル・バナト[1926- ]が住んでいたため、彼を頼っての訪問でした。
●2月、シュタルケル夫妻、トランシルヴァニア地方(行政的にはバナト地方)のティミショアラで、バナトの住むアパートの家主で、室内楽協会会員でもあるナシツ家の好意で同地に滞在できることになります。シュタルケル夫妻は小さなリサイタルを開催して収入を得ます。
◆4月、ハンガリー東部にあった臨時政府がブダペストに移動。
●4月、シュタルケル夫妻、首都ブカレストに移動。移動前にナシツ家がブカレストの知人たちに連絡してくれていたことで、すぐにコンサートを開けることになり、有名なアテネ音楽堂でのリサイタルやオーケストラとの共演などの仕事が舞い込みます。
◆5月、ドイツ降伏。
●6月、シュタルケル、左半身のヘルニアを発症。前年の重労働が原因。
●夏、シュタルケル、ブダペストに戻ってヘルニアの手術を受け、成功するものの療養中に肺炎にかかり、戦後の薬品不足でペニシリンが無く、一時重篤な状態になります。
●シュタルケル、ハンガリー国立歌劇場の音楽監督フリッチャイなどから、ハンガリー国立歌劇場管弦楽団(ブダペスト・フィル)首席チェロ奏者への就任を要請され、ハンガリー国籍取得問題なども解決という条件で承諾。報酬は音楽監督と同額で、出演回数も抑えられた良い条件でした。
●11月、シュタルケル、ルーマニアでリサイタル。エネスコとも共演。
1946年(22歳)
●1月、シュタルケル、フリッチャイの指揮で急遽『トスカ』公演に出演。演奏中に腰痛に襲われ、第3幕のソロのあとに抜け出して帰宅し、自宅で医師の治療を受けます。
●1月、シュタルケル、フリッチャイ指揮でドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏。前日の腰痛が残る中での演奏で、ハイパーインフレと共にブダペストでの演奏をやめるきっかけにもなりました。
●シュタルケル、友人のヴィクトル・アイタイに招かれてウィーンに向けて出発。アメリカ軍の女性少佐との契約でしたが、ウィーンに到着すると少佐はナチを匿った容疑で除隊処分になっていました。
◆2月、ハンガリー共和国成立。王制廃止。ソ連占領下でハイパーインフレ策は継続。
●シュタルケル、ウィーンにしばらく滞在。ベーゼンドルファーのパーティに出てグルダと共演したり、アメリカ軍の前で演奏したりして過ごし、やがて同じくアメリカ軍占領地域にあるバートガシュタインに移動。10月まで滞在。
◆8月、ハンガリー政府、新通貨フォリントを導入してハイパーインフレ終息。価値を失った(失わせた)通貨ペンゲーに代わるものでした。
●11月、シュタルケル、ジュネーヴ国際コンクールのチェロ部門で第6位。同コンクールはこの年から国際的な規模感となり、各部門第1位も、ヴァイオリンがイタリア、ピアノがオーストリア、チェロとフルートがフランス、オーボエがスイス、弦楽四重奏団がハンガリー、声楽がブルガリアといった多彩な顔触れ。
チェロ部門の内訳は、1位がその後もまったく無名のフランス人、2位がヤニグロ、3位がハンガリーのエヴァ・ツァコー、4位がハンガリーのタートライ四重奏団のエデ・バンダ、6位がハンガリーのシュタルケル、9位がハンガリーのヴェーグ四重奏団のパウル・サボーといった感じですが、1位のフランス人女性レモンド・ヴェランドゥーは、コンクール後、デッカのレコーディング・セッションに際して、シャルル・ブリュック指揮でシューマンのチェロ協奏曲の録音に臨むものの、4分もまともに演奏することができず、ロンドンからマルセイユに帰ってしまったのだとか。
ちなみに当時のハンガリーは、前年2月に「ハンガリー共和国」となった状態でまだ共産化されていなかったものの、戦後のハイパーインフレで共産化への圧力が高まりつつあり、ソ連占領軍駐留が大規模だったことから西側がその関係を重視していた時期でもありました。
なお、シュタルケルも1位だと思っていた
ヤニグロは、国籍はイタリアでしたが、生活実態は戦前からずっとユーゴスラヴィアにあり、コンクールの少し前には撃墜事件をめぐってユーゴスラヴィアと西側が大変な事態になってもいたので、もしかしたら審査結果に影響があったのかもしれません。
また、シュタルケル自身は、直前にウィーンで聴いて衝撃を受けたメニューインの凋落ぶりに影響され、技術的な練習に打ち込み過ぎ、コンクールでのバッハの前奏曲とフーガ ハ短調を猛烈なスピードで弾いてしまったということで敗因はその辺りかもしれません。
●11月、シュタルケル、パリに移動してしばらく滞在。やがて、パリにハンガリー人の友人たちが到着し、ブダペスト弦楽四重奏団の元第2ヴァイオリン奏者、アルフレード・インディグを第1ヴァイオリン奏者とした弦楽四重奏団結成の話が持ち上がります。
●11月、シュタルケル、総勢10人から成る友人たちとインディグの暮らす南仏カンヌに移り、格安なムーリス・ホテルでの生活を開始。インディグは妻の収入をカジノで増やすことで生活しており、シュタルケルらも巻き込まれますが、結局、お金をほとんど失っています。また、
ブダペスト弦楽四重奏団を退団してから27年間が経過していた54歳のインディグの腕前はすでに悲惨なものとなっており、それは翌年1月まで何度練習しても変わることはありませんでした。彼らは弦楽四重奏団結成を諦めます。
