女ぎらい ニッポンのミソジニー

上野千鶴子(社会学)

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784314010696
ISBN 10 : 431401069X
フォーマット
出版社
発行年月
2010年10月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
240

内容詳細

「ミソジニー」は、男にとっては「女性嫌悪」、女にとっては「自己嫌悪」。上野千鶴子が、「ミソジニー」を切り口に現代日本社会の事象や文学作品を鮮やかに読み解き、女性の「生きづらさ」を解剖する。

【著者紹介】
上野千鶴子 : 1948年富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程修了。現在、東京大学大学院教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニア。1980年代以降、常に時代の先端を疾走し、現代社会のさまざまな問題を問い続けてきたフェミニスト。近年は、老い、福祉、ケアに専門領域を広げている。1994年『近代家族の成立と終焉』(岩波書店)でサントリー学芸賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • めりの さん

    子供の頃から男の子じゃなくて申し訳ないと両親に、特に父に対して感じていました。父が亡くなってすごく開放感がありました。あんなに可愛がってもらったのに。親戚が男の子やったら良かったのにと、悪気なく話しているのを何度も聞いていたので、そうか女の子はダメなのかと思っていました。父から言われた覚えは1度もなかったのに。なんだか変な誤解してたな。私ミソジニーかー。自覚なかったな。恥ずかしい。

  • 踊る猫 さん

    この本で批判されている、まさに「女ぎらい」な社会を生きてきた「男」として興味深く読む(そんな社会に加担した覚えはないが、その自覚自体この「ホモソーシャル」な「男社会」で安寧と暮らしている怠慢の産物だろう)。ぼくからすればボーヴォワール的に「女になる」のと同様に男だって例外はあれどどこかで(たぶんに性愛を通して)「男になる」「男に染まる」ものなのだと異論も言いたくなるし、他にも言いたいことはあるがしかしこの本の論点から切実に「逃げちゃダメだ」とも思った。彼女の指摘する「男」とこのぼくの実感のズレはどこから?

  • Mishima さん

    上野千鶴子著作何冊目だろう。相変わらず切れ味鋭い筆包丁でネタをさばく、さばく。蓄積された膨大なデータから引き出した推論に持論を重ねる。時折、切っ先でデータ先の著者をかすったりもする。皇室、江戸時代(遊女と地女)、男視点女視点、サドマゾ、援助交際、東電OL事件、父と娘、母と娘、快楽による支配....多種多様なネタは卓越したスキルを持った料理人によってふさわしい器に盛られた。苦味と辛味のハーモニーよ。

  • katoyann さん

    ミソジニー(女性蔑視/女性嫌悪)について文学作品や社会的に話題となった事件を事例として分析した、フェミニズム研究の本。セジウィックのホモソーシャルという概念を援用しながら、女性を性的に支配ないし所有することが男らしさを規定し、女性は男性から性的に承認されることで女らしさのステータスを確認すると分析する。それが女性を性の客体としか見做せない男性の女性蔑視であり、女性にとっては自己嫌悪の源泉になるという。現代思想のキーワードが頻出するので易しいとは言えないが、差別の構造を理解する上では貴重な本である。

  • ラテちゃん さん

    男女平等について学ぶ機会があったのだがなんだか腑に落ちないところがあって本書を手に取る。上野さんの本は初読みだったので、まずは切り口の鋭さに関心。そして自分の長年におよぶ(幼少期からの)疑問やフラストレーションが溶解していくのを感じた。社会的性差であるgenderを論じる際に生物学的性差sexualityを抜きにして論じれば、つまり公の場で語るのがタブーとされがちなsexの問題をオブラートに包んで論じれば男女差別の本質は浮かび上がってこない。男性の女好きの本質は女嫌い(ミソジニー)、そして女自身の誰もが自

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