CD 輸入盤

Sym.5: Maazel / Vpo

マーラー(1860-1911)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
MDK44782
組み枚数
:
1
レーベル
:
フォーマット
:
CD

収録曲   

クラシック曲目

  • Gustav Mahler (1860 - 1911)
    Symphony no 5 in C sharp minor
    演奏者 :

    指揮者 :
    Maazel, Lorin
    楽団  :
    Vienna Philharmonic Orchestra
    • 時代 : Romantic
    • 形式 : Symphony
    • 作曲/編集場所 : 1901-1902, Vienna, Austria
    • 言語 :
    • 時間 : :
    • 録音場所 : , [Studio]

総合評価

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ここには、マゼールはいません。 感動よ、...

投稿日:2023/02/19 (日)

ここには、マゼールはいません。 感動よ、さようなら。 この演奏は素晴らしい、特筆すべき演奏だ。 多くの演奏家に、聴衆は「その人ならではの個性的な解釈」というようなものを期待し、ボルテージの上がる演奏や、磨き抜かれた演奏や、爆音の演奏、細部を強調したり、緩急自在の演奏などを求める。 そして、マゼールの後半生の演奏は、「マゼールはどうしてしまったのか?個性的で隈取りの深い、彼の演奏解釈は蒸発してなくなってしまっているではないか」というような戸惑いと共に語られることが多い。 多くの聴衆には、彼のごく若い頃の演奏のイメージが強く、その後の彼の変貌が上手く受け止められないのである。 それは、通常の演奏では、どうやっても、指揮者の存在を感じることが避けられない。なのに、マゼールの演奏だけは、彼の主張や解釈の存在が希薄である。透明なのである。 ブーレーズの場合と比べれば、ブーレーズは必ず黒板の前に立ち、スコアのあれこれの数学的、楽理的な興味深い諸点について、教授よろしく指摘をしてくれる。 マゼールは?マゼールは一体どこにいるのか?という、マゼールの後半生は、彼が姿を消し、聴衆と音楽、あるいは聴衆とオーケストラしか存在しないという演奏を確立したことが、実は唯一無二の彼にしかできない功績だったのではないだろうか。 この演奏はあたかも個々の演奏家が自由に演奏しているかのようだ。指揮者の指示で演奏する場合、どうしても、指揮者に引きずり回されるかのような微妙なタイミングのずれがあちこちに生じるものだが、この演奏では、「これをこのタイミングで謳わせることを、指揮者が指示してできるものなのだろうか?」というような見事な統率、統率を感じさせない統率!を見せる。 まさに、的もない弓もない、人馬一体の演奏とでもいうべきだろうか。ようやく、私は、長年のマゼールについての疑問を解くことができるようになったように思う。彼独特の解釈は勿論、注意すれば至るところに発見できるのであるが、そうと感じさせない点が、彼の大家であるところだろう。 マゼールはここにはいない。これみよがしの感動も存在しない。

slave さん | 東京都 | 不明

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何よりも、ウィーン・フィルの「歌」が素晴...

投稿日:2019/03/05 (火)

何よりも、ウィーン・フィルの「歌」が素晴らしいです。特に弦楽器の「歌」はこのオケでしか表現できないのではないでしょうか。繊細であるとか、音が綺麗であるとかではなく、ウィーンの人たちの心の中に宿っている「歌(日本で言えば、地方の民謡にあたるかな…)」を上手く引き出して演奏させているマゼールの牽引力と、音楽の健全な解釈の賜物ですね。 名盤として私のコレクションに入れておきます。

nk さん | 東京都 | 不明

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今やこの曲はすっかりポピュラーになって、...

投稿日:2012/01/17 (火)

今やこの曲はすっかりポピュラーになって、一体何種類のCDが出ているのか見当もつかないが、マゼール指揮ヴィーン・フィルの演奏は特筆すべき出来映えであると思う。マーラーが生きた19世紀後半〜20世紀初頭の中欧、ハプスブルク帝国末期の雰囲気を感じさせてくれるからだ。マーラーの音楽は、分離派、ユーゲントシュティール等、当時の芸術様式と分かちがたく結びついており、時代の空気を共有している。マゼールとヴィーン・フィルの演奏は、そのあたりを聴き手に如実に実感させる。マーラーのいくつかの作品の初版で装丁に使われた分離派やユーゲントシュティール様式デザインの音楽版と言ったら語弊があるが、表現がきめ細かく、色彩豊かで洗練されて、適度にモダンだが伝統的な手法も捨てていない。 かつては、練達の管弦楽法を駆使した轟然たる音響ダイナミックスにまず魅力を感じたこともあったが、現在では、総奏部でなく、楽器編成の薄い、いくつかのソロ楽器が室内楽風に音楽を紡いでいく部分こそが聴き所、核心部分であると感じている。楽器が次々に交代しつつ旋律を奏でていく所など、新ヴィーン楽派、特にヴェーベルンの音色旋律に繋がる道が指し示されている。そして、そうした部分におけるヴィーン・フィルの奏者たちの腕前の見事なこと! フルートやクラリネット、ヴァイオリン・ソロ等のちょっと気取った艶やかな一節が、飾りのたくさんついたフェミニンなロングドレスにつばの広い帽子を被り、手には小振りな日傘を携え、小型犬を連れた女性たちが行き交う・・・・といった当時の光景を彷彿とさせ、聴き手をあの時代へといざなう。また、遅めのスケルツォ楽章の3拍子がヴィーン風に訛ってスウィングすると、忽ち舞踏会ムードが醸し出され、マーラーの前半生がヨハン&ヨゼフ・シュトラウスと重なっていたことに気づかされる。ヴィーン・フィルは他の指揮者ともマーラーを演奏し、録音しているが、何故かこういう雰囲気は出てこない。 マゼールも相手がヴィーン・フィルだからこういうアプローチが可能になったのだろう。他のオケならこういう演奏は不可能だったのではないか。 マゼールはマーラーと同じくユダヤ系だったはずだが、血筋の共感から来る思い入れを込めた表現や、濃厚な情念の噴出を期待すると肩すかしを食うかもしれない。しかし、美しい響きのそこここに、第1次世界大戦が勃発して現実のものとなるカタストロフィの予感 が秘められていることを、この演奏は忘れてはいない。 残念ながら、CDの音質に関してはいささか問題がある。録音された時期はデジタル録音の黎明期。録音機器はPCM1610systemと記されているが、この演奏が最初に世に出た時はCDの登場前、第6交響曲とセットで3枚組のLP(とカセットテープ)だったのだ。だから、というわけではあるまいが、特に第5はLP(オランダ製、フィリップスのプレス?)の方が音色のグラデーションが豊富で、上記の演奏の特色は実はLPを聴いてのものだ。CDの方は写真に例えると、明部は白く飛び、暗部は黒く潰れた、暖かみのない硬調なプリントのよう。ヴァイオリンやトランペットの高域は硬く冷ややかで聴き疲れする。だからCDを購入はしたものの、聴くのはもっぱらLPのみという有様。その後、CDは何度か意匠を変えて発売されたが、マスタリングの更新は行われていない様子。メーカーには、新たなマスタリングによる再発売を是非要望したい。

Erdinger さん | 神奈川県 | 不明

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人物・団体紹介

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マーラー(1860-1911)

1860年:オーストリア領ボヘミア、イーグラウ近郊のカリシュト村で、グスタフ・マーラー誕生。 1875年:ウィーン楽友協会音楽院に入学。 1877年:ウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受講。 1883年:カッセル王立劇場の副指揮者に就任。 1885年:『さすらう若人の歌』を完成。プラハのドイツ劇場の

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