1947年(23歳)
●1月、シュタルケル、パリに戻って今度はエトナ・ホテルで生活を開始。ハンガリー人の友人たちも集まってきます。
◆2月、パリ講和条約によりソ連のハンガリー占領体制は終わるものの、ソ連軍大規模駐留は継続。ハンガリーの国土も縮小。
●シュタルケル、ルーマニア時代の恩人ナシツ夫人の姉妹であるタウシグ夫人から、フランス中部のリモージュの仕事を紹介されます。その際、フランスのチェリスト、ポール・トルトゥリエ[1914-1990]を紹介され、シュタルケルはタウシグ家でトルトゥリエのためにコダーイの無伴奏ソナタを演奏。衝撃を受けたトルトゥリエは、シュタルケルのことをピエール・フルニエ[1906-1986]に紹介したほか、各方面にも伝え、やがてパリのラジオ・フランスからも出演依頼が来ます。
●夏、シュタルケル、1年半ぶりにブダペストに里帰り。
●秋、シュタルケル、パリに戻り、格安のクロンシュタット・ホテルで生活を開始。
1948年(24歳)
●シュタルケル、2年前にウィーンに招いてくれた友人のアイタイから、今度は彼が所属するピッツバーグ交響楽団への誘いを受けます。アイタイの話を聞いたフリッツ・ライナーが、首席チェロ奏者として迎えたいという申し出でした。しかしビザの問題があり実現は無理でした。
●シュタルケル、コロンビア・コンサーツ副社長アンドレ・メルタンから契約の申し出を受けるものの保証はしないということだったので断ります。
●シュタルケル、パシフィック・レコードと契約。ラジオ・フランスへの出演がきっかけでした。コダーイの無伴奏チェロソナタが78回転盤4枚組で発売されディスク大賞(金賞)を獲得。ほかにファリャの『7つのスペイン民謡』とヒンデミットのチェロ・ソナタも録音していました。ちなみにコダーイは収録時間の関係で数か所カット、最終面には技術トラブルで低音持続ノイズも入ってしまい、シュタルケルはやり直しを要求するものの、レーベル側は拒否してそのまま発売。演奏の凄さで受賞となったようです。
●春、シュタルケル、パリを訪れたコダーイ[1882-1967]に同行して各所を回り無伴奏ソナタのさわりを演奏したりします。
●春、シュタルケル、アンタル・ドラティ[1906-1988]の訪問を受け、ダラス交響楽団首席チェロ奏者への就任を打診されます。報酬などの条件は当時のシュタルケルにとって破格のものでしたが、ビザの問題がある旨を伝えるとドラティは対応を約束。当時のアメリカの移民ビザは音楽家には優先権は無かったものの大学の教育者などには優先権があったため、ドラティは友人のウィルフレッド・ペインに協力を依頼。ペインはインディアナ大学音楽学部の学部長で、学長からシュタルケルの講師採用の承諾を得ることも容易でした。アメリカ側の問題はこれで解決したものの、シュタルケル側には祖国の共産化という難題があり、さらに教育者としての実績の証明になるものなどを集めることに奔走し、9月にようやく書類を整え、空路アメリカに渡ることになります。
●9月、シュタルケル、ニューヨークに1日滞在の後、再び空路でダラスに到着。翌朝、ドラティの秘書のウィルマ・コザートがホテルを訪れ、レクチャーの上、移民局に同行して各種書類を入手し、その足で音楽家組合の事務所で手続きをして会員証を入手、晴れてオーケストラと雇用関係を結ぶことができるようになります。ちなみにウィルマ・コザートは、のちにマーキュリー・レコードの副社長になる人物です。
●シュタルケル、ダラス交響楽団首席チェロ奏者に就任。
●シュタルケル、船でアメリカに到着した妻のエヴァとの生活をダラスで再開。
1949年(25歳)
●シュタルケル、ドラティのミネアポリス交響楽団音楽監督就任に伴い、首席チェロ奏者として一緒に来るよう誘われて承諾します。しかし、その後、フリッツ・ライナー[1888-1963]から、会いたいのでチェロも一緒に持ってくるように言われて出かけるとそれがメトロポリタン歌劇場管弦楽団首席チェロ奏者のオーディションということで、ライナーはシュタルケルを気に入り、ドラティには自分から連絡するということで話が進められてしまいます。ライナーはドラティの遠い親戚で、ドラティは「フリッツ伯父さん」と呼んでいて逆らうことができませんでした。ちなみにメトロポリタン歌劇場管弦楽団は、当時世界で最も賃金の高いオーケストラでした。
●夏、シュタルケルの娘、ゲイブリエル誕生。
●9月、シュタルケル、メトロポリタン歌劇場管弦楽団首席チェロ奏者に就任。フリッツ・ライナーの要請。
1950年(26歳)
●シュタルケル、ピリオド・レコードにレコーディングを開始。社長のウィリアム・アヴァルは、シュタルケルが1948年にパリで録音したコダーイの権利を取得しており、それをLPで発売するためにシュタルケルのもとを訪問。しかしシュタルケルが、ノイズとカットの問題があるためその録音には不満があると述べたことで、新たに録音しなおすことになり、シュタルケルの好きな他の曲も録音するという話がまとまって15枚分の録音について契約。エンジニアはバルトークの息子のピーター・バルトーク。
1951年(27歳)
