CD 輸入盤

Beethoven Unknown〜知られざるベートーヴェン(9CD)

ベートーヴェン(1770-1827)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
BC0301352
組み枚数
:
9
レーベル
:
:
Germany
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明

知られざるベートーヴェン(9CD)


2003年に発売されたボックスがプライス・ダウン&新装丁で復活。少年期から晩年に至るまで、ベートーヴェンの珍しい作品を中心に、作曲動機が意外なものや出版までの過程が複雑なものも含む内容。音源は東ドイツ時代の響きの豊かなステレオ録音が中心で、ベートーヴェン好きにとってはたいへん面白い内容のセットとなっています。

Disc1 作曲家自身による別ヴァージョン

ベートーヴェンの時代は、演奏機会を増やす目的で編曲が広くおこなわれており、ベートーヴェン自身もいくつかの作品を編曲。ここではヴァイオリン協奏曲のピアノ協奏曲ヴァージョンと、ピアノ・ソナタ第9番の弦楽四重奏曲ヴァージョンを収録。楽器の移し替えに留まらない創意工夫の盛り込まれた編曲を聴くことができます。

ピアノ協奏曲ニ長調(原曲:ヴァイオリン協奏曲ニ長調)
●ピアノ協奏曲 ニ長調 Op.61a
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.61のピアノ・ヴァージョンは、クレメンティ[1752-1832]の依頼によって1807年に作曲。
 クレメンティは14歳から亡くなるまでの66年間をイギリス人として過ごした作曲家・ピアニスト・指揮者・教育者・楽譜出版者・ピアノ製作者で、ロンドン・フィルハーモニック協会(第九の作曲依頼をしたところ。現ロイヤル・フィルハーモニック協会)も設立。
 モーツァルトやベートーヴェンに影響を与えた人物でもあり、そのピアノ・ソナタ Op.24-2の主題が『魔笛』序曲に使われたり、ピアノ・ソナタ Op.34-2が、後年のベートーヴェンの交響曲第5番に似ていることでも有名。
 編曲を依頼された1807年は、クレメンティがベートーヴェンの全作品のイギリスでの出版権を得た年でもあり、ピアノ音楽の総合的な普及に尽力していたクレメンティのためにおこなったベートーヴェンの編曲は、カデンツァにティンパニを導入したり、左手も単なる旋律補佐に留まらないという手の込んだ仕上がり。また、この編曲を機に、元のヴァイオリン協奏曲にも手を加えるなどしていました(現行版)。

ピアノ独奏のアマデウス・ヴェーバージンケ[1920-2005]は、オーストリア=ハンガリー帝国崩壊後、チェコスロヴァキア領となったボヘミア北部のブロウモフに誕生。ブロウモフはドイツ人の多く居住する山間の小さな町で、帝国時代のドイツ語名はブラウナウ。ヴェーバージンケは生地近くで基礎教育を受けたのち、ドイツによるチェコ支配の本格化により、17歳でライプツィヒ音楽院に進学、カール・シュトラウベ[1873-1950]にオルガンを師事、オットー・ヴァインライヒらに教会音楽を師事して1940年に教会音楽家の資格を取得。戦時中だったため同年より、上級兵長として出征、約5年間軍務に就きます。戦後はオルガニストとして働く一方、1946年よりライプツィヒ音楽院で教職に就き、1950年にはバッハ国際コンクールのオルガン部門でカール・リヒターと共に第1位を獲得。1953年にライプツィヒ音楽院教授に就任し、以後は主に、ピアニスト、ピアノ科教授として活動。1966年にはドレスデン音楽大学教授に就任。
 1971年3月、クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との共演でレコーディングされたこの演奏は、ヴェーバージンケのクリアなピアノが印象的な仕上がりとなっています。

アマデウス・ヴェーバージンケ(ピアノ)
ゲヴァントハウス管弦楽団
クルト・マズア(指揮)
録音:1971年3月、ライプツィヒ、贖罪教会


ピアノ・ソナタ第9番とその弦楽四重奏ヴァージョン
●ピアノ・ソナタ第9番
第8番『悲愴』のあと、1798年に作曲され、続いて書かれた第10番と共に1799年にモッロ社より出版。両曲とも宮廷劇場支配人の妻であるヨゼフィーネ・フォン・ブラウンに献呈。ちなみに12月21日のウィーン新聞での出版広告の3日前には、秋にホフマイスター社から出版済みの『悲愴』の広告が出稿されていました。

●弦楽四重奏用ヘ長調
ピアノ・ソナタ第9番ホ長調の編曲作品。1801年に最初の6つの弦楽四重奏曲集が分冊出版されたあと、1801〜2年頃に「非常に乞われたため」編曲。ピアノ・ソナタと同じくブラウン男爵夫人に献呈。
 ヨゼフィーネ・フォン・ブラウンの夫であるペーター・フォン・ブラウン男爵は、絹織物の工場経営で成功し、宮廷に融資する立場となって爵位を取得、その後、宮廷劇場の支配人となった人物で、当時、アン・デア・ウィーン劇場とブルク劇場の両方で実権を掌握。劇場出演者に対して大きな影響力を持っていました。

ここでは原曲ソナタを、ドイツのピアニスト、ディーター・ツェヒリン[1926-2012]の演奏で、編曲された弦楽四重奏曲を、ズスケ四重奏団の演奏で収録。
 ツェヒリンのかっちりした演奏は、ピアノ・ソナタ第9番の各楽章に見られる4声部的な扱いなど独特の性格も際立たせ、一方でズスケ四重奏団は、半音上げてヘ長調に編曲された弦楽四重奏曲ヴァージョンをのびやかに美しく演奏しているため、両社の違いも際立っています。どちらも両アーティストのピアノ・ソナタ全集、弦楽四重奏曲全集録音に含まれる音源。

ディーター・ツェヒリンは、1926年10月30日にドイツ中部(のちの西ドイツ中部)のゴスラ―に誕生。8歳からピアノを弾き始め、1941年からライプツィヒ音楽院でオットー・ヴァインライヒらに師事。1943年に兵役で出征して、前線で左手に重傷を負うものの回復。1945年からチューリンゲン音楽院でピアノをフランツ・ユングに師事し、1946年から1948年までヴァイマール・フランツ・リスト音楽院でカール・ヴァイスらに師事。在学中の1947年、ヴァイマール独奏者賞、卒業後の1949年にリスト賞、1950年にはライプツィヒのバッハ国際コンクールで特別賞を受賞。1948年から1949年までヴァイマール・フランツ・リスト音楽院で助手を務め、1951年からベルリンのハンス・アイスラー音楽大学で教職に就き、1959年に教授に昇進、1971年には学長に就任。その間、1959年に東ドイツ芸術賞、1961年に東ドイツ国家賞、1966年にツヴィッカウのロベルト・シューマン賞を受賞。


ズスケ四重奏団は、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターだったカール・ズスケ[1934- ]が、ベルリン国立歌劇場管弦楽団の第1コンサートマスター時代の1965年に結成したカルテットで、のちにベルリン弦楽四重奏団と改名。


Disc2 アリア&重唱集

ベートーヴェンが若かった頃は、劇場音楽はイタリア語によるものが好まれており、その後、ドイツ語によるものが台頭、やがてイタリア語派とドイツ語派の争いにサリエリ[1750-1825]が巻き込まれて、モーツァルト暗殺説というフェイク・ニュースを新聞などで流布されるというような状況になります(約160年後には、サリエリが精神病院にいたなどというオプションも追加したやりたい放題映画『アマデウス』が北米だけで5千万ドルを超える興行収入を獲得。フェイク・ニュース御利益おそるべしです)。
 ベートーヴェンも当初はイタリア語で作曲、ほどなくドイツ語でも作曲するようになりますが、ウィーンに転居するとイタリア語に付曲する技術の指導を受けるためにサリエリのもとに通ったりしています。
 しかし2年後の1805年には、ブラウン男爵の采配で『レオノーラ』のドイツ語台本でオペラ『レオノーレ』を完成、初演は似た名前のほかの作品との混同を避けるため主人公の名前の『フィデリオ』としておこなわれますが、聴衆の大半がフランス軍兵士だったこともあり失敗。ベートーヴェンはこの失敗を受けて『レオノーレ』第2稿を作曲し、同じく『フィデリオ』として翌1806年に上演し、今度は成功するものの金銭トラブルにより上演は2度で終了。その後、ベートーヴェンの人気上昇に伴い、複数の再演要求があったため、ベートーヴェンは、台本改訂を条件に承諾し、1814年、改訂稿『フィデリオ』を作曲。耳疾患の進行にもかかわらず自身で指揮をして同年5月に初演して大成功し、続々と再演も決定。
 その後、ベートーヴェンはオペラ全曲を書くことはありませんでしたが、翌1815年年夏には、『フィデリオ』の共同台本執筆者でもあったゲオルク・フリードリヒ・トライチュケ[1776∼1842]の台本によるジングシュピール『凱旋門』のためのフィナーレを作曲。『凱旋門』は、6人の作曲家に作曲を依頼し、マカベウスのユダの素材も用いたパスティッチョでもあったという作品(Disc4トラック16に収録)。
 なお、『フィデリオ』初演時や第九初演時にベートーヴェンの指揮の補佐をしていたのは、指揮者・作曲家のミヒャエル・ウムラウフ[1781-1842]で、50人の作曲家によるディアベッリ変奏曲では第44変奏曲を担当していた人物でもあります。
 ベートーヴェンは24歳の時、彼の父イグナーツ・ウムラウフ[1746-1796]のジングシュピール『美しい靴屋の娘』のために2つのアリアを作曲(トラック8と9)。
 ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団のヴィオラ奏者だったイグナーツ・ウムラウフは、サリエリから指導を受けて作曲家・指揮者に転身、サリエリの片腕ともいえる存在になっていた人物ですが、49歳の若さで亡くなっていました。

イタリア語アリアと重唱
●シェーナとアリア『ああ、不実なる人よ』 Op.65
1796年3月完成。ソプラノ独唱。イタリア語。プラハで知り合ったでヨゼフィーネ・フォン・クラーリ=アルドゥリンゲン伯爵令嬢のために作曲され筆写譜では同令嬢に捧ぐと記されていたものの、11月の初演(ライプツィヒ)では、ヨーゼファ・ドゥシェク夫人が歌い演奏会新聞広告でもドゥシェク夫人のための作曲と記載。出版は1805年7月で献呈は無し。迫力ある筆致により演奏機会も多い25歳のときの傑作。

●ソプラノのためのシェーナとアリア『初恋』 WoO.92
1792年完成。ソプラノ独唱。イタリア語。ボンの国民劇場のソプラノ歌手、マグダレーナ・ヴィルマンのために作曲。

●ソプラノのためのシェーナとアリア『いいえ、心配しないで』 WoO.92a
1802年冬完成。ソプラノ独唱。イタリア語。前年頃からサリエリにイタリア語テキストへの付曲方法を教わりに行った際に指導を受けて書いた作品。

●二重唱『お前の幸福な日々に』 WoO.93
1803年完成。ソプラノ、テノールの二重唱。イタリア語。メタスタージオ台本のオペラ『オリンピアーデ』第1幕終曲への二重唱曲。

●三重唱『不信心な者よ、おののけ』 Op.116
1803年完成。ソプラノ、テノール、バスの三重唱。イタリア語。モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』の影響や、後年の交響曲第5番第4楽章を思わせる部分もある作品。初演の機会が2度ほど中止になり、11年後の1814年に初演。

ドイツ語アリア
●アリア『接吻への試み』 WoO.89
1792年夏完成。バス独唱。ドイツ語。ボンの国民劇場のバス歌手、ヨーゼフ・ルックスのために作曲。

●アリア『娘たちと仲良くして WoO.90
1792年秋完成。バス独唱。ドイツ語。ボンの国民劇場のバス歌手、ヨーゼフ・ルックスのために作曲。

●ウムラウフの『美しい靴屋の娘』への2つのアリア WoO.91〜第1番「おお、何たる人生」
1795年完成。テノール独唱。ドイツ語。イグナーツ・ウムラウフ[1746-1796]のジングシュピール『美しい靴屋の娘』のために書かれたアリア。

●ウムラウフの『美しい靴屋の娘』への2つのアリア WoO.91〜第2番「靴がきついのがお嫌なら」
1795年完成。ソプラノ独唱。ドイツ語。イグナーツ・ウムラウフ[1746-1796]のジングシュピール『美しい靴屋の娘』のために書かれたアリア。

ハンネローレ・クーゼ(ソプラノ)
エーベルハルト・ビュヒナー(テノール)
ジークフリート・フォーゲル(バス)
シュターツカペレ・ベルリン
アルトゥール・アペルト(指揮)


Disc3 舞曲集

いろいろな機会に書かれた小さな舞曲の曲集を集めたもの。室内オーケストラや室内楽で供された音楽で、中には交響曲第3番に使用された素材もあったりします。

コントルダンス
●12のコントルダンス WoO.14
1790〜1802年頃に作曲。いろいろな時期に書かれたコントルダンスを集めた曲集で、第5曲と第7曲は後年の交響曲第3番第4楽章に似た素材が使われています。ちなみに第7曲の素材は前年の『プロメテウスの創造物』で書かれていたもので、『エロイカ変奏曲』にも使用されています。

ベルリン室内管弦楽団
ヘルムート・コッホ(指揮)

メヌエット室内楽版
●6つのメヌエット WoO.9
1799年頃に完成。1792年という説も。

カール・ズスケ(ヴァイオリン)
クラウス・ペータース(ヴァイオリン)
マティアス・プフェンダー(チェロ)

