デジタルネイチャー生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂

落合陽一

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784905325093
ISBN 10 : 4905325099
フォーマット
出版社
発行年月
2018年06月
日本
追加情報
:
288p;19

内容詳細

いま最も注目の研究者にしてメディアアーティスト、落合陽一の最新作!

十分に発達した計算機群は、自然と見分けがつかない――
デジタルネイチャー、それは落合陽一が提唱する未来像でありマニフェストである。
ポストモダンもシンギュラリティも、この「新しい自然」の一要素にすぎない。否応なく刷新される人間と社会。それは幸福の、経済の、民主政治の再定義をもたらす。新たなるパラダイムはここから始まる……!

「我々は、「ゲート」や「つなぎ目」のない世界を生み出し、標準化を多様性で置き換え、個人の幸福や不安といった人間性に由来する強迫観念をテクノロジーによって超越しうる。我々にとって必要なのは、テクノロジーが向かう未来へのビジョンと情熱だ。」(あとがきより)

目次(一部抜粋)

第1章 デジタルネイチャーとは何か――オーディオビジュアルの発明、量子化、デジタル計算機、そして計算機自然、デジタルネイチャーへ
機械と自然が融合する時代が始まる/メディアアーティストとしてのエジソン/電流戦争から100年後の直流的デジタル社会/〈近代〉を規定する「エジソン=フォード境界」を乗り越える/「AI+BI型」と「AI+VC型」に分化する社会/「タイムマネジメント」から「ストレスマネジメント」の時代へ

第2章 人間機械論、ユビキタス、東洋的なもの――計算機自然と社会
〈人間〉と〈機械〉の統一理論・サイバネティクス/「End to End」という魔術/サイバネティクスとユビキタスを思想的に継承する/計算機自然が〈人間の補集合〉となる

第3章 オープンソースの倫理と資本主義の精神――計算機自然と自然化する市場経済
マルクスとウェーバーに還って現代のエコシステムを考える/オープンソースの倫理と資本主義の精神/絶えずリセットされ続ける市場の出現/「脱倫理性」がもたらす可能性

第4章 コンピューテーショナル・ダイバーシティ――デジタルネイチャー下の市民社会像、言語から現象へ
リアル/バーチャルからマテリアル/バーチャルへ/〈人間‐機械〉の中間領域にあるオルタナティヴ/コンピューテーショナル・ダイバーシティ/ダイバーシティにコミュニティや社会の意思決定を最適化する

第5章 未来価値のアービトラージと二極分化する社会――デジタルネイチャーは境界を消失させる
〈楽園〉の世界と〈奴隷〉の世界の二項対立を乗り越える/第三のてこの原理「アービトラージ」/帝国に対抗する「ラボドリブン」の可能性

第6章 全体最適化された世界へ――〈人間〉の殻を脱ぎ捨てるために
コード化によって変わる遺伝的多様性/ロボティクスとVRによって解放される「身体」/解体される「自我」「幸福」「死」の概念/失われた多様性をインターネットが担保する/人間の寿命を超えた知性が出現する

終章 思考の立脚点としてのアート、そしてテクノロジー――未来を予測する最適の方法としての
〈超人〉・〈身体性〉からデジタルネイチャーへ/〈物質〉と〈実質〉の境界を突破する/〈生命〉と〈機械〉の新しい関係/不可視のデータ、そして重力からの解放へ/風景と計算機自然

【著者紹介】
落合陽一 : 1987年生。メディアアーティスト。2015年東京大学学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の短縮終了)、博士(学際情報学)。2015年より筑波大学図書館情報メディア系助教デジタルネイチャー研究室主宰。2015年Pixie Dust Technologies.incを起業しCEOとして勤務。2017年より筑波大学学長補佐、大阪芸術大学客員教授、デジタルハリウッド大学客員教授を兼務。同年12月「デジタルネイチャー推進戦略研究基盤」を筑波大学内に設立し、筑波大学助教を退職、及び本基盤の代表/准教授として筑波大学に再就し、現職。JST CREST xDiversity代表。専門はCG、HCI、VR、視・聴・触覚提示法、デジタルファブリケーション、自動運転や身体制御・多様化身体。研究論文は分野の最難関国際会議であるACM SIGGRAPHやACM UIST、CHIなどに採択されている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • けんとまん1007 さん

    なかなかに理解できない1冊。というのは、1回だけでは、かみくだけないということ。それでも、頷ける視点がいくつもある。人は自然の一部であり、かつ、今の技術の中にも置かれている。その先にあるのは、それらが融合する方向へいくのだろうということ。ただし、それを感覚的であっても、なかなか想像できないのが、今の自分。しかし、侘と寂という言葉がでてくるとは。

  • 小木ハム さん

    デジタルとマテリアルの境目はどんどん見分けがつかなくなっていきますよというお話。ホモデウスの『人類はいずれ神性を得ていく』とやや似た感じ。そのうち読書や映像に取って替わって脳にデバイス埋め込んでAIと同居したり、他人の知識や経験を同期する日が来るのかしら。ゲレンデを転がる雪玉よろしく技術革新は人間の学習速度を超え、何時間もかけて積み上げた知識の家をぶち壊してしまう。著者の言うように、特に日本は安定志向の弊害でモチベーション格差が顕著。『○○をやりたい』内なる心に真摯に向き合う時間が重要になる。

  • vinlandmbit さん

    これは一読で分かったつもりになっては駄目そうですね。。前著の「魔法の世紀」よりも本人の考えを直接文章化している分、決して理解しやすい訳では無いですが、読んだ後に、数日経ってあれってそういう事、っと日々の他の書籍やニュースなどのインプットで理解が補完されていく感覚。なんどか読み返す必要ありです。

  • そふぃあ さん

    「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」という言葉。21世紀初頭ならファンタジーだと思われたことが実現可能の範疇まで来ていることにワクワクする。だが一旦実現してしまえば、人は今まで通り利便性を享受しつつも、埋まらない格差に不満を持ち続けはするんだろう。 高齢者や欠損がある人の身体機能を補う技術が発展すれば、五体満足に有利性はなくなるというくだりで、そういえば実際に肉体を切断しいわゆる「義体」に置き換えることに抵抗があるなと思い至った。次世代の人は身体改造に対する心理的抵抗が消えているのだろうか。

  • Tenouji さん

    おぉ、ともすればデジタル技術に対しては、自然回帰的な懐古主義的な話しがふき上がるわけですが、落合氏は、言葉を経ないデジタル化の方向にこそ、自然の意思:全体性と個の自由の両方がある、というわけです。

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人物・団体紹介

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落合陽一

メディアアーティスト。1987年生まれ、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の早期修了)、博士(学際情報学)。筑波大学デジタルネイチャー開発研究センターセンター長、准教授・JST CREST xDiversityプロジェクト研究代表。2018年より内閣府知的財産戦略ビジョン専門調査

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