●1月、シュタルケル、オペラに不慣れなオーマンディが『こうもり』を指揮した際、リハーサルで、体をもっと動かせという、オーケストラ・ピットではまったく意味のない要求をされたため衝突。オーマンディはメトロポリタン歌劇場に苦情の手紙を書き、シュタルケルを許さなかったと言います。ちなみに『こうもり』はもともとフリッツ・ライナーが指揮する予定でしたが、劇場としてCBSと契約を結んだ支配人のルドルフ・ビングが、RCA専属のライナーを外し、さらにオペラ未経験で迷惑をかけかねないということで、フィラデルフィア管弦楽団マネージャーのジャドソンが、オーマンディに無償で指揮するよう進言したという困ったプロジェクトでした。
●シュタルケル、ヨーゼフ・シゲティ[1892-1973]からの要望で、自身のチェロの奏法を伝授。シゲティは熱心にメモをとっていました。
●シュタルケル、妻のエヴァに誘われて1949年のイギリス映画『カインド・ハート』を見に行き衝撃を受けます。パリ時代にシュタルケルが書いた小説がほぼそのまま使われた映画でした。当時パリのシュタルケルのところに遊びに来た人間の中に映画関係者がおり、彼女に渡したきりになっていた小説が元ネタにされてしまったというものでした。映画の出来は良かったため、シュタルケルはそのまま放置することにしました。
1952年(28歳)
1953年(29歳)
●5月、シュタルケル、メトロポリタン歌劇場管弦楽団首席チェロ奏者を辞任。
1954年(30歳)
1955年(31歳)
1956年(32歳)
1957年(33歳)
1958年(34歳)
●シュタルケル、シカゴ交響楽団を退団。
1959年(35歳)
1960年(36歳)
●シュタルケル、初来日。
1961年(37歳)
1962年(38歳)
1963年(39歳)
1964年(40歳)
1965年(41歳)
1966年(42歳)
1967年(43歳)
1968年(44歳)
1969年(45歳)
1970年(46歳)
1971年(47歳)
1972年(48歳)
1973年(49歳)
1974年(50歳)
1975年(51歳)
1976年(52歳)
1977年(53歳)
1978年(54歳)
1979年(55歳)
1980年(56歳)
1981年(57歳)
1982年(58歳)
1983年(59歳)
1984年(60歳)
1985年(61歳)
1986年(62歳)
1987年(63歳)
1988年(64歳)
1989年(65歳)
1990年(66歳)
1991年(67歳)
1992年(68歳)
1993年(69歳)
1994年(70歳)
1995年(71歳)
1996年(72歳)
1997年(73歳)
1998年(74歳)
1999年(75歳)
2000年(76歳)
2001年(77歳)
2002年(78歳)
2003年(79歳)
2004年(80歳)
2005年(81歳)
2006年(82歳)
2007年(83歳)
2008年(84歳)
2009年(85歳)
2010年(86歳)
2011年(87歳)
2012年(88歳)
2013年(89歳)
●4月28日、シュタルケル、インディアナ州の自宅で死去。
【収録情報】
CD 01
コダーイ
無伴奏チェロ・ソナタ Op. 8
1 I. Allegro maestoso ma appassionato
2 II. Adagio (Con gran espressione)
3 III. Allegro molto vivace
Period SPL 510
ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 Op. 7
4 I. Allegro serioso
5 II. Adagio
6 III. Maestoso e largamente ma non troppo -
7 Lento
Period SPL 720
チェロとピアノのためのソナタ Op. 4
8 I. Fantasie
9 II. Allegro con spirito
Period SPL 602
Recorded on 1950 (op.8 & op.7) & 1952 (op.4)
アーノルド・アイダス(ヴァイオリン), オットー・ヘルツ(ピアノ)
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
CD 02
スペイン音楽集
ファリャ:スペイン民謡組曲
1 1. ムーア人の織物 - 2. ナナ- 3. カンシオン- 4. ポロ - 5. アストゥリアーナ - 6. ホタ
2 トロバ:カスティーリャ組曲〜ファンダンギーリョ
3 ファリャ: 恋は魔術師〜火祭りの踊り
4 グラナドス:インテルメッツォ H. 63
5 アルベニス:マラゲーニャop. 71-8
6 カサド:愛の言葉
7 カサド:緑の悪魔の踊り
Period SPL 584
Recorded on 1950s
コダーイ
無伴奏チェロ・ソナタ Op. 8
8 I. Allegro maestoso ma appassionato
9 II. Adagio (Con gran espressione)
10 III. Allegro molto vivace
Columbia 33CX 1595
Recorded on October 5, 1957
