筑紫政権からヤマト政権へ・豊前石塚山古墳 シリーズ「遺跡を学ぶ」

長嶺正秀

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784787706324
ISBN 10 : 4787706322
フォーマット
出版社
発行年月
2005年12月
日本
追加情報
:
21cm,93p

内容詳細

豊前石塚山古墳の被葬者は、ヤマト政権と密接な関わりを持ち、大陸へのルートを確保する役割を担っていた。筑紫政権下からヤマト政権下へと組み込まれてゆく北部九州の姿を、古墳と副葬された三角縁神獣鏡から解明。〈受賞情報〉毎日出版文化賞企画部門(第65回)

【著者紹介】
長嶺正秀 : 1951年、島根県生まれ。現在、苅田町教育委員会での埋蔵文化財行政(石塚山古墳、松山古墳群、松山城跡、等覚寺修験道遺跡群、岩屋古墳群、近衛ヶ丘遺跡などの調査、報告書刊行)を担当。但し、2002〜05年の間は、苅田町合併50周年記念誌の編集・執筆に従事。1975〜87年までは、京都平野の主要な遺跡や古墳(竹並遺跡、前田山遺跡、下稗田遺跡、八雷古墳など)の調査と報告書の刊行に従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • rbyawa さん

    f199、最近歴史資料を読む時になるべく地図を意識するようにしているのですがこの「豊前石塚山古墳」って下関よりも内陸に入り込んだ土地なので、自然に大陸や半島からの港はなった土地のような気もしないんですが…どっちかというと南下したところにある「宇佐神社」が気になります、八幡神社の元宮って言われてるところじゃなかったっけ、要はこちらのほうが古い。130m級だと本土でもだいぶ大きな部類、時代は3世紀だから大宰府なんかよりも前だっけ? 大量の青銅鏡を見るとまあ、権力とのつながりはあるんでしょうが、研究途上かなぁ。

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人物・団体紹介

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長嶺正秀

島根県に生まれる。福岡県苅田町役場に勤務。教育委員会技術技師として文化財の調査、遺跡、古墳の発掘調査に携わる。苅田町教育委員会編「厚葬の時代1」(秋の特別展示録、2009年)、苅田町教育委員会編「律令時代と豊前国」(秋の特別展示図録、2010年)などの企画制作を担当する

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