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【中古:盤質AB】 交響曲第1番、第3番 アーベントロート&ライプツィヒ放送響

ブラームス(1833-1897)

中古情報

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AB
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アーベントロートの芸術
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基本情報

ジャンル
カタログNo
KICC704
レーベル
日本
フォーマット
CD

商品説明

(こちらは新品のHMVレビューとなります。参考として下さいませ。中古商品にはサイト上に記載がある場合でも、封入/外付け特典は付属いたしません。また、実際の商品と内容が異なる場合がございます。)

凄まじい情熱!ついに原音で蘇ったドイツの巨匠!!
宇野功芳監修によるアーベントロートのCDベスト5、ハイパー・リマスタリングでよみがえる!
アーベントロートの芸術

今こそ聴くべし、アーベントロート!【宇野功芳】
「アーベントロートは旧東ドイツで活躍していたため、もう一つ知名度が弱いが、フルトヴェングラーより3歳年上のこの巨匠の個性は極めて強烈で、ブラームスの一番と「悲愴」はフルトヴェングラーよりもはるかに雄弁であり、「第九」も部分的に上まわる。一方、ハイドンやモーツァルトの交響曲における、きりりとした造型の中に宿る豊かな内容は、この指揮者の芸風の広さを示して余すところがない。今こそ聴くべし、アーベントロート!」

ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)はフルトヴェングラー(1886-1954)やクナッパーツブッシュ(1888-1965)と同世代のドイツの巨匠指揮者。旧東ドイツのライプツィヒを拠点に活躍していたため、西側にとっては”幻”の指揮者であったが、ドイツシャルプラッテンと契約した徳間音工が”幻”の音源を発掘、1974年はじめてLPシリーズで発売、宇野功芳氏の推薦紹介とあいまって、業界に大反響をまきおこしたであった。その後CD化されたが、国内LP盤の音質には達していないのがファンの不満でもあった。そのCDも長らく廃盤になっている中、宇野功芳氏がLPで20枚分ある音源の中から自ら推薦演奏のみ厳選し全曲を解説、キング独自のハイパー・リマスタリング技術を施して発売!

ハイパー・リマスタリングとは歴史的アナログ録音の持ち味を最大限デジタル・マスタリングに生かすべく@管球式ハイパワー・ライン・アンプの使用A純粋正弦波交流電源の使用B伝送系ケーブルの使い分け−等々マスタリングの機器や周辺環境を整備して行う、当社独自の技術です。“世界最高水準の音質”との評価を誇るスーパー・アナログ・ディスクの技術に裏打ちされた、わが社のみが成しえる職人芸術の粋をCDで堪能できます。(キングレコード)

ブラームス:
@交響曲第1番ハ短調Op.68
A交響曲第3番ヘ短調Op.90
 ヘルマン・アーベントロート指揮
 ライプツィヒ放送交響楽団
 録音:@1949年10月20日ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール)A1952年3月17日ライプツィヒ・コングレスハーレ、全てモノラル



【アーベントロートのプロフィール】
1883年フランクフルトの大きな書籍商の息子として生まれた。7歳からヴァイオリンを始める。
1900年からミュンヘン音楽院でフェリックス・モットルに指揮法を、ルートヴィヒ・テュイレに楽理と作曲を、ピアノはアンナ・ランゲンハム・ヒルツェルに師事した。
1905年からリューベック市でプロの指揮者としてスタートする。
1911年から1914年までエッセン市の音楽監督をつとめた。
1914年ケルン音楽院の院長となり、1915年から1934年までケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団を指揮。1918年にケルン市の音楽監督に就任。1919年教授になる。
1922年からはベルリン国立歌劇場でも指揮し始める。
1934年1月、ナチス・ドイツより「ナチスの政策に非協力的であること」「ユダヤ人社会ならびにユダヤ人とその文化に好意的であること」などの理由から、ケルン音楽大学学長などの職務を解任され、公職追放された。同年、ライプツィヒに移住。ブルーノ・ワルターが亡命して空席となっていたライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団常任指揮者に就任し、終戦まで務めた。
1943年・1944年バイロイト音楽祭でニュルンベルクのマイスタージンガーを指揮。
1945年末にゲヴァントハウス管弦楽団を退任し、翌1946年よりヴァイマル音楽大学学長ならびにリスト博物館館長に着任。
1949年よりライプツィヒでの指揮活動を再開し、ライプツィヒ放送交響楽団首席指揮者に、1953年からはベルリン放送交響楽団首席指揮者に就任。
1949年08月25日ドイツ民主共和国から国家賞を受賞。
戦後は東ドイツに留まったが、西ドイツのオーケストラへも度々客演している。1951年にはプラハの春音楽祭に東ドイツ代表として参加。1954年から1955年まで、東欧各地やバルカン半島でも演奏活動を行っている。1956年5月下旬、イェナに演奏旅行で滞在中に脳卒中に倒れ、いったんは手術により小康状態を保つが、5月29日に病院内の庭を散策中に再び倒れ、そのまま帰らぬ人となった。葬儀は6月2日に、東ドイツにより国葬として行われた。
戦後の10年間、東西に分割されたドイツ楽壇において、西のフルトヴェングラーに対し東ではアーベントロートのみが最重鎮としてその存在をあらしむものであった。
(キングレコード)

