高校を卒業後、ロック・グループを結成し、音楽活動を開始。その後Far East Family Bandに参加。海外録音等を行ない、この時既に世界的にも高い評価を得ていました。
1976年、Far East Family Bandが解散するが、音楽活動は継続。1978年、ビクターより”天空”を発表。この作品は氏自らの幼年時代の風情をインスパイアして製作したもの。そして翌年の1979年、同じくビクターより”大地”を発表しますが、この2作品を残し同年にポニー・キャニオンに移籍。移籍後”Oasis”を発表。翌年の1980年に、NHKのスペシャル番組”シルクロード”の音楽を担当するという絶好のチャンスに恵まれます。この”シルクロード”が高視聴率をマーク、人気を博し、なんと5年間にも渡ってシリーズ化されました。番組の内容も勿論ですが、喜多郎による音楽も反響を呼んだのです。
”シルクロード”により、日本では名実共に一流のシンセサイザー奏者であることが認められたのですが、世界的な評価はさほど得られていませんでした。その後、”シルクロード・絲綢之路v”(1980年)、”シルクロード・絲綢之路 II ”(1980年)、”敦煌”(1981)、”気”(1981年)、”1000年女王”(1982年 東映アニメーション映画)、”イン・パースン”(1983年)、”飛雲”(1983年)、”シルクロード組曲”(1985年)と国内盤(ポニーキャニオン)でのみのリリースが続きました。 またアルバム・リリースだけでなく1982年には30都市をまわる全国ツアー、1983年には日本〜台湾〜香港でのサマー・ツアー、84年東南アジア・ツアー(中国、マレーシア)にて敢行...とコンサート・ツアー活動も意欲的に行っていました。
1987年に全米オハイオ州コロンバスからスタートした全米24都市26公演の”KITARO Live In USA”では、全公演ソールド・アウトとなったほど。さらには1989年、15都市を回った”KITARO Live In Europe”も全公演、即日ソールド・アウトを記録。当時の喜多郎の人気がわかります。
ゲフィンよりリリースされた、”The Lighr Of The Spirit”(1987年 彼が尊敬しているGrateful Deadのパーカッショニスト、ミッキー・ハートとの共同プロデュース)、”10 Years”(1988年 この年、グラミー賞ニューエイジ・ミュージック部門にノミネート)、”古事記”(1990年 ビルボード誌のニューエイジアルバム部門で、8週連続一位獲得)、”Kitaro Live in America”(1991年)...上記のアルバム全て好セールスをマーク。本国日本よりも盛り上がりを見せたのです。
1990年には活動拠点をアメリカへ移しコロラド州へ移住。アメリカでの活躍は勿論、日本のファンも忘れずにいてくれた喜多郎は、映画”十五少女漂流記”(1992年)をリリースしてくれました。1993年にはオリバー・ストーン監督作品”Heaven And Earth”の音楽を担当しハリウッド進出も果たしています。
そして2001年1月24日には、待望の新作”永遠の時を An Ancient Journey”をリリース!20年前の”シルクロード”のブレイクから一貫して文明と自然の調和というメッセージを音楽にのせてきた彼。大ヒット・アルバム”アンシェント四大文明”をさらに深化させた内容となっています。曲間に”アンシェント四大文明”から抜粋した壮大なノイズ(自然音)を織り交ぜた全19曲となっています。中国、イラン、エジプト、インドの写真をちりばめた封入されている写真も見応え十分!視覚、聴覚とで四大文明を追体験出来る、という素晴らしい作品になっています。また、2001年1月末からのツアー”Sound Oddesey 2001”も予定されています。