
1947年ラスト・リサイタルも収録!
コンスタンチン・イグムノフの芸術(5CD)
独奏曲、ピアノロール、「詩人の恋」、「偉大な芸術家の思い出に」第1楽章
CDの概要
【録音嫌いの巨匠の貴重な音源】
◆イギリスのヒストリカル系レーベル、
スクリベンダムから、ロシアン・ピアニズムの大御所、コンスタンチン・イグムノフの5枚組ボックスが登場。
◆イグムノフの活動時期は、1894年から1948年までの54年間と長期に渡りますが、演奏会や教育活動の重責に加え、心身のコンディション維持のために夏の長期保養を欠かさなかったことや、戦争や行政による機会損失などの問題、そして何より録音が嫌いだったこともあって、名声の割に遺された音源は限られていますが、それでも晩年の味わい深いライヴ録音などが聴けるのは朗報です。
◆セットには独奏曲のほか、シューマンの歌曲集「詩人の恋」と、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」第1楽章も収録されています。「詩人の恋」はソ連最高の美声テノールと称えられたコズロフスキーとの戦後間もなくのスタジオ録音。「偉大な芸術家の思い出に」は第1楽章のみ戦前にスタジオ録音されたもので、どちらもアプレレフカ・レーベル(メロディアの前身)のために録音されています。
【ロシア帝国型文化人の含蓄に富む演奏】
◆人生の3分の2をロシアの帝政の中で過ごしたイグムノフは、19世紀ロシアの知識人・文化人に多いタイプの、自然や文学、歴史、芸術を愛する教養豊かな人物でもあり、その芸風には独特の個性が備わっています。
◆少年時代にラフマニノフやスクリャービンと同門だったこともあるイグムノフは、リストの弟子のジロティや、チャイコフスキーの弟子のタネーエフに最も影響を受けたほか、サフォノフやパプストなどあまり相性の良くない教授のもとで苦労した経験もある人物。
◆イグムノフの実演での評判と誠実な授業の内容はクラスの人気にも繋がり、ヤコフ・フリエール、マリア・グリンベルク、ローザ・タマルキナ、ベラ・ダヴィドヴィチ、レフ・オボーリン、アルノ・ババジャニャン、ナウム・シュタルクマン、ヤコフ・ミルシテインなど500人以上を育てることになります。
【収録作品】
CD1
◆ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第7番 Op.10-3(1947年ラスト・リサイタル)
◆ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 Op.58(1947年ラスト・リサイタル)
◆チャイコフスキー:ピアノ・ソナタ(大ソナタ) Op.37(1947年ラスト・リサイタル)
CD2
◆リャードフ:グリンカの主題による変奏曲 Op.35(1947年ラスト・リサイタル)
◆リャードフ:3つの小品 Op.11 より第1曲 前奏曲(1947年ラスト・リサイタル)
◆シューベルト:6つの楽興の時 D.780 より 第4番(1947年ラスト・リサイタル)
◆ルビンシテイン:3つの小品 Op.16 より第1曲 即興曲(1947年ラスト・リサイタル)
◆チャイコフスキー:3つのロマンス Op.16 より第1曲 ゆりかごの歌(1947年ラスト・リサイタル)
◆チャイコフスキー:「地方長官」 Op.78 より熱い告白 TH148(1947年ラスト・リサイタル)
◆チャイコフスキー:6つの小品 Op.19 より第1曲 夕べの夢想(1947年ラスト・リサイタル)
◆ショパン:3つのマズルカ Op.56 より第1曲(第33番)(1935)
◆スクリャービン:2つの詩曲 Op.32 より第1番(1935)
◆スクリャービン:9つのマズルカ Op.25 より第7曲(1946)
◆ラフマニノフ:サロン小品集 Op.10 より第3曲 舟歌(1946)
◆ルビンシテイン:ペテルホッフのアルバム Op.75 より第9曲 前奏曲(1946)
◆ルビンシテイン:6つの小品 Op.51 より第1曲 メランコリー(1946)
CD3
◆チャイコフスキー:四季 Op.37a(1947)
◆チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲 Op.50「偉大な芸術家の思い出に」より第1楽章(1939)
CD4
◆シューマン:詩人の恋 Op.48(ロシア語歌唱)(1946)
◆シューマン:クライスレリアーナ Op.16(1941)
CD5
◆ラフマニノフ:前奏曲集 Op.23 より第1番(1910年製ピアノロール)
◆ラフマニノフ:前奏曲集 Op.23 より第6番(1910年製ピアノロール)
◆スクリャービン:ピアノ・ソナタ第2番「幻想ソナタ」 より第1楽章(1910年製ピアノロール)
◆ブラームス:6つのピアノ小品 Op.118 より第6曲 間奏曲(1910年製ピアノロール)
◆アレンスキー:海辺にて Op.52 より第4曲(1910年製ピアノロール)
【演奏者】
◆コンスタンチン・イグムノフ(ピアノ)
◆ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン/CD3「偉大な芸術家の思い出に」第1楽章)
◆スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー(チェロ/CD3「偉大な芸術家の思い出に」第1楽章)
◆イワン・コズロフスキー(テノール/CD4「詩人の恋」)
【録音】
CD1-4
◆1935-1947年
CD5
◆ピアノロール制作:1910年
演奏者情報