オーストリアとドイツの舞曲
●11のウィーン舞曲『メートリング舞曲』 WoO.17
最近では偽作説もありますが、明確な根拠は示されていないようです。

●6つのレントラー WoO.15
1802年完成。舞踏会で演奏。

●12のドイツ舞曲 WoO.8
1795年完成。無償作曲。交響曲第3番や第8番を思わせる素材もあったりします。

ベルリン室内管弦楽団
ヘルムート・コッホ(指揮)


Disc4 オラトリオ、カンタータほか

『オリーブ山上のキリスト』は、『フィデリオ』の直前に書かれた作品で、迫力ある合唱部分は以前から抜粋してとりあげられるなど人気がありましたが、独唱、重唱部分も、オラトリオだけにドラマティックな進行となっていて、戦乱の世に書かれた作品としての高揚感は宗教ドラマの面白さも伝えています。ヘルムート・コッホ指揮による有名な演奏で楽しめます。
 続く『凱旋門』のフィナーレ「成就せり」は、フィデリオの台本作者でもあるトライチュケが、『フィデリオ』成功後に6人の作曲家に付曲を依頼した作品の中のベートーヴェンの担当部分。フォーゲルの歌唱を支えるオケとコーラスを率いるのは、世界大恐慌で指揮者に転身したベルリン国立歌劇場のベテラン指揮者アペルトです。
 カンタータ『静かな海と楽しい航海』は声楽界では有名曲ですが、『運命』や『田園』に較べれば「知られざる」ということでここに収められたのでしょうか。ヘルムート・コッホによる有名な演奏で収録。
 奉献歌『炎は燃え』は、弟ヨハンへの借金問題のおかげか、出版交渉で紆余曲折あり、結果的にオーケストラ伴奏の非常に美しい仕上がりとなった作品。

オラトリオ
●『オリーブ山上のキリスト』 Op.85
1803年2〜3月に作曲(第1稿)。同年4月、交響曲第2番、ピアノ協奏曲第3番とともに初演。交響曲第1番の再演も含む長大な演奏会で、自分の作品だけでまとめた初めてのコンサートでもありました。
 1803年夏の2度の再演を経て11月より改訂に着手し、翌1804年に最初の改訂稿が完成、3月に上演(第2稿)。
 1804年8月には、『オリーブ山上のキリスト』と交響曲第3番『英雄』、三重協奏曲、ピアノ・ソナタ第21番『ヴァルトシュタイン』、第22番、第23番『熱情』の6作品をまとめて2,000グルデンという高額でブライトコップ&ヘルテルと交渉を開始するものの翌1805年夏に破談。翌1806年夏に再び同社と、交響曲第3番『英雄』、ピアノ協奏曲第4番、弦楽四重奏曲集『ラズモフスキー・セット』、オペラ『レオノーレ』とのセットで交渉するもののまたも決裂。
 1809年には同社と、『レオノーレ』、ミサ曲ハ長調と3曲セットで250グルデンで交渉してのちに進展。同年4月より改訂作業に入り9月に完成。同年12月上演(第3稿)。
 1811年2月から8月にかけて最終改訂(第4稿)。10月にブライトコップ&ヘルテル社より出版。最終的な完成に至るまで8年を要しています。1813年4月には尼僧たちによる慈善演奏会でも成功。同年にはロンドンで英語版ヴォーカル・スコアも出版。翌1814年2月にはイギリス初演。1815年のクリスマスには『静かな海と楽しい航海』ほかと共に慈善演奏会で上演。以後、ベートーヴェンの存命中にエディンバラ音楽祭をはじめとして複数回上演されており、特に人気のあった合唱部分は通常のコンサートでも何度もとりあげられていました。また、1825年4月にはリコルディ社からイタリア語版スコアが出版され、1827年9月にはパリのファランク社から同じくイタリア語版のスコアが出版されています。

 前年に「ハイリゲンシュタットの遺書」によって心の区切りをつけたベートーヴェンは、1803年初頭からアン・デア・ウィーン劇場の中に専用の居室を用意され、秘書でもあった弟カールと同居、文字通りの劇場生活を送ることとなり、劇場からの様々な刺激を受けることになります。
 ドイツ語によるオラトリオ『オリーブ山上のキリスト』は、そうした環境で書かれた作品のひとつで、死について語るキリストの部分が、作曲時期的に「ハイリゲンシュタットの遺書」をイメージさせたりはするものの、音楽の主眼はむしろ兵士によるキリストの追跡・逮捕・磔刑といったドラマティックな流れにあるともいえ、翌年から書き始められる『フィデリオ』との共通点もよく指摘されるところです。
 そのベートーヴェンならではのヒューマニズムの発露、直線的ダイナミズムやフーガが醸し出す魅力にはかなりのものがあり、いくつかのナンバーが、合唱コンサートでよく取り上げられるという事情にも十分にうなずけます。それらの中には、のちのヴェーバーの『魔弾の射手』の合唱を思わせるものもあり(トラック12)、前年に遺書を書いて孤独や苦悩・詠嘆といった深刻なストレスを発散したベートーヴェンの前向きな姿勢、あふれ出るパワーが投影されたものと見ることも可能。
 作品のストーリーも明確で、大意は以下のような感じです。
「最後の晩餐」のあと、自身が捕えられ処刑されることを悟ったイエスが、十字架にかけられる前にオリーブ山(ゲッセマネの丘)に使徒たちと登って苦悩を語り、神に祈りを捧げます。イエスはそこで兵士たちに捕まり、十字架に架けられる、というもので、イエス(テノール)のほか、天使セラフィム(ソプラノ)、ペテロ(バリトン)と、兵士たちと使徒たち(合唱)が登場。

トラック1:序奏
トラック2:レツィタティーヴォ(イエス)
トラック3:アリア(イエス)
人間の罪ゆえに、その贖ないのために死ななければならないと悟ったイエスは、オリーブ山上で、苦悩と恐怖から救いを求めて神に祈りを捧げます。

トラック4:レツィタティーヴォ(セラフィム)
トラック5:アリア(セラフィム)
トラック6:天使の合唱(セラフィム、合唱)
天使セラフィムが、「自らの死によって人間の罪を贖なうイエスに祝福を。その血を汚す者には呪いを。」と歌い、天使たちの合唱へと発展します。

トラック7:レツィタティーヴォ(イエス、セラフィム)
トラック8:二重唱(イエス、セラフィム)
神がイエスに与える死について、イエスとセラフィムは語り合います。最後にイエスは死の恐怖を克服し、2人で愛の偉大さを歌います。

トラック9:レツィタティーヴォ(イエス)
トラック10:兵士の合唱(合唱)
イエスが死を迎える決心を語っていると、彼を捕えるために現れた兵士の合唱が始まります。

トラック11:レツィタティーヴォ(イエス)
トラック12:兵士と使徒の合唱(合唱)
イエスは「苦しみよ、早く終わってくれ。」と神に祈ります。迫り来る兵士たちと恐れおののく弟子たちの合唱。

トラック13:レツィタティーヴォ(イエス、ペテロ)
トラック14:三重唱(セラフィム、イエス、ペテロ)
トラック15:兵士と使徒の合唱(イエス、合唱)
迫り来る兵士たちに対してペテロは剣を抜いて立ち向かおうとしますが、イエスはそれを制止。三重唱では、敵や隣人への愛が歌われ、最後に合唱が神の子イエスを讃えようと歌って終ります。

ヨージェフ・レーティ(テノール、イエス)
シルヴィア・ゲスティ(ソプラノ、セラフィム)
ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(バス、ペテロ)
ベルリン放送合唱団
ベルリン放送交響楽団
ヘルムート・コッホ(指揮)
録音:1970年10月28日、東ベルリン


ジングシュピール
●『凱旋門』のフィナーレ「成就せり」 WoO.97
1815年夏に作曲。『フィデリオ』の共同台本執筆者でもあったゲオルク・フリードリヒ・トライチュケ[1776∼1842]の台本によるジングシュピール『凱旋門』は、6人の作曲家に作曲を依頼し、マカベウスのユダの素材も用いたパスティッチョでもあったという作品。ベートーヴェンはフィナーレを担当。

アルトゥール・アペルト(アーペルトとも)[1907-1993]はドレスデン近郊の山間の町アイバウの出身。幼少期から楽才を発揮しますが銀行員となり、ほどなく世界大恐慌のため失業。その後、ドレスデンで指揮を学び、ゲッティンゲン、アウシヒ、トロッパウ、ギーセン、ヴッパータールなどで指揮、1955年にはヴィースバーデン州立劇場音楽監督に就任。その後、ベルリン国立歌劇場でも長く指揮をしたほか、ブダペスト、ローザンヌ、フィレンツェなどにも客演。引退後は故郷のアイバウに戻り、山暮らしを楽しんでいたということです。

ジークフリート・フォーゲル(バス)
ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
シュターツカペレ・ベルリン
アルトゥール・アペルト(指揮)


カンタータ
●『静かな海と楽しい航海』 Op.112
1815年完成。ゲーテの詩に付曲した作品で、合唱好きにはおなじみの傑作。出版は7年後の1822年。その翌年の2月、ベートーヴェンはゲーテに宛てて感想を訊きたいような手紙を書いています。ちなみにこの年のゲーテは2年前に恋した19歳の少女(出会った当時は17歳、ゲーテ72歳)に求婚して断られ、その失恋から『マリーエンバートの悲歌』を書くというパワフルな状態にありました。ゲーテはその少し前にも別の少女と恋愛沙汰の問題を起こしていたので、かなりお盛んな人物であったことは確かなようです。

ベルリン放送合唱団
ベルリン放送交響楽団
ヘルムート・コッホ(指揮)
録音:1969年6月、東ベルリン、イエス・キリスト教会

●奉献歌『炎は燃え』 Op.121b(第2稿)
1822年、室内編成の初版が完成。当時ベートーヴェンは、弟ヨハンへの借金が膨らんでいたため、この曲を含む小品群の所有権をヨハンに移譲したうえで、ペータース社に小品群の手書き譜を送付するものの、困惑したペータース社から1823年3月に返品の連絡。1824年2月には、作曲契約を申し出てきたライプツィヒの新興出版社プロプスト社に対し、こ曲を含む小品群の出版を前提条件として交渉し、前金を取得。その間、1824年4月の再演を経てショット社が同年11月にこの曲の出版を承諾。これを受けてベートーヴェンは改訂作業に入り1825年1月にオーケストラ伴奏の第2稿を完成。同月、すでに前金を受け取っていたプロプスト社に対し、他社と約束してしまったため代替作品の作曲提案をするものの破談となり、1825年7月ショット社より出版。同年10月には第2稿の初演がおこなわれ、1826年2月には再演もおこなわれています。
 初版ではソプラノ、アルト、テノール、合唱、クラリネット、ホルン、ヴィオラ、チェロだった編成が、ソプラノ、合唱、オーケストラに変更。いろいろあった作品ですが、『アデライーデ』でも付曲していた詩人フリードリヒ・フォン・マティソン[1761-1831]のテキストを用いた音楽は、平明で親しみやすく美しい仕上がり。

インゲボルグ・シュプリンガー(メゾ・ソプラノ)
ベルリン放送合唱団
ベルリン放送交響楽団
ヘルムート・コッホ(指揮)
録音:1969年6月、東ベルリン、イエス・キリスト教会




Disc5 ピアノ協奏曲変ホ長調、騎士バレエ

Disc5の目玉はピアノ協奏曲変ホ長調。ベートーヴェンが13歳の時、宮廷オルガニストの助手として、無給ながら宮廷楽士でもあった時期の作品。番号無し作品の研究で名を上げたヴィリー・ヘスが、若き日に作成した補筆完成版を、ペーター・ギュルケが補強したヴァージョンによる立派な演奏です。

メヌエット
●12のメヌエット WoO.7
1795年完成。「12のドイツ舞曲(WoO.8)」と同時期に無償で作曲。1797年に第2稿完成。祝祭的な華やかな気分に加え、ホルンやクラリネットの活躍も印象的。

●祝賀メヌエット変ホ長調 WoO.3
1822年完成。同年11月、劇場監督でもあるヘンスラー邸の窓の下でのセレナーデ演奏に供するため作曲。

ワイマール・シュターツカペレ
フリーデマン・ベッツェル(指揮)

協奏曲
●ピアノ協奏曲変ホ長調 WoO.4
1784年、ベートーヴェン13歳のときの作曲で未完。遺された楽譜の状態は、ピアノ独奏部分は完成しているものの、管弦楽部分はピアノ譜で部分的に書かれているだけなので、演奏にあたっては大幅な補筆完成が不可欠。
 ここでは、後年、Hess番号で知られることになるスイスのヴィリー・ヘス[1906-1997]が若い頃に補筆完成したヴァージョンを基本的に使用しています。
 この作品の手稿譜は、1901年にベルリンの図書館の収蔵品となっていますが、ヘスはチューリヒ音楽院を卒業後、ベルリンで学んでおり、その際に接触した可能性があります。
 ヘスはまず1934年に第3楽章をオーケストレーションし、1943年に残りを完成。当時のヘスはヴィンタートゥール市立管弦楽団のファゴット奏者でしたが(定年まで在職)、その時代のドイツ政府にとってベートーヴェンは国威発揚音楽として最大級の扱われ方をしていたため、編曲完成から間もなく、首都ベルリンに隣接するポツダムで開催されたフェスティヴァルでエトヴィン・フィッシャーによって初演される運びとなります。
 この成功により、ヘスはオーケストラ奏者を続けながらベートーヴェン研究に打ち込むことになり、やがて番号無しの作品を明確に整理するためHess番号を考案、1951年より発表していました。
 ピアノ独奏のエーファ・アンダーは、1928年ドレスデン生まれのドイツの女性ピアニスト(2004年死去)。ドレスデン音楽アカデミー卒業後、ドレスデン・フィルやシュターツカペレ・ドレスデンと共演するなど演奏活動をおこなう一方、ベルリンのハンス・アイスラー大学で教職に就くなどし、1963年からはドレスデンのカール・マリア・フォン・ヴェーバー音楽大学でピアノを教え始め、1972年に教授に昇進、1989年に退職。以後はフリーランスでベルリンやドレスデンで教育活動、ピアノ演奏に従事。夫はピアニストのルドルフ・ドゥンケル[1922-1995]で、夫妻で4手ピアノコンサートなども開催。
 指揮のペーター・ギュルケは、1934年ワイマール生まれのドイツの指揮者・音楽学者。ワイマール音楽大学、ライプツィヒ大学、イェーナ大学に学んで博士号を取得、ライプツィヒ大学での教職、ルドルシュタット劇場、アルトマルク劇場、ドレスデン国立歌劇場、ドレスデン音楽大学などを経て、1980年からハーヴァード大学客員教授を務め、1981年にワイマール国立劇場の音楽監督に就任。1984年にベルリン工科大学で教授資格論文が通るなど、非常に優秀な頭脳の持ち主。
 ギュルケといえばベートーヴェンの交響曲第5番ギュルケ版での第3楽章が印象的ですが、ここでも少々薄味のヘス版を巧みにフォローして立派な演奏を聴かせています。

