Blu-ray Disc 輸入盤

交響曲全集 オットー・クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1970年ライヴ)(5BD)

ベートーヴェン(1770-1827)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
KKC9476
組み枚数
:
5
レーベル
:
:
International
フォーマット
:
Blu-ray Disc
その他
:
輸入盤

商品説明


クレンペラー生涯最後のベートーヴェン・サイクルがブルーレイ化!
1970年ベートーヴェン生誕200年記念演奏会
オリジナルの素材をリマスターした映像と音声で復刻!


以前クラシカ・ジャパンで放映され、神々しいばかりの『田園』などがマニアのあいだで話題となっていたクレンペラー最後のベートーヴェン・サイクルがついにブルーレイソフトで登場。しかも画質・音質共に新たにリマスターされ、荘厳な儀式のような衝撃度も大幅にアップしています。
 1970年のこのベートーヴェン・サイクルはテンポの遅さでも有名ですが、実演ということもあって、力強さや推進力も十分に備わっていますし、なによりもひとつひとつのフレーズに存在感があり、それらの織り成す広大なスケールの音楽からは、澄み切った美しささえ感じられます。
 また、演奏の様子を実際に見ることができる映像の効能も素晴らしく、特に楽員たちの献身的というほかない真剣な様子はそれだけでも感動的。テレビ放映プログラムなので、音声はモノラルですが、音はたいへん聴きやすいものとなっています。クレンペラー・フィルム財団ベートーヴェン生誕250年企画。

概要
★以前クラシカ・ジャパンで放映され、神々しいばかりの『田園』などマニアのあいだで話題となっていたクレンペラー最後のベートーヴェン・サイクルがついにブルーレイソフトで登場。
★新たにリマスターされて画質・音質共に大幅にアップ。演奏の様子をクリアな映像で見ることができるため、楽員たちの献身的というほかない真剣な様子がそれだけでも感動的。1970年のテレビ放映プログラムなので音声はモノラルですが、情報量も十分に多くたいへん聴きやすい音になっています。
★このベートーヴェン・サイクルのライヴ映像は、1967年にデッカを退職してBBCテレビ音楽部門の責任者になっていたジョン・カルショーの尽力で制作されたものです。カルショーは米キャピトル時代の1953年にクレンペラーと契約しようとして、上層部に阻まれ断念した過去がありました。
★クレンペラーは1966 年8 月に腰部を骨折して大きな手術を受け、療養のため約6か月間という予定外の空き時間を過ごすことになります。
★その長い空き時間に、死や宗教の問題について思いを巡らせ、1967年1月には、47年間のカトリック信仰を終えてユダヤ教に改宗。背景には、イスラエル
在住の妹マリアンネの危篤状態に、前年の姉レギーナの死、そしてなかなかうまくいかないイスラエルとの関わり方の問題などもありました。
★ 1967 年2 月に現場復帰したクレンペラーは、マーラー交響曲第9番のリハーサルの際、近くにあった指揮棒を手に取って気に入り、楽員の意見も聞き入れて三十数年ぶりに指揮棒を使用することに決定。1971年9月の最後のコンサートまでの4 年7か月、基本的には棒を使って指揮しています。
★クレンペラーの最晩年様式は、死や宗教への強い思いで始まり、指揮の方法も、楽員が見やすい指揮棒スタイルに変更。それが超低速化した演奏を崩壊寸前で食い止め、独自の世界を築き上げることに繋がったものと考えられます。


