CD 輸入盤

レナー弦楽四重奏団の芸術(21CD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
AN120
組み枚数
:
21
レーベル
:
:
International
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


レナー弦楽四重奏団ボックス(21CD)

 レナー弦楽四重奏団の名前は、世界で初めてベートーヴェンの弦楽四重奏曲を全曲録音したことで知られていますが、当時のレナー弦楽四重奏団の人気には本当に凄いものがありました。弦楽四重奏団でありながら巨大なアルバート・ホールやテアトロ・コロンを何度も満員にし、78回転SP盤の制作数は450面に及んでおり、1939年には英コロンビアから、累計100万枚販売記念ゴールド・ディスクが贈られてもいます。
 このARS NOVAのセットでは、レナー弦楽四重奏団の代表的な録音が集められているということで、第1次大戦と第2次大戦のあいだ、いわゆる「戦間期」の好況・不況の激動期に世界を舞台に活躍し、弦楽四重奏の演奏史にその名を刻んだ超個性派クヮルテットの演奏を手軽に楽しむことができます。
 ARS NOVAからはすでに、ブダペスト弦楽四重奏団シュナイダー四重奏団バルヒェット四重奏団シェッファー四重奏団パスカル四重奏団伝説のフランス弦楽四重奏団グリラー弦楽四重奏団ハリウッド弦楽四重奏団といったマニアックなクヮルテット・ボックスがリリース済みで内容も良かっただけに、今回のセットにも期待が持てるところです。


スペインかぜ対策の失敗のおかげで誕生した弦楽四重奏団

 レナー弦楽四重奏団が結成された1918年は、アメリカ軍によってヨーロッパに持ち込まれたスペインかぜ(≒アメリカ発超強力インフルエンザ)が猛威を振るう中、第1次大戦が実質的に終息し、敗戦国となったオーストリア=ハンガリー帝国では、1914年以来累計120万人に及ぶ命を失って二重帝国体制が崩壊した年でもあります。
 ハンガリーでは、混乱に乗じた左派による暴力革命という内戦の火種もくすぶり始めていましたが、そうした時期にブダペスト市長の判断でおこなわれたスペインかぜ対策には、学校や映画館、劇場施設の閉鎖という施策があり、そこにはハンガリー国立歌劇場も含まれ、補助もおこなわれていなかったため、所属する人々の生活不安が次第に増大。
 そこに、「スペインかぜは乾燥させると良い」というようなデマをもとに、「ブダペスト市街地への夜間給水停止」というとんでもないことが実際に継続的におこなわれてしまったため、ブダペスト市民たちが激怒、政治勢力も便乗し、以後、1年4か月に及ぶ混乱が始まります。
 1918年11月に誕生したばかりのハンガリー人民共和国は、4か月後の1919年3月には左派勢力によって倒され、社会主義のハンガリー評議会共和国が成立。
 しかし翌月にはハンガリー・ルーマニア戦争が勃発し、約5か月後の1919年8月にはルーマニア軍がブダペストを占領し、右派的な傀儡組織ハンガリー共和国臨時政府を擁立。このとき、ハンガリー国立歌劇場でも右派勢力が台頭、財政難により賃金カットがおこなわれたほか、政治的な活動をおこなった左派に対して解雇などを実施。
 7か月後の1920年3月、スペインかぜ第2波が流行する中、ルーマニア軍が莫大な略奪品と共に引き揚げると、ハンガリー王国が誕生し、以後、24年7カ月に及ぶ緩やかな長期独裁政権を維持。
 レナー弦楽四重奏団は、仕事が無くなってしまったハンガリー国立歌劇場のオーケストラ奏者4人が集まって結成されていますが、背景には、前年の1917年に、同じくハンガリー国立歌劇場の演奏回数が戦争で激減したことによる収入低下を理由として結成された「ブダペスト弦楽四重奏団」の存在がありました。
 レナー弦楽四重奏団は、ブダペスト弦楽四重奏団と同じく、戦火の及ばない田舎でトレーニングをし、国内デビュー後、ハンガリー王国の行政により反ユダヤ法などが続々制定されるようになると、活路を海外に求めてハンガリーを後にしています。
 ちなみに1922年には、同じくハンガリー国立歌劇場管弦楽団でコンサートマスターを務めていたフェリ・ロートが、ブダペスト音楽院出身の仲間を集めてロート四重奏団を結成。レナー弦楽四重奏団のシャーンドル・ロートとフェリ・ロートの血縁関係は不明ですが、1945年にはレナー弦楽四重奏団残留組のスミロヴィッツが第2ヴァイオリン奏者としてロート四重奏団に参加、5年に渡って演奏したのちに、レナー弦楽四重奏団(メキシコ・シティ組)に舞い戻るというようなことも起こっています。


ロイヤル・アルバート・ホールに出演

 1871年に開場したロイヤル・アルバート・ホールは、巨大なホール内空間を活かした大掛かりな舞台装置でも話題を呼ぶことの多い多目的なホールで、当初からロンドンのコンサートやスポーツ、イベントなどの会場として人気がありました。
 特にかつてのロイヤル・アルバート・ホールの安全基準では、収容人員も最大9,000名と現代より3割ほど多く、興行主にも大きな利益を生み出しやすいホールとして注目されており、ほどなく、ロイヤル・アルバート・ホールに出演したという事実が、そのアーティストや選手の人気を証明する言葉のようにもなっていきます。
 おなじみのプロムスの開催場所は、1895年から1941年まではクイーンズ・ホールでしたが、同ホールがドイツ軍の爆撃で失われると、1942年からはBBCの運営でロイヤル・アルバート・ホールで開催されるようになり、知名度・人気共に一気に上昇することになります。


 レナー弦楽四重奏団は、その大きなホールに1922年から1926年にかけて3回出演し、都度、多くの聴衆を集めて見せたというエピソードでも知られています。しかし、いくらレナー弦楽四重奏団の音量が大きく、特設ステージも設置されたといっても、普通に考えればロイヤル・アルバート・ホールの隅々にまで弦楽四重奏団の音が十分な音量で届くとは考えにくいので、もしかしたら何か拡声装置のようなものを使っていたのかもしれません。
 とはいえ、まだSP盤の録音方式の主流がラッパ吹込みだった時代に、どのような技術が利用可能だったのか判然としませんが、当時のロイヤル・アルバート・ホールのイベントにはすでに大がかりなアンプとマーコニフォンと呼ばれるホーン式スピーカーが使われたりもしていたので、そのシステムを使用した可能性は十分にあると思います。演奏がよく聴こえなければ、公演が繰り返されるはずもありませんし。


拠点

「レナー弦楽四重奏団」は、初代メンバーで24年間活動したのち、衝突して分裂。グループを脱退したレーネルが、新たにニューヨークで組織した「レナー四重奏団」と、ほかの3人が新たに第1ヴァイオリン奏者を迎えてメキシコシティで活動を継続した元々の「レナー四重奏団」に分裂しています。

初代 (レーネル、スミロヴィッツ、ロート、ハルトマン)
●1918-1922 (4年間) ブダペスト
修業時代を経て、ラヴェルに認められたことをきっかけに飛躍。
●1922-1939 (17年間) ロンドン
黄金時代。レコーディングも多数。
●1939-1942 (3年間) メキシコ・シティ
戦火を避けてラテン・アメリカ・ツアーをおこない、そのままメキシコ・シティに滞在。

●1942年、衝突、分裂

ニューヨーク組 (レーネル、スタインハート、ハーシュ、レイトー、他)
●1942-1948 (6年間) ニューヨーク
レーネルはニューヨークに拠点を移し、新たに3人のメンバーを雇って「レナー四重奏団」として活動を開始するものの6年後に死去。

メキシコ・シティ組 (ルヴァルカバ、スミロヴィッツ、ロート、フレーリヒ、ハルトマン、他)
●1942-1967 (25年間) メキシコ・シティ
ほかの3人はメキシコ・ティに残り、第1ヴァイオリン奏者として、ルヴァルカバと契約。同じく「レナー四重奏団」として活動を開始。教育にも力を入れ、メンバー交替も経て25年間ものあいだ現役でした。


レナー弦楽四重奏団 vs ブダペスト弦楽四重奏団

第1次大戦中のオーストリア=ハンガリー帝国で誕生した2つの弦楽四重奏団、レナー弦楽四重奏団とブダペスト弦楽四重奏団とはいろいろな点で対照的ですが、共通点も多いので、初代メンバーで以下に簡単に比較してみます。

共通点

●出身校
レナー弦楽四重奏団:ブダペスト音楽院
ブダペスト弦楽四重奏団:ブダペスト音楽院

ヴァイオリンとヴィオラは全員イェネー・フバイ[1858-1937]、チェロも2人ともダヴィド・ポッパー[1843-1913]に師事。フバイとポッパーは、19世紀後半に先代の「ブダペスト弦楽四重奏団」を結成して弦楽四重奏に精通していたほか、ブラームス本人などとも共演し、その好みや演奏方法を知る立場にもいました。

●前職
レナー弦楽四重奏団:ハンガリー国立歌劇場管弦楽団員
ブダペスト弦楽四重奏団:ハンガリー国立歌劇場管弦楽団員

ハンガリー国立歌劇場は、オーストリア=ハンガリー帝国時代の1884年に開場し、マーラーが音楽監督を務め、プッチーニも指揮したオペラハウス。専属オーケストラ「ハンガリー国立歌劇場管弦楽団」は、オペラのほかにコンサート活動もおこない、その際の名前は「ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団」。豪華な劇場は、映画『オペラ座の怪人』のロケでも有名。

●結成のきっかけ
・レナー弦楽四重奏団:劇場閉鎖。スペインかぜの感染拡大を防ぐため、ブダペスト市が劇場や映画館、ナイトクラブ、学校など閉鎖。
・ブダペスト弦楽四重奏団:戦争による上演数の減少。

当時、戦争や、スペインかぜへの行政施策によって、ハンガリー国立歌劇場での演奏機会が大幅に減少。歌劇場管弦楽団の楽員たちの収入減も深刻化しつつあったため、演奏に際して、場所の制約や必要経費が少なく、公演回数も多くこなせる「弦楽四重奏団」は魅力的でした。ドイツやフランスで戦後に多くのクヮルテットが生まれたのも似た要因と思われます。