エーファ・アンダー(ピアノ)
ベルリン室内管弦楽団
ペーター・ギュルケ(指揮)
録音:1976年11月、東ベルリン、イエス・キリスト教会




バレエ
●騎士バレエのための音楽 WoO.1
1791年に完成。同年3月にボンの舞踏会場でヴァルトシュタイン伯爵の作品として初演。実際の舞踏会上での使用を前提にしたためか、行進曲、狩り、愛、戦い、酒宴といった曲を「ドイツの歌」が繰り返し登場して繋いでいくというロンド形式的な作品。

シュターツカペレ・ベルリン
ギュンター・ヘルビヒ(指揮)
録音:1971年8月、東ベルリン、DEFAスタジオ


Disc6 カノン集、アイルランド民謡編曲集

ベートーヴェンが数多く書いたカノン音楽による戯れは、数十秒から長くても4分ほどという小さな作品群。友人たちとの交流から生まれたユーモアたっぷりで警句もたっぷり、ときには非常に美しいといった内容で、ここではピアノ曲や器楽曲のカノンなども途中に挿入して変化を与えています。
アイルランド民謡編曲集は、スコットランドものやウェールズものと合わせて大がかりに取り組んだシリーズで、元の魅力的な旋律を引き立たせる効果的なアレンジが施されています。


カノン、音楽による戯れ
●『シュッパンツィクはならずもの〜太った人を讃えて』 WoO.100
●『ろばの中のろば』 Hess.277
●『親愛なる伯爵さま、親愛なる羊さま』 WoO.101
●『伯爵様、おたずねします』 Hess.276
●『最上の伯爵殿、貴殿は羊!』 WoO.183
●『そうあらねばならぬ』 WoO.196
●カノン ト長調 Hess.274
●『作品が出来上がった、金を調達しろ』 WoO.19
●『信じて望めよ』 WoO.174
●『ホフマンよ、決しておべっか者になるなかれ』 WoO.180
●アングレーゼ ニ長調 Hess.61
●『修道僧の歌』 WoO.104
●『博士、お訪ねしました』 WoO.190
●『修道院長殿、私は病気です』 WoO.178
●『苦しみは短く、喜びは永し』 WoO.163
●『死んでもいい、断じて違う』 WoO.173
●『神は堅きやぐら』 WoO.188
●『聖ペテロは岩なりき、ベルナルドゥスは聖なりき』 WoO.175
●『美徳とは空虚な名目ではない』 WoO.181c
●『人は高貴で、慈悲深く善良であれ』 WoO.185
●『親愛なる市参事会員殿、あなたは寒がる』 WoO.177
●『うすら寒く、生暖かくなく』 WoO.191
●『私たちはみな迷うものだ』 WoO.198
●『お芝居しないで体を動かせ!』 WoO.187
●『ブラウフレ、リンケ』 WoO.167
●『おおトビアス!、ハスリンガーの支配者』 WoO.182
●『今日バーデンを思い出せ』 WoO.181a
●『大公殿下、幸福を祈ります』 WoO.179
●『幸せはなくても良し、健康は欠くべからず』 WoO.171
●『ごきげんよう』 WoO.181b
●『人生を楽しめ』 WoO.195
●『新年おめでとう!』 WoO.165
●カノン 変イ長調 Hess.275
●『恋人の腕に安らかに憩う』 WoO.159
●『私はあなたに接吻する』 WoO.169
●『愛する人よ、私はあなたにとって悩み、死ぬ』 Hess.229
●『あなたのみを讃う』 WoO.186
●『永遠にあなたのもの』 WoO.161
●『友情は真の幸福の泉』 WoO.164
●2つのカノン WoO.160-2
●『タ、タ、タ…親愛なるメルツェルよ、ごきげんよう』 WoO.162(シンドラー?)
●『お願いです、変ホ長調の音階を書い下さい』 WoO.172
●『芸術は長く、人生は短い』(第2作) WoO.192
●2つのカノン WoO.160-1
●『沈黙を学べ』 WoO.168-1
●『雄弁』 WoO.168-2
●『ファルスタッフ君、登場しろ』 WoO.184
●2台のヴァイオリンのための小品イ長調(アレグロ) WoO.34
●別れの歌『時の鐘が鳴る』WoO.102

ベートーヴェンは冗談やダジャレも好きだったようで、面白い曲を思いつくと友人相手に披露したりもしていたようです。ここに収められた作品の中にもそうしたものが多く、中でも、ヴァイオリニストで親しかった肥満体のシュッパンツィク(シュパンツィヒとも。標準ドイツ語発音ではシュッパンツィク)のことを描いた『シュッパンツィクはならずもの〜太った人を讃えて』と『ファルスタッフ君、登場しろ』は楽しい逸品。ディートリヒ・クノーテ[1929-2000]指揮ベルリン・ジングアカデミーの面々による生き生きとした歌唱で楽しめます。

ヴォルフ=ディーター・バツドルフ(ヴァイオリン:WoO.34)
ベルント・ニーダーマイヤー(ヴァイオリン:WoO.34)
ワルター・オルベルツ(ピアノ:Hess.274、Hess.61、WoO.190、Hess.275)
ベルリン・ジングアカデミー
ベルリン・ゾリステン
ディートリヒ・クノーテ (指揮)
録音:1977年




アイルランド民謡編曲集
●25のアイルランド民謡 WoO.152〜第2・5・6・8・10・11・13・15・17・19・20・21・23・24曲
●20のアイルランド民謡 WoO.153〜第1・4・5・7・8・10・15・17・20曲
「アイルランド民謡集」は、イギリスの出版社からの依頼でつくられた編曲作品集。エディンバラの楽譜出版社を経営し、自身で民謡も採譜していたジョージ・トムスンからの依頼で編曲。サロンでの演奏に供されるよう、当時イギリスと繋がりのあったベートーヴェンに室内編成の伴奏を頼んだもので、魅力的な旋律の作品を中心に、ベートーヴェンのハーモニーと、単なる伴奏の域を超えた気の利いたアレンジで楽しめる内容。

レナーテ・クラーマー(ソプラノ)
インゲボルグ・シュプリンガー(メゾ・ソプラノ)
ジークフリート・ローレンツ(バリトン)
アルミン・ウーデ(テノール)
ブラームス三重奏団


Disc7 若きベートーヴェンのさまざまな語法

ヴァイオリン、マンドリン、チェロ、オルガン(原曲は自動演奏楽器のフルート時計)、そして変奏的な三重奏のためのベートーヴェン若き日の作品を収録。

ヴァイオリン
●モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』の『もし伯爵様が踊るなら』による12の変奏曲ヘ長調 WoO.40
1793年頃の作曲。『フィガロの結婚』の中の有名旋律をヴァイオリンとピアノで変奏するWoO.40は、旧知の仲のエレオノーレ・フォン・ブロイニングに献呈された作品。

ペーター・グラッテ(ヴァイオリン)
エーファ・アンダー(ピアノ)

マンドリン
●アダージョ変ホ長調 WoO.43b
●ソナチネ ハ長調 WoO.44a
1796年に作曲。マンドリンのために書かれた2曲の可憐な作品は、ヨゼフィーネ・フォン・クラーリ=アルドゥリンゲン伯爵令嬢のために書かれたもの。

エルハルト・フィーツ(マンドリン)
アマデウス・ヴェーバージンケ(ピアノ)

チェロ
●ヘンデルのオラトリオ『ユダス・マカウベス』の『見よ勇者は帰る』の主題による12の変奏曲ト長調 WoO.45
1796年の作曲。『ユダス・マカウベス』の中の有名旋律をチェロとピアノで変奏する人気曲。

フリーデマン・エルベン(チェロ)
マティルデ・ヘアムート(ピアノ)

オルガン
●フルート時計のための3つの小品 WoO.33
1799年の作曲。当時人気を博していた自動演奏楽器「フルート時計」のために書かれた楽しい曲。ここでは教会音楽家で現代作品もよく演奏していたエーリヒ・ピアゼツキ[1932-2007]がオルガンで演奏しています。

エーリヒ・ ピアゼツキ(オルガン)


変則的三重奏
●モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の『お手をどうぞ』による変奏曲ハ長調 WoO.28
1793年12月におこなわれたハイドンの演奏会に飛び入り参加したタイマー3兄弟によるオーボエ2本とイングリッシュ・ホルンというユニークな編成に刺激されて書いた作品。『ドン・ジョヴァンニ』の官能メロディが多彩に展開されます。

ペーター・バッシェ(オーボエ)
エッケハルト・グロッケ(オーボエ)
ディーター・ワグナー(イングリッシュホルン)

●フルート、ファゴット、ピアノのための三重奏曲ト長調 WoO.37
15歳の時の作品。当時のベートーヴェンは宮廷オルガニストとして活動していたほか、すでにピアノを教えたりもしており、その中のひとりアンナ・マリアの父親が、ファゴットも演奏するフリードリッヒ・フォン・ウェスターホルト伯爵ということで書かれたのがこの作品と推測されています。

ヘルマン・ヴォルフラム(フルート)
ディーター・ヘンヒェン(ファゴット)
ベルント・カスパー(ピアノ)

Disc8 スコットランド民謡&様々な国の歌

スコットランド民謡をクラシカルにアレンジしたOp.108は、じっくり聴かせるベートーヴェン声楽分野の傑作。いろいろな地域の歌が詰め込まれたWoO.158は、変化に富む面白さで聴かせます。余白に収められた器楽曲Hess.168は「フランスのメロディ」というタイトルなのに、「ゴンドラを漕ぐ女」に激似という謎の音楽。

声楽編曲
●25のスコットランド民謡 Op.108
いろいろな機会にうたわれたスコットランド民謡のコレクション。楽しいものから物悲しいものまで、変化に富む編曲が施されていて聴きごたえがあります。

●様々な国の23の歌 WoO.158〜第1・4・7・8・9・10・12・13・14・15・17・18・20・22曲
デンマーク、チロル、、ポーランド、ポルトガル、ロシア、スウェーデン、スイス、スペイン、ハンガリーの民謡を14曲収録。

●様々な国の6つの歌 WoO.158c〜第2曲
この第2曲はフランス民謡とされていますが、実際にはジャン=ジャック・ルソー[1712-1778]のオペラ『村の占い師』の中のコリンが歌う「コレットは裏切らない」というアリア。

レナーテ・クラーマー(ソプラノ)
インゲボルグ・シュプリンガー(メゾ・ソプラノ)
エーベルハルト・ビュヒナー(テノール)
ギュンター・ライプ(バス)
ライプツィヒ放送合唱団
ホルスト・ノイマン(合唱指揮)
エーファ・アンダー(ピアノ)
ラインハルト・ウルブリヒト(ヴァイオリン)
ヨアヒム・ビショフ(チェロ)




器楽編曲
●フランスのメロディ Hess.168
「フランスのメロディ」というタイトルの器楽アンサンブル編曲ですが、ベートーヴェンの民謡編曲集 WoO.157に含まれるヴェネツィアの歌「ゴンドラを漕ぐ女」と同じ曲に聴こえます。出版時の混乱なのか、あるいは原曲がほかにあるのかもしれません。

クルト・マーン(オーボエ)
ラインハルト・ウルブリヒト(ヴァイオリン)
ヴェルナー・パウリ(ギター)
エーファ・アンダー(ピアノ)

Disc9 管楽器の多彩な響き

Disc9は、管楽器が主役となる作品集。深々としたホルンが美しい六重奏曲はホルン好きにはおなじみの傑作。民謡主題と変奏曲集は10曲のうち5曲がフルートとピアノ、5曲がヴァイオリンとピアノという構成。各地に根付いた旋律がクラシカルに表現。二重奏曲は管楽器好きには知られた曲。

2本のホルンと弦楽四重奏
●六重奏曲 変ホ長調 Op.81b
20代なかばのベートーヴェンの書いたホルン2本に弦楽四重奏というユニークな編成のホルン尽くしの18分ほどの音楽。1810年に出版。

ゲルハルト・マイヤー(ホルン)
ルドルフ・ヘロルト(ホルン)
エルベン四重奏団

フルート、ヴァイオリン、ピアノ
●10の民謡主題と変奏曲集 Op.107
1818年から1819年にかけての作曲。民謡編曲の依頼者でもあるジョージ・トムスンのために書かれた作品。「民謡主題と変奏曲」×10から成る40分ほどの音楽で、変奏曲の大家としてのベートーヴェンの姿が良く示された力作。ロシア民謡とされていた2曲はウクライナ民謡。

