捨ててこそ 空也

梓澤要

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784103345312
ISBN 10 : 4103345314
フォーマット
出版社
発行年月
2013年08月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
梓沢要 ,  
追加情報
:
396p;20

内容詳細

天皇の血筋を捨て、人々の営みに一身を捧げた空也。波乱と熱涙の全生涯と仏教の核心を描く歴史小説。

【著者紹介】
梓沢要 : 1953年静岡県生まれ。明治大学文学部卒業。1993年、『喜娘』で第18回歴史文学賞を受賞しデビュー。歴史に対する確かな目線と骨太のドラマを織り込んだ作風で着実な評価を得てきた。作品執筆の傍ら、2007年から東洋大学大学院で仏教学を学ぶ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • 里季 さん

    平安時代、市聖と言われた空也。京都六波羅蜜時にある空也像の口から南無阿弥陀仏と同じ数の6体の仏像が出ているのが印象的である。身分を捨て、衣服を脱いで襤褸をまとい、民と一緒になって行き倒れの遺骸を葬り、井戸を掘り川岸に土嚢を積む。その姿はアッシジの聖フランチェスコを思い出させた。途中、荒ぶる坂東の武者平将門との関りのくだりが面白く、将門の愛すべき人となりが空也の心をつかんだことが分かった。執心を捨て去ってこそ初めて無心になれる、原点に立ち返ることができる。そこに悟りがあった。慈悲にあふれた偉大な僧であった。

  • とし さん

    梓澤要さん初読みです。空也は民間における浄土教の先駆者と言われるが、お寺や文献があまりないらしくその実態がはっきりされていないので、空也上人とはこんな人であったのかと、おぼろげながら理解できた小説でした。

  • keiトモニ さん

    「なぁーもぉー、あーびーたーふー」が、壮麗乍らも静寂で退屈そうで…。真宗の如く「なーもーあーびー、だんぶ」とはいかないものか。空也もハイティーン時は女色に耽っていたのかしら。で、常啼菩薩なんですね。そこまで泣かないにしても…私も同じ。自らの身を刻んでなどいう菩提心、頭が自然とさがります。市姫大明神社が出てきますが、今の市比賣神社でしょうか。解説書ですと空也上人が神託にて市場道場を開創とあります…。捨ててこそ!いや捨てられん。空也上人、敬慕すべきお人。“声に順って見仏なれば息精は即ち念珠”これは良いですね。

  • onasu さん

    平安期&仏教というなじみの薄い題材で、そこは字面を追うのみだが、物語は楽しめた。  貴族のものであった仏教を、念仏を唱えれば誰もが浄土へと導かれると説いて、市井に広めた空也。醍醐帝の五宮で、才気もありながら、後ろ盾に乏しく、また貴族社会への疑義もあり出奔、後に自らの意思で仏門に入る。  師を追った坂東での将門との出会い。京に戻っての辻立ち。その間、陰に陽に空也に寄り添う者たち。そして、救いを求める人たちに、耳を傾ける者が増えていく。  文言の記憶だけであったとこを、物語として読めるのは嬉しいものだ。

  • TakaUP48 さん

    江戸双紙居眠り磐音の子・空也の名は、空也上人から来ているとの話でこの本を手にした。母の虐待で左肘が折れ曲がった醍醐天皇の皇子・五宮常磐丸は、骸を焼く猪熊・喜界坊の一団に加わる。尾張国分寺にて悦良の勧めで出家し空也と名乗り、合掌の意味を解する頑魯と修行の旅に出る。荒廃の承知寺で、桔梗に掠われ平将門と出会うが、平良兼の攻撃で散り散りに。行脚で乞食をし布施を得れば、飢饉・地震で飢えた人々に与えて歩いた。晩年、三井寺の僧・余慶に「折れ曲がった左肘」を治して貰い、己の心が曲がっていたと語る場面は印象的だ。

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