電気グルーヴ

電気グルーヴ プロフィール

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電気グルーヴ

日本を代表するテクノの人物、石野卓球(vo&programing)とピエール瀧(vo&dance)が89年に前身バンドである「人生」の解散と同時に電気グルーヴ結成。

1990年、662 Bpm ByY Dgの発表とともにCmjkが加入し、1991年、イギリス、マンチェスターにてレコーディングされたFlash Papaでキュ−ンソニーよりデビュー。この作品は当時、まだ未成熟だった日本のテクノ・シーンに大きな風穴を開けた。
同年5月、CMJK脱退表明、ピエール瀧「瀧勝」としてデビュー。
6月、Cmjkに代わって砂原良徳(まりん)が加わり、アルバムUfoKaratekaを発表。砂原が「カルトQ」のYMO特集に出演、見事カルトキングに輝く。

1993年に発表されたVitaminは、雄叫びを上げるコンピュータと、ありとあらゆる要素を取り入れた、まさに聴くひとにとってのビタミンになるであろう一枚。石野がロンドンのアンダーグラウンド・テクノ・クラブで刺激を受けて制作され、さらに「デジタル・ミュージック」を深く追求するバンドの方向性を決定づけた。
1994年、「電気グルーヴのテクノ専門学校」でテクノ啓蒙活動。
1995年、シングル、BOXセットParkingをリリース
1996年、オレンジリリース。
1997年にリリースされたシングルShangri-Laは、今までの徹底したテクノ路線から一転して、’77にヒットしたガラージュクラシックスプリングレインを大胆に取り入れたポップなサウンドを放ち、好セールスを記録。同年、卓球ヨーロッパにてDJ行脚。
続くアルバムA(エース)はメンバー3人の長年の音楽的実験の集大成といえる大傑作。卓球自ら“金を出して買う"と言わせるぐらいの超大作。オリコン3位を記録し、これが賞賛されると共に、海外にもその存在は認知されることに。
9月、ピエール瀧「世界ウルルン紀行」の撮影でインドネシアへ。牛乗りレースに挑戦するも落牛して捻挫。

1998年、卓球砂原がソロ発表。
1999年、4月に砂原良徳が脱退し、メンバー2人にゲストDJを迎えて制作された『Voxxでは、ディスコや80'sエレポップの知的な再構築を見せ、そこにレベルの高いギャグを凝縮し、悩んでいる事が馬鹿らしくさせるほどの完成度。 シングルでもいいトコ突いてくるがやっぱりアルバム作ってナンボの人達ということを再認識させられる。 。またソロ活動も果敢で、卓球はセルフ・レーベル「ルーパ」の設立やDJ、リミックス、コラボレイト、コンピレーションへの参加など猛烈なワーカホリックぶりを見せ、一方のピエール瀧は、ミュージシャン(?)の枠を越え、テレビ番組の司会やVJ、ゲーム・ソフトのプロデュースなどでマルチ・タレントぶりを発揮する。

2001年、 祝デビュー10周年を迎え、セルフトリビュート盤Last Supperリリース。Tasaka&Kagamiに始まり、CMJK砂原良徳の歴代メンバー、リミキサーとしての上も一流のコーネリアスや<アイゴン、トドメは天久聖一21世紀モテたくて…を収録。ドリルキング社歌2001BbeN.O.…それぞれ思い入れのある曲がまたまた爆笑と感動の渦に巻き込む!!

ミュージックセレクトの目の付け所といい、笑いのネタセンスもグーで、しかもサウンドは冗談本気なカッコよさを併せ持つ。体が自然と動き出してしまう計算され尽くしたテクノサウンドは日本語のワカラナイドイツ人にもウケるわけです。言葉と音とが絶妙のバランスを取り合い、電気グルーヴにしかなしえないバカ+ミュージック、そこにある非常に好奇心旺盛な遊ぶ心が生み出した産物は、彼らがテクノのみならず、日本のミュージック・シーンやサブ・カルチャーに大きな影響を与えた。

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