●民族
・レナー弦楽四重奏団:ユダヤ系
・ブダペスト弦楽四重奏団:ユダヤ系

ブダペスト弦楽四重奏団は半世紀の間に在籍したメンバーは計12人で全員ユダヤ系。レナー弦楽四重奏団の方は、初代ユダヤ系メンバーで24年間活動した後に、2つに分裂、レーネル以外の3人はメキシコ・シティでメキシコ人を第1ヴァイオリンに迎えて「レナー四重奏団(Cuarteto Lener)」を結成。同じ頃にレーネルがニューヨークで結成したもうひとつの「レナー四重奏団(Lener Quartet)」は、6年間の活動期間中に渡米ユダヤ人中心に約20人が演奏。ということでレナー弦楽四重奏団は20数名ほぼ全員ユダヤ系ということになります。
 当時の欧米では、オーストリア=ハンガリー帝国や、ウクライナの一部地域などでの親ユダヤ的な施政の影響で、優秀な弦楽器奏者の多くがユダヤ系という状態だったようなので、それも不思議なことではなかったのかもしれません。


相違点
●アンサンブル形態
・レナー弦楽四重奏団:第1ヴァイオリン主導型
・ブダペスト弦楽四重奏団:平等型


ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンからブラームス、レーガーに至る時代の弦楽四重奏団の多くは、第1ヴァイオリン奏者がリーダーで決定権を持ち、報酬も多いというのが一般的。特に19世紀はすごいものがあり、たとえばヨアヒム四重奏団は、ヨアヒムが公演の都度、ほかの3人のメンバーを募集して雇うというスタイルで運営されており、シュポーアのクヮルテットに至っては、シュポーアのみ立って演奏するということで、ほかの3人はまるで「伴奏」という扱いでした。
 レナー弦楽四重奏団の場合も、第1ヴァイオリン奏者のレーネルが自身の名前をクヮルテット名としていましたが、ほかの3人も同世代で、しかも第2ヴァイオリンのスミロヴィッツはブダペスト音楽院でブラームスゆかりのレメーニの名を冠したレメーニ賞を受賞者、ヴィオラのロートは首席ヴィオラ奏者でブダペスト音楽院で教職も兼務、チェロのハルトマンはポッパー賞受賞者という具合に、実力者でもあったので、後年、報酬やリハーサルをめぐってトラブルが発生することになります。
 ブダペスト弦楽四重奏団の場合は、対等な立場のオーケストラ楽員が、当初は「副業」として結成したためグループの名前も職場の地名で、報酬分配も平等、異なる意見が出た場合も多数決で判断し、同数の場合は現状維持とするというルールを決めていました。
 結果的に、こうした基本方針の存在が、たび重なるメンバー交代があっても演奏報酬が変動しにくい「ブランド・イメージ」を確立、それが結果的にブダペスト弦楽四重奏団を、「現代クヮルテット」の始祖と位置づけることになったものと考えられます。
 他の例でも、楽団員の副業で開始した場合は「地名」や「楽団名」が使われる場合が多く、演奏家協会に所属している場合は「協会名」や「ホール名」、所属がバラバラな場合は「作曲家名」「地名」「楽器製作者名」など自由なものとなっていることが多いようです。

●芸風
・レナー弦楽四重奏団:ロマンティック
・ブダペスト弦楽四重奏団:客観的


レナー弦楽四重奏団の場合、初期のブダペスト弦楽四重奏団の場合と違って全員腕利きで音量もあり、加えて19世紀的伝統を重視する室内楽教授レオー・ヴェイネルの徹底した指導によって、ポルタメントも駆使したチームとしての演奏スタイルが確立されていたため、ロマンティックとはいっても、第1ヴァイオリン奏者が自身の解釈で支配するといったタイプではありませんでした。

●解散要因
・レナー弦楽四重奏団:レーネルと他の3人が対立したことで2つに分裂
・ブダペスト弦楽四重奏団:高齢化


レナー弦楽四重奏団のメンバー4人は対等ではありましたが、グループ名と一致している名前の人間が代表者と捉えられてしまうのはごく普通のことでもあったので、契約はレーネル主体におこなわれ、レーネルが受け取ってほかの3人に配分するということが多く、不公平さに不満を募らせたほかの3人は1936年に正式に抗議し、コロンビア・レコードとの契約を、4人均等な支払いになるよう変更させています。
 そしてこれが1942年の分裂劇の伏線であったことは確かなようで、メキシコ滞在中、ベートーヴェン・チクルスをめぐって決裂、分裂することになります。

ブダペスト弦楽四重奏団の場合は、以下の基本方針が長期間に渡って遵守され、演奏水準の向上と維持にも大きく貢献することとなります。
●報酬は平等に分配。
●意見の相違があった場合は、なにごとも多数決で決定。
●契約期間は1年とし、毎年メンバー全員の合議で更新。
●ソロや他のアンサンブルでの演奏、教育活動など副業の禁止。
●リハーサルや運営方針策定に、団員以外の人間を関わらせない。

ちなみに基本方針と謳われていたわけではありませんが、半世紀の間に在籍した計12人のメンバーは、全員がユダヤ系でした。もっとも、レナー弦楽四重奏団はじめ、当時のヨーロッパでは優秀な弦楽器奏者の多くはユダヤ系という状態だったようなので、それも不思議なことではなかったのかもしれません。


名前

「オーストリア=ハンガリー帝国」生まれの4人のユダヤ系ハンガリー人が結成した「レナー弦楽四重奏団」は、活動範囲が世界的だったため、さまざまな言語に翻訳され綴られていました。以下に代表的なものを記しておきます。

●ハンガリー語:レーネル・ヴォノーシュネーギェシュ (Léner Vonósnégyes)
「固有名詞(Léner)」+「弦楽四重奏団(Vonósnégyes)」
結成当初はハンガリー国内での活動ということで、固有名詞部分も合奏形態部分もハンガリー語。

●ドイツ語:クヮルテット・レーナー (Quartett Lehner)
「四重奏団(Quartett)」+「固有名詞(Lehner)」
1920年10月、ウィーンで開かれた「モーリス・ラヴェル・フェスティヴァル」でコンツェルトハウスに出演してラヴェルの弦楽四重奏曲を演奏した際には、固有名詞部分の長音符号の替わりに「h」を入れてドイツ語化。四重奏団部分についてもドイツ語を使用。

●フランス語:クヮチュオール・レネル (Quatuor Lehner)、他
「四重奏団(Quatuor)」+「固有名詞(Lehner)」
「四重奏団(Quatuor)」+「固有名詞(Léner)」
ウィーンの「モーリス・ラヴェル・フェスティヴァル」でのレナー弦楽四重奏団の演奏を気に入ったラヴェルらがパリに招待し、翌1921年にかけてサル・ガボーで連続公演をおこなわせた際には、前年にドイツ語化した固有名詞とフランス語の組み合わせで表記。後年、レナー弦楽四重奏団がフランス公演を行った際には、固有名詞はハンガリー語を使用。但し、発音は両方とも同等。

●英語:レナー・ストリング・クヮルテット (Lener String Quartet)、他
「固有名詞(Léner)」+「弦楽四重奏団(String Quartet)」
「固有名詞(Lener)」+「弦楽四重奏団(String Quartet)」
「固有名詞(Léner)」+「四重奏団(Quartet)」
「固有名詞(Lener)」+「四重奏団(Quartet)」
「固有名詞(Lener)」+「四重奏団(Quartet)」+「地名(of Budapest)」
1922年にロンドンで成功を収め、ほどなく同地に拠点を変更。当初はハンガリー語+英語が使われていましたが、発音されない長音符号は省略されることも多くなり、また、「String Quartet」も単に「Quartet」とする印刷物なども増える一方で、地名を追加した表記なども登場。また、四重奏の部分は基本的には「Quartet」ですが、中には「Quartett」、「Quartette」などというものもありました。
 いろいろありますが、彼らの名前が最も多く人目に触れたのは、100万枚以上売れた「レコード」ということになるので、そこでの多数派表記「Lener String Quartet」が、初代メンバーの英語版標準になるかと思います。
 なお、解散・分裂後のニューヨーク組は、「Lener Quartet」を基本に、海外公演ではそれぞれの言語に翻訳したヴァージョンを使用していました。

●オランダ語:レーネル・クヮルテット (Lener Kwartet)
「固有名詞(Lener)」+「四重奏団(Kwartet)」
コンセルトヘボウ大ホールを何度も満員にしたベートーヴェン・チクルスなど、オランダでも人気のあったレナー弦楽四重奏団。オランダ語表記はシンプルに長音符号無しのレナーと四重奏団の組み合わせ。

●スペイン語:クヮルテート・レネル(Cuarteto Lener)
「四重奏団(Cuarteto)」+「固有名詞(Lener)」
1939年に第2次大戦が始まったため、滞在中だった標高2,250メートルの高地、メキシコ・シティを拠点にした際には、スペイン語で「クヮルテート・レネル」と表記。しかし1942年、第1ヴァイオリンのレーネルと、ほかの3人の間に亀裂が入り、グループはメキシコ・シティ登記組とニューヨーク登記組の2つに分裂。

●日本語:レナー弦楽四重奏団
ハンガリー語とドイツ語では「レーネル」もしくは「レーナー」で語頭の長音を尊重するものの、英語、フランス語、スペイン語では長音は無視。日本も古くから長音無視の立場で表記してきたので、ここでもそれに倣うことにします。


年表

1889年

●1月15日、コロンビア・フォノグラフ社設立。ワシントンDCのコロンビア特別区で、弁護士と投資家グループによって創業。当初はエジソン蓄音機とシリンダーの販売をおこない、やがて自社の蓄音機とシリンダー販売に移行。商用シリンダー録音の制作も増大。

1890年

1891年

1892年

1893年

1894年

●コロンビア・フォノグラフ社、アメリカン・グラーフォフォン社を買収。
●4月7日、イェヌー・レーネル(レーナー)、オーストリア=ハンガリー帝国のサバトカ(現セルビア、スボティツァ)に誕生。
●6月23日、ヨージェフ・スミロヴィッツ、オーストリア=ハンガリー帝国に誕生。

1895年

●シャーンドル・レート、オーストリア=ハンガリー帝国に誕生。姓の変母音はのちに普通の母音にしてロートに。
●イムレ・ハルトマン、オーストリア=ハンガリー帝国に誕生。

