CD 輸入盤

交響曲第5番 ラトル&BPO

マーラー(1860-1911)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
5573852
組み枚数
:
1
レーベル
:
Emi
:
Europe
フォーマット
:
CD

商品説明

グスタフ・マーラー:交響曲第5番
サー・サイモン・ラトル 指揮 ベルリン・フィルハーモニー

 初めてサイモン・ラトルの指揮にふれた時の感動は、今でも心に残っている。曲はマーラーの交響曲第2番「復活」であった。
 当時、私が未知の指揮者に寄せていたものは、言うなればただの好奇心にすぎなかった。それだけに、その演奏には大いに戸惑ったものだ。
 一人の人間の曖昧な五感を涙でさっぱりと洗ってしまうような音楽が、そこにはあったのである。彼の指揮に導かれ、私は「復活」という大曲を、本当に、見通せた気がした。
 以来ラトルが手がけたマーラー作品は極力聴くようにしてきたが、そのたびに、彼こそは「マーラー=不可解」とされていた時代に苦闘した偉大な先人達とは全く違う、明快なヴィジョンを持った、現代最高のマーラー指揮者ではないか、という思いを深めていった。
 しかし、そのラトルにも理解に苦しんだ難題があった。交響曲第5番である。
 この作品の構造を把握するまでに、彼は相当の時間を費やしたという。マーラー自身も第5番については、友人メンゲルベルク宛の手紙に「とても、とても難しい曲です」と書いているし、妻アルマ宛には「この作品への評価はまったく千差万別です。どの楽章にもそれぞれの恋人と敵がいます」と書いている。
 そういった作曲家の警告を踏まえた上で、ラトルはスコアと向き合い、機会があればコンサートでも取り上げ、少しずつ理解を深めてゆき、自分なりの解釈を温めてきた。
 そして、ついに機は熟し、理想的な形で、ラトル盤が我々のもとに届けられた。ベルリンフィルの音楽監督としての記念すべき初公演で第5番が演奏され、そのライヴ音源がCD化されたのである。

 これを聴いて、私は胸を突き上げるような感動を覚えると同時に、やはり今回も、この作品のとらえがたい構造をラトルというフィルターを介して見通すことができた。
 彼はベルリンフィルと万全の意志疎通を図り、デュナーミクやフレージングに新たな解釈を加味することで、とめどなく変容し循環する旋律にも、奇抜な構成にも、明確な意味合いをもたせている。
 急所とされる第3楽章の長大なスケルツォ、第5楽章の対位法的なクライマックスがとりわけ素晴らしく仕上がっている点も、いかにもラトルらしい。バーンスタイン盤、テンシュテット盤に充満する深々と胸をおかすような情念の凄味はない代わり、ここには颯爽たる威風、一気呵成の動力がある。作曲時に人生の絶頂期にあったマーラーが気焔を吐いているかのようだ。まさに、これをもってラトル指揮官の時代の幕開けを告げるにふさわしい快演である。 (阿部十三)

収録曲   

クラシック曲目

  • Gustav Mahler (1860 - 1911)
    Symphony no 5 in C sharp minor
    演奏者 :

    指揮者 :
    Rattle, Simon
    楽団  :
    Berlin Philharmonic Orchestra
    • 時代 : Romantic
    • 形式 : Symphony
    • 作曲/編集場所 : 1901-1902, Vienna, Austria
    • 言語 :
    • 時間 : 69:7
    • 録音場所 : 09/10/2002, Philharmonie, Berlin, Germany [Studio]

総合評価

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2ch SACDでの試聴です。バーンスタインに代...

投稿日:2012/06/23 (土)

2ch SACDでの試聴です。バーンスタインに代表されるコテコテのマーラーとは一線を画した、よく言えば垢抜けた、悪く言えば、薄口の、しかし21世紀初頭の名演です。私はバーンスタインで勉強したくちなので、薄口のマーラーは好きではなかったのですが、とにかく、ここまでオケがうまければ脱帽です!オケが一体になって嘆き悦び歌うのではなく、オケの各パートの腕利きの奏者がそれぞれに自分の歌を歌います。そこが、多声的になっていくマーラーの交響曲にぴったりで、分裂して壊れていく音楽、マーラーの精神、そして聴いている私たち自身にぴったりの演奏ではないでしょうか?

