1733年にルイ15世より王室付きの音楽教師に任命されるが、宮廷楽団の監督権をめぐってジャン=ピエール・ギニョン(Jean-Pierre Guignon)と衝突、1737年に辞任する。その後は、ヘンデルの弟子ですぐれたクラヴサン奏者であったオラニエ公妃アンナに仕え、1738年から1743年まで毎月ハーグの宮廷で楽長として過ごした。1743年にパリに戻る。唯一の歌劇《シラとグロキュス(スキュラとグラウコス)Scylla et Glaucus》が初演されたが、この作品は現代になって蘇演が行われた。1740年から没年まで、グラモン公に出仕した。