ベーラ・バラージュ

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視覚的人間 映画のドラマツルギー

ベーラ・バラージュ

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784003355718
ISBN 10 : 4003355717
フォーマット
出版社
発行年月
1986年12月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
212p;15

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読書メーターレビュー

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  • しゅん さん

    1924年というめちゃんこ早い時期に刊行された映画論の古典。小説による言葉での描写が人間存在を規定していく時代において、映画は目に見える人間、「視覚的人間」を生み出す。日常的には確かめられない人間の様相の観察を、クローズアップという技術が可能にした。映画は新しい娯楽であるだけでなく、人間が人間を理解するための新しい芸術的装置なのだ。映画における演技論などには今読むと素朴に感じる部分もあるが、映画の構造と社会的意味のエッセンスを早々に示した名著だろう。今の映画文化があるのはこの本のおかげかもしれない。

  • ラウリスタ〜 さん

    白黒の無声映画の時代に書かれた映画擁護論。映画は演劇や小説の劣化版ではなく新たな芸術ジャンルだと主張。優れた文学作品の映画化が必ず失敗する理由についての考察が面白い。また映画では、台詞は音としてではなく、表情として理解される(無声なので)。そのため、音の響きに特化した演劇の発声と映画の発声はまったく異なる。そのほか、BGMの効用など(無声映画ではBGMでも流し続けないと、無言で観衆がじっとしていることになりなんだか奇妙すぎる。)面白い。古い映画論ゆえに、映画の本質を考えさせられる。

  • niam さん

    題名にもなっている「視覚的人間」とは、「可視的人間」というほどの意味。初期の無声映画の段階において人間が言葉から解き放たれた時点での、身振りと表情という言語を用いた芸術の原理と可能性を突き詰めた論考。「身振りは今や伴奏ではなく、形式や表現でもなく、唯一の内容なのだ」。映像でしか表現できない次元を考察しつつ、決して映像至上主義に陥らない柔軟な筆致は、今読んでも新鮮なひらめきを与えてくれる。むしろ映像の氾濫する今こそ、原点に返ることで見えてくる光景もあるのではないか。

  • 南禅寺の小僧 さん

    映画のバイブル。「私はあなた方が映画の良否を誤った尺度で測り、映画とは根本的に異なる別の諸芸術の基準を映画に適用しているのではないかとおそれる(17頁)」、「彼の身振りはもともと概念を意味しないで直接彼の非合理的自我を意味する。彼の顔の上や動きの中に表現されるものは、言葉がけっして明らかにしえないような魂の層から出てくるのだ。ここで精神は直接肉体となり、言葉を発しなくなり、可視的になる(28頁)」「映像には現在形しかない」

  • 肉欲棒太郎 さん

    序言の「理論は、芸術の旅人のための地図である」との言に感銘受ける。「映画は〈表面芸術〉であり、そこでは〈内なるものが外にある〉。」言葉(概念)の文化から、視覚の文化への転換。映画論に留まらず、身体論、観相論、美学論などに至るまで、本書に関わるテーマは幅広い。名著。

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