ヨハネス・ヴァルター(フルート)
ペーター・グラッテ(ヴァイオリン)
エーファ・アンダー(ピアノ)

クラリネットとファゴット
●クラリネットとファゴットのための3つの二重奏曲〜第1番 WoO.27-1
セットの最後を飾るクラリネットとファゴットのための3つの二重奏曲〜第1番 WoO.27-1は、1810年にフランスのアンドレ社から出版された作品で、作曲時期はボン時代の1792年頃と推測されています。最近では偽作説もありますが、明確な根拠は示されていないようです。

オスカル・ミヒャリク(クラリネット)
ユルゲン・ロイター(ファゴット)

ベートーヴェン年表



1770年(0歳)
●12月16日頃、ベートーヴェン、神聖ローマ帝国ケルン大司教領で人口1万人ほどの小都市ボンのラインガッセで誕生。父ヨハンは選帝侯宮廷のテノール歌手、母マリア・マグダレーナはボン宮廷離宮料理長の娘。
●12月17日、ベートーヴェン、聖レミギウス教会で受洗。

1771年(0〜1歳)

1772年(1〜2歳)

1773年(2〜3歳)
●12月17日、祖父ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン死去。

1774年(3〜4歳)
●4月、弟カスパール・アントン・カール・ベートーヴェン[1774-1815]誕生。

1775年(4〜5歳)
●9月30日、祖母マリア・ヨゼファ・ベートーヴェン死去。

1776年(5〜6歳)
●ベートーヴェン、音楽のレッスン開始。父ヨハンの指導。
●ベートーヴェン家、ラインガッセのフィッシャー館に転居。かつて祖父が住んでいた建物。
●ベートーヴェン家、ノイガッセに転居。
●10月、弟ニコラウス・ヨハン・ベートーヴェン[1776-1848]誕生。

1777年(6〜7歳)
●ベートーヴェン家、ラインガッセのフィッシャー館に再び転居。
●ベートーヴェン、ボンの聖カシウス修道院のラテン語学校に入学。

1778年(7〜8歳)
●3月26日、ベートーヴェン、ケルンで父の主催による有料演奏会に、弟子のひとりとして出演。
●ベートーヴェン、ボンの宮廷オルガニスト、ハインリヒ(ギレス)・ヴァン・デン・エーデン[1710-1782]に鍵盤楽器演奏を師事。

1779年(8〜9歳)
●ベートーヴェン、劇場歌手トビアス・フリードリヒ・プファイファーにピアノを師事。

1780年(9〜10歳)
●ベートーヴェン、フランシスコ教会修道士でオルガン奏者のヴィリバルト・コッホのオルガンを師事。コッホの助手を務めたりもします。
●ベートーヴェン、同じ建物に住む母の姪の息子で、宮廷楽団ヴァイオリン奏者のフランツ・ゲオルク・ロヴァンテイーニ[1757-1781]にヴァイオリンとヴィオラを師事
●ベートーヴェン、ミュンスター教会オルガン奏者のツェンザーに師事。
◆11月、マリア・テレジア、死去。63歳。

1781年(10〜11歳)
◆ヨーゼフ2世、農奴解放令発令。
◆ヨーゼフ2世、宗教寛容令。
●ベートーヴェン、エーデンの後任として宮廷オルガニストになったクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェにピアノと作曲を師事。
●ベートーヴェン、聖カシウス修道院のラテン語学校を卒業。ベートーヴェンはギムナジウムに進まず音楽の勉強を本格化。

1782年(11〜12歳)
◆ヨーゼフ2世、ユダヤ人への職業制限、服装制限、特別税、移住制限などの法規制を撤廃。
●ベートーヴェン、宮廷オルガニスト、ネーフェの不在時に代理演奏を務めるようになります。
・ドレスラーの行進曲によるクラヴサンのための9つの変奏曲 WoO.63

1783年(12〜13歳)
●3月、ベートーヴェン、ネーフェによって音楽雑誌で紹介。
◆6月、アイスランド、ラーキ火山が大噴火。1784年2月まで有毒ガスが放出され続け、少し前に噴火を開始した近くのグリムスヴォトン火山は1785年まで噴火を継続。成層圏にまで達する噴煙は、以後数年に渡って北半球全体に異常気象、食糧不足を引き起こし、フランス革命の原因の一つになったとも考えられています(東日本ではさらに同年4月の岩木山噴火、8月の浅間山噴火も重なって、折からの冷害による天明の飢饉が深刻化)。
●10月、ベートーヴェン、『選定候ソナタ』(WoO.47-1〜3)を出版。
●秋、ベートーヴェン、母とオランダ楽旅。
・3のピアノ・ソナタ『選帝侯ソナダ』WoO.47
・ピアノのための・ロンド WoO.48
・オルガンのための2声のフーガ WoO.31
・ピアノ伴奏歌曲『乙女を描く』WoO.107

1784年(13〜14歳)
◆1月、ライン川、川底まで凍結。噴煙による極度の気温低下のもたらした異常現象。大洪水の要因に。
●2月、ベートーヴェン、宮廷オルガニストの助手に任命。無給の宮廷楽士。
◆春、ライン川の氷が融け始めて氾濫、氷塊が橋や河川近くの建築物を破壊、やがてヨーロッパ各地の町が水に覆われるという大洪水に発展。ベートーヴェンの住むボンは標高約60メートルの町でしたが大きな被害となり、また、標高約200メートルの盆地ウィーンも、周囲の山からの水や排水能力の低さによって大洪水となっています。


●春、ベートーヴェン、家族と共に避難。
●4月、選帝侯マクシミリアン・フリードリヒ死去。同月、新選帝侯マクシミリアン・フランツがウィーンから到着。
●5月、ベートーヴェン、ボンの宮廷オルガニストに任命。年俸150グルデンの宮廷楽士。師のネーフェは年俸200グルデン。
・ピアノ協奏曲 WoO.4
・ピアノのための・ロンド WoO.49
・ピアノ伴奏歌曲『みどり児に寄せて』WoO.108

1785年(14〜15歳)
●ベートーヴェン家、音楽の音がうるさいという理由で家主により退去させられ、ラインガッセの別の家に転居。
●ベートーヴェン、のちに作曲家、パリ音楽院教授となるアントン・ライヒャ[1770-1836]と親しく交流。ベートーヴェンのがボンを離れる1792年まで継続。
・3つのピアノ四重奏曲 WoO.36

1786年(15〜16歳)
●ベートーヴェン、ボンの宮廷オルガニストとして活動。
●ベートーヴェン家、ラインガッセのフィッシャー館に再び転居。
●ベートーヴェン、ピアノ協奏曲第2番(初稿)の作曲開始(1792年まで)
・フルート、ファゴット、ピアノと管弦楽のためのロマンツェ ホ短調 WoO.207
・フルート、ファゴットとピアノのための三重奏曲ト長調 WoO.37

1787年(16〜17歳)
●1〜3月、ベートーヴェン、最初のウィーン滞在。
●5月、ベートーヴェン、ウィーンの後、レーゲンスブルク、ミュンヘン、アウクスブルクを経てボンに到着。
●ベートーヴェン、ボンの宮廷オルガニストとして活動。
●5月、ベートーヴェン、母マグダレーナ重体のため帰郷。
●7月17日、母マグダレーナ死去。

1788年(17〜18歳)
●ベートーヴェン、ボンの宮廷オルガニストとして活動。
●ベートーヴェン、ブロイニング家でヴァルトシュタイン伯爵と交流。
●ベートーヴェン家、ヴェンツェルガッセ476に転居。
●ベートーヴェン、宮廷楽団のヴィオラ奏者に任命(1792年まで)。楽団にはフルート奏者としてアントン・ライヒャ、ホルン奏者としてニコラウス・ジムロック[1751-1832]、ヴァイオリン奏者としてフランツ・リース[1755-1846]なども在籍。

1789年(18〜19歳)
●ベートーヴェン、宮廷正オルガニストに任命。
●ベートーヴェン、ボン大学で聴講生として登録。ギリシャ文学教授オイロギウス・シュナイダーの講義をライヒャらと聴講。シュナイダーは5年後にジャコバン党貝として処刑。
◆5月、フランス革命勃発。フランス革命戦争を経て、ナポレオン戦争に発展、1814年に終結するまでの四半世紀で約500万人がヨーロッパで殺害。
◆11月、フランス政府、教会財産を略奪。
●11月、父ヨハン、宮廷歌手を引退。
・全長調にわたる2つの前奏曲 Op.39 (ピアノまたはオルガン)

1790年(19〜20歳)
◆ヨーゼフ2世[1741-1790]、死去。48歳。啓蒙主義者で、宗教寛容令、農奴解放令、死刑・拷問廃止、出版物検閲の大幅な緩和、商工業の保護、プラーター地区解放、カトリック修道院1,188のうち500以上を取り潰し&財産没収、神学校の国営化、宗教行事の廃止、などを勅令として強引に実施。多くの貴族や教会関係者に反発され、没後に皇位を継承した弟のレオポルト2世[1747-1792]は、その多くを元に戻しています。マリー・アントワネット[1755-1793]は実の妹。
●ベートーヴェン、宮廷楽団にヴィオラ奏者として在籍。宮廷オルガニストとしても活動。
●12月、ベートーヴェン、ボンを訪れたハイドン、ヨハン・ペーター・ザロモン[1745-1815]と会合。
・弦楽四重奏のためのメヌエット 変イ長調 WoO.209
・『ヨーゼフ2世の逝去を悼む葬送カンタータ』WoO.87
・『レオポルト2世の即位を祝うカンタータ』WoO.88

1791年(20〜21歳)
●ベートーヴェン、ボンの宮廷楽団にヴィオラ奏者として在籍。宮廷オルガニストとしても活動。
●3月、『騎士バレエ』がヴァルトシュタイン伯爵の作品として初演。
◆8月、「ピルニッツ宣言」。レオポルト2世と、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世[1744-1797]の2人によるフランスに対するけん制ともとれる単なる威嚇としての軍事言及宣言でしたが、かえってフランスの主戦派民衆を勢いづかせ、「フランス革命戦争」、「ナポレオン戦争」を招き、レオポルト2世の妹のマリー・アントワネットや甥たちなど王族や貴族の大虐殺にも繋がっています。なお、宣言がおこなわれたザクセンのピルニッツ城での会談には、城主でザクセン選帝侯のフリードリヒ・アウグスト[1750-1827]も加わっていました。フリードリヒ・アウグストはその後、プロイセンと同盟を結んだり、フランス側についたりと、いろいろな策を弄しています。
●9月、ベートーヴェン、ボン宮廷楽団のメンバーとして演奏旅行に出発。
・『騎士バレエ』WoO.1
・ピアノ三重奏曲 変ホ長調 WoO.38
・リギニのアリエッタ「愛よ来たれ」によるピアノのための24の変奏曲 WoO.65

1792年(21〜22歳)
●ベートーヴェン、ボンの宮廷楽団にヴィオラ奏者として在籍。宮廷オルガニストとしても活動。
◆4月、フランス革命政府が、オーストリアに対して宣戦布告。『フランス革命戦争』の開始(1799年まで)。
●7月、ハイドンがボンを再訪、ウィーンでのベートーヴェンの弟子入りを承諾。
●ベートーヴェン、この頃から腹部茄痛・下痢に悩まされ始めます。
●11月2日、ベートーヴェン、ボンを出発。
●11月10日、ベートーヴェン、ウィーンのアルザーグルント45の建物の屋根裏部屋に転居。
●ベートーヴェン、ハイドンに作曲を師事。
●ベートーヴェン、シェンク[1753-1836]に作曲を師事(翌年5月まで)。
●12月18日、父ヨハン死去。
●12月、ベートーヴェン、ウィーンのアルザーグルント45の建物の1階に転居。
・管楽八重奏曲 変ホ長調 Op.103
・ピアノ三重奏のための14の変奏曲 変ホ長調 Op.44
・ピアノ伴奏斉唱『ポンチ洒の歌』WoO.111
・アリア『接吻への試み』 WoO.89
・ソプラノのためのシェーナとアリア『初恋』 WoO.92

1793年(22〜23歳)
●5月、ベートーヴェン、シェンクのもとでの作曲の勉強を終了。
●ベートーヴェン、この頃からサリエリに作曲を師事し始め、1802年頃まで教わっています。
◆8月、フランスで大規模な徴兵がおこなわれ、約120万人の兵士が新たに誕生(総人口約2,600万人)。兵站(補給)が追い付かないため、食糧などは現地で調達(略奪)することとなり、民間の犠牲も増大。
◆10月15〜16日、北フランスのワティニーの戦いでオーストリア軍敗北。
◆10月16日、ヨーゼフ2世の実の妹のマリー・アントワネット王妃[1755-1793]、コンコルド広場でギロチンによって首を切り落とされ、吹きあがる鮮血に、見物に集まった数万人ともいわれる民衆は歓喜。当時のフランスではギロチンによる王族や貴族の処刑が、広場に舞台を設営して実施されるなど、見世物として民衆の人気を獲得。
●ベートーヴェン、『モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』の『もし伯爵様が踊るなら』による12の変奏曲』ヘ長調(WoO.40、Disc7)、ウィーンで出版。

1794年(23〜24歳)
◆ナポレオン軍、ボン占領。
●1月、ベートーヴェン、アルブレヒツベルガー[1736-1809]に、対位法など作曲技術を師事(翌年3月まで)。
●ベートーヴェン、ヴァイオリンをイグナツ・シュッパンツィク[1776-1830]に師事。
●秋、ベートーヴェン、カール・リヒノフスキー侯爵[1756-1814]の客人として邸宅の2階に滞在開始。同家でエステルハージ侯爵ら貴族と幅広く交流。
・ピアノ三重奏曲第1番 変ホ長調 Op.1-1
・ピアノ・ソナタ第1番 へ短調 Op.2-1