収録曲   

  • 01. 交響曲 第1番 ハ短調 Op.68 第1楽章: ウン・ポコ・ソステヌート-アレグロ
  • 02. 交響曲 第1番 ハ短調 Op.68 第2楽章: アンダンテ・ソステヌート
  • 03. 交響曲 第1番 ハ短調 Op.68 第3楽章: ウン・ポコ・アレグレット・エ・グラツィオーソ
  • 04. 交響曲 第1番 ハ短調 Op.68 第4楽章: アダージョ-ピウ・アンダンテ-アレグロ・ノン・トロッポ・マ・コン・ブリオ
  • 05. 交響曲 第3番 ヘ短調 Op.90 第1楽章: アレグロ・コン・ブリオ
  • 06. 交響曲 第3番 ヘ短調 Op.90 第2楽章: アンダンテ
  • 07. 交響曲 第3番 ヘ短調 Op.90 第3楽章: ポコ・アレグレット
  • 08. 交響曲 第3番 ヘ短調 Op.90 第4楽章: アレグロ

総合評価

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3.5

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1番は音がこもり、不明瞭。 最後まで聴く...

投稿日:2011/11/07 (月)

1番は音がこもり、不明瞭。 最後まで聴くのは辛い状態。 3番はややデッドな録音だが、明瞭。  3番の1楽章の出だしは楽譜の指示通りアレグロ コン ブリオ。哀愁よりも、がっしりした構造性が表に出て、個人的に好みの演奏。即物的、楽譜どおりという評判だが、テンポのゆれが「ゆらぎ」のように音楽に表情を与え、輪郭がはっきりした音楽の無骨さと相まって、なかなか味わい深い3番だった。19世紀の指揮者というイメージよりもっと近代的な精神に裏付けされた音楽家のように感じられた。当初は懐古趣味的な興味だったが、きちんと対座して聴きたくなった。 ☆評価は3番のみ。 1番は無☆かな。

shef さん | 栃木県 | 不明

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私は交響曲第3番とハイドン変奏曲の入った...

投稿日:2009/09/29 (火)

私は交響曲第3番とハイドン変奏曲の入った盤を聴いております。1952年収録の交響曲第3番はその盤解説の宇野氏によりますとアーベントロートが録音した三曲のブラームス・シンフォニーの内で一番安心して聴ける演奏だということです。第1楽章は大変威勢よくスタートして少し私がこの曲に持っている「屈託」というものとは縁がなさそうです。こうしたイメージで進んで行くうち第3楽章は中間部転調部分の速さが是非の分かれる処ではありますが本来の憂愁さを提示させた演奏に出来上がっております、全楽章通してそれでもトータルタイム31分余はやはり反復部分がないとしても短めと言えましょう。第1番の方は未聴なのですが多分個性ある力のこもった彼らしい演奏かと思われます。いずれにしてもモノラル故の迫力が感ぜられる盤でしょう、OKランクと仮置きします。

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 この1番はピッチの問題がある。再販の視...

投稿日:2009/05/25 (月)

 この1番はピッチの問題がある。再販の視聴を聞く限りピッチの問題は解決されていないようだ。ピッチの修正をおこなえばまた違ったものに聞こえることは言うまでもない。その問題を解決し再販してもらいたい。

笛吹きピーピー さん | 不明 | 不明

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人物・団体紹介

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ブラームス(1833-1897)

1833年:北ドイツのハンブルクでヨハネス・ブラームス誕生。 1843年:演奏会にピアニストとして出演。作曲家、ピアニストのマルクスゼンに師事。 1852年:ピアノ・ソナタ第2番が完成。 1853年:ピアノ・ソナタ第1番、ピアノ・ソナタ第3番が完成。 1854年:ピアノ三重奏曲第1番、シューマンの主題による変奏曲が完成。

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