コンスタンチン・ニコラエヴィチ・イグムノフ(ピアノ)
【生地】
◆ロシア帝国西部、タンボフ県、レベジャニ(1873年5月1日)
【生家】
◆イグムノフ家は19世紀のレベジャニで最も成功した貿易商で、植民地産品の輸入やタンボフ産小麦の輸出などをおこなって父方曾祖父と祖父の代で財を成していました。広大な自宅敷地は2つの通りに面しており、メインの邸宅のほか、平屋建ての付属建物2棟とその他の付属建物に加え、大きな納屋と果樹園まであります。
◆父ニコライはレベジャニ市長に選出されたほか、自宅の裏手にあったノヴォ・カザンスキー大聖堂の管理者にも任命された人物で、詩作に興じたり作曲もおこなったりと、レベジャニ屈指の文化人としても知られていました。また、同じレベジャニに住んでいた父の弟はアマチュア・ピアニストで、イグムノフに影響を与えましたが、イグムノフが11歳の時に亡くなっています。
【学業】
◆家庭教師(1877-1886):イグムノフ邸に住み込んでいたアリーナ・フョードロヴナ・メイエルによりドイツ式教育。ピアノも指導。
◆レベジャニの4年制プロギムナジウム(1884-1887)
◆ニコライ・ズヴェーレフの私塾(1887-1888)
◆第一モスクワ古典ギムナジウム(1887-1892)
◆モスクワ音楽院(1888-1894)
◆モスクワ大学(1892-1895)
【賞歴】
◆第2回アントン・ルビンシテイン国際ピアノコンクール(1895):名誉賞。
【仕事】
◆演奏活動(1894-1947)
◆個人指導(1896-1898)
◆ロシア音楽協会附属チフリス音楽学校(1898-1899)
◆モスクワ音楽院(1899-1948):教授
演奏者情報

コンスタンチン・イグムノフ(ピアノ)

ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン)

スヴィヤトスラフ・クヌシェヴィツキー(チェロ)