1795年(24〜25歳)
●ベートーヴェン、腹部疝痛発作に悩まされます。
●3月、ベートーヴェン、アルブレヒツベルガーのもとでの勉強を終了。
●5月頃、ベートーヴェン、『オギルヴィ館』2階に転居。
●3月、ベートーヴェン、ブルク劇場の慈善演奏会でピアノ協奏曲第2番などを弾いてプロの作曲家・ピアニストとしてデビュー。
●ベートーヴェン、リヒノフスキー侯爵のプラハ旅行に同行。
・ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 Op.15
・ピアノ協奏曲第2番 変口長調 Op.19
・管楽六重奏曲 変ホ長調 Op.81b
・弦楽五重奏曲 変ホ長調 Op.4(管楽八重奏曲 Op.103の改作)
・ピアノ三重奏曲第2番 卜長調 Op.1-2
・ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op.1-3
・フルート、ヴァイオリンとヴィオラのためのセレナード ニ長調 Op.25
・管楽三重奏曲 ハ長調 Op.87
・弦楽三重奏曲 ハ長調 Op.87(管楽三重奏曲の編曲)
・弦楽三重奏曲 変ホ長調 Op.3
・ピアノ・ソナタ第2番 イ長調 Op.2-2
・ピアノ・ソナタ第3番 ハ長調 Op.2-3
・ロンド・ア・カプリッチョ『なくした小銭への怒り』ト長調 Op.129
・歌曲『アデライーデ』Op.46

1796年(25〜26歳)
●ベートーヴェン、最初の難聴の症状。
●2月、ベートーヴェン、2度目のプラハ旅行にでかけ、半年かけて単独でドレスデン、ライプツィヒ、ベルリンもまわります。
◆4月、26歳の司令官ナポレオン率いる約2万5千人のフランス軍がイタリア遠征で約7万人のオーストリア・サルディーニャ連合軍を破り、以後、しばらくは各地で連戦連勝。
・管楽六重奏曲変ホ長調 Op.71
・ピアノと管楽のための五重奏曲 変ホ長調 Op.16
・チェロ・ソナタ第1番 へ長調 Op.5-1
・チェロ・ソナタ第2番 卜短調 Op.5-2
・モーツァルト『魔笛』の『恋人か女房か』の主題による12の変奏曲へ長調 Op.66
・ピアノ・ソナタ第19番 卜短調 Op.49-1
・ピアノ・ソナタ第20番 卜長調 Op.49-2
・シェーナとアリア『ああ、不実なる人よ』Op.65
・8つの歌 Op.52

1797年(26〜27歳)
●ベートーヴェン、発疹チフスに罹患。
◆4月、ナポレオンの軍勢がウィーンの近くまで接近。
・ピアノ三重奏曲第4番 変口長調 Op.11『街の歌』
・弦楽三重奏のためのセレナード ニ長調 Op.8
・4手のためのピアノ・ソナタ ニ長調 Op.6
・ピアノ・ソナタ第4番 変ホ長調 Op.7
・ピアノのためのロンド ハ長調 Op.51-1

1798年(27〜28歳)
●ベートーヴェン、3度目のプラハ旅行。
・ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第2番 へ長調 Op.50
・弦楽三重奏曲第1番 卜長調 Op.9-1
・弦楽三重奏曲第2番 二長調 Op.9-2
・弦楽三重奏曲第3番 ハ短調 Op.9-3
・ヴァイオリン・ソナタ第1番 二長調 Op.12-1
・ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 Op.12-2
・ヴァイオリン・ソナタ第3番 変ホ長調 Op.12-3
・ピアノ・ソナタ第5番 ハ短調 Op.10-1
・ピアノ・ソナタ第6番 へ長調 Op.10-2
・ピアノ・ソナタ第7番 二長調 Op.IO-3
・ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 Op.13『悲愴』
・ピアノ・ソナタ第9番 ホ長調 Op.14-1
・ロンド ト長調 Op.51-2

1799年(28〜29歳)
●ベートーヴェン、ブルンスヴィク伯爵令嬢テレーゼとヨゼフィーネにピアノ指導。
●ジュリエッタ・グイチャルディ、チェルニーがベートーヴェンにピアノ演奏で弟子入り。
・ピアノ・ソナタ第10番 卜長調 Op.14-2

1800年(29〜30歳)
◆ウィーンの人口約23万人。
●ベートーヴェン、リヒノフスキー侯爵から年金600グルデン支給。
●春頃(?)、ベートーヴェン、『グライナー館』に転居。
●冬、ベートーヴェン、年末から翌年にかけてひどい腹痛に悩まされます。
・交響曲第1番 ハ長調 Op.21
・七重奏曲 変ホ長調 Op.20
・弦楽四重奏曲第1番 ハ長調 Op.18- 1
・弦楽四璽奏曲第2番 卜長調 Op.18- 2
・弦楽四重奏曲第3番 二長調 Op.18- 3
・弦楽四重奏曲第4番 ハ短調 Op.18- 4
・弦楽四重奏曲第5番 イ長調 Op.18- 5
・弦楽四重奏曲第6番 変口長調Op.18- 6
・ホルン・ソナタ ヘ長調 Op.17
・ピアノ・ソナタ第11番 変口長調 Op.22

1801年(30〜31歳)
●ベートーヴェン、サリエリのもとで作曲の勉強。
●11月、ベートーヴェン、ジュリエッタへの恋愛感情。
・バレエ音楽『プロメテウスの創造物』Op.43
・弦楽五重奏曲 ハ長調 Op.29
・ピアノ四重奏曲 変ホ長調 Op.16
・ヴァイオリン・ソナタ第4番 イ短調 Op.23
・ヴァイオリン・ソナタ第5番 へ長調 Op.24『春』
・ピアノ・ソナタ第12番 変イ長調 Op.26『葬送』
・ピアノ・ソナタ第13番 変ホ長調 Op.27-1
・ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 Op.27-2『月光』
・ピアノ・ソナタ第15番 二長調 Op.28『田園』

1802年(31〜32歳)
●ベートーヴェン、サリエリのもとでの作曲の勉強を終了。
●ベートーヴェン、ウィーンに滞在することとなった旧友アントン・ライヒャと交流。ライヒャがウィーンを離れる1808年まで継続。
●秋頃(?)、ベートーヴェン、『銀馬亭』4階に転居。
●10月、ベートーヴェン、「ハイリゲンシュタットの遺書」。
・交響曲第2番 二長調 Op.36
・ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第1番 卜長調 Op.40
・ヴァイオリン・ソナタ第6番 イ長調 Op.30-1
・ヴァイオリン・ソナタ第7番 ハ短調 Op.30-2
・ヴァイオリン・ソナタ第8番 卜長調 Op.30-3
・ピアノ・ソナタ第16番 卜長調 Op.31-1
・ピアノ・ソナタ第17番 二短調 Op.31-2 『テンペスト』
・ピアノ・ソナタ第18番 変ホ長調 Op.31-3
・『エロイカ』の主題による15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 Op.35
・ 7つのバガテル Op.33
.・6つの変奏曲 へ長調 Op.34
・ゲレルトによる6つの歌 Op.48
・三重唱『おののけ、背徳者』Op.116

1803年(32〜33歳)
●ベートーヴェン、68鍵のピアノを入手(エラール社製)。それまでの楽器は61鍵だったので、表現力強化に直結。翌年のピアノ・ソナタ第21番で音域が拡大。
●春、ベートーヴェン、アン・デア・ウィーン劇場内に居室を用意されたため弟カールと共に転居。
◆5月、イギリス、フランスに対して宣戦布告。
●5月、ヴァイオリン・ソナタ第9番 Op.47作曲。イギリス人ヴァイオリニスト、ジョージ・ブリッジタワー[1779-1860]のために書かれ、彼とベートーヴェンのピアノ演奏で5月24日に初演。しかし2人は決裂したため、フランス人ヴァイオリニストで知人のロドルフ・クルゼール[1766-1831]に献呈先を変更(クルゼールは結局演奏せず)。
●夏、ベートーヴェン、イギリスの愛国的主題によるピアノのための変奏曲を作曲。
●10月、ベートーヴェン、スコットランド民謡の編曲でイギリスのトムスンと交渉。
・ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 Op.37
・ピアノ三重奏曲 変ホ長調 Op.38 (七重奏曲Op.20の編曲)
・ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 Op.47
・行進曲ハ長調 Op.45-1(4手ピアノ)
・行進曲変ホ長調 Op.45-2(4手ピアノ)
・行進曲二長調 Op.45-3(4手ピアノ)
・オラトリオ『オリーブ山上のキリスト』Op.85
・ゴッド・セイヴ・ザ・キングによる7つの変奏曲 WoO.78
・ルール・ブリタニアによる5つの変奏曲 Wo0.79
・歌曲『友情の喜び』Op.88

1804年(33〜34歳)
●5月、ベートーヴェン、『赤い館』に転居。ニコラウス・エステルハージ侯爵[l765|1833]の賃貸住宅。
●11月、ベートーヴェン、かつての城壁の上に建てられたため見晴らしの良い『パスクァラーティ館』の5階に転居。
●12月、ベートーヴェン、ダイム伯爵未亡人のヨゼフィーネに恋愛感情。
・交響曲第3番 変ホ長調 Op.55『英雄』
・ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ハ長調 Op.56
・ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調 Op.53『ヴァルトシュタイン』
・ピアノ・ソナタ第22番 へ長調 Op.54

1805年(34〜35歳)
●ベートーヴェン、この頃から間欠性の高熱、腹部疝痛、下痢にも悩まされるようになります。
◆11月13日、フランス軍がウィーンを占領。ナポレオン、ウィーン入城。
●11月20日、『レオノーレ』第1稿を上演。上演時タイトルは『フィデリオ』。聴衆の大半がフランス兵で失敗。
◆12月2日、アウステルリッツの戦いで、オーストリア・ロシア連合軍がナポレオン率いるフランス軍に敗北。
・『レオノーレ』序曲第2番 Op.72a
・ピアノ・ソナタ第23番 へ短調 Op.57『熱情』
・歌劇『レオノーレ』第1稿 Op.72
・歌曲『希望に寄せて』Op.32

1806年(35〜36歳)
●3〜4月、『レオノーレ』第2稿を上演。上演時タイトルは『フィデリオ』。
●5月、弟カール、ヨハンナ・ライスと結婚。ベートーヴェン宅から独立。
◆7月、ナポレオンの圧力によりバイエルン王国、ヴュルッテンベルク王国、バーデン大公国など、ラインラント諸国により「ライン同盟」成立。ドイツ人兵士63,000名が、ナポレオン軍に供され、オーストリア軍と戦うことに。
●8〜10月、ベートーヴェン、シレジアの領地に疎開中のリヒノフスキー侯爵の客として10月末まで滞在。
◆11月、ナポレオンにより「大陸封鎖令」発令。産業革命で優位に立っていたイギリスの覇権を貿易で潰し、フランスが覇権国となるための対イギリス経済政策でしたが、マイナス面も多く効果は限定的で、却ってナポレオン没落を速めることにも繋がっています。
●ベートーヴェン、イギリスとのやり取りが多かったので、「大陸封鎖令」により、交渉などに支障をきたすようになります。
●12月、ヴァイオリン協奏曲初演。
・交響曲第4番 変口長調 Op.60
・『レオノーレ』序曲第3番 Op.72
・ピアノ協奏曲第4番 卜長調 Op.58
・ヴァイオリン協奏曲 二長調 Op.61
・弦楽四重奏曲第7番 へ長調 Op.59-1『ラズモフスキー第1番』
・弦楽四重奏曲第8番 ホ短調 Op.59-2『ラズモフスキー第2番』
・弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 Op.59-3『ラズモフスキー第3番』
・ピアノ三重奏曲 変ホ長調 Op.63(弦楽五重奏 Op.5の編曲)
・歌劇『レオノーレ』第2稿 Op.72
・歌曲『恋人が別れたいと思ったとき』WoO.132

1807年(36〜37歳)
●ベートーヴェン、ロプコヴィッツ侯爵邸で交響曲第1〜4番とピアノ協奏曲第4番などを演奏。
●ベートーヴェン、ピアノ・ソナタ第23番『熱情』をブルンスヴィク伯爵に献呈。
●ベートーヴェン、アン・デア・ウィーン劇場の座付き作曲家になる希望を出すものの劇場側は取り合わず。
・序曲『コリオラン』 Op.62
・『レオノーレ』序曲第1番 Op.138
・ピアノ協奏曲ニ長調 Op.61(ヴァイオリン協奏曲 Op.61の編曲)
・創作主題による32の変奏曲 WoO.80
・ミサ曲ハ長調 Op.86

1808年(37〜38歳)
●3月、ベートーヴェン、ハイドンの76歳誕生日記念演奏会に出席。
●秋、ベートーヴェン、クルーガー通り1074番地に転居。
●秋、ベートーヴェンに対し、ヴェストファーレン国王からカッセル宮廷楽長への就任要請。報酬は年額金貨600ドゥカーテン。
●12月22日、ベートーヴェン、交響曲第5番、第6番」、合唱幻想曲を初演。練習不足と極度の寒さにより失敗。
・交響曲第5番 ハ短調 Op.67『運命』
・交響曲第6番 ヘ長調 Op.68『田園』
・ピアノ三重奏曲第5番 ニ長調 Op.70-1『幽霊』
・ピアノ三重奏曲第6番 変ホ長調 Op.70-2
・チェロ・ソナタ第3番 イ長調 Op.69
・歌曲『憧れ、ゲーテによる』WoO.134
・歌曲『想い』WoO.136

