動乱の蔭に 川島芳子自伝 中公文庫

川島芳子

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784122071094
ISBN 10 : 4122071097
フォーマット
出版社
発行年月
2021年09月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
275p;16

内容詳細

清朝の王女として生まれ、日本で教育を受け、祖国再興を画し上海にわたる。ジャンヌ・ダルクに憧れた少女時代や初恋の思い出を交え男装に至った経緯を語る。活動中にテロに遭遇、危機を乗り越え使命に目覚めていく。巻末に熱河作戦従軍後「婦人公論」に発表した手記を収録。伝説の「男装の麗人」による半生記を初文庫化。

目次 : 川島芳子女士の横顔/ 春の游海湾―生い立ちの記/ 少女の頃の雑記帳―その後の生い立ち/ 黙劇の恋/ 何故に男装するか/ 蒙古の夜/ 建国秘誌―宣統帝・鴻秋妃天津脱出を中心に/ 上海R・M・C倶楽部/ 血は水よりも濃し―蘇炳文叛乱前後記/ 国定軍血盟式の記/ 真相―私の天津遭難前後の/ 日本の皆様へ―歯に衣着せぬ記/ 中公文庫版付録 僕は祖国を愛す/ 川島芳子年譜/ 解説 寺尾紗穂/ 川島芳子メモリアル写真

【著者紹介】
川島芳子 : 1907(明治40)年、清朝の粛親王善耆(ぜんき)の第一四王女として生まれる。川島浪速(なにわ)の養女となり、渡日、豊島師範附属小、跡見高女、松本高女に学んだ。松本高女を退学後、断髪して男装するようになる。27(昭和2)年、モンゴル将軍パブチャップの次男カンジュルジャップと結婚するが、まもなく離婚。その後、清朝の再興を画策して、上海に渡り、日本軍の諜報活動に協力、東洋のマタ=ハリ、男装の麗人とも呼ばれた。敗戦後、中国で逮捕され国賊として48(23)年、銃殺された(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • ヨーイチ さん

    自伝とあるがライターが別にいた模様。男装の麗人てな言葉を知ったのはターキーこと水の江滝子絡みだったと思う。年は芳子の方が数年お姉さん。村松友視の祖父の梢風がズバリ「男装の麗人」と言う題名で昭和8年に発表している。コレが初出なのかなあ。混乱・混沌の時代が創り出したトリックスター。満州国に掛けられた夢と期待?大日本帝国がゴリ押しして創り上げようとした満州国って構図は分かり易いが、其ればかりでは無く別のベクトルもあったと知るべきであろう。続く

  • 駄目男 さん

    戦時中、知日派として知られる、汪 兆銘なる人物がいたが国民党内にいたが、後に蒋介石と袂を分かって、1940年3月、南京に日本の傀儡政権である汪兆銘政権を樹立し主席となった。然し、1944年、名古屋市にて病死してしまう。その汪兆銘を表した伝記「人われを漢奸と呼ぶ」という本がある。 漢奸とは「かんかん」と読み、所謂売国奴のことで、捕まれば否応なく処刑されてしまうが、汪兆銘は終戦を待たず病死したので死刑は免れた。然し、本書の主人公川島芳子はそうはいかなかった。「東洋のマタ・ハリ」「満洲のジャンヌ・ダルク」

  • 田中峰和 さん

    清朝の王の第14王女、何十人も生まれた子の一人だが王女であることは間違いない。川島家に養子に出され川島芳子として日本の女学校に通う。日本でも乗馬で通学するほどのお嬢さんとして育つが、国を救ったジャンヌダルクに憧れ、男装の麗人として知られるようになる。自伝とはいえ、身分の高い人なので祐筆がおり代筆している。本人の思想も含まれるが、清朝最後の皇帝溥儀の脱出を手伝うなど、手に汗握る展開はかなりの脚色がなされているのだろう。48年に40歳で銃殺されたとされるが、その後も生きていたとの噂があるのは中国らしい。

  • kiiseegen さん

    少しの虚飾を含むとあるが、信じ難い様な話が多い様で・・・自伝を読めばスッキリとするかと思ったが。不思議な人だ。往事の雰囲気は充分に味わえたのだけれど。

  • Lilas さん

    やんごとない身分に生まれた王女様が、自国を蔑み侵略する国で教育を受けるという気の毒な境遇。大事の周辺で、自意識過剰なぼんぼんがひとり芝居をしているような、読んでいても気恥ずかしい感じ。本人は大真面目だったのでしょうが。

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