レオン・ポマーズ(ピアノ) , ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
CD 03
ベートーヴェン
チェロ・ソナタ第1番 ヘ長調 Op. 5-1
1 I. Adagio sostenuto -
2 Allegro
3 II. Allegro vivace
チェロ・ソナタ第4番 ハ長調Op. 102-1
4 I. Andante –
5 Allegro
6 II. Adagio –
7 Allegro vivace
チェロ・ソナタ第5番 ニ長調 Op. 102-2
8 I. Allegro con brio
9 II. Adagio con molto sentimento d'affetto
10 III. Allegro
Erato EJA 6/7
Recorded on November 17-27 & December 3 & 7, 1959, Stereo
シェベーク・ジェルジ(ピアノ), ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
CD 04
ベートーヴェン
チェロ・ソナタ第2番 ト短調 Op. 5-2
1 I. Adagio sostenuto ed espressivo -
2 Allegro molto piu tosto presto
3 II. Rondo (Allegro)
チェロ・ソナタ第3番 イ長調 Op. 69
4 I. Allegro ma non tanto
5 II. Scherzo
6 III. Adagio cantabile -
7 Allegro vivace
Erato EJA 6/7
Recorded on November 17-27 & December 3 & 7, 1959, Stereo
シェベーク・ジェルジ(ピアノ), ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
CD 05
ブラームス
チェロ・ソナタ第1番 ホ短調 Op. 38
1 I. Allegro non troppo
2 II. Allegro quasi minuetto
3 III. Allegro
チェロ・ソナタ第2番 ヘ長調 Op. 99
4 I. Allegro vivace
5 II. Adagio affettuoso
6 III. Allegro passionato
7 IV. Allegro molto
Erato LDE 3137
Recorded on December 1, 1959, Stereo
シェベーク・ジェルジ(ピアノ), ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
CD 06
J.S.バッハ
チェロ組曲
組曲第1番 ト長調 BWV1007
1 I. Prélude
2 II. Allemande
3 III. Courante
4 IV. Sarabande
5 V. Menuet I & II
6 VI. Gigue
Columbia 33CX 1656
組曲第2番 ニ短調 BWV1008
7 I. Prélude
8 II. Allemande
9 III. Courante
10 IV. Sarabande
11 V. Menuet I & II
12 VI. Gigue
Columbia 33CX 1515
組曲第3番 ハ長調 BWV1009
13 I. Prélude
14 II. Allemande
15 III. Courante
16 IV. Sarabande
17 V. Bourrée I & II
18 VI. Gigue
Columbia 33CX 1656
Recorded on February 1, 1959 (No. 1); March 11, 1957 (No. 2); May 22-23, 1958 (No. 3)
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
CD 07
J.S.バッハ
チェロ組曲
組曲第4番 変ホ長調 BWV1010
1 I. Prélude
2 II. Allemande
3 III. Courante
4 IV. Sarabande
5 V. Bourrée I & II
6 VI. Gigue
Columbia 33CX 1745
組曲第5番 ハ短調 BWV1011
7 I. Prélude
8 II. Allemande
9 III. Courante
10 IV. Sarabande
11 V. Gavotte I & II
12 VI. Gigue
Columbia 33CX 1515
組曲第6番 ニ長調 BWV1012
13 I. Prélude
14 II. Allemande
15 III. Courante
16 IV. Sarabande
17 V. Gavotte I & II
18 VI. Gigue
Columbia 33CX 1745