1809年(38〜39歳)
●1月、ベートーヴェン、前年秋にヴェストファーレン国王から要請されたカッセル宮廷楽長への就任を受諾する意思を表明。背景には、ベートーヴェンに反対する勢力が、ベートーヴェンの演奏会に出演したサリエリなどにも脅しをかけてきたという事情がありました。
●2月、ベートーヴェン、3人の貴族と年金契約。キンスキー侯爵[1781-1812]が1,800グルデン、ルドルフ大公[1788-1831]が1,500グルデン、ロプコヴィッツ侯爵[1772-1816]が700グルデンで総額4,000グルデン。支払い条件は、ベートーヴェンがオーストリアに在住することで、この年金契約によりカッセル宮廷行きが阻止された格好です。
 オーストリア皇帝フランツ2世の弟であるルドルフ大公からは生涯に渡って年金が支払われるものの、キンスキー侯爵は3年後に落馬で死去、ロプコヴィッツ侯爵は同じく3年後に破産したため、その2人については年金支払いが停止。ベートーヴェンはこれを不服として、1815年にロプコヴィッツ侯爵の管財人と、キンスキー侯爵の相続人を相手取って提訴し、勝訴しています(遡及支払いが適用)。
●春、ベートーヴェン、クレッパーシュタルに転居。
◆4月、ウィーン近郊「エックミュールの戦い」でフランス・バイエルン・ヴュルッテンベルクの軍勢がオーストリア軍に勝利。 ◆5月、ウィーン近郊「アスペルン・エスリンクの戦い」で、オーストリア軍が、ナポレオン率いるフランス軍に勝利。
◆7月、ウィーン近郊「ヴァグラムの戦い」で、ナポレオン率いるフランス軍がオーストリア軍に勝利。
◆10月、シェーンブルンの和約。オーストリアはフランスに対し8,500万フランの賠償支払いと、約100,000km²の国土を割譲(約3,500,000人居住)。
◆ウィーン、フランス軍占領下でインフレが進行。ベートーヴェン自身によれば以前の3倍の生活費水準に上昇。
●ベートーヴェン、ピアノ・ソナ第24番をテレーゼ・マルファッティに献呈。
・ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73『皇帝』
・合唱幻想曲 ハ短調 Op.80
・弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 Op.74『ハープ』
・ピアノ・ソナタ第24番 嬰ヘ長調 Op.78
・ピアノ・ソナタ第25番 ト長調 Op.79『ソナチネ]
・『トルコ行進曲』の主題による6つの変奏曲ニ長調 Op.76
・幻想曲 Op.77
・4つのアリエッタと1つの二重唱曲 Op.82
・6つの歌 Op.75
・歌曲『逝かよりの歌』WoO.137
・歌曲『異郷の若者』WoO.138
・歌曲『恋する男』WoO.139
・モーツァルトのピアノ協奏曲第20番への2つのカデンツァ WoO.58

1810年(39〜40歳)
●4月、ベートーヴェン、『パスクァラーティ館』に再び転居。年間賃料500グルデン。
●4月、ベートーヴェン、テレーゼ・マルファッティのために『エリーゼのために』作曲。求婚は失敗。
●ベートーヴェン、テレーゼ・ブルンスヴィクとの婚約を解消。
●ベートーヴェン、ゲーテと親交のあったベッティーナ・ブレンターノらと交流。
◆ウィーンのインフレ進行が継続。ベートーヴェンの手紙によれば以前の4倍の水準に上昇。
・劇音楽『エグモント』Op.84
・弦楽四重奏曲第11番 へ短調 Op.95『セリオーソ』
・ピアノ・ソナタ第26番 変ホ長調 Op.81a『告別』
・『エリーゼのために』WoO.59
・軍楽のためのエコセーズ WoO.23
・軍楽のためのポロネーズ WoO.21
・ゲーテによる3つの歌 Op.83
・アイルランド民謡編曲
・スコットランド民謡編曲
・ウェールズ民謡編曲

1811年(40〜41歳)
◆2月、オーストリア政府、デフォルト宣言。銀行券は流通無効とし、補償紙幣と5対1で交換。実質的には通貨5分の1切り下げ政策。
●夏、ベートーヴェン、湯治のためボヘミアのテプリッツに旅行。詩人のクリストフ・アウグスト・ティートゲ[1752-1841]や、歌手のアマーリエ・ゼーバルト[1787-1846]と交流。
◆9月、オーストリア皇帝フランツ2世の勅令により通貨改定がおこなわれ、80%切り下げを約60切り下げまで緩和。
●10月、ベートーヴェン、合唱幻想曲 Op.80が、出版社のブライトコップ&ヘルテルによって勝手にバイエルン国王に献呈されたことで激怒。当時、バイエルンはフランス側で、オーストリアの敵であり、また出版社の所在地ザクセン王国は、少し前にプロイセンとの同盟を破棄してフランス側に寝返っていたところでもありました。
・『アテネの廃墟』のための音楽 Op.113
・『アテネの廃墟』のための行進曲と合唱 Op.114
・『シュテファン王』のための音楽 Op.117
・ピアノ三重奏曲第7番 変口長調 Op.97 『大公』

1812年(41〜42歳)
●2月、ピアノ協奏曲第5番、チェルニー独奏によりウィーン初演。
●7〜10月、ベートーヴェン、再びテプリッツに湯治旅行。ゲーテと交流。アマーリエ・ゼーバルトと再会。プラハ、カールスバートもまわる長期滞在。
●10〜11月、ベートーヴェン、リンツに滞在。裁判所や警察の手も借りて弟ヨハンと家政婦テレーズの交際をやめさせようとするものの、弟ヨハンは結局テレーズと結婚。
●ベートーヴェン、「不滅の恋人への手紙」を書きます。
・交響曲第7番イ長調 Op.92
・ピアノ三重奏曲 アレグレット WoO.39
・ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調 Op.96
・4つのトロンボーンのための3エクアーレ WoO.30
・アイルランド民謡編曲

1813年(42〜43歳)
◆8月、オーストリア、フランスに宣戦布告。
◆10月、バイエルン王国、ライン同盟を離脱し、オーストリアと同盟。
◆10月、「ライプツィヒの戦い」。約19万5千人のフランス軍(含むワルシャワ公国、ナポリ王国、ライン同盟)は、約36万5千人の連合軍(オーストリア、プロイセン、ロシア、スウェーデン)に破れ、ライン同盟のザクセン王国軍の一部が離反するなどフランス劣勢となり、ナポレオンは逃走。
●ベートーヴェン、右耳の聴力を完全に喪失。
●ベートーヴェン、ロプコヴィッツ侯爵やキンスキー侯爵らを、年金不払いで提訴。
●5月、ベートーヴェン、バーデン・バイ・ウィーンに滞在開始。
・交響曲第8番 ヘ長調 Op.93
・『ウェリントンの勝利(戦争交響曲)』Op.91
・歌曲『ナイチンゲールの歌』WoO.141
・チェンバロ伴奏歌曲『吟遊詩人の亡霊』WoO.142

1814年(43〜44歳)
●2月、ベートーヴェン、『バルテンシュタイン館』に転居。
●ベートーヴェン、交響曲第7番と第8番を初演。
◆4月、ナポレオン、エルバ島に追放。
●5月、ベートーヴェン、『フィデリオ』初演。成功。
◆9月、『ウィーン会議』開始。
・ピアノ・ソナタ第27番ホ短調 Op.90
・ポロネーズ ハ長調 Op.89
・歌劇『フィデリオ』Op.72
・歌劇『フィデリオ』序曲 Op.72
・パスティッチョ・ジングシュピール『よい知らせ』の終結合唱「ゲルマニア」WoO.94
・カンタータ『栄光の時』Op.136
・四重唱と弦楽器のための『悲歌』Op.118
・『別れの歌』WoO.102
・合唱曲『田園のカンタータ』WoO.103
・合唱曲『汝ら、幸せな国々の賢き建国者たちよ』WoO.95
・歌曲『メルケンシュタイン』WoO.144
・歌曲『兵士の別れ』タイン』WoO.143
・カノン『友楕は真の幸せの源』WoO.164
・音楽による戯れ『ひとりで、ひとりで』WoO.205b
・音楽による戯れ『私はzuの殿、あなたはvonの殿』WoO.199

1815年(44〜45歳)
●2月頃、ベートーヴェン、『ランベルティ館』に転居。別宅として『ローマ皇帝館』も賃貸契約。
◆3月、ナポレオン、エルバ島を脱出。
●5月、『フィデリオ』上演。成功
◆6月、『ウィーン会議』終了。
●11月、弟カール、結核で死去。
●ベートーヴェン、貴族相手の年金訴訟に勝訴。
・序曲『命名祝日』Op.115
・劇音楽『エレオノーレ・プロハスカ』WoO.96
・チェロ・ソナタ第4番 ハ長調 Op.102-1
・チェロ・ソナタ第5番 ニ長調 Op.102-2
・カンタータ『静かな海と楽しい航海』Op.112
・『凱旋門』のフィナーレ「成就せり」 WoO.97
・歌曲『秘密』WoO.145
・歌曲『希望に寄せて』Op.94
・二重唱『メルケンシュタイン』Op.100
・カノン『新年おめでとう』WoO.165
・カノン『苦しみは短く』WoO.166

1816年(45〜46歳)
◆6月、オーストリア銀行設立。
●ベートーヴェン、この頃、呼吸器感染の症状が頻出。
●ベートーヴェン、甥カールの母ヨハンナから提訴。
・カカドゥ変奏曲 ト長調 Op.121
・ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 Op.101
・歌曲集『はるかな恋人に』Op.98
・歌曲『約束を守る男』Op.99
・歌曲『山からの呼び声』WoO.147
・音による戯れ『私はあなたにキスをする』WoO.169
・25のスコットランド民謡 Op.108

1817年(46〜47歳)
●ベートーヴェン、この頃、呼吸器感染の症状が頻出。
●5月、ベートーヴェン、ラントシュトラーセ268番地に転居。
●ベートーヴェン、甥カールをチェルニーに師事させます。
・弦楽五重奏のためのフーガ ニ長調 Op.137
・歌曲『いずれにしても』WoO.148
・『修道僧の歌』WoO.104
・音楽による戯れ『おお、副官』WoO.205c
・音楽による戯れ『どこ? どこ?』WoO.205d

1818年(47〜48歳)
●ベートーヴェン、この頃、呼吸器感染の症状が頻出。
●5月、ベートーヴェン、メートリンクに滞在。
●ベートーヴェン、73鍵のピアノをブロードウッド社から贈呈され、作曲中のピアノ・ソナタ第29番の音域が拡大。
●ベートーヴェン、ゲルトナー小路6番地に転居。
●ベートーヴェン、聴力悪化により、相手の用件を会話帳に書いてもらい、それに口頭で答えるというコミュニケーション方法が本格化。
●7月、ベートーヴェン、ロンドンのフィルハーモニック協会からのふたつの交響曲の作曲依頼に対し、返答を保留。
●甥カールが母親の家に逃げ、ベートーヴェンは母親から再び告訴。
・ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 Op.106『ハンマークラヴィーア』
・6つの民謡主題と変奏曲 Op.105
・10の民謡主題と変奏曲 Op.107

1819年(48〜49歳)
●10月、ベートーヴェン、『金色の梨館』に転居。
●11月15日、弟カール死去。
●弟カールの息子であるカール(甥)の後見問題が発生。弟カールが遺言で、妻と息子を引き離さないよう言及していたことで、ベートーヴェンと甥カールの母親とのあいだで法廷闘争が長期化。
●ベートーヴェン、聴力悪化。
・『さあ、友よ、結婚の神を歌え』WoO.105
・カノン『新年おめでとう』WoO.176
・カノン『悪魔に食われてしまえ』WoO.173
・音楽による戯れ『成就』WoO.205e
・『信じ、希望せよ』WoO.174

1820年(49〜50歳)
●ベートーヴェン、甥カールの後見問題で勝訴。
●12月、10年以上に渡って秘書を務めたフランツ・オリヴァーが職を辞し、サンクト・ペテルブルクに転居。
・ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op.109
・歌曲『僕のことを想っていて』WoO.130
・歌曲『星空の下のタベの歌』WoO.150
・カノン『ホフマンよ、宮廷人でありなさるな』WoO.180
・カノン『糞たれは描かれず』WoO.224
・音楽による戯れ『殿下! お元気で、ご多幸を』WoO.179

1821年(50〜51歳)
●1〜2月、ベートーヴェン、療養生活。リウマチ(関節炎?)により健康状態が悪化。
●3月、ルドルフ大司教、叙階式。
●ベートーヴェン、この頃、ラントシュトラーセ244番地に居住。
●7月、黄疸発生。
●夏から初秋、転地療養。
●10月、ベートーヴェン、ミサ・ソレムニス作曲に加え、ピアノ・ソナタ第31番と第32番の作曲を開始。
・ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 Op.110
・ピアノ曲 口短調 Wo061
・カノン『おお、トビアス!』WoO.182

1822年(51〜52歳)
●秋、ベートーヴェン、ヴィントミューレ60番地に転居。
●ベートーヴェン、ミサ・ソレムニス完成。
●ベートーヴェン、アントン・シンドラーを秘書として雇用。
●12月、ベートーヴェン、ロンドンのフィルハーモニック協会に対し、4年前に依頼された交響曲の作曲を承諾した旨、連絡。
・序曲『献堂式』Op.124
・ヴァイオリンニ重奏曲 WoO.34
・ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
・11の新バガテル Op.119
・奉献歌 Op.121b
・同志の歌 Op.122
・アリエッタ『くちづけ』Op.128
・3つのカノン『きょうはバーデンのことを忘れるな』『ごきげんよう』『徳は空事にあらず』WoO.181