1896年

1897年

●コロンビア・フォノグラフ社、イギリス法人を設立。

1898年

1899年

1900年

1901年

●コロンビア・フォノグラフ社、ディスク方式の蓄音機とディスク・レコードの販売を開始。

1902年

1903年

●コロンビア・フォノグラフ社、メトロポリタン歌劇場の歌手たちと契約してレコーディングを開始。

1904年

1905年

1906年

●コロンビア・フォノグラフ社、社名をコロンビア・グラーフォフォン社に変更。

1907年

1908年

●コロンビア・グラーフォフォン社、両面に音溝を刻んだディスクの販売を開始。

1909年

1910年

1911年

1912年

1913年

1914年

◆6月28日、サラエヴォ事件発生。フランツ・フェルディナント大公と妻のゾフィーが、ボスニア系セルビア人プリンツィプらにより殺害。
◆7月28日、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに宣戦布告。第1次世界大戦開戦。オーストリア=ハンガリー帝国の軍事予算は少なく、ドイツの4分の1、フランスの3分の1という金額で、人口に比して兵員数も少なく、火器類も旧式、野砲や重砲も限られ、ドイツの支援を受けなければ戦闘をおこなえない状態でした。
◆8月1日、ドイツがロシアに宣戦布告。
◆8月3日、ドイツがフランスに宣戦布告。
◆8月4日、イギリスがドイツに宣戦布告。
●9月、戦争のため、ハンガリー国立歌劇場閉鎖。

1915年

●3月、ハンガリー国立歌劇場、半年ぶりに再開。しかし、戦争のため予算は大幅に削減。また、兵役や疎開により人の数も減少。
◆5月23日、イタリアがオーストリア=ハンガリー帝国に宣戦布告。
◆10月、オーストリア=ハンガリー軍がセルビア全土を占領。

1916年

◆6〜9月、第1次世界大戦最大規模の戦いとなったガリツィアでの戦闘で、ドイツ&オーストリア=ハンガリー軍が、ブルシロフ将軍率いるロシア帝国軍に惨敗。死傷者数約200万人。
◆8月、イタリア、ドイツに宣戦布告。
◆8月、ルーマニアが、オーストリア=ハンガリーとドイツに対して宣戦布告。間もなくおこなわれた「トランシルヴァニアの戦い」では、44万人のルーマニア軍が、わずか7万人のドイツ&オーストリア=ハンガリー軍に負けまくり、25万人の犠牲を出して敗退、領土も大きく失うものの、ドイツの敗戦が決定的になると、今度は降伏宣言を撤回し、オーストリア=ハンガリーとドイツに2度目の宣戦布告、まさかの戦勝国となり、領土を大幅に増やすという離れわざを決めていました。ルーマニア政府の決断と行動の素早さは、人口約750万の国が約70万の人命を失い、約12万の戦傷者を抱えたことを考えると、国民の犠牲により国益の増大を狙うという戦争本来の目的に即したものといえると思います。
 一方、オーストリア=ハンガリー帝国は、約157万の人命を失い、約362万人の戦傷者を抱え、巨額の賠償も抱え二重帝国体制も崩壊することとなります。
◆12月、ブカレスト陥落。

1917年

1918年

◆3月、アメリカで超強力なインフルエンザが発生。6月にはボストンで5,000人近い死者が出るなど大流行が始まり、折からのアメリカ外征軍のヨーロッパへの膨大な数の兵士派遣と共に感染が世界的に拡大、多くの犠牲を出し、第1次世界大戦終結を早める要因ともなります。
 なお、このインフルエンザは世界大戦下の軍隊の大規模な移動で感染爆発したため、報道管制の無かった中立国スペインでの被害報道が目立ってしまい、結果として「スペインかぜ」と名付けられてしまいますが、実際に世界的な感染拡大に大きな役割を果たしたのは、スペインではなく、インフルエンザの発生元で、膨大な数の将兵をヨーロッパなど世界各国に派遣していたアメリカでした。
◆7月、ブダペストで「スペインかぜ」の感染が拡大。
◆8月、ブダペストの「スペインかぜ」がいったん収束。
◆9月、ブダペストの「スペインかぜ」感染が急速に拡大。学校を閉鎖し、病院への訪問も禁止、罹患者は隔離。
◆10月、「オーストリア=ハンガリー帝国」崩壊。
◆10月、ブダペスト市、「スペインかぜ」に関する法律を制定。当初は報告プロセスが煩雑で医師の作業が追い付かなくなったためすぐに簡素化。2週間ほどで12,000人近い感染者と700人の死亡が確認。しかし医師の数が極端に不足していることから実際の患者数は10万人を超えていると推測。報告された患者の約90%が14〜35歳の年齢層で、中産階級ではその数が著しく、女性と男性の比率は3:1となっていました。これは戦争のため食糧配給制度が導入されており、女性が長時間に渡って行列で集団を形成していたこと、帰還兵を駅で迎える際の集団での待機が原因と推測。
 調査の結果を受け、ハンガリー国立歌劇場などすべての劇場と映画館、ナイトクラブを2週間閉鎖、女性と子供のカフェの利用を禁止し、外部からの旅行者に対する路面電車の利用も制限。
●レナー弦楽四重奏団(当時はレーネル弦楽四重奏団)結成。メンバーは全員、ハンガリー国立歌劇場管弦楽団(ブダペスト・フィル)の楽員。ブダペスト音楽院教授のレオー・ヴェイネルの戦時疎開先であるセゲドで指導を受け、1919年に同地でデビューしています。
 前年には同じオーケストラの楽員から「ブダペスト弦楽四重奏団」が結成され、12月に疎開先のコロジュヴァールでデビューしており、1918年の1月にはブダペストでもデビューしていました。



◆10月31日、ブダペストで暴動発生。スペインかぜ対策としての市民への行動制限や、スペインかぜには乾燥している方が良いという根拠不明な勘違い説に振り回されて、市街地への夜間の「給水停止」などへの不満が爆発。これを政治運動に利用しようとする動きもあらわれ、それが「アスター革命」へ発展。
◆10月31日、ハンガリー王冠領(オーストリア=ハンガリー帝国のハンガリー部分の呼称)の新首相、ミハーイ・カーロイ伯爵[1875-1955]が、劇場、キャバレー、映画館の閉鎖、およびレストランとカフェの営業時間短縮に関する法令を廃止。ブダペストでのスペインかぜ感染確認数は21,499人で死亡率は約8%。
◆11月、「ドイツ国(Deutsches Reich)」で「ドイツ革命」勃発。皇帝ヴィルヘルム2世がオランダに亡命し、47年間に及んだ「帝政」(通称:ドイツ帝国)が崩壊し、「ヴァイマル共和政」(通称:ヴァイマル共和国)に移行。
◆11月、オーストリアがイタリアに降伏、パドヴァ近くのヴィラ・ジュスティで休戦協定を結び、ほどなくドイツも降伏、コンピエーニュの森の列車で連合国との休戦協定を締結。
◆11月、「ハンガリー人民共和国」誕生。大統領はミハーイ・カーロイ(下の画像の左の人物)。約3カ月の短命国家。


◆11月、ブダペストの「スペインかぜ」感染確認数は9,149人で死亡率は約9%。
◆12月、ブダペストの「スペインかぜ」、収束に向けて推移。

1919年

◆1月、ブダペストの「スペインかぜ」、収束。
●レナー弦楽四重奏団、セゲドでデビュー。
◆2月、ハンガリー人民共和国に不満を持つユダヤ人共産主義者ベーラ・クン[1886-1939 下の画像の左の人物]率いるハンガリー共産党や、労働者、ユダヤ人などの共産主義者による暴動が発生、ロシア革命に呼応した「ハンガリー革命」へ発展。
◆3月、「ハンガリー評議会共和国」が誕生。約4.5カ月の短命国家。


◆4月、ハンガリー・ルーマニア戦争勃発。
◆6月、ホルティ将軍が国民軍を率いて蜂起。
◆8月、ルーマニア軍がブダペストを占領。「ハンガリー共和国臨時政府」誕生。
●8月、財政破綻寸前のハンガリー国立歌劇場で右派勢力が台頭、財政難により賃金カットがおこなわれたほか、政治的な活動をおこなった左派のに対して解雇などを実施。これにより、レナー弦楽四重奏団のメンバー4人は、弦楽四重奏に専念することを決定。

1920年

◆1月、ブダペストで「スペインかぜ」の感染が再び拡大開始。
◆2月、ブダペストで「スペインかぜ」の感染が急拡大ののち収束。推定被害規模は前年の3分の1。
◆3月、ルーマニア軍が大量の略奪品と共にブダペストから撤収。
◆3月、「ハンガリー王国」誕生。王位は空位。国家元首として、国民議会が帝国海軍総司令官だったミクローシュ・ホルティ[1868-1957 下の写真の左の人物]を選出、24年7カ月に及ぶ緩やかな独裁政権を維持。


●反ユダヤ法が強化。ユダヤ人らによる共産主義政権の成立と瓦解、ルーマニアからの侵攻など、1年半に及ぶゴタゴタを経て「ハンガリー王国」が誕生したこともあってか、ハンガリーの民族主義が勃興、ユダヤ人はカトリックに改宗しなければハンガリー国立歌劇場で指揮することができないような状態になったため、レナー弦楽四重奏団のメンバーは祖国に戻ることを諦めます。
●レナー弦楽四重奏団、ウィーンの「モーリス・ラヴェル・フェスティヴァル」で演奏。ラヴェルはレナー弦楽四重奏団の演奏を気に入ります。
●レナー弦楽四重奏団、ラヴェルらに招かれてパリのサル・ガボーで連続公演を実施。

1921年

●レナー弦楽四重奏団、パリのサル・ガボーで連続公演を実施。

1922年

●レナー弦楽四重奏団、イタリア・ツアー実施。
●3月15日、レナー弦楽四重奏団、ロンドンで最初のコンサート。
●レナー弦楽四重奏団、英コロンビア・グラーフォフォン社と契約。まだアコースティック録音の時代でした。
●10月、レナー弦楽四重奏団、ウィグモア・ホール。ヴェイネルの弦楽四重奏曲第2番、ハイドン、モーツァルトなど。
●11月、レナー弦楽四重奏団、ウィグモア・ホール。
●11月13日、レナー弦楽四重奏団、ハイドン:弦楽四重奏曲 ヘ長調 Op.3-5 『セレナーデ』〜アンダンテ・カンタービレを録音。
●11月、レナー弦楽四重奏団、グロトリアン・ホール。
●米コロンビア・グラーフォフォン社、民事再生法適用。