Recorded on June 9-10, 1959 (No. 4) Stereo; August 29-30 & October 3, 1957 (No. 5); January 31 & February 1, 1959 (No. 6) Stereo
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
CD 08
ハイドン
チェロ協奏曲第2番 ニ長調, Hob.VIIb:2
1 I. Allegro moderato
2 II. Adagio
3 III. Allegro
Columbia 33CX 1665
Recorded on May 28-29, 1958, Stereo
ボッケリーニ
チェロ協奏曲第9番 変ロ長調, G. 482
4 I. Allegro moderato
5 II. Adagio non troppo
6 III. Rondo Allegro
Columbia 33CX 1665
Recorded on May 28-29, 1958, Stereo
シューマン
チェロ協奏曲 イ短調 Op. 129
7 I. Nicht zu schnell
8 II. Langsam
9 III. Sehr lebhaft
Columbia 33CX 1579
Recorded on September 17, 1957, Stereo
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
フィルハーモニア管弦楽団
カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮)
CD 09
チェロ・リサイタル
1 バッハ:管弦楽組曲第3番〜G線上のアリア BWV 1068
2 クライスラー: アレグレット〜ボッケリーニの手法による
3 サン・サーンス: アレグロ・アパッショナート ロ短調 Op. 43
4 ドビュッシー:前奏曲第1集〜亜麻色の髪の乙女(編曲.フォイヤール)
5 ショパン:夜想曲第2番 変ホ長調 Op. 9-2 (編曲.ポッパー)
6 ポッパー,ハンガリア狂詩曲 Op. 68
7 バッハ: チェンバロ協奏曲第5番 へ短調 BWV 1056〜第2楽章 アリオーソ
8 シューベルト: バガテル Op. 13 -3 アレグレット・グラツィオーソ (編曲.カサド)
9 シューベルト:楽興の時 D. 780〜第3番 へ短調(編曲.ベッカー)
10ムソルグスキー:歌劇「ソロチンスクの市場」〜ゴパック
11シューマン:子供の情景〜トロイメライOp. 15-7 (室内楽版)
12ドビュッシー: 小組曲 L. 65〜メヌエット (編曲.グルート)
13チェレプニン: Ode
14パガニーニ: 24のカプリース Op. 1 - No. 13 変ロ短調(編曲.クライスラー)
Columbia 33CX 1700
Recorded on June 4-7, 1958, Stereo
ジェラルド・ムーア (ピアノ), ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
CD 10
フォーレ
1 エレジー ハ短調 Op. 24
Columbia 33CX 1477
ミヨー
チェロ協奏曲第1番 op. 136
2 I. Nonchalnt
3 II. Grave
4 III. Joyeux
Columbia 33CX 1425
プロコフィエフ
チェロ協奏曲 ホ短調 op. 58
5 I. Andante - Poco meno mosso. andante assai - Adagio
6 II. Allegro giusto
7 III. Tema (allegro) - Interludio I - Variations 1-3 - Interludio II - Variation 4 - Reminiscenza (meno mosso) - Coda (poco sostenuto) - Più mosso
Columbia 33CX 1425
シューマン
チェロ協奏曲 イ短調 Op. 129*
8 I. Nicht zu schnell
9 II. Langsam
10 III. Sehr lebhaft
Recorded on July 14-17, 1956, Stereo (1-7); July 9, 1962, Stereo (8-10)
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
フィルハーモニア管弦楽団,ロンドン交響楽団*
ワルター・ジュスキント,スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ* (指揮)
CD 11
ドヴォルザーク
チェロ協奏曲 ロ短調 Op. 104
1 I. Allegro
2 II. Adagio ma non troppo
3 III. Finale: Allegro moderato
Columbia 33CX 1477
ドホナーニ
4 コンツェルトシュテュックニ長調 Op. 12
Columbia 33CX 1579
サン・サーンス
チェロ協奏曲第1番 イ短調, Op. 33*
5 I. Allegro non troppo