イワン・コズロフスキー(1900-1993)
イグムノフ年表

1873
1874
1875
1876
1877
1878
1879
1880
1881
1882
1883
1884
1885
1886
1887
1888
1889
1890
1891
1892
1893
1894
1895
1896
1897
1898
1899
1900
1901
1902
1903
1904
1905
1906
1907
1908
1909
1910
1911
1912
1913
1914
1915
1916
1917
1918
1919
1920
1921
1922
1923
1924
1925
1926
1927
1928
1929
1930
1931
1932
1933
1934
1935
1936
1937
1938
1939
1940
1941
1942
1943
1944
1945
1946
1947
1948
1873年(0歳)
◆5月1日、ロシア帝国西部、モスクワの南南東約320qに位置する穀倉地帯タンボフ県(面積66,500㎢)、レベジャンスキー地区(面積3,016㎢)のレベジャニ市(面積21.42㎢)で、コンスタンチン・ニコラエヴィチ・イグムノフが誕生。肥沃な穀倉地帯であるタンボフの中にあって、レベジャニは鉄道の通る商業都市として栄えたほか、競馬用の種馬牧場でも知られ、1826年にはロシア初の競馬協会が設立されていました。イグムノフ誕生当時の人口は約6千人で、人口構成は、町民約70%、農民約15%、商人約8%、貴族約6%、聖職者約1%となっており、以後、町民中心に人口が急速に増え、1897年の最初の国勢調査では約12,800人となっています。
◆イグムノフ家は19世紀のレベジャニで最も成功した貿易商で、植民地産品の輸入やタンボフ産小麦の輸出などをおこなって父方曾祖父と祖父の代で財を成していました。レンガ塀で囲まれた広大な自宅敷地はドヴォリャンスカヤ通りとクズミンスカヤ通りに面しており、メインの邸宅(上の画像の中央)のほか、平屋建ての付属建物2棟とその他の付属建物に加え、大きな納屋と果樹園まで含まれています。当時のレベジャニの地主は貴族のホジコフとシロフスキーですが、イグムノフ家は彼らに負けず注目を集める存在でした。
◆父ニコライはレベジャニ市長に選出されたほか、自宅の裏手にあったノヴォ・カザンスキー大聖堂の管理者にも任命された人物で、詩作に興じたり作曲もおこなったりと、レベジャニ屈指の文化人として知られていました。また、同じレベジャニに住んでいた父の弟はアマチュア・ピアニストで、イグムノフに影響を与えましたが、イグムノフが11歳の時に亡くなっています。
◆家族は、父ニコライ・イヴァノヴィチ・イグムノフ(1823-1898)、母クラウディア・ヴァシリエヴナ・イグムノワ(1836-1907/旧姓:イグナトワ)に、兄ニコライ、兄セルゲイ(1864-1942)、姉エリザベータの計6人。
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1874年(0-1歳)
◆夏、イグムノフ家の別荘(ダーチャ)のあるタンボフ県レベジャンスキー地区のショフスコエ村に滞在。レベジャニの東北東約18qに位置するこの自然豊かな農村で、以後、イグムノフはモスクワに転居するまでの13年間、毎年夏を過ごすことになります。多感だったイグムノフ少年にとってこの地での滞在経験は忘れがたいものとなり、ショフスコエ村の土を入れた小さな紙袋を生涯肌身離さず持ち歩き、最後は副葬品としたほどでした。
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1875年(1-2歳)
◆夏、ショフスコエ村に滞在。
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1876年(2-3歳)
◆夏、ショフスコエ村に滞在。
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1877年(3-4歳)
◆家庭教師アリーナ・フョードロヴナ・メイエルがイグムノフ邸に住み込み、イグムノフへのドイツ式教育を開始。ピアノも教えていました。メイエルの指導は、1886年まで9年間続きます。
◆夏、ショフスコエ村に滞在。
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1878年(4-5歳)
◆家庭教師アリーナ・フョードロヴナ・メイエルに師事。
◆夏、ショフスコエ村に滞在。
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1879年(5-6歳)
◆家庭教師アリーナ・フョードロヴナ・メイエルに師事。
◆夏、ショフスコエ村に滞在。
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1880年(6-7歳)
◆家庭教師アリーナ・フョードロヴナ・メイエルに師事。
◆夏、ショフスコエ村に滞在。
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1881年(7-8歳)
◆家庭教師アリーナ・フョードロヴナ・メイエルに師事。
◆1月14日、7歳8か月で慈善コンサートに出演。家庭教師アリーナとともに、アドルフ・ベルンハルト・マルクス(1795-1866)の書いた「ヴェルディのオペラ『イル・トロヴァトーレ』の主題による幻想曲」を連弾で披露。
◆夏、ショフスコエ村に滞在。
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1882年(8-9歳)
◆家庭教師アリーナ・フョードロヴナ・メイエルに師事。
◆夏、ショフスコエ村に滞在。
◆夏、モスクワ万博(全ロシア産業・芸術博覧会)を訪れ、ボリショイ劇場公演の「ファウスト」、「ユグノー教徒」などを会場内のホール(2,150席)で鑑賞。イグムノフは「ユグノー教徒」が気に入り、帰宅後に楽譜を注文します。
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1883年(9-10歳)
◆家庭教師アリーナ・フョードロヴナ・メイエルに師事。
◆夏、ショフスコエ村に滞在。
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1884年(10-11歳)
◆レベジャニの4年制プロギムナジウム(予備中等学校)に入学。
◆家庭教師アリーナ・フョードロヴナ・メイエルに師事。
◆夏、ショフスコエ村に滞在。
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1885年(11-12歳)
◆レベジャニの4年制プロギムナジウムに在学。
◆家庭教師アリーナ・フョードロヴナ・メイエルに師事。
◆夏、ショフスコエ村に滞在。
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1886年(12-13歳)
◆レベジャニの4年制プロギムナジウムに在学。
◆夏、ショフスコエ村に滞在。
◆秋、慈善コンサートに出演。ベートーヴェン:「エグモント」序曲、リスト:ハンガリー狂詩曲第6番、カルクブレンナー:フォリア幻想曲を演奏して成功。
◆11月23日、イグムノフと家庭教師メイエルのほか、地元の音楽愛好家も参加したコンサート。
◆家庭教師アリーナ・フョードロヴナ・メイエルがイグムノフ家を去ります。
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1887年(13-14歳)
◆レベジャニの4年制プロギムナジウムを卒業。
◆夏、ショフスコエ村に滞在。
◆8月15日、両親とともにモスクワに到着。2日がかりの旅でした。イグムノフはモスクワの叔母の家で生活することになります。
◆10月、モスクワ音楽院教育学の教授、ニコライ・ズヴェーレフ(1832-1893)の運営する私塾に入門。ズヴェーレフの塾では、ラフマニノフやスクリャービンも学んでおり、イグムノフとラフマニノフは何度か連弾もおこなっていました。
◆11月、ロシア音楽協会の管弦楽演奏会を鑑賞。チャイコフスキーが自作を指揮。「フランチェスカ・ダ・リミニ」に圧倒されますが、タネーエフがソロを弾いた協奏的幻想曲には幻滅。
◆11月、ロシア音楽協会の室内楽演奏会を鑑賞。ロシア音楽協会弦楽四重奏団によるチャイコフスキーの四重奏曲には熱狂するもののパーヴェル・パプストの弾いたチャイコフスキーのピアノ独奏曲には満足できませんでした。
◆イグムノフは、トレチャコフ美術館や数多くの美術展に通ったほか、大聖堂や修道院といった歴史的建築物にも足繁く通い、視覚鑑賞にのめりこむようにもなります。
◆第一モスクワ古典ギムナジウムの5年生に編入。
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1888年(14-15歳)
◆第一モスクワ古典ギムナジウムに在学。
◆ズヴェーレフの私塾での学習を修了。ズヴェーレフはイグムノフをギムナジウムから退学させて音楽教育に専念させるよう提案しますが、父親は時期尚早であるとして拒否。
◆モスクワ音楽院に入学。当初はアレクサンドル・ジロティ(1863-1945)のピアノ・クラスに参加。同級生にアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル(1875-1961)もいました。
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1889年(15-16歳)