1923年

●ハンガリー国立歌劇場管弦楽団の楽員が賃金の引き上げを要求。
●レナー弦楽四重奏団、オックスフォード、タウン・ホール。
●レナー弦楽四重奏団、ケンブリッジ・ギルドホール。
●9月26日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第10番『ハープ』から、同第7番〜アダージョ・モルト・エ・メッソ、フランク:弦楽四重奏曲〜ポコ・レント、ハイドン:弦楽四重奏曲 Op.64-5〜アンダンテ・カンタービレ、モーツァルト:弦楽四重奏曲 変ロ長調〜アレグロ・アッサイ、同第15番〜アレグレット、シューマン:弦楽四重奏曲第1番〜アダージョ・モルトを録音。
●9月29日、レナー弦楽四重奏団、チャイコフスキー:弦楽四重奏曲 Op.11〜スケルツォを録音。
●11月7日、レナー弦楽四重奏団、モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番『不協和音』(CD12)を全曲録音。
●11月8日、レナー弦楽四重奏団、フランク:ピアノ五重奏曲〜レントを録音。
●11月、ハンガリー国立歌劇場でストライキ発生。

1924年

●2月11日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番を録音。
●2月22日、レナー弦楽四重奏団、ハイドン:弦楽四重奏曲 Opus 76-5(CD13)を録音。
●5月2日、レナー弦楽四重奏団、モーツァルト:弦楽四重奏曲 K172〜モルト・アレグロを録音。
●10月23日、レナー弦楽四重奏団、モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番『狩』(CD17)を録音。
●10月30日、レナー弦楽四重奏団、ハイドン:弦楽四重奏曲 Op.3-5(CD15)を録音。
●11月20日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第10番『ハープ』、同第15番を録音。

1925年

●2月、英コロンビア・グラーフォフォン社、電気録音を開始。1924年8月から米ウェスタン・エレクトリックのシステムを導入してテスト録音をおこなっていましたが、それが本格稼働することになったものです。しかしカッティング・ヘッドの特許を持つ米ベル社へのロイヤリティの支払いが高額という問題もありました。
◆イギリス、金本位制に復帰。チャーチル財務大臣は、戦前平価での復帰を決定しますが、イギリス経済が第1次大戦で大きく悪化していたため、かえって国民の大きな負担となり、6年後には金本位制から離脱することとなる失策でした。
●3月4日、レナー弦楽四重奏団、ブラームス:弦楽四重奏曲第2番を録音。
●3月9日、レナー弦楽四重奏団、ハイドン:弦楽四重奏曲第76番『五度』を録音。
●レナー弦楽四重奏団、マンチェスターでベートーヴェン・チクルスを開催。
●レナー弦楽四重奏団、ウィグモア・ホール。弦楽四重奏曲の歴史をたどるコンサート開催。シュターミッツからドビュッシーまでとりあげます。
●レナー弦楽四重奏団、アルバート・ホール。特別に造られたプラットフォームの上で演奏。1万人近い聴衆。
●英コロンビア・グラーフォフォン社、米コロンビア・グラーフォフォン社を買収。同社は1922年に民事再生法適用となっていました。

1926年

●2月19日、レナー弦楽四重奏団、モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番ト長調を録音。
●3月15日、レナー弦楽四重奏団、スメタナ:弦楽四重奏曲ホ短調を録音。
●3月27日、レナー弦楽四重奏団、モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番(CD11)を録音。
●9月28日、10月28日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第2番、チャイコフスキー:弦楽四重奏曲ニ短調-アンダンテ・カンタービレを録音。
●10月、レナー弦楽四重奏団、マンチェスターでコンサート。
●10月、レナー弦楽四重奏団、バンバリー・アンド・ディストリクト・ミュージカル・ソサエティ主催のコンサートに出演。
●10月25日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第1番を録音。
●10月27〜28日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第4番を録音。
●10月29日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番(CD3)を録音。
●11月4日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番(CD5)を録音。
●11月5日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第8番を録音。
●11月7日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第9番(CD4)を録音。
●11月8日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第6番(CD3)を録音。
●11月23日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第12番(CD6)を録音。
●11月29日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番を録音。
●12月2日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第3番(CD1)を録音。
●12月3日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番(CD8)を録音。

1927年

●コロンビア・グラーフォフォン社、クラシック演奏家マネジメント「コロンビア・アーティスツ」のアーサー・ジャドソンと共に、放送局「CBS(コロンビア・ブロードキャスト・システム)」を設立。コロンビア・グラーフォフォンはほどなくパートナーシップから撤退。
●3月4日、レナー弦楽四重奏団、ブラームス:ピアノ五重奏曲 Op.34を録音。
●11月21日、レナー弦楽四重奏団、ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲『アメリカ』を録音。
●レナー弦楽四重奏団、クイーンズ・ホールでベートーヴェン・チクルスを開催。

1928年

●3月15日、レナー弦楽四重奏団、ドビュッシー:弦楽四重奏曲、ハイドン:弦楽四重奏曲 Op.64-5(CD15)を録音。
●3月23日、レナー弦楽四重奏団、シューベルト:八重奏曲(CD16)を録音。共演は、チャールズ・ドレイパー(クラリネット)、オーブリー・ブレイン(ホルン)、アーネスト・ヒンチクリフ(ファゴット)、クロード・ホブデイ(コントラバス)。
●3月、レナー弦楽四重奏団、クイーンズ・ホールでコンサート。
●11月2日、レナー弦楽四重奏団、モーツァルト:クラリネット五重奏曲を録音。
●11月3日、レナー弦楽四重奏団、モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番『狩』(CD12)を録音。
●11月7日、レナー弦楽四重奏団、ブラームス:クラリネット五重奏曲(CD10)を録音。
●11月7日、レナー弦楽四重奏団、ハイドン:弦楽四重奏曲 Op.76-5(CD15)を録音。
●12月7日、レナー弦楽四重奏団、ハイドン:弦楽四重奏曲 Op.3-5(CD15)を録音。
●10月、レナー弦楽四重奏団、バンバリー・アンド・ディストリクト・ミュージカル・ソサエティ主催のコンサートに出演。
●11月、レナー弦楽四重奏団、バンガー・カレッジ・ホールでコンサート。
●12月3日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第1番(CD1)を録音。

1929年

●3月4日、レナー弦楽四重奏団、ブラームス:弦楽四重奏曲第3番(CD10)を録音。
●3月6日、レナー弦楽四重奏団、モーツァルト:セレナーデ第13番『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』(CD13)を録音。
●3月、レナー弦楽四重奏団、オックスフォード、タウン・ホールでコンサート。
◆9月3日、アメリカ、しばらく「買い」が蓄積して上昇を続けていたダウ工業株の平均が最高値381.17を記録。ほどなく利益確定のための「売り」が集中して1か月に渡って下がり続けて17%下落。その時点で底値と判断した「買い」が入って下落分の半分ほどまで上昇したもののそこで利益確定の「売り」が大きく入り、再び株価は下落。
◆9月26日、イングランド銀行が5.5%から6.5%に金利の引き上げを実施。それにより、先の利益確定後に投資先を探していたアメリカの巨額の投資資金がイギリスに流れ込むことになります(FRB金利は6.0%)。

◆10月24日、ウォール街株価大暴落。シカゴ市場、バッファローの市場は閉鎖。やがて損失確定組は、善後策として、各国への投資や預金などの資金を回収、結果的に、銀行や企業の相次ぐ破綻へと繋がって行きます。
●10月、レナー弦楽四重奏団、アメリカ・ツアー実施。ニューヨークでは、弦楽四重奏曲の歴史をたどるコンサートも開催。シュターミッツからドビュッシーまでとりあげます。

1930年

◆イギリスでの世界大恐慌の影響継続。
●1月20日、レナー弦楽四重奏団、モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番(CD11)を録音。
●2月19日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:『大フーガ』(CD7)を録音。
●3月2日、レナー弦楽四重奏団、モーツァルト:弦楽五重奏曲第4番(CD17)を録音。
●3月4日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:七重奏曲(CD19)を録音。
●10月1日、レナー弦楽四重奏団、ショパン:練習曲第7番、レナー弦楽四重奏団、ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲イ長調Op.81(CD18)、シューベルト:『楽興の時』Op.94-2を録音。
●コロンビア・グラーフォフォン社、新しく入社した天才技術者のアラン・ブルームライン[1903-1942]によって電気録音のカッティング・ヘッドの音質を大幅に向上させることに成功。しかも米ベル社の特許を使用しないため高額なロイヤリティの支払いを回避できるという大きな収益効果もありました。

1931年

●コロンビア・グラーフォフォン社(Columbiaレーベルを運営)と、グラモフォン社(His Masters Voice(HMV)レーベルを運営)が合併、EMIが誕生。前者の1926年以来の主要株主であったJPモルガンによる世界大恐慌対策の一環でした。
●EMI、独占禁止法対策としてアメリカ法人をグリグズビー=グルナウ社に売却。
●8月11日、レナー弦楽四重奏団、ブラームス:弦楽四重奏曲第2番(CD9)を録音。
●8月13日、レナー弦楽四重奏団、ボロディン:弦楽四重奏曲第2番を録音。
●8月14日、レナー弦楽四重奏団、シューベルト:弦楽四重奏曲第14番『死と乙女』を録音。
◆8月、イギリスでの世界大恐慌の影響継続。失業者数が270万人に増大。内閣総理大臣で労働党党首のマクドナルドは、国家財政の危機ということで、失業手当の10%削減を謳うものの、労働組合が労働党の支持基盤であることから党内の猛反発を受け、党首の労働党除名という事態を招き、内閣は事実上崩壊。
◆9月、イギリス国王ジョージ5世の支援により、マクドナルド挙国一致連立内閣成立。労働党を除名されたマクドナルドは、内閣を解散せずに保守党、自由党の議員と共に内閣を立ち上げ、すぐに解散総選挙を実行。保守党圧勝、労働党惨敗という結果となり、事実上の保守党内閣としての運用が始まります。
◆9月、イギリス、世界大恐慌対策の一環として金本位制離脱。解散総選挙の公約では金本位制死守を掲げていたものの、ポンド危機により即座に離脱。ポンドも切り下げ、管理通貨制度に移行。
●レナー弦楽四重奏団、ケンブリッジ・ギルドホールでコンサート。