クレンペラーとカルショー
 この1970年のBBCテレビ放映用プログラムは、1967年にデッカを退職してBBCテレビ音楽部門の責任者になっていたジョン・カルショーの尽力で制作されたものです。イギリスでカラー放送が始まったのは前年の1969年11月のことなので、1971年には引退してしまうクレンペラーのベートーヴェン全集サイクルが、カラー時代に企画され収録たのは幸運でした。
 カルショーは1946年に英デッカに入社し、1953年に当時英デッカと提携関係にあった米キャピトルに出向。クラシック・レパートリーの構築を依頼されます。
 29歳のカルショーはさっそく、1952年に英EMIと契約しながらもアメリカ政府によるパスポート更新拒否により出国できずアメリカに留まっていたクレンペラーと契約しようとしますが、米キャピトル上層部に阻まれて断念。上層部拒否の理由は、クレンペラーが1946年に極度の躁状態で引き起こした事件があまりに酷いというものでした(サンフランシスコ歌劇場でブライザッハ指揮レズニック主演『フィデリオ』のリハーサルを大声で茶化した事件など)。2年後、米キャピトルと英デッカの提携は解消され、米キャピトルは英EMI傘下となったことでカルショーは英デッカに復帰。
 その契約不成立から17年、それぞれの道で大きな成功を収めたクレンペラーとカルショーがようやく一緒に仕事をすることになったのがこの映像作品でもあります。クレンペラーは脳腫瘍摘出手術の後遺症で顔の右側に麻痺があるため、なるべく右側からのショットは使わないように配慮し、もし体調が悪くなったらすぐに撮影を中止するといった条件をカルショーは提示。クレンペラーが安心できる体制で撮影に臨んでいます。

最晩年様式到達への背景
 クレンペラーは1966年8月に腰部を骨折し大きな手術を受けていますが、81歳ながら順調な回復を見せ、3か月後にはなんとか歩けるようになっていました。しかし医師の診断により指揮台への復帰は1967年2月とされていたので、クレンペラーは約6か月間という予定外の空き時間を過ごすことになります。
 その長い空き時間に、死や宗教の問題について思いを巡らせることになったのではないかと考えられ、1967年1月には、47年間のカトリック信仰を終えてユダヤ教に改宗。背景には、イスラエル在住の妹マリアンネの危篤状態に、前年の姉レギーナの死、そしてなかなかうまくいかないイスラエルとの関わり方の問題もありましたし、さらに交響曲第9番を作曲すると死ぬ、というジンクスから結局は逃れられなかった恩人マーラーへの思いもあったかもしれません。ともかくクレンペラーは42年ぶりに交響曲第9番を取り上げることを思い立ち、静養期間中にプロデューサーと関係者に無理を言ってコトを進め、現場復帰した1967年2月にはすぐにレコーディングとコンサートの両方を実現。みずから執筆した公演プログラムでは、第4楽章アダージョは死の尊厳であり、交響曲全体に解決をもたらすと解説していました。

最晩年様式と指揮棒
 そのマーラーの交響曲第9番のリハーサルの際、近くにあった指揮棒を手に取って気に入り、楽員の意見も聞き入れて三十数年ぶりに指揮棒を使用することに決定。クレンペラーはアメリカに渡った1930年代以降ずっと指揮棒を持たないスタイルでしたが、この1967年2月からは棒振りスタイルに変更、1971年9月の最後のコンサートまでの4年7か月、基本的には棒を使って指揮しています。
 つまりクレンペラーの最晩年様式は、死や宗教への強い思いで始まり、その指揮は、楽員から見やすい指揮棒スタイルに変更され、それが体力の低下に伴う超低速化を崩壊寸前で食い止めることに繋がったものとも考えられます。


最晩年様式と解釈の変化
 クレンペラー最晩年様式の遅さの基本的な原因が、加齢と身体的ダメージによる運動機能の低下であることは明らかですが、繰り返し指揮している曲や、合わせやすい曲の場合は、オーケストラも心得ており、グッドールやシャピラといった下稽古の助手がいなくても問題なく演奏を仕上げることが可能でした。
 たとえばベートーヴェンやモーツァルトなどの得意レパートリーの実演では、単に物理的に遅くなったというだけでは説明のつかない音楽になっており、それは戦前に『精力的で精密な燃焼』と称えられた芸風とは大きく異なっています。
 戦後のクレンペラーは、指揮者の役割の本質が、音楽を呼吸させるように楽員を導くことであると述べていましたが、最晩年様式の演奏では、そうしたアプローチがさらに強化された状態となっており、ひとつひとつのフレーズの出入りが確認できるようなテンポと多声的な響きが聴かれることが多くなっていきます。その極端な例が、マーラーの交響曲第7番や『フィガロの結婚』『コジ・ファン・トゥッテ』でもありましたが、ベートーヴェンの実演では、楽員が十分すぎるほど体得している作品ということもあってか、最晩年様式なのにエネルギー・レヴェルも高い演奏となっている点が見逃せません。