1823年(52〜53歳)
●ベートーヴェン、ディアベッリ変奏曲とミサ・ソレムニス作曲中、視力悪化について言及。虹彩炎の疑い。
●夏、ベートーヴェン、交響曲第9番の作曲に専念。
●10月、ベートーヴェン、『美しき女奴隷館』に転居。
・ディアベッリの主題による33の変奏曲 ハ長調 Op.120
・ミサ・ソレムニス ニ長調 Op.123
・ピアノ伴奏カンタータ『我らの尊き伯爵』WoO.106
・カノン『ファルスタッフ君、登場しろ』WoO.184
・カノン『太っちょさん、不義の子は勝利した』WoO.226
・カノン『人間は気高く、惜け深く、善良であれ』WoO.185
・カノン『このような恩寵に感謝申しあげます』WoO.225
・記念帳記入『善なるものに美を』WoO.202
・記念帳記入『高貴なる人間は親切で善良であれ』WoO.151

1824年(53〜54歳)
●ベートーヴェン、聴力を完全に喪失。
●4月7日、ミサ・ソレムニス、サンクト・ペテルブルクで初演。
●5月7日、交響曲第9番、ケルントナートーア劇場で初演。
●5月、ベートーヴェン、ヨハネス小路969番地に転居。
●7月、ベートーヴェン、黄疸症状。
●年末、ベートーヴェン、鼻出血。
・交響曲第9番 ニ短調 Op.125『合唱』
・弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調 Op.127
・6つのバガテル Op.126
・ピアノのためのワルツ 変ホ長調 WoO.84
・カノン『親愛なる伯爵様、貴方はお人好し』WoO.183
・カノン『汝のみ敬愛す』WoO.186
・カノン『ふざけないでこっちを向け』WoO.187
・音楽による戯れ『トビアス! パーテルノステル小路の住人』WoO.205g

1825年(54〜55歳)
◆ウィーンの人口約29万人。
●ベートーヴェン、クルーガー通り10091番地に転居。
●5月31日、アン・デア・ウィーン劇場閉鎖。所有者パルフィ伯爵の破産により。音楽家への未払い報酬も。
●ベートーヴェン、吐血。
●ベートーヴェン、春から初秋までバーデン・バイ・ウィーンで静養。
●10月、ベートーヴェン、シュヴァルツシュパニアー通りの『シュヴァルツシュパニアー館』に転居。ここが終の棲家となります。シュヴァルツシュパニアー(黒いスペイン人)の名の由来は、17世紀から18世紀にかけて通りに存在していたスペインのベネディクト会修道院の僧衣が黒かったからで、同じスペイン修道院でも白い僧衣を着用していた三位一体派と区別するための呼称として定着した言葉でした。
●ベートーヴェン、ロンドンのフィルハーモニック協会に招待されるものの、金銭条件がで不満で拒否。
●11月29日、ベートーヴェン、ウィーン楽友協会の名誉会員に推挙。
・弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 Op.130
・弦楽四重奏曲第15番 イ短調 Op.132
・2つのチェロのためのカノンWoO.35
・ピアノ曲ト短調WoO.61a
・ピアノ・ワルツWoO.85
・ピアノ・エコセーズWoO.86
・カノン『神は堅き砦』WoO.188
・カノン『医者先生は死神に門を閉ざす』WoO.189
・カノン『善なるものに美を』WoO.203
・カノン『私はお伺いしました、医者先生』WoO.190
・カノン『寒いよ、暖かくないよ』WoO.191
・カノン『芸術は長く、人生は短し』WoO.192
・カノン『人生は門ではなく』WoO.194
・カノン『人生を楽しめ』WoO.195
・音楽による戯れ『トビアス、トビアス』WoO.205h
・音楽による戯れ『ああ、トビアス』WoO.228a

1826年(55〜56歳)
●1月、ベートーヴェン、激しい腹痛、視力も低下。
●7月30日、甥カール、ピストルによる自殺未遂。
●9月28日、ベートーヴェン、甥カールと共に、薬剤師として成功し大農場も所有していた弟ヨハンの邸宅に滞在。弟ヨハンの招きによるものでしたが、ベートーヴェンは家賃・食費を支払っています。
●11月、ベートーヴェン、弟ヨハン邸からの帰路は幌の無い馬車で、肺炎を発症。肝障害も悪化。呼吸促拍状態。
●12月1日、ベートーヴェン、『シュヴァルツシュパニアー館』に帰館。
●12月12日、ベートーヴェン、黄疸症状も現れて健康状態が悪化。腹水も出現。
●12月20日、ベートーヴェン、腹水穿刺手術。10リットル近くの腹水を廃液。
・弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 Op.131
・弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 Op.135
・弦楽四重奏のための大フーガ 変ロ長調 Op.133
・弦楽四童奏曲第13番の新たな第6楽章 ・大フーガ変ロ長調 Op.134(Op.133の4手ピアノ編曲)
・弦楽五重奏曲ハ長調(未完) WoO.62
・カノン『そうあらねばならぬ』WoO.196
・カノン『ここに作品がある』WoO.197
・カノン『ロバのなかのロバ』WoO.227
・音楽による戯れ『やあトビアス』WoO.205i

1827年(56歳)
●1月2日、甥カール、イグラウの駐屯地に向けて出発。
●1月3日、ベートーヴェン、甥カールを唯一の相続人とする遺言状を作成。
●1月8日、ベートーヴェン、腹水を抜く手術。2度目。
●2月2日、ベートーヴェン、腹水を抜く手術。3度目。
●2月27日、ベートーヴェン、腹水を抜く手術。4度目。
●3月7日、ベートーヴェン、ウィーン楽友協会名誉会員証を受領。
●3月18日、ベートーヴェン、ロンドンのフィルハーモニック協会からの見舞金100ポンド(約1,000グルデン)送付への令状を口述筆記。最後の手紙。同日、シューベルトが見舞いのため訪問。
●3月23日、ベートーヴェン、意識混濁。
●3月24日、ベートーヴェン、病者の塗油の秘跡を受けます。
●3月26日17時45分、ベートーヴェン死去。56歳。死因は肝硬変と記載。遺産は現金1,215グルデン、アルンシュタイン&エスケレス銀行の株券7,441グルデン、遺品競売1,140グルデンなど約1万グルデン。
●3月27日、遺言によりヨハネス・ヴァーグナー医師と、アンドレアス・ヴァヴルフ医師が遺体解剖。解剖記録原本はウィーン大学病理解剖学研究所に保管。近年の研究で、ベートーヴェンが鉛中毒だったことも判明。ベートーヴェンがワインを飲む際に常用していた容器に鉛が使用されていたのが最大の原因とも考えられており、これによりさまざまな健康問題が引き起こされた可能性が高いということです。
●3月28日、デスマスク作成。なぜか解剖の翌日に作成された為、通常のデスマスクと異なり、死亡時肖像としての客観的証拠にはなり得ず、また同じタイミングで描かれたという死の床のスケッチも、同様の理由で、死亡時の姿を伝えるものとは言えない状態にあるようです。
●3月29日、アルザーシュトラーセの三位一体教会で葬儀。約2万人が参列し、約500メートルの距離を1時間半かけて移動、ヴェーリング墓地に埋葬。
●1888年、ウィーン中央墓地に改葬。


収録情報


Disc1
●ピアノ協奏曲ニ長調 Op.61a
I. Allegro, ma non troppo
II. Larghetto
III. Rondo

アマデウス・ヴェーバージンケ(ピアノ)
ゲヴァントハウス管弦楽団
クルト・マズア(指揮)
録音:1971年3月、ライプツィヒ、贖罪教会

●ピアノ・ソナタ第9番 ホ長調 Op.14-1
I. Allegro
II. Allegretto
III. Rondo: Allegro comodo

ディーター・ツェヒリン(ピアノ)

●弦楽四重奏曲ヘ長調 Hess.34
I. Allegro moderato
II. Allegretto
III. Allegro

ズスケ四重奏団

Disc2
●シェーナとアリア『ああ、不実なる人よ』 Op.65
●ソプラノのためのシェーナとアリア『初恋』 WoO.92
●ソプラノのためのシェーナとアリア『いいえ、心配しないで』 WoO.92a
●二重唱『お前の幸福な日々に』 WoO.93
●三重唱『不信心な者よ、おののけ』 Op.116
●アリア『接吻への試み』 WoO.89
●アリア『娘たちと仲良くして WoO.90
●ウムラウフの『美しい靴屋の娘』への2つのアリア WoO.91〜第1番『おお、何たる人生』
●ウムラウフの『美しい靴屋の娘』への2つのアリア WoO.91〜第2番『靴がきついのがお嫌なら』

ハンネローレ・クーゼ(ソプラノ)
エーベルハルト・ビュヒナー(テノール)
ジークフリート・フォーゲル(バス)
シュターツカペレ・ベルリン
アルトゥール・アペルト(指揮)

Disc3
●12のコントルダンス WoO.14
No. 1 in C Major
No. 2 in A Major
No. 3 in D Major
No. 4 in B-Flat Major
No. 5 in E-Flat Major
No. 6 in C Major
No. 7 in E-Flat Major
No. 8 in C Major
No. 9 in A Major
No. 10 in C Major
No. 11 in G Major
No. 12 in E-Flat Major

ベルリン室内管弦楽団
ヘルムート・コッホ(指揮)

●6つのメヌエット WoO.9
No. 1 in E-Flat Major
No. 2 in G Major
No. 3 in C Major
No. 4 in F Major
No. 5 in D Major
No. 6 in G Major

カール・ズスケ(ヴァイオリン)
クラウス・ペータース(ヴァイオリン)
マティアス・プフェンダー(チェロ)

●11のウィーン舞曲『メートリング舞曲』 WoO.17
No. 1. Waltz in E-Flat Major
No. 2. Minuet in B-Flat Major
No. 3. Waltz in B-Flat Major
No. 4. Minuet in E-Flat Major
No. 5. Minuet in E-Flat Major
No. 6. Ländler in E-Flat Major
No. 7. Minuet in B-Flat Major
No. 8. Ländler in B-Flat Major
No. 9. Minuet in G Major
No. 10. Waltz in D Major
No. 11. Waltz in D Major

●6つのレントラー WoO.15
No. 1 in D Major
No. 2 in D Major
No. 3 in D Major
No. 4 in D Minor
No. 5 in D Major
No. 6 in D Major

●12のドイツ舞曲 WoO.8
No. 1 in C Major
No. 2 in A Major
No. 3 in F Major
No. 4 in B-Flat Major
No. 5 in E-Flat Major
No. 6 in G Major
No. 7 in C Major
No. 8 in A Major
No. 9 in F Major
No. 10 in D Major
No. 11 in G Major
No. 12 in C Major (Coda)

ベルリン室内管弦楽団
ヘルムート・コッホ(指揮)

Disc4
●オラトリオ『オリーブ山上のキリスト』 Op.85
Introduction
Recitative: Jehovah, du mein Vater (Tenor)
Aria: Meine Seele ist erschuttert (Tenor)
Recitative: Erzittre, Erde! (Soprano)
Aria: Preist des Erlosers Gute (Soprano)
Chorus: O Heil euch, ihr Erlosten (Soprano)
Recitative: Verkundet, Seraph, mir dein Mund (Tenor, Soprano)
Duet: So ruhe denn (Tenor, Soprano)
Recitative: Willkommen, Tod! (Tenor)
Chorus: Wir haben ihn gesehen
Recitative: Die mich zu fangen ausgezogen (Tenor)
Chorus: Hier ist er
Recitative: Nicht ungestraft (Bass, Tenor)
Trio: In meinen Adern wuhlen (Bass, Tenor, Soprano)
Chorus: Welten singen Dank und Ehre - Chorus: Preiset ihn, ihr Engelchore

ヨージェフ・レーティ(テノール、イエス)
シルヴィア・ゲスティ(ソプラノ、セラフィム)
ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(バス、ペテロ)
ベルリン放送合唱団
ベルリン放送交響楽団
ヘルムート・コッホ(指揮)

●ジングシュピール『凱旋門』のフィナーレ『成就せり』 WoO.97

ジークフリート・フォーゲル(バス)
ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
シュターツカペレ・ベルリン
アルトゥール・アペルト(指揮)

●カンタータ『静かな海と楽しい航海』 Op.112

ベルリン放送交響楽団&合唱団
ヘルムート・コッホ(指揮)

●奉献歌『炎は燃え』 Op.121b

インゲボルグ・シュプリンガー(メゾ・ソプラノ)
ベルリン放送合唱団
ベルリン放送交響楽団
ヘルムート・コッホ(指揮)

Disc5
●12のメヌエット WoO.7
No. 1 in D Major
No. 2 in B-Flat Major
No. 3 in G Major
No. 4 in E-Flat Major
No. 5 in C Major
No. 6 in A Major
No. 7 in D Major
No. 8 in B-Flat Major
No. 9 in G Major
No. 10. in E-Flat Major
No. 11 in C Major
No. 12 in F Major

●祝賀メヌエット変ホ長調 WoO.3

ワイマール・シュターツカペレ
フリーデマン・ベッツェル(指揮)

●ピアノ協奏曲変ホ長調 WoO.4
I. Allegro moderato
II. Larghetto
III. Rondo: Allegretto

エーファ・アンダー(ピアノ)
ベルリン室内管弦楽団
ペーター・ギュルケ(指揮)

●騎士バレエのための音楽 WoO.1
March
German Song
Hunting Song - German Song
Love Song, "Romance" - German Song
War Dance - German Song
Drinking Song - German Song
German Dance
Coda

シュターツカペレ・ベルリン
ギュンター・ヘルビヒ(指揮)