1932年

◆2月、イギリス、世界大恐慌対策の一環として自由貿易を否定し、保護関税法を制定。国内産業の保護と輸出増加を狙い、すべての輸入に関して10%の関税を適用。さらに政策金利も2%に引き下げて資金調達条件を緩和し、国内経済の刺激に注力。
●3月1日、レナー弦楽四重奏団、モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番を録音。
●3月2日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(CD6)を録音。
●3月10日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第10番『ハープ』(CD5)を録音。
●5月24日、レナー弦楽四重奏団、ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲『アメリカ』を録音。
◆8月、イギリス、世界大恐慌対策の一環として、大英帝国内のアイルランド、カナダ、オーストラリア、ニュージランド、南アフリカなどの国々とは税制優遇取引をおこなうことを決定。

1933年

●2月22日、レナー弦楽四重奏団、ブラームス:弦楽四重奏曲第1番(CD9)を録音。
●2月27日、レナー弦楽四重奏団、ラヴェル:弦楽四重奏曲を録音。
●3月1日、レナー弦楽四重奏団員、モーツァルト:オーボエ四重奏曲(CD14)を録音。
●3月8日、レナー弦楽四重奏団、ヴォルフ:『イタリア風セレナーデ』を録音。
●3月9日、レナー弦楽四重奏団、シューマン:ピアノ五重奏曲を録音。

1934年

◆2月、ウィーンで内戦が勃発。オーストリア・ファシズム政権と、オーストリア社会民主党の支援する「防衛同盟」戦闘員が衝突、4日間で2,000人前後の死傷者が出て戒厳令も布告。
●コロンビアを買収して傘下に収めていたグリグズビー=グルナウ社、世界大恐慌下の不況で倒産。同社は米コロンビアをアメリカン・レコード・コーポレーションに7万ドルで売却。

1935年

●イェヌー・レーネル、著書『弦楽四重奏曲演奏のテクニック』首の後ろに悪性の腫瘍。
●3月10日、レナー弦楽四重奏団、ハイドン:弦楽四重奏曲 Op.76-3(CD13)、同 Op.76-2(CD13)を録音。
●3月11日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第4番(CD2)、チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番〜アンダンテ・カンタービレを録音。
●3月13日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第15番(CD7)を録音。
●3月14日、レナー弦楽四重奏団、メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第1番、同第4番を録音。

●レナー弦楽四重奏団、アムステルダム、コンセルトヘボウでベートーヴェン・チクルス。

1936年

◆2月、仏ソ相互援助条約を締結。ヒトラーはロカルノ条約違反と批判し、自衛のためという理由で、翌月、国境沿いの非武装地帯に軍を進めます。
●3月6日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番(CD8)を録音。
●3月、レナー弦楽四重奏団、ロンドンのグロトリアン・ホールでベートーヴェン・チクルス。
●7月6日、レナー弦楽四重奏団、シューマン:弦楽四重奏曲Op.41-3(CD16)を録音。
●7月9、13日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番(CD2)を録音。
●7月15日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽五重奏曲(CD19)を録音。
●7月、イェヌー・レーネル、Columbiaからレナー弦楽四重奏団への支払いを4人均等にすることに同意。

1937年

●2月、レナー弦楽四重奏団、ロンドンのグロトリアン・ホールでベートーヴェン・チクルス。
●3月、レナー弦楽四重奏団、ケンブリッジ・ギルドホールでコンサート。

1938年

●2月、レナー弦楽四重奏団、ロンドン、クイーンズ・ホールでコンサート。
◆3月、ドイツ、オーストリアを併合。
◆メキシコ政府、石油を国有化。
●9月15日、レナー弦楽四重奏団、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第8番(CD4)を録音。
●9月20日、レナー弦楽四重奏団、ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲Op.51(CD18)を録音。
●9月21日、イェヌー・レーネル、ルイス・ケントナーと、ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調Op.24『春』を録音。
◆11月7日、パリでユダヤ人によるドイツ外交官暗殺事件発生。
◆11月9日、「水晶の夜」事件発生。ドイツ各地でユダヤ人への一連の弾圧行為へと発展。
●放送局のCBSが、元親会社のコロンビアを含むアメリカン・レコード・コーポレーションを75万ドルで買収。コロンビア・レコーディング・コーポレーションとして復活。

1939年

●2月8日、レナー弦楽四重奏団、モーツァルト:弦楽四重奏曲第23番を録音。
●2月16日、レナー弦楽四重奏団、モーツァルト:ディヴェルティメント第17番(CD14)を録音。
●2月22日、イェヌー・レーネル、ルイス・ケントナーと、ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第6番を録音。
●5月、イェヌー・レーネル、イギリス国籍取得の手続きが可能か問い合わせたところ許可されます。
◆9月1日、ドイツがポーランドに侵攻。第2次大戦開戦。
◆9月3日、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告。
◆9月17日、ソ連がポーランドに侵攻。
●レナー弦楽四重奏団、ラテン・アメリカ・ツアー実施。ブエノスアイレスのテアトロ・コロンでは人気過熱により、ベートーヴェン・チクルスを追加で実施。

1940年

◆1月1日、ハンガリー政府、ユダヤ人法を施行。
◆極右政党、矢十字党結党。
◆4月9日、午前4時、ドイツ軍が不可侵条約を破ってデンマークに侵攻。国王は午前6時に降伏を決定。占領統治は3年後の1943年8月に開始されます。
◆5月11日、チャーチルがイギリスの首相に就任。市街地空爆など民間人攻撃を推進し、最終的にドイツの民間人約41万人を殺害、500万人分以上の住居を破壊しています。
◆5月11〜12日、イギリス空軍、ドイツ西部のメンヒェングラートバッハ空爆。両国の間で最初の空爆はイギリス側が実施。
◆6月、フランス、ドイツと46日間戦ったのち休戦協定を締結。大枠で見るとフランス北部がドイツの占領統治、南部が「ヴィシー政権」による統治で、例外が長年の係争地であるエルザス=ロートリンゲン(アルザス=ロレーヌ)地方となります。
同地方はドイツに割譲という形になったため、1938年に併合したオーストリアと同様、ドイツ政府による統治とし、他のドイツ・オーストリア地域と同じく「大管区」に組み込まれ、徴兵なども実施されることとなります(エルザス=ロートリンゲン地域からの徴兵数は約10万人)。
◆6月14日、ドイツ軍、パリに無血入城。
●8月、イェヌー・レーネル、イギリス総領事館に帰化申請書送付。
◆8月25日〜9月4日、イギリス空軍、ベルリン空爆。
◆9月7日、ドイツ空軍、ロンドン空爆(死者約300人)。
◆11月14日、ドイツ空軍、コヴェントリー空爆(死者568人)。
◆11月20日、ハンガリー、枢軸国側に加盟。宣戦布告はしていないものの、事実上、イギリス、アメリカ、ソ連など連合国側の敵国になります。
●レナー弦楽四重奏団、メキシコでコンサート。

1941年

◆ハンガリー政府、数千人のロシア系ユダヤ人、ポーランド系ユダヤ人を集めてウクライナに移送。警察官らによりほぼ全員殺害。
●4月、レナー弦楽四重奏団、アンティル諸島のツアーを経て、メキシコに到着。20公演をおこないます。
◆6月、独ソ戦開戦。

1942年

●1月、イェヌー・レーネル、イギリス総領事館から帰化申請の件が保留になっていると連絡を受けます。これは1940年11月にハンガリーがイギリスの敵国になったからでした。
◆メキシコ、徴兵制導入。
◆5月13日、メキシコのタンカー「ポトレロ・デル・リャノ」(全長111メートル、排水量6,132トン)が、石油46,000バレルを積載してニューヨークに向かう途中、フロリダ沖でドイツ海軍のUボート(U-564)によって魚雷攻撃され沈没。乗員35名中14名が殺害。「ポトレロ・デル・リャノ」は、1940年6月にメキシコ政府が奪ったイタリア船「ルチフェロ」をメキシコ船籍とした蒸気船で、1912年にイギリスで建造されていました。


◆5月20日、メキシコのタンカー「ファハ・デ・オロ」(全長132メートル、排水量6,067トン)が、ペンシルベニアまで石油56,000バレルを運んだ帰りに、メキシコ湾でドイツ海軍のUボート(U-106)によって魚雷攻撃などされ沈没。乗員37名中10名が殺害。「ファハ・デ・オロ」は、1941年12月にメキシコ政府が奪ったイタリア船「ジェノアーノ」をメキシコ船籍とした蒸気船で、1913年にイギリスで建造されていました。
◆5月22日、メキシコ政府、立て続けに自国の船(といってもイタリアから奪った船)を沈められたことで、ドイツ、イタリア、日本と「戦争状態にある」と宣言。
●6月7日、コロンビア・グラーフォフォン社で音の良いカッティング・ヘッドを開発していたアラン・ブルームラインが、ほかのEMI技術者たちと共にハリファクス爆撃機で航空機用レーダーのテスト中、墜落事故により死亡。38歳でした。
●6月、ヨジェフ・スミロヴィッツが、レナー弦楽四重奏団のメンバー3人(ヨジェフ・スミロヴィッツ、シャーンドル・ロート、イムレ・ハルトマン)を代表して、音楽マネジメント「コンシエルトス・ダニエル」社長のエルネスト・デ・ケサダ宛に手紙を送付。内容は、レナー弦楽四重奏団では22年間、芸術監督を置いたことは無く、なにごとも多数決で決めており、メンバー4人の芸術的責任も報酬も同等であるというものでした。これは、3人のメンバーとトラブルになったイェヌー・レーネルが、契約していたベートーヴェン・チクルスを一方的にキャンセルしたことに対して、他の3人のメンバーがキャンセルするつもりはないと意思表明しているもので、メンバー・チェンジのうえで公演を実施することを示唆していると考えられます。
●6月、イェヌー・レーネル、レナー弦楽四重奏団を退団。
●6月、イェヌー・レーネル、カリフォルニア州アルマに滞在。メキシコ国境から200kmほどの小さな町でしたが、1952年にダムに沈みます。
●6月、イェヌー・レーネル、ニューヨークに到着。ポール・シフとマネジメント契約。
●7月、他の3人のメンバーが、新たな第1ヴァイオリン奏者、イヒニオ・ルヴァルカバ[1905-1976]と、レナー弦楽四重奏団を再編成。メンバーはメキシコ国立音楽院での教職も兼ねながら、以後、25年間に渡って何百というコンサートを開催することになります。
 ルヴァルカバは、メキシコ交響楽団、メキシコ国立フィルのコンサートマスターを経て、ルヴァルカバ弦楽四重奏団を主催していました。



