下中彌三郎 アジア主義から世界連邦運動へ

中島岳志

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784582824742
ISBN 10 : 4582824749
フォーマット
出版社
発行年月
2015年03月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
383p;20

内容詳細

“エタイの知れぬ怪物”下中とは何者だったのか!?平凡社の創業、日本初の本格的百科事典の刊行、大正期の自由教育運動、アジア主義、世界連邦運動、絶対平和主義…。日本の近現代史をめまぐるしく駆け抜けた、下中彌三郎の生涯を追う。

目次 : 第1章 若き日(生い立ち/ 父の死 ほか)/ 第2章 革新の時代(『や、此は便利だ』/ 平凡社の誕生 ほか)/ 第3章 皇国日本による世界統一(愛国勤労党/ 無産政党の合同を ほか)/ 第4章 世界連邦・非武装中立・平和憲法(東京裁判と公職追放/ 世界連邦運動への参画 ほか)

【著者紹介】
中島岳志 : 1975年、大阪府生れ。北海道大学大学院法学研究科准教授。大阪外国語大学でヒンディー語を専攻。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。専門は南アジア地域研究、近代思想史。2005年、『中村屋のボース』(白水社)で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • 壱萬弐仟縁 さん

    平凡社創業(5頁)の彼は学業断念しても、知的好奇心を止めることができなかった(17頁)。雲中小学校では常直として泊まり込むようになり、図書室を独占できるのがうれしくて仕方なかったという(25頁)。彼は結婚を重視し、女性と共に子供を称揚した(56頁〜)。ただし、例外的天才を除いて女性は大学教育を受ける必要がないと強調(62頁)。津田梅子氏を待つ以外なかったのか? 彼は恋愛結婚を礼賛した(66頁)。政略結婚よりはいいだろう。貧困も格差も差別もない世界を構想した下中(70頁)。

  • ゆうきなかもと さん

    平凡社の創業者下中彌三郎の評伝。著者の描く下中の人生から、理想に燃える設計主義者の危うさと、実行力の高さが学べる。ただし下中の理想は、何らかの中心をもつユートピアの実現である。戦前から戦後まで、その名称や、形式の違いはあれど、一貫してユートピア実現を目指していたというのが著者の主張である。  以下に一番印象に残った著者の指摘を記す。《下中は平和憲法を「神ながら信仰」の具現と見なし、世界連邦を「八紘一宇」の理想と見なすことで、日本精神による人類社会統合を構想した。》

  • takao さん

    ふむ

  • mustache さん

    戦後平和運動に一定の役割を演じた「7人委員会」について、湯川秀樹や平塚らいてうばかりを記憶していて他のメンバーについてはほとんど知らなかったが、下中彌三郎こそ中心人物だったことを本書で知る。中島岳志自身が安倍昭恵のスピリチュアリズムへの傾倒と関連させて、子どもや女性の純真性を強調した下中が大アジア主義へ接近したことを一つの典型例と指摘していたのを読んで、本書を手にする。振幅の激しい下中の主張を丁寧に跡付けて、読みやすくはないが、学ぶところ多い書。

  • 在我壷中 さん

    私には大いに著者へエールを贈る処です。『朝日平吾の鬱屈』現代の若者、世情へ重なると。著書『下中彌三郎』貧しい過去からの立身出世、しかし、どうしても一つ二つの違和感を抱くのです。朝日平吾には加藤智大(犯行時25歳)赤木智弘(『希望は戦争』と丸山真男をひっぱたきたい、と当時31歳)大正時代の31歳、満州帰り満州浪人の社会的鬱屈と、両加藤の現代社会への鬱屈、果たしてと。下中彌三郎へは地元は、窯業はどうした?地元への嫌悪を顕わにする、枝葉末節?と著者へはそうなのでしょう。智弘と智大を誤植と両者を智弘と記すのでした

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