かくとしらじ さん | 愛知県 | 不明

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私見、ラトルのマーラーは本来の作曲家の私...

投稿日:2011/10/31 (月)

私見、ラトルのマーラーは本来の作曲家の私小説的な苦悩や心情の吐露をスルーして、音のドラマとして解釈していく。カラヤンやレヴァイン以降のマーラー演奏の流れの延長線上に勿論あるのだが、これはこれで素晴しい一つの世界を構築している。ただし、そこには古典としての理解や解析はあっても、共感や同一化はないわけで、そこが大きな違いだろう。通勤電車などで深刻な重たい気分にならず楽しく聴けるマーラーの一つだ。しかし、ベルリンフィルのレベルの高さは相変わらず感心するのだが、自主性を重んじた響きよりも、カラヤン時代の統一感のある響きに惹かれるのはなぜだろうか。例えば、第3楽章のホルンだと、心なしかシュテファン・ドールより、カラヤン盤のゲルト・ザイフェルトの方が巧く聴こえるのだが。

eroicka さん | 不明 | 不明

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EMIがフルトヴェングラーの一連の歴史的...

投稿日:2011/09/23 (金)

EMIがフルトヴェングラーの一連の歴史的な名演やアルゲリッチの名演のSACD化を相次いで行っているのは、今年のクラシック音楽界における大きな快挙の一つであると言えるが、EMIはついにラトルの一連の録音のSACD化を開始することになったのは実に素晴らしいことであると言える。SACD化を行うにあたって選ばれた演奏については首をかしげざるを得ないものも含まれてはいるが、ネット配信によってパッケージメディアの権威が大きく揺らいでいる中でのEMIのこのような果敢なSACD化への取組は、SACDの生みの親でありながら近年では消極的な姿勢に終始しているソニー・クラシカルの体たらくを考えると、高く評価したいと考える。本盤におさめられたマーラーの交響曲第5番は、ラトルがベルリン・フィルの芸術監督就任を記念して行ったコンサートのライヴ録音である。私は、本演奏について、ラトルの他の演奏のレビューを投稿する際に芳しくない評価を記し続けてきたが、今般のSACD盤を聴いてもその印象はさほど変わらなかったと言わざるを得ない。そうなった理由はいくつかあるが、やはりラトルの気負いによるところが大きいのではないだろうか。ベルリン・フィルの芸術監督という、フルトヴェングラーやカラヤンと言った歴史的な大指揮者が累代に渡ってつとめてきた最高峰の地位についたラトルにしてみれば、肩に力が入るのは当然であるとは言えるが、それにしてはラトルの意欲だけが空回りしているような気がしてならないのだ。ベルリン・フィルの猛者たちも、新芸術監督である若きラトルの指揮に必死でついていこうとしているようにも思われるが、ラトルとの息が今一つ合っていないように思われる。そうした指揮者とオーケストラとの微妙なズレが、本演奏にいささか根源的な力強さを欠いていたり、はたまた内容の濃さを欠いていたりすることに繋がっているのだと考えられるところだ。もちろん、ベルリン・フィルの芸術監督に就任したばかりの若きラトルに過大なものを要求すること自体が酷であるとも言える。ラトルは現在、マーラーイヤーを記念してマーラーチクルスを開始しており、本年2月に発売された交響曲第2番など圧倒的な名演を成し遂げているところである。したがって、現在の円熟のラトルが、ベルリン・フィルを指揮して交響曲第5番を再録音すれば、おそらくは本演奏を凌駕する圧倒的な名演を期待できるのではないかと考えられるところであり、今後はそれを大いに期待したいと考える。それにしても、本SACD盤の音質はとてつもなく鮮明なものだ。本盤については、既にHQCD盤が発売されているが全く問題にならない。あらためて、SACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、本盤の評価については、ラトルの演奏に対しては★2つであるが、SACDによる高音質化を考慮して★3つの評価とさせていただくこととしたい。

つよしくん さん | 東京都 | 不明

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人物・団体紹介

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マーラー(1860-1911)

1860年:オーストリア領ボヘミア、イーグラウ近郊のカリシュト村で、グスタフ・マーラー誕生。 1875年:ウィーン楽友協会音楽院に入学。 1877年:ウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受講。 1883年:カッセル王立劇場の副指揮者に就任。 1885年:『さすらう若人の歌』を完成。プラハのドイツ劇場の

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