●7月、イェヌー・レーネル、新たにレナー弦楽四重奏団を結成し、ニューヨーク郡で商業登記。以前よりもさらに高い水準になっていると各方面に通知。自分以外の元レナー弦楽四重奏団のメンバーたちが、メキシコでレナー弦楽四重奏団として活動しているが、自分はそのグループとは関係が無いとも強調。
 レナーはアメリカの敵国ハンガリーからの亡命ユダヤ人ということで、戦時中は、同じくハンガリーやヨーロッパ各国からアメリカ東海岸に渡ってきていた、多くのユダヤ人音楽家たちを中心に共演することとなります。最初のメンバーは下記のユダヤ系ハンガリー人3名です。
ラースロー・シュテインハルト(英名:ローレンス・スタインハート、第2ヴァイオリン)
ラルフ・ヒルシュ(英名:ラルフ・ハーシュ、ヴィオラ)
ガーボル・レイトゥー(チェロ)

●7月、イェヌー・レーネルに対し、イギリス総領事館から連絡。イギリスの「敵国財産管理局」が、コロンビア・グラーフォフォン・カンパニーから押収したレーネルのロイヤリティ約126ポンドを、同社に払い戻したという連絡。レーネルがハンガリー国籍だったため、その財産は押収対象となっていました。これについては、ほかの3人も同様だったと考えられます。

1943年

◆ハンガリー政府、ユダヤ人の就学制限を強化。演奏会活動も妨害。
◆6月19日、ベルリンでユダヤ人ゼロ宣言。
●イェヌー・レーネル、レナー弦楽四重奏団のチェロ奏者、ガーボル・レイトゥー[1916-1987]と、新たに知り合ったピアノのアドルフ・バラーと共に「アルマ・トリオ」を結成。きっかけは、カリフォルニア州ロス・ガトスのアルマに建つメニューイン[1916-1999]の邸宅に招かれた際の共演でした。以後、レーネルは、1948年に亡くなるまでレナー弦楽四重奏団の活動と並行して、アルマ・トリオでも演奏。なお、アルマ・トリオはメンバーを変更しながら1986年まで活動を継続。
 ピアノのアドルフ・バラー[1909-1994]はオーストリア=ハンガリー帝国生まれで、神童として少年時代からウィーンなどヨーロッパの主要都市で演奏していましたが、1938年の春、彼のパスポートを見たドイツ国防軍の兵士が、ユダヤ系でピアニストであることを確認すると、右手の人差し指を折るなどしたうえで激しく殴打。重傷を負ったバラーは入院治療のののち、ブダペスト、ユーゴスラヴィアを経てアメリカに到着。ソロ・ピアニストのキャリアは断念し、放送局などで演奏しているうち、1941年にメニューインの知己を得、専属伴奏者として契約、アルマの邸宅に妻と娘と共に暮らし、15年間に渡ってメニューインと行動を共にするようになり、南太平洋やアリューシャン列島の戦地での慰問演奏にも参加。ちなみにバラーの家族は全員、ドイツ政府によって殺害されています。

●9月、イェヌー・レーネル、レナー弦楽四重奏団(米)のメンバーを入れ替え。戦時中は、下記の音楽家が支えることとなります。
アルバート・プラッツ(第2ヴァイオリン)
マックス・ワイザー(第2ヴァイオリン)
ポール・レイスマン(第2ヴァイオリン)
エドワード・ナイクルーグ(ヴィオラ)
ノーマン・ショーア(ヴィオラ)
ラルフ・オックスマン(ヴィオラ)
レオ・ロスタル(チェロ)
ステファン・オーバー(チェロ)

●10月22日、メキシコ・シティを本拠とするレナー弦楽四重奏団が、新メンバーにより、メキシコ・シティで正式に商業登記。
●11月、スミロヴィッツ、自分たちのレナー弦楽四重奏団(墨)がオリジナルであり、イェーネルが結成したレナー弦楽四重奏団(米)の演奏会プログラムに、かつて制作したレコードの広告が載るのは国民を誤解させる恐れがあるため、掲載をやめるようColumbia Recordsに要請。
●レナー弦楽四重奏団(米)、イギリスの作曲家でアメリカ滞在中のスタンリー・ベイト[1911-1959]の弦楽四重奏曲第2番を初演。
●レナー弦楽四重奏団(墨)、メキシコでコンサート。

1944年

◆3月、ドイツ軍、ハンガリーを占領。
◆4月、ハンガリーでユダヤ人に対して黄色いダビデの星の胸章着用を義務化。
◆7月、スウェーデン外交官のラウル・ヴァレンベリがハンガリーに着任。終戦までに約10万人とも言われるユダヤ人を救出するものの、戦後、ソ連により殺害。
◆10月、矢十字党が政権をとり、ハンガリーに「国民統一政府」が誕生。総人口約900万人のハンガリーにあって、矢十字党は党員数約30万人と規模の大きな人気政党で、熱心な党員も多かったことから、僅か3か月の政権ながら約3万8千人のユダヤ系市民を虐殺し、約8万人をナチの強制収容所に移送していました。
◆10月、ソ連軍、ハンガリーへの進撃を開始。
◆12月、ソ連軍によって解放されていたハンガリー東部に、臨時政府が誕生。
●12月、イェヌー・レーネル、1943年にColumbiaから支払われたレナー弦楽四重奏団のロイヤリティを、取り決め通りメンバー4人で4等分するよう訴えられ、最高裁判所で同意。

1945年

◆1月、ペシュト(ペスト)が、ソ連軍により占領。
◆2月、ブダがソ連軍により占領。ソ連当局はブダペストの市政をハンガリー人に任せることになりますが、ユダヤ人迫害に加担していた人物も議員に立候補するなど混沌とした状態でした。ちなみにハンガリーのユダヤ系人口は1941年に約82万人でしたが、終戦後は約25万人と3割ほどに激減しています。
●ヨージェフ・スミロヴィッツ、「ロート四重奏団」に第2ヴァイオリン奏者として入団。前任はラクメール・ワインストック[1910-1996]。
 「ロート四重奏団」は、オーストリア=ハンガリー帝国生まれで、ブダペスト音楽院を卒業後、ハンガリー国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスターを務めていたフェリ・ロート[1899-1969]が、1922年に結成した弦楽四重奏団。その後、メンバーを替えながら、47年間に渡ってヨーロッパと南北アメリカで活動したグループ。
 レナー弦楽四重奏団のヴィオラ奏者、シャーンドル・ロート[1895-1951]と、フェリ・ロートの姻戚関係は不明ですが、風貌は似ています。

◆4月、ハンガリー東部にあった臨時政府がブダペストに移動。
◆5月、メキシコ遠征軍、大戦末期のフィリピン戦に300名ほどの志願兵を派遣。まずアメリカで7か月ほど訓練を受けたのち、アメリカの貨物船でフィリピンに派遣。アメリカ第5空軍傘下に配属され、アメリカのP-47Dサンダーボルトに乗って日本軍への爆撃などを実施。犠牲はパイロット5名(1名が撃墜、1名が墜落、3名が燃料切れ)。1945年11月に帰国した際は大パレードも実施。メキシコの第2次大戦での戦闘行動はこれだけでしたが、戦勝国として有利な立場を確保。過去数百年のメキシコの修羅場の歴史に鑑み、国民の犠牲を最小限に抑えたカマチョ大統領の政治力です。
●イェヌー・レーネル、レナー弦楽四重奏団(米)のメンバーを変更。
アンタール・モルナール(第2ヴァイオリン)
ミクローシュ・ハールシャニー(ヴィオラ)
オットー・デリ(チェロ)

●レナー弦楽四重奏団(米)、ラテン・アメリカ・ツアー実施。ブエノスアイレスのテアトロ・コロンのほか、サンパウロでも大ホールでの追加公演を急遽おこなうなど大成功。
◆メキシコ、製造業促進法制定。

1946年

◆2月、ハンガリー共和国成立。王制廃止。ソ連占領下でハイパーインフレ策は継続。
●イェヌー・レーネル、レナー弦楽四重奏団(米)のメンバーを変更。
ミハーイ・クットネル(第2ヴァイオリン)
ミクローシュ・ハールシャニー(ヴィオラ)
ラースロー・ヴァルガ(チェロ)

●レナー弦楽四重奏団(米)、ラテン・アメリカ・ツアー実施。
●10〜12月、レナー弦楽四重奏団(米)、ヨーロッパ・ツアー実施。

1947年

◆2月、パリ講和条約によりソ連のハンガリー占領体制は終わるものの、ソ連軍大規模駐留は継続。ハンガリーの国土も縮小。
●9〜10月、レナー弦楽四重奏団(米)、ヨーロッパ・ツアー実施。
●コロンビア・レコーディング・コーポレーション、コロンビア・レコードに社名変更。

1948年

●レナー弦楽四重奏団(米)、ヨーロッパ・ツアー実施。故郷ハンガリーのブダペストでも大成功を収めています。
●イェヌー・レーネル、レナー弦楽四重奏団(米)のメンバーを変更。
アルフレード・インディグ(第2ヴァイオリン)
ミクローシュ・ハールシャニー(ヴィオラ)
ラースロー・ヴァルガ(チェロ)

●4〜6月、レナー弦楽四重奏団(米)、リオデジャネイロ、サンパウロ、ブエノスアイレスのテアトロ・コロンでベートーヴェン・サイクル。
●夏、イェヌー・レーネル、首の後ろに悪性の腫瘍。
●11月4日、イェヌー・レーネル、悪性腫瘍のためニューヨークで死去。

1949年

◆メキシコ、為替レートを約43%切り下げ。1ドル4.9ペソから8.6ペソに変更。
◆メキシコ、インフレ率5.0%。

1950年

●ヨージェフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)、ロート弦楽四重奏団を退団し、レナー弦楽四重奏団(墨)に復帰。
◆メキシコ、インフレ率6.7%。

