ヤンキー文化論序説

五十嵐太郎

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784309244655
ISBN 10 : 4309244653
フォーマット
出版社
発行年月
2009年03月
日本
追加情報
:
19cm,285p

内容詳細

思考や行動の様式から、ファッション、音楽、マンガ、映画、アート、建築まで、今こそ、ヤンキー文化の豊潤な可能性を見よ。ヤンキー文化とは何かから、ヤンキー系表現の世界、地域社会の中のヤンキーなどを掲載。

【著者紹介】
五十嵐太郎 : 1967年生まれ。東北大学大学院工学研究科准教授(建築史・建築批評)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • showgunn さん

    「序説」と名乗ってるだけあって書き手ごとに方向性もクオリティもバラバラ。速水健朗、斎藤環あたりは流石だなと思った。磯部涼は日本のヒップホップの歴史の始まりを解説した文章としては非常にわかりやすいけどこの本を読んだ人のほとんどは理解できないのではないだろうか。永江朗が一番どうしょうもなくてただダラダラとイメージだけで書いた文章を垂れ流してるだけ。この人はダメだ。 これが出たのが2009年で、それ以降ヤンキー論もだいぶ広がりを見せているようだし一定の役割は果たした本なのでしょうね。

  • みい さん

    オタクとヤンキーは、実は似ている。ただ、評論家気質のオタクに対し、ヤンキーは自分の文化や生態を伝えることをしてこなかった。よって、ヤンキーや不良に関する情報は世の中に出ていない。ヤンキーというのはヴァナキュラーなものであり、それは地方の在り方にあっている。地域での絶対的なものが支持される社会の中で生きていくすべ。一方で東京の場合は、地域性が失われ、ちゃらちゃらして見える。。。というようなところまでは想像しながら理解できたのだが、中盤ごろからだんだんと、世代のせいか、よくわからなくなってしまった。

  • 明智紫苑 さん

    再読。古代中国での「侠」の概念は「ヤクザ」よりも「ヤンキー」と意訳した方がふさわしいように思える。そういう点では、宮城谷昌光氏が「ヤンキー君子」孟嘗君の「牙」を抜いてしまったのは実に惜しい。私は前に読んだオタク批評本とこのヤンキー文化批評を読み比べて、世界は「オタク」と「ヤンキー」という両極の間を「ミーハー」が右往左往したり、計算高く立ち回ったりする様子を思い浮かべる。つまり、オタクやヤンキーが開拓した分野の利益をミーハーがチャッカリせしめるのだ。誰か「オタクとヤンキーの世界史」を書いてほしい。

  • 向う岸 さん

    ヤンキー性とは「やんちゃだけど真っ直ぐ」「ワルだけど情に篤い」といった二面性に集約される。こういう気質は江戸時代のかぶき者から日本人に愛され続けている。現実の暴走族は少子化、経済の悪化、取締の強化、逮捕のリスクなどから減少している。社会も身近のヤンキーに対して不寛容になる分、フィクションや芸能人にロマンを求めているのかな。読み終えてふと思ったが、キリスト教福音派ってまさにヤンキー性のかたまりなんじゃないか。僕もどうせならあちら側に生まれたかった。

  • hixxxxki さん

    暴走族から走り屋へ。族から系へ。落書きからグラフィティへ。卒業するものから外部の無いものへ。日本人の美意識をほっとくと金閣寺ができて終わりという趣旨の言葉が印象深い。

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人物・団体紹介

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五十嵐太郎

1967年パリ生まれ。1992年、東京大学工学系大学院建築学専攻修士課程修了。博士(工学)。東北大学大学院工学研究科教授。建築史・建築批評。第11回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展(2008年)日本館展示コミッショナー、あいちトリエンナーレ2013芸術監督(本データはこの書籍が刊行された当時に掲

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