パンツァー・オペラツィオーネン 第三装甲集団司令官「バルバロッサ」作戦回顧録

ヘルマン・ホート

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784861826535
ISBN 10 : 4861826535
フォーマット
出版社
発行年月
2017年09月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
大木毅 ,  
追加情報
:
464p;20

内容詳細

総統に直言、陸軍参謀総長に異議、戦車将軍に反論。兵士たちから“親父”と慕われ、ロンメル、マンシュタインに並び称される将星、“知られざる作戦の名手”が、勝敗の本質、用兵思想、戦術・作戦・戦略のあり方、前線における装甲部隊の運用、戦史研究の意味、そして人類史上最大の戦い独ソ戦の実相を自ら語る。貴重な原書オリジナル図版全収録。

目次 : 第1章 序説/ 第2章 前史/ 第3章 国境地帯における敵の撃砕―六月二十二日〜七月一日/ 第4章 ヒトラー大本営/ 第5章 ミンスクからドヴィナ川へ―一九四一年七月一日〜七日/ 第6章 スモレンスクの戦い―七月八日〜十六日/ 第7章 スモレンスク包囲陣の維持―七月十六日〜八月十八日/ 第8章 モスクワ、キエフ、もしくはレニングラード/ 第9章 ヴャジマ戦に至るまでの作戦

【著者紹介】
ヘルマン・ホート : 1885‐1971。ドイツ国防軍の軍人。最終階級は上級大将。第一次世界大戦前に参謀将校としての訓練を受け、第二次大戦開始時には歩兵大将に進級、装甲部隊である第15軍団長を拝命。ポーランド侵攻で戦功をあげ、騎士鉄十字章を受ける。翌年のフランス作戦でも侵攻の尖兵となり、その功績で上級大将に進級。1941年のソ連侵攻では、第3装甲集団司令官に任命された。グデーリアンの第2装甲集団と協力し、史上空前の包囲殱滅戦を実行。1943年秋、ウクライナの大都キエフの防衛に失敗し、ヒトラーに解任された

大木毅 : 1961年東京生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学。DAAD(ドイツ学術交流会)奨学生としてボン大学に留学。千葉大学その他の非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、国立昭和館運営専門委員等を経て、現在著術業。2016年より陸上自衛隊幹部学校講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • Panzer Leader さん

    グーデリアン・マンシュタイン・ロンメルほど知名度はないが、最も優秀な戦略・戦術家/装甲部隊指揮官と謳われたヘルマン・ホ−トのモスクワ前面までの独軍ソ連侵攻「バルバロッサ」作戦を綴った回顧録。後進への指導書という体裁をとってるため、なるべく人名を出さない書き方(自分の事まで第三装甲集団司令官と呼称している)の上、本文・付録・原註・図版が別々に分割されているためえらく読みずらいが、一野戦指揮官から見た独ソ戦の実相を垣間見ることのできる貴重な資料。

  • スー さん

    兵士達からホト親父と慕われた名将が独ソ戦やフランス侵攻で得た教訓を実例を挙げながら後輩達の為に書いた本です。独ソ戦ではヒトラーはソ連をどう降伏させるか方針が決まっておらずモスクワを落とすか工場地帯や油田を押さえるかソ連軍主力を撃破するかを決められず千載一遇のチャンスを逃してしまう。フランス戦はフランスの将兵が弱いのではなくて、第一次大戦後の軍再建したら際にマジノ要塞建設など盾の整備に力を入れた為に軍の性格が守戦に特化してしまい結果、迅速な行動がとれず反撃のチャンスを自ら放棄する結果に繋がった。

  • ビタミン さん

    ★★★☆☆

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ヘルマン・ホート

1885‐1971。ドイツ国防軍の軍人。最終階級は上級大将。第一次世界大戦前に参謀将校としての訓練を受け、第二次大戦開始時には歩兵大将に進級、装甲部隊である第15軍団長を拝命。ポーランド侵攻で戦功をあげ、騎士鉄十字章を受ける。翌年のフランス作戦でも侵攻の尖兵となり、その功績で上級大将に進級。1941

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