1951年

●シャーンドル・ロート(ヴィオラ)、死去。レナー弦楽四重奏団(墨)の後任は、ドイツ人のヘルベルト・フレーリヒ。
◆メキシコ、インフレ率13.6%。

1952年

◆メキシコ、インフレ率14.1%。

1953年

1954年

◆メキシコ政府、為替レートを約31%切り下げ。1ドル8.6ペソから12.5ペソに変更。1976年までこのレートを維持。

1955年

◆7月、メキシコ政府、女性に投票権が与えられてから初めての投票。
●11月、レナー弦楽四重奏団(墨)、ルヴァルカバの弦楽四重奏曲第6番初演。レコーディングも実施。

1956年

◆メキシコ・シティ初の超高層ビル「ラテンアメリカ・タワー」完成。塔先端までは182m。29年後のメキシコ大地震(マグニチュード8.1)でも無傷でした。



1957年

1958年

1959年

1960年

1961年

1962年

1963年

1964年

1965年

1966年

1967年

◆1月11日、24時間連続の雨ののち、気温がマイナス4度になった頃からメキシコ・シティに雪。市街地は5cmほどの積雪だったので、はしゃぐ人も多かったようですが、場所によっては最大約60cmの積雪となり、電気や電話にもトラブルが多発、飛行場は全便欠航、1,200人の乗る自動車が高速道路や橋で立ち往生、警察は食料品や医薬品、暖のとれる衣服を運搬するなど苦労もあったようです。1920年と1940年にも雪が降りましたが、量は少なかったので、この日の雪がメキシコ・シティ初の本格的積雪の日として記憶されることになります。


●レナー弦楽四重奏団(墨)、活動を終了。メキシコ・シティの緯度はハワイやムンバイとほぼ同じですが、2,000メートルを超える高地のため、極端な暑さや寒さの滅多に無い温暖な気候。市域面積は23区の2.5倍ほどで、周囲には国立公園や5,000メートル級の山脈などもあり、自然にも恵まれていました。また、メキシコの国政を担う「制度的革命党(PRI)」の安定した資本主義的施政も当時は成功しており、「メキシコの奇跡」と呼ばれる高度経済成長も実現、市域人口もレナー弦楽四重奏団の到着した戦前の約170万人と比較すると約4倍に増えて680万人近くに達し、1968年にはメキシコ・シティ・オリンピックも開催されるなど、60年代終わりまでのメキシコ・シティはとても良い環境だったようです。
 レナー弦楽四重奏団(墨)の活動が、教職に主軸が移ったとはいえ、この地で25年間も続いたのは、そうした居心地の良い気候や社会環境のおかげもあったと思われます。祖国ハンガリーは大戦末期のナチ傀儡政権に続き、戦後は共産主義政権に移行していましたし。


収録情報


CD1
ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (1770-1827)
弦楽四重奏曲 第1番 ヘ長調 Op. 18-1
1 I. Allegro con brio
2 II. Adagio affetuso ed appassionato
3 III. Scherzo. Allegro molto
4 IV. Allegro
Recorded on December 1928

弦楽四重奏曲 第2番 ト長調 Op. 18-2
5 I. Allegro
6 II. Adagio cantabile - Allegro - Tempo I
7 III. Scherzo. Allegro
8 IV. Allegro molto quasi Presto
Recorded on September - October 1926

弦楽四重奏曲 第3番 ニ長調 Op. 18-3
9 I. Allegro
10 II. Andante con moto
11 III. Allegro
12 IV. Presto
Recorded on December 1926

レナー弦楽四重奏団

CD2
ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (1770-1827)
弦楽四重奏曲 第4番 ハ短調 Op. 18-4
1 I. Allegro ma non tanto
2 II. Andante scherzoso, quasi Allegretto
3 III. Menuetto. Allegretto
4 IV. Allegro - Prestissimo
Recorded on 1935

弦楽四重奏曲 第5番 イ長調 Op. 18-5
5 I. Allegro
6 II. Menuetto
7 III. Andante cantabile con variazioni
8 IV. Allegro
Recorded on 1936

レナー弦楽四重奏団

CD3
ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (1770-1827)
弦楽四重奏曲 第6番 変ロ長調 Op. 18-6
1 I. Allegro con brio
2 II. Adagio, ma non troppo
3 III. Scherzo. Allegro
4 IV. La Malinconia. Adagio - Allegretto quasi Allegro
Recorded on November 1926

弦楽四重奏曲 第7番 ヘ長調 Op. 59-1 「ラズモフスキー第1番」
5 I. Allegro
6 II. Allegretto vivace e sempre scherzando
7 III. Adagio molto e mesto - attacca
8 IV. Thème russe. Allegro
Recorded on October 29 & November 4, 1926

レナー弦楽四重奏団

CD4
ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (1770-1827)
弦楽四重奏曲 第8番 ホ短調 Op. 59-2 「ラズモフスキー第2番」
1 I. Allegro
2 II. Molto Adagio. Si tratta questo pezzo con molto di sentimento
3 III. Allegretto
4 IV. Finale. Presto
Recorded on 1938

弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 Op. 59-3 「ラズモフスキー第3番」
5 I.番troduzione. Andante con moto - Allegro vivace
6 II. Andante con moto quasi Allegretto
7 III. Menuetto. Grazioso - attacca
8 IV. Allegro molto
Recorded on August 29 & November 7, 1926

レナー弦楽四重奏団

CD5
ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (1770-1827)
弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 Op. 74 「ハープ」
1 I. Poco Adagio - Allegro
2 II. Adagio ma non troppo
3 III. Presto - attacca
4 IV. Allegretto con Variazioni
Recorded on 1932

弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短調 Op. 95 「セリオーソ」
5 I. Allegro con brio
6 II. Allegretto ma non troppo - attacca
7 III. Allegro assai vivace ma serioso
8 IV. Larghetto espressivo - Allegretto agitato
Recorded on November 4, 1926

レナー弦楽四重奏団

CD6
ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (1770-1827)
弦楽四重奏曲 第12番 変ホ長調 Op. 127
1 I. Maestoso - Allegro
2 II. Adagio, ma non troppo e molto cantabile - Andante con moto - Adagio molto espressivo
3 III. Scherzando vivace - Presto
4 IV. Finale
Recording : 1926

弦楽四重奏曲 第14番 嬰ハ短調 Op. 131
5 I. Adagio, ma non troppo e molto espressivo
6 II. Allegro molto vivace
7 III. Allegro moderato
8 IV. Andante, ma non troppo e molto cantabile
9 V. Presto - Molto poco adagio
10 VI. Adagio quasi un poco andante
11 VII. Allegro
Recording : 1932

レナー弦楽四重奏団

CD7
ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (1770-1827)
弦楽四重奏曲 第15番 イ短調 Op. 132
1 I. Assai sostenuto - Allegro
2 II. Allegro ma non tanto-
3 III. Molto adagio
4 IV. Alla marcia, assai vivace
5 V. Allegro appassionato
Recording : 1935

6 大フーガ 変ロ長調 Op. 133
Recording : 1930

レナー弦楽四重奏団

CD8
ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (1770-1827)
弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 Op. 130
1 I. Adagio ma non troppo - Allegro
2 II. Presto
3 III. Andante con moto, ma non troppo
4 IV. Alla danza tedesca. Allegro assai
5 V. Cavatina. Adagio molto espressivo – attacca
6 VI. Finale. Allegro
Recording : 1926

弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 Op. 135
7 I. Allegretto
8 II. Vivace
9 III. Lento assai e cantante tranquillo
10 IV. Grave, ma non troppo tratto - Allegro
Recording : 1936

レナー弦楽四重奏団

CD9
ヨハネス・ブラームス (1833-1897)
弦楽四重奏曲 第1番 ハ短調 Op. 51-1
1 I. Allegro
2 II. Romanze: Poco adagio
3 III. Allegretto molto moderato e comodo - Un poco più animato
4 IV. Allegro
Recorded on February 22 & 27, 1933

弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 Op. 51-2
5 I. Allegro ma non troppo
6 II. Lento
7 III. Molto vivace
8 IV. Finale (Vivace ma non troppo)
Recorded on August 11 & 13, 1931

レナー弦楽四重奏団

CD10
ヨハネス・ブラームス (1833-1897)
弦楽四重奏曲 第3番 変ロ長調 Op. 67
1 I. Vivace
2 II. Andante
3 III. Agitato (Allegretto non troppo)
4 IV. Poco allegretto con variazioni
Recorded on March 4 & 5, 1929

クラリネット五重奏曲 ロ短調 Op. 115
5 I. Allegro
6 II. Adagio - Più lento
7 III. Andantino - Presto non assai, ma con sentimento
8 IV. Con moto
Recorded on June 7 & 10, 1928

チャールズ・ドレイパー (clarinet)
レナー弦楽四重奏団

CD11
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756-1791)
弦楽四重奏曲 第14番 ト長調 KV 387
1 I. Allegro vivace assai
2 II. Menuetto allegretto
3 III. Andante cantabile
4 IV. Molto Allegro
Recorded on 1929

弦楽四重奏曲 第15番 ニ短調 KV 421
5 I. Allegro
6 II. Andante
7 III. Menuetto: Allegretto
8 IV. Allegretto ma non troppo
Recorded on 1926

レナー弦楽四重奏団

CD12
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756-1791)
弦楽四重奏曲 第17番 変ロ長調 KV 458 「狩」
1 I. Allegro vivace assai
2 II. Menuetto moderato
3 III. Adagio
4 IV. Allegro assai
Recorded on 1939

弦楽四重奏曲 第19番 ハ長調 KV 465 「不協和音」
5 I. Adagio - Allegro
6 II. Andante cantabile
7 III. Menuetto. Allegro
8 IV. Allegro
Recorded on 1925

レナー弦楽四重奏団

CD13
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756-1791)
セレナーデ 第13番 ト長調 KV 525 「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」
1 I. Allegro
2 II. Romance (Andante)
3 III. Menuetto (Allegretto)
4 IV. Rondo (Allegro)
Recorded on 1930

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン (1732-1809)
弦楽四重奏曲 第62番 ハ長調 Op. 76-3, Hob. III: 77 「皇帝」
5 I. Allegro
6 II. Poco adagio,
7 III. Menuetto Allegro
8 IV. Finale. Presto
Recorded on January 1935