6 II. Allegretto con moto
7 III. Un peu moins vite
Columbia 33CX 1579
Recorded on July 11-13, 1956, Stereo (1-4); September 16, 1957, Stereo (5-7)
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
フィルハーモニア管弦楽団
ワルター・ジュスキント, カルロ・マリア・ジュリーニ* (指揮)
CD 12
モーツァルト
ピアノ・トリオ第1番 変ロ長調 KV 254
1 I. Allegro assai
2 II. Adagio
3 III. Rondo (tempo di menuetto)
Period SPL 523
ピアノ・トリオ第2番 ト長調 KV 496
4 I. Allegro
5 II. Andante
6 III. Allegro & variations
Period SPL 522
ピアノ・トリオ第3番 変ロ長調 KV 502
7 I. Allegro
8 II. Larghetto
9 III. Allegretto
Period SPL 521
Recorded on 1950s
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ), A.ヤンボル(ピアノ), ヴィクター・アイタイ(ヴァイオリン)
CD 13
モーツァルト
ピアノ・トリオ第4 番 ホ長調 KV 542
1 I. Allegro
2 II. Andante grazioso
3 III. Allegro
Period SPL 522
ピアノ・トリオ第5番 ハ長調 KV 548
4 I. Allegro
5 II. Andantino cantabile
6 III. Allegro
Period SPL 521
ピアノ・トリオ第6番 ト長調 KV 564
7 I. Allegro
8 II. Andante & variations
9 III. Allegretto
Period SPL 523
Recorded on 1950s
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ), A.ヤンボル(ピアノ), ヴィクター・アイタイ(ヴァイオリン)
CD 14
メンデルスゾーン
チェロ・ソナタ第2番 ニ長調 Op. 58*
1 I. Allegro assai vivace
2 II. Allegretto scherzando
3 III. Adagio
4 IV. Molto allegro e vivace
Mercury SR 90320
Recorded on July 9, 1962, Stereo
モーツァルト
ホルン協奏曲第3番 変ホ長調, K447 (arr. Sandor Fischer)
5 I. Allegro
6 II. Romance
7 III. Allegro
Period SPLP 579
Recorded on 1950s
コレッリ
ソナタ ニ短調 (編曲. A. Lindner)**
8 I. Prelude
9 II. Allemande
10 III. Sarabande
Period SPLP 540
Recorded on 1950s
ヴィヴァルディ
協奏曲ニ長調「調和の霊感」, Op.3-9 (RV.2)**
11 I. Allegro
12 II. Larghetto
13 III. Allegro
Period SPLP 540
Recorded on 1950s
シェベーク・ジェルジ(ピアノ)*,Marilyn Meyer** (ピアノ), ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)キャッスル・ヒル祝祭管弦楽団,マクシミリアン・ピルツァー(指揮)
CD 15
ベートーヴェン
チェロ・ソナタ第1番 ヘ長調 Op. 5-1
1 I. Adagio sostenuto -
2 Allegro
2 II. Allegro vivace
チェロ・ソナタ第2番 ト短調 Op. 5-2
4 I. Adagio sostenuto ed espressivo -
5 Allegro molto piu tosto presto
6 II. Rondo (Allegro)
Musical Masterpiece Society MMS-2086
Recorded on 1952
アバ・ボーギン(ピアノ) , ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
CD 16
ベートーヴェン
チェロ・ソナタ第3番 イ長調 Op. 69
1 I. Allegro ma non tanto
2 II. Scherzo
3 III. Adagio cantabile -
4 Allegro vivace
チェロ・ソナタ第4番 ハ長調 Op. 102-1
5 I. Andante -
6 Allegro
7 II. Adagio -
8 Allegro vivace