1970年のベートーヴェン
 この1970年の全曲サイクルの面白さは、そうした楽員たちのおそろしくシリアスな演奏風景が見られるところにもあります。まさかBBC側のカルショーもしくはプロデューサーのトッズから表情についての要請が入ったとも思えませんし、翌年のブラームスでも同じような感じなので、これがクレンペラーと共演するときの当時のニュー・フィルハーモニア管の表情ということなのでしょう。
 これまでクレンペラーのもとで何度も何度もベートーヴェンで成功体験を積み重ねてきた楽員たちといえども、この最晩年様式での演奏は初めての体験で、たとえば第9はそれまでほぼ68分から72分で演奏していましたが、ここでは81分も要しており、6年前の映像よりちょうど10分も遅くなっています。なので慣れているはずの楽員にとっても新たな体験になったことと思われますが、堅牢でありながら伸び伸びと広大なフォルムには独特の魅力が備わっています。
 クレンペラーは翌年のブラームス3番ではベートーヴェンほど極端なことはしていないので、やはりこれは最晩年様式でのモーツァルト、ベートーヴェン、マーラー解釈に顕著だったアップデートの一環ということなのかもしれません。

ホールの音響問題
 会場のロイヤル・フェスティヴァル・ホールは2,900席の大ホール。ロンドンのコンサート・ホールは、1871年に完成した巨大なロイヤル・アルバート・ホールが、対策が施される1969年まで客席での残響が過多で、要人スピーチなどもまともに聞き取れなかったことから、あとにつくられるホールでは過剰なまでに明瞭さが追求され、結果的にロンドンのクラシック用大ホールはすべて残響が短いということにになってしまっています。
 1951年に完成したロイヤル・フェスティヴァル・ホールも対策が行きすぎて残響が短めであったことから、明瞭度を損なうことなく豊かな響きが得られるように電気的な補助共鳴システムを1965年から導入。125Hzでの空席時残響時間が1.4秒から2.5秒に改善されており、1998年に老朽化により停止されるまで多くの演奏をサポートしていました。
 クレンペラーもここで、交響曲第1番、第2番、第4番については少なめの編成で演奏していますが、響きは十分に豊かです。


【収録情報】

BD1
●ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調 Op.21
●ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調 Op.55『英雄』
収録:1970年5月26日
放映(BBC TV):1970年6月19日(第1番)、6月21日(第2番)

BD2
●ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調 Op.60
●ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 Op.67『運命』
収録:1970年6月2日
放映(BBC TV):1970年6月26日

BD3
●ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調 Op.36
●ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調 Op.68『田園』
収録:1970年6月9日
放映(BBC TV):1970年6月19日(第2番)、6月28日(第6番)

BD4
●ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調 Op.93
●ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 Op.92
収録:1970年6月21日
放映(BBC TV):1970年7月3日

BD5
●ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 Op.125『合唱つき』
テレサ・ツィリス=ガラ(ソプラノ)
ジャネット・ベイカー(メゾソプラノ)
ジョージ・シャーリー(テノール)
テオ・アダム(バリトン)
ニュー・フィルハーモニア合唱団
ヴィルヘルム・ピッツ(合唱指揮)
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
オットー・クレンペラー(指揮)
収録:1970年6月30日
放映(BBC TV):1970年7月5日

[ボーナス・オーディオ]
オットー・クレンペラーについて/ガレス・モリスによる回想録(インタビューアー:ジョン・トランスキー)

収録曲   

ディスク   1

  • 01. 交響曲第1番ハ長調Op.21
  • 02. 交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」

ディスク   2

  • 01. 交響曲第4番変ロ長調Op.60
  • 02. 交響曲第5番ハ短調Op.67「運命」

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人物・団体紹介

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ベートーヴェン(1770-1827)

1770年12月17日(16日?):父ヨハン、母マリアの次男としてドイツのボンに誕生。 1778年:7歳でケルンでの演奏会に出演。 1781(1782?)年:クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事。 1800年:交響曲第1番を宮廷劇場で指揮。 1804年:交響曲第3番『英雄』を発表。 1805年:交響曲第5番『運命』、交響曲

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