Disc6
●『シュッパンツィクはならずもの〜太った人を讃えて』 WoO.100
●『ろばの中のろば』 Hess.277
●『親愛なる伯爵さま、親愛なる羊さま』 WoO.101
●『伯爵様、おたずねします』 Hess.276
●『最上の伯爵殿、貴殿は羊!』 WoO.183
●『そうあらねばならぬ』 WoO.196
●カノン ト長調 Hess.274
●『作品が出来上がった、金を調達しろ』 WoO.19
●『信じて望めよ』 WoO.174
●『ホフマンよ、決しておべっか者になるなかれ』 WoO.180
●アングレーゼ ニ長調 Hess.61
●『修道僧の歌』 WoO.104
●『博士、お訪ねしました』 WoO.190
●『修道院長殿、私は病気です』 WoO.178
●『苦しみは短く、喜びは永し』 WoO.163
●『死んでもいい、断じて違う』 WoO.173
●『神は堅きやぐら』 WoO.188
●『聖ペテロは岩なりき、ベルナルドゥスは聖なりき』 WoO.175
●『美徳とは空虚な名目ではない』 WoO.181c
●『人は高貴で、慈悲深く善良であれ』 WoO.185
●『親愛なる市参事会員殿、あなたは寒がる』 WoO.177
●『うすら寒く、生暖かくなく』 WoO.191
●『私たちはみな迷うものだ』 WoO.198
●『お芝居しないで体を動かせ!』 WoO.187
●『ブラウフレ、リンケ』 WoO.167
●『おおトビアス!、ハスリンガーの支配者』 WoO.182
●『今日バーデンを思い出せ』 WoO.181a
●『大公殿下、幸福を祈ります』 WoO.179
●『幸せはなくても良し、健康は欠くべからず』 WoO.171
●『ごきげんよう』 WoO.181b
●『人生を楽しめ』 WoO.195
●『新年おめでとう!』 WoO.165
●カノン 変イ長調 Hess.275
●『恋人の腕に安らかに憩う』 WoO.159
●『私はあなたに接吻する』 WoO.169
●『愛する人よ、私はあなたにとって悩み、死ぬ』 Hess.229
●『あなたのみを讃う』 WoO.186
●『永遠にあなたのもの』 WoO.161
●『友情は真の幸福の泉』 WoO.164
●2つのカノン WoO.160-2
●『タ、タ、タ…親愛なるメルツェルよ、ごきげんよう』 WoO.162(シンドラー?)
●『お願いです、変ホ長調の音階を書い下さい』 WoO.172
●『芸術は長く、人生は短い』(第2作) WoO.192
●2つのカノン WoO.160-1
●『沈黙を学べ』 WoO.168-1
●『雄弁』 WoO.168-2
●『ファルスタッフ君、登場しろ』 WoO.184
●2台のヴァイオリンのための小品イ長調(アレグロ) WoO.34
●別れの歌『時の鐘が鳴る』WoO.102

ヴォルフ=ディーター・バツドルフ(ヴァイオリン:WoO.34)
ベルント・ニーダーマイヤー(ヴァイオリン:WoO.34)
ワルター・オルベルツ(ピアノ:Hess.274、Hess.61、WoO.190、Hess.275)
ベルリン・ジングアカデミー
ベルリン・ゾリステン
ディートリヒ・クノーテ (指揮)
録音:1977年

●25のアイルランド民謡 WoO.152より
No. 2 Sweet Power Of Song (Duet)
No. 5 On The Massacre Of Glencoe
No. 6 What Shall I Do To Show How Much I Love He? (Duet)
No. 8 Come Draw We Round A Cheerful Ring
No. 10 The Deserter
No. 11 Thou Emblem Of Faith
No. 13 Musing On The Roaring Ocean
No. 15 Let Brainspinning Swains
No. 17 In Vain To This Desert (Duet)
No. 19 Wife, Children And Friends (Duet)
No. 20 Farewell Bliss And Farewell Nancy (Duet)
No. 21 Morning A Cruel Turmoiler Is
No. 23 The Wand'ring Gypsy
No. 24 The Traugh Welcome
20 Irish Songs WoO.153 (Selection)

●20のアイルランド民謡 WoO.153より
No. 1 When Eve's Last Rays In Twilight (Duet)
No. 4 Since Greybeards Inform Us That Youth Will Decay
No. 5 I Dream'd I Lay Where Flowers Were Springing (Duet)
No. 7 O Soothe Me, My Lyre
No. 8 Norah Of Balamagairy
No. 10 The Hapless Soldier (Duet)
No. 15 'T Is But In Vain, For Nothing Thrives
No. 17 Come, Darby Dear, Easy, Be Easy
No. 20 Thy Ship Must Sail, My Henry Dear

レナーテ・クラーマー(ソプラノ)
インゲボルグ・シュプリンガー(メゾ・ソプラノ)
ジークフリート・ローレンツ(バリトン)
アルミン・ウーデ(テノール)
ブラームス三重奏団


Disc7
●モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』の『もし伯爵様が踊るなら』による12の変奏曲ヘ長調 WoO.40

ペーター・グラッテ(ヴァイオリン)
エーファ・アンダー(ピアノ)

●アダージョ変ホ長調 WoO.43b
●ソナチネ ハ長調 WoO.44a

エルハルト・フィーツ(マンドリン)
アマデウス・ヴェーバージンケ(ピアノ)

●ヘンデルのオラトリオ『ユダス・マカウベス』の『見よ勇者は帰る』の主題による12の変奏曲ト長調 WoO.45

フリーデマン・エルベン(チェロ)
マティルデ・ヘアムート(ピアノ)

●フルート時計のための3つの小品 WoO.33
Adagio in F Major for mechanical clock, WoO.33, No. 1
Scherzo in G Major for mechanical clock, WoO.33, No. 2
Allegro in G Major for mechanical clock, WoO.33, No. 3

エーリヒ・ ピアゼツキ(オルガン)

●モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の『お手をどうぞ』による変奏曲ハ長調 WoO.28

ペーター・バッシェ(オーボエ)
エッケハルト・グロッケ(オーボエ)
ディーター・ワグナー(ホルン)

●フルート、ファゴットとピアノのための三重奏曲ト長調 WoO.37
I. Allegro
II. Adagio
III. Andante con variazioni

ベルント・カスパー(ピアノ)
ヘルマン・ヴォルフラム(フルート)
ディーター・ヘンヒェン(ファゴット)

Disc8
●25のスコットランド民謡 Op.108
1.音楽と恋とぶどう酒
2.日暮れに
3.ああ、あの楽しかったとき
4.アイラの娘
5.すてきな若者ジェイミー
6.わたしの瞳は曇って
6.わたしの瞳は曇って
7.美しいハイランドの若者よ
8.インヴァネスの美しい娘
9.見てごらん、あの緑の森を
10.同情
11.わたしの思い人、ウィリー
12.運命を共にできたなら
13.杯を満たしておくれ、わが友よ
14.ああ、陽気でなどいられない
15.残酷なお父さま
16.このいまわしき世に
17.メアリー、窓辺に来ておくれ
18.魅惑の人よ、さようなら
19.美しい小舟は軽やかに進む
20.誠実なジョニー
21.ジーニーの悩み
22.ハイランドの監視兵
23.羊飼いの歌
24.いま一度、わたしの竪琴よ
25.同じ通りに住むサリーは

レナーテ・クラーマー(ソプラノ)
インゲボルグ・シュプリンガー(メゾ・ソプラノ)
エーベルハルト・ビュヒナー(テノール)
ギュンター・ライプ(バス)
ラインハルト・ウルブリヒト(ヴァイオリン)
ヨアヒム・ビショフ(チェロ)
エーファ・アンダー(ピアノ)
ライプツィヒMDR放送合唱団
ホルスト・ノイマン(指揮)

●様々な国の23の歌 WoO.158aより
No. 1: Ridder Stings Runer (Danish)
No. 4: Wann I In Der Früh Aufsteh (Tyrolean)
No. 7: Wer Solche Buema Afipackt (Tyrolean)
No. 8: Ih Mag Di Nit Nehma, Du Töppeter Hecht (Tyrolean)
No. 9: Oj, Oj Upilem Sie W Karczmie (Polish)
No. 10: Poszla Baba Po Popiol (Polish)
No. 12: Seus Lindos Ohlos (Portugese)
No. 13: Im Walde Sind Viele Mücklein Geboren (Russian)
No. 14: Ach Bächlein, Bächlein, Kühle Wasser (Russian)
No. 15: Unsere Mädchen Gingen In Den Wald (Russian)
No. 17: Vaggvisa (Swedish)
No. 18: Un Ä Bergli Bin I Gesässe (Swiss)
No. 20: Bolero A Due: Como La Mariposa (Spanish)
No. 22: Magyar Szüretölö Enek (Hungarian)

●様々な国の6つの歌 WoO.158cより
No. 2: Non, non, Collette n'est point trompeuse

レナーテ・クラーマー(ソプラノ)
インゲボルグ・シュプリンガー(メゾ・ソプラノ)
エーベルハルト・ビュヒナー(テノール)
ギュンター・ライプ(バス)
ライプツィヒ放送合唱団
エーファ・アンダー(ピアノ)
ラインハルト・ウルブリヒト(ヴァイオリン)
ヨアヒム・ビショフ(チェロ)

●フランスのメロディ Hess.168

クルト・マーン(オーボエ)
ラインハルト・ウルブリヒト(ヴァイオリン)
ヴェルナー・パウリ(ギター)
エーファ・アンダー(ピアノ)

Disc9
●六重奏曲変ホ長調 Op.81b
I. Allegro con brio
II. Adagio
III. Rondo

ゲルハルト・マイヤー(ホルン)
ルドルフ・ヘロルト(ホルン)
エルベン四重奏団

●主題と10の変奏曲 Op.107
No. 1. Tyrolian Air in E-Flat Major
No. 2. Scottish Air in F Major
No. 3. Russian Air in G Major
No. 4. Scottish Air in F Major
No. 5. Tyrolian Air in F Major
No. 6. Scottish Air in E-Flat Major
No. 7. Russian Air in A Minor
No. 8. Scottish Air in D Major
No. 9. Scottish Air in E-Flat Major
No. 10. Scottish Air in G Minor

ヨハネス・ヴァルター(フルート)
ペーター・グラッテ(ヴァイオリン)
エーファ・アンダー(ピアノ)

●3つの二重奏曲 WoO.27
I. Allegro commodo
II. Larghetto sostenuto
III. Rondo: Allegretto

オスカル・ミヒャリク(クラリネット)
ユルゲン・ロイター(ファゴット)




商品説明:年表シリーズ

指揮者
アルヘンタ
オッテルロー
ガウク
カラヤン
クイケン
クーセヴィツキー
クチャル
クラウス
クレツキ
クレンペラー
ゴロワノフ
サヴァリッシュ
シューリヒト
ターリヒ
チェリビダッケ
ドラゴン
ドラティ
バーンスタイン
パレー
フェネル
フルトヴェングラー
メルツェンドルファー
モントゥー
ライトナー
ラインスドルフ
ロスバウト

鍵盤楽器
ヴァレンティ
カークパトリック
カサドシュ
グリンベルク
シュナーベル
ソフロニツキー
タマルキナ
タリアフェロ
デムス
ナイ
ニコラーエワ
ノヴァエス
ハスキル
ユージナ
ランドフスカ

弦楽器
カサド
コーガン
シュタルケル
フランチェスカッティ
ヤニグロ
リッチ

弦楽四重奏団
グリラー弦楽四重奏団
シェッファー四重奏団
シュナイダー四重奏団
パスカル弦楽四重奏団
ハリウッド弦楽四重奏団
ブダペスト弦楽四重奏団
伝説のフランスの弦楽四重奏団

作曲家
アンダーソン
ベートーヴェン
ヘンツェ
坂本龍一

シリーズ
テスタメント国内盤

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ヴァイオリン協奏曲のピアノ版は今では知ら...

投稿日:2012/10/16 (火)

ヴァイオリン協奏曲のピアノ版は今では知られざる、とは言い難いがあとは本当に「始めまして!!」だ。どの曲もさすが楽聖の作った物だから良い。ずっと聞いていくとベートーヴェンは結構きれいな旋律を作るのが得意だったのがわかる。

顕 さん | 岐阜県 | 不明

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全部確かめたわけではないが、ほとんどが60...

投稿日:2012/07/16 (月)

全部確かめたわけではないが、ほとんどが60年代〜70年代のベルリン・クラシックの音源だと思う。コッホの舞曲集やオリーヴ山、あと番号外のES-dur協奏曲や初めての管弦楽曲WoO1や民謡集など、最近の商業ペースではお目にかかれない曲がたくさん入っていて、しかも、じっくりと聴くと味がでてくるものばかりである。85枚組の全集で、交響曲やらでだぶらせるよりは、題名のごとく「知られざる名曲」の宝庫である。東ドイツ物だから、好みは分かれるかもしれないが、質実剛健というイメージ。華美なものはないが、印象は良い。選曲も良い。これをいっきに聴くのではなく、ガムのように何度も噛んでいくように聴けばいいものがわかってくる。録音もみなアナログステレオで、歴史的録音ものはひとつもない。

jie さん | 大阪府 | 不明

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人物・団体紹介

人物・団体ページへ

ベートーヴェン(1770-1827)

1770年12月17日(16日?):父ヨハン、母マリアの次男としてドイツのボンに誕生。 1778年:7歳でケルンでの演奏会に出演。 1781(1782?)年:クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事。 1800年:交響曲第1番を宮廷劇場で指揮。 1804年:交響曲第3番『英雄』を発表。 1805年:交響曲第5番『運命』、交響曲

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