弦楽四重奏曲 第61番 ニ短調 Op. 76-2, Hob. III: 76 「五度」*
9 II. Andante o più tosto allegretto
Recorded on January 1935

弦楽四重奏曲 第64番 ニ長調 Op. 76-5 Hob. III: 79
10 I. Allegretto - Allegro
11 II. Largo. Cantabile e mesto
12 III. Menuetto. Allegro
13 IV. Finale. Presto
Recorded on February 22 & 23, 1924

レナー弦楽四重奏団

CD14
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756-1791)
ディヴェルティメント 第17番 ニ長調 KV 334
1 I. Allegro
2 II. Thema mit Variationen (Andante)
3 III. Menuetto
4 IV. Adagio
5 V. Menuetto
6 VI. Rondo (Allegro)
Recorded on February 16, 1939

オーボエ四重奏曲 ヘ長調 K. 370
7 I. Allegro
8 II. Adagio
9 III. Rondeaux. Allegro
Recorded on March 1, 1933

デニス&オーブリー・ブレイン (horn)
レオン・グーセンス (oboe)
レナー弦楽四重奏団

CD15
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン (1732-1809)
弦楽四重奏曲番 ヘ長調 op. 3-5 Hob. III: 17 「セレナーデ」
1 I. Presto
2 II. Andante cantabile
3 III. Menuetto - Trio
4 IV. Scherzando
Recorded on October 30, 1924

弦楽四重奏曲番 ヘ長調 op. 3-5 Hob. III: 17 「セレナーデ」
5 I. Presto
6 II. Andante cantabile
7 III. Menuetto - Trio
8 IV. Scherzando
Recorded on December 7, 1928

弦楽四重奏曲 第53番 ニ長調 Op. 64-5 Hob. III: 63 「ひばり」
9 III. Minuet. Allegretto
Recorded on March 15, 1928

弦楽四重奏曲 第64番 ニ長調 Op. 76-5 Hob. III: 79
10 I. Allegretto - Allegro
11 II. Largo. Cantabile e mesto
12 III. Menuetto. Allegro
13 IV. Finale. Presto
Recorded on November 7 & 10, 1928

レナー弦楽四重奏団

CD16
フランツ・ペーター・シューベルト (1797-1828)
八重奏曲 ヘ長調 D. 803 Op. 166
1 I. Adagio - Allegro
2 II. Adagio
3 III. Allegro vivace
4 IV. Thema. Andante - Variations I-VII
5 V. Menuetto. Allegretto
6 VI. Andante molto - Allegro
Recorded on March 23, 1928

ロベルト・シューマン (1810-1856)
弦楽四重奏曲 第3番 イ長調 Op. 41-3
7 I. Andante espressivo - Allegro molto moderato
8 II. Assai agitato - Un poco Adagio - Tempo risoluto
9 III. Adagio molto
10 IV. Finale - Allegro molto vivace
Recorded on 1936

チャールズ・ドレイパー (clarinet), オーブリー・ブレイン (horn), クロード・ホブデイ (double bass), アーネスト・ヒンチクリフ (bassoon)
レナー弦楽四重奏団

CD17
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756-1791)
弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 KV 516
1 I. Allegro
2 II. Menuetto. Allegretto
3 III. Adagio ma non troppo
4 IV. Adagio - Allegro
Recorded on March 2, 1930

弦楽四重奏曲 第17番 変ロ長調 KV 458 「狩」
5 I. Allegro vivace assai
6 II. Menuetto moderato
7 III. Adagio
8 IV. Allegro assai
Recorded on October 24, 1924

ルイス・ドリヴェイラ (2nd viola)
レナー弦楽四重奏団

CD18
アントニン・ドヴォルザーク (1841-1904)
弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 Op. 51
1 I. Allegro ma non troppo
2 II. Dumka. Andante con moto
3 III. Romanze. Andante con moto
4 IV. Finale. Allegro assai
Recorded on September 16 & 20, 1938

ピアノ五重奏曲 第2番 イ長調 Op. 81
5 I. Allegro ma non tanto
6 II. Dumka. Andante con moto
7 III. Scherzo (Furiant). Molto vivace
8 IV. Finale. Allegro
Recorded on October 1-2, 1930

オルガ・ローザー=レバート (piano)
レナー弦楽四重奏団

CD19
ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (1770-1827)
七重奏曲番 変ホ長調 Op. 20
1 I. Adagio - Allegro con brio
2 II. Adagio cantabile
3 III. Tempo di menuetto
4 IV. Tempo con variazioni. Andante
5 V. Scherzo. Allegro molto e vivace
6 VI. Andante con moto alla marcia - Presto
Recorded on March 4, 1930

チャールズ・ドレイパー (clarinet), オーブリー・ブレイン (horn), クロード・ホブデイ (double bass), アーネスト・ヒンチクリフ (bassoon)
レナー弦楽四重奏団

弦楽五重奏曲 ハ長調 op. 29
7 I. Allegro moderato
8 II. Adagio molto espressivo
9 III. Scherzo. Allegro
10 IV. Presto
Recorded on July 15, 1936
ウィリアム・プリムローズ (2nd viola)
レナー弦楽四重奏団

CD20
1. ハイドン: 弦楽四重奏曲ヘ長調op.3-5「セレナード」〜第2楽章
Recorded on 1922

2. ドヴォルザーク: 弦楽四重奏曲ヘ長調op.96「アメリカ」〜第2楽章
Recorded on 1922

3. ブラームス: 弦楽四重奏曲第2番イ短調op.51-2〜第2楽章
Recorded on 1923

4. モーツァルト: 弦楽四重奏曲第15番ニ短調K.421〜第4楽章
Recorded on 1923

5. モーツァルト: 弦楽四重奏曲第19番ハ長調K.465「不協和音」〜第2楽章
Recorded on 1923

6. ドビュッシー: 弦楽四重奏曲ト短調op.10〜第3楽章
Recorded on 1923

7. シューマン: 弦楽四重奏曲第3番イ長調op.41-3〜第3楽章
Recorded on 1923

8. メンデルスゾーン: 弦楽四重奏曲第4番ホ短調op.44-2〜第2楽章 スケルツォ
Recorded on 1922

9. ハイドン: 弦楽四重奏曲ニ長調op.64-5「ひばり」〜第2楽章
Recorded on 1923

10. ハイドン: 弦楽四重奏曲ニ長調op.64-5「ひばり」〜第4楽章 フィナーレ
Recorded on 1923

11. チャイコフスキー: 弦楽四重奏曲第1番ニ長調op.11〜第2楽章
Recorded on 1926

12. シューベルト: 弦楽四重奏曲第14番ニ短調D.810「死と乙女」〜第2楽章
Recorded on 1931

レナー弦楽四重奏団

CD21
1. バッハ: トッカータ,アダージョとフーガ ハ長調BWV564〜アダージョ
Recorded on 1931

2. シューマン: トロイメライ
Recorded on 1931

3. ショパン: 前奏曲第6番ロ短調op.28-6
Recorded on 1930

4. ショパン: 前奏曲第4番ホ短調op.28-4
Recorded on 1930

5. ショパン: 練習曲第7番ハ長調op.10-7
Recorded on 1930

6. バッハ: 管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068〜アリア
Recorded on 1930

7. ディッタースドルフ: 弦楽四重奏曲第1番ニ長調〜第3楽章
Recorded on 1930

8. グルック/ブラームス: ガヴォット
Recorded on 1931

9. チャイコフスキー: 舟歌
Recorded on 1931

10. シューベルト: 楽興の時第3番ヘ短調op.94-3
Recorded on 1930

11. シューベルト: ピアノ・ソナタ第12番ト長調D.894〜メヌエット
Recorded on 1930

12. シューベルト: 楽興の時第2番変イ長調op.94-2
Recorded on 1930

13. ショパン: 練習曲第19番嬰ハ短調op.25-7
Recorded on 1930

14. ボロディン: 弦楽四重奏曲第2番ニ長調〜第3楽章「夜想曲」
Recorded on 1931

15. メンデルスゾーン: 弦楽四重奏曲第1番変ホ長調op.12〜第2楽章「カンツォネッタ」
Recorded on 1935

16. メンデルスゾーン: 弦楽四重奏曲第4番ホ短調op.44-2〜第2楽章 スケルツォ
Recorded on 1935

17. ヴォルフ: イタリアのセレナード
Recorded on 1933

レナー弦楽四重奏団
[イェヌー・レーネル/violin, ヨージェフ・スミロヴィッツ/violin, シャーンドル・ロート/viola, イムレ・ハルトマン/cello]




商品説明:年表シリーズ

指揮者
アルヘンタ
オッテルロー
ガウク
カラヤン
クイケン
クーセヴィツキー
クチャル
クラウス
クレツキ
クレンペラー
ゴロワノフ
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弦楽器
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室内アンサンブル
グリラー弦楽四重奏団
シェッファー四重奏団
シュナイダー四重奏団
パスカル弦楽四重奏団
パスキエ・トリオ
ハリウッド弦楽四重奏団
バルヒェット四重奏団
ブダペスト弦楽四重奏団
伝説のフランスの弦楽四重奏団
レナー弦楽四重奏団

作曲家
アンダーソン
ベートーヴェン
ヘンツェ
坂本龍一

シリーズ
テスタメント国内盤

ユーザーレビュー

総合評価

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早速いくつか聴いてみました、東芝EMIで発...

投稿日:2020/12/03 (木)

早速いくつか聴いてみました、東芝EMIで発売された「モーツアルト3CD」やアートユニオンのアンコール2CDと比較しましても、若干劣る部分もありますが年代を考えますと充分許容範囲ではないでしょうか。特にモーツァルトは東芝EMIに1日の長があるようです。 今では偽作としてあまり演奏されない、ハイドンのセレナーデを聴いてみてください、あなたもはまりますヨ、それがすべてです。 演奏はポルタメントは鼻につく部分はありますが、ツボにはまればこれほど優美で華麗な演奏はありません、それが人気の秘密のようです。 ベートーヴェンの後期は合わなそうですが、少なくともブタペストSQの散漫サより充実しているように思いました。この歳になってやっとレナーSQが聴けました、できれば本当のMONO盤で聴いてみたいが実感です。

ポム さん | 京都府 | 不明

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