チェロ・ソナタ第5番 ニ長調 Op. 102-2
9 I. Allegro con brio
10 II. Adagio con molto sentimento d'affetto
11 III. Allegro
Musical Masterpiece Society MMS-2086
Recorded on 1952
アバ・ボーギン(ピアノ), ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
CD 17
ブラームス
チェロ・ソナタ第1番 ホ短調 Op. 38
1 I. Allegro non troppo
2 II. Allegro quasi minuetto
3 III. Allegro
チェロ・ソナタ第2番 ヘ長調 Op. 99
4 I. Allegro vivace
5 II. Adagio affettuoso
6 III. Allegro passionato
7 IV. Allegro molto
Nixa PLP 593
Recorded on 1953
アバ・ボーギン(ピアノ), ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
CD 18
ドヴォルザーク
チェロ協奏曲 ロ短調 Op. 104
1 I. Allegro
2 II. Adagio ma non troppo
3 III. Finale: Allegro moderato
Mercury 432 001-2
ブルッフ
4コル・ニドライ Op. 47
Mercury SR 90303
Recorded on July 6-7, 10, 1962, Stereo
ラロ
チェロ協奏曲 ニ短調*
5 I. Prélude (Lento - Allegro maestoso)
6 II. Intermezzo (Andantino con moto - Allegro presto)
7 III. Introduction (Andante - Allegro vivace)
Mercury SR 90347
Recorded on July 9, 1962, Stereo
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
ロンドン交響楽団
アンタル・ドラティ,スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ* (指揮)
CD 19
ショパン
チェロ・ソナタ ト短調 Op. 65
1 I. Allegro moderato
2 II. Scherzo. Allegro con brio
3 III. Largo
4 IV. Finale. Allegro
Mercury SR 90320
メンデルスゾーン
5 協奏的変奏曲 Op. 17
Mercury SR 90405
マルティヌー
6 ロッシーニのテーマによる変奏曲
Mercury SR 90405
ショパン
7 序奏と華麗なポロネーズ ハ長調 Op. 3
Mercury SR 90405
ドビュッシー
チェロ・ソナタ ニ短調 L. 135
8 I. Prologue
9 II. Sérénade
10 III. Finale
Mercury SR 90405
バルトーク
9 ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー第1番 Sz. 86
Mercury SR 90405
ヴェイネル・レオー(1885-1960)
10 ハンガリーの結婚舞曲
Mercury SR 90405
Recorded on July 10, 1962 (1-4) Stereo; October 17-18, 1963 (5-10) Stereo
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ), シェベーク・ジェルジ(ピアノ)
【商品説明:年表シリーズ】
指揮
●
アルヘンタ
●
オッテルロー
●
ガウク
●
カラヤン
●
クイケン
●
クーセヴィツキー
●
クチャル
●
クラウス
●
クレツキ
●
クレンペラー
●
ゴロワノフ
●
サヴァリッシュ
●
シューリヒト
●
ターリヒ
●
チェリビダッケ
●
ドラティ
●
バーンスタイン
●
パレー
●
フェネル
●
フルトヴェングラー
●
メルツェンドルファー
●
モントゥー
●
ライトナー
●
ラインスドルフ
●
ロスバウト
鍵盤楽器
●
ヴァレンティ
●
カークパトリック
●
カサドシュ
●
グリンベルク
●
シュナーベル
●
ソフロニツキー
●
タマルキナ
●
タリアフェロ
●
デムス
●
ナイ
●
ニコラーエワ
●
ハスキル
●
ユージナ
●
ランドフスカ
弦楽器
●
カサド
●
グリラー弦楽四重奏団
●
シュナイダー四重奏団
●
パスカル弦楽四重奏団
●
ハリウッド弦楽四重奏団
●
ブダペスト弦楽四重奏団
●
フランチェスカッティ
●
ヤニグロ
●
リッチ
●
伝説のフランス弦楽四重奏団
作曲家
●
アンダーソン
●
ヘンツェ
●
坂本龍一
シリーズ
●
テスタメント国内盤