現在、米国のクラシック音楽シーンでは前衛音楽や実験音楽は影を潜め、クリストファー・ラウズ(Rouse, Christopher)を筆頭にネオ・ロマンティシズム(新ロマン派)が台頭してきている。ケージなどの実験音楽華やかなりし頃にも、ロマンティックな音楽が書かれなかった訳ではなかったが、決して主流になる事はなく、古典的な調性法に基づいた音楽というだけで無視するに十分な要素だった。そんな時代、米国では既に死に絶えたと決め付けられた「交響曲」を大台に乗る数(もちろんその数は”9”だ)書き続けた作曲家たちを、私は「英雄」と呼びたい。多くの人は、ウィリアム・シューマン(交響曲は10曲)やロイ・ハリス(同13曲+番号なし5曲以上)、ロジャー・セッションズ(同9曲)の名を上げるだろうが(ピストンは8曲)、私はその「英雄」としてピーター・メニン(1923-1983)の名を真っ先に上げたい。もっとも、彼らが金にならない交響曲(ソヴィエトでは書けば書くだけお金をくれたが)を作り続けることが出来たのは、アイヴズのようにちゃんとした「本職」が別にあったからで――メニンは1962年から死ぬまで、シューマンの後任としてジュリアード音楽学校の校長の職にあった――、そういう特別な境遇にいなかった他の数多の作曲家と同列に評価することは出来ないが(例えばバーンスタインは指揮活動が忙しすぎて作曲に集中できなかった)、恵まれた環境にいてもなお、誰に評価される訳でもない「交響曲」を作曲し続けた点は流石だ。本盤には、メニンが最晩年(といっても50代)に書いた最後の二つの交響曲と、2つめと3つめの交響曲の間に書かれ、彼の初期の代表作と云われる《民謡序曲》が余白に収まっている。60歳というと、マーラーでいえば交響曲第10番を書いていた頃だが、メニンの作風は初期から殆ど一貫している。緩徐楽章にはいささか小難しい箇所もあるが、アレグロやプレストはシューマン(ロベルトの方)やブラームスのように快い。メニンの音楽は、本質的にウィリアム・シューマンやセッションズのようにアカデミックで厳しいものではなく、大管弦楽の濃厚な響きを十分に堪能できる。変にジャズやブルースなど、ポピュラー音楽を取り入れたところがないのもいい。《民謡序曲》でも、民謡の主題の扱いは至極慎重で、メニンの音楽の洗練された感覚を全編に漂わせている。Nwe Worldレーベルは、政府や機関から補助金を受けながら、録音を通して実際に作品を演奏した上で米国音楽の有機的な保存に長年取り組むという、非営利な団体が元々の母体である。端から採算など度外視。普通、こういった企画は、東ヨーロッパの三流オケを安く買い叩いて行なうものだ。腐ってもコロンバス響は米国内のフルタイム・オケ。昔、ルイヴィル管が同じようなコンセプトで録音活動をしていたが、どれも酷い演奏だった(たまに良いものもあったけど)。しかしこのディスクは違う。演奏はもちろん、録音も優れている。採算については煩く言わないが、演奏と録音はしっかりしたものにする。それがこのレーベルの拘りだ。今のところ、メニンの作品集をどれか一つ持つとしたら、断然本盤。「面白いオケ曲ないか」と探している人にオススメの一枚。