◆第一モスクワ古典ギムナジウムに在学。
◆モスクワ音楽院に在学。ジロティに師事。
◆アントン・ルビンシテインの演奏会を聴いて感動し、生涯忘れない記憶となります。
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1890年(16-17歳)
◆第一モスクワ古典ギムナジウムに在学。
◆モスクワ音楽院に在学。ジロティに師事。
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1891年(17-18歳)
◆第一モスクワ古典ギムナジウムに在学。
◆モスクワ音楽院に在学。ジロティに師事。
◆5月、ジロティが新院長のワシーリー・サフォノフ(1852-1918)と対立して退職。
◆パーヴェル・パプスト(1854-1897)のピアノ・クラスに参加。ゴリデンヴェイゼルも一緒でした。
◆セルゲイ・タネーエフ(1856-1915)の対位法とフーガのクラスに参加。
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1892年(18-19歳)
◆第一モスクワ古典ギムナジウムを卒業。
◆モスクワ音楽院に在学。
◆モスクワ大学に入学。当初は法学部に在籍。
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1893年(19-20歳)
◆モスクワ音楽院に在学。
◆モスクワ大学に在学。歴史文献学部に転籍。
◆音楽院での研鑽を継続し、院長のワシーリー・サフォノフから室内楽の指導を受け、アンサンブル能力が向上。

◆11月6日午前3時、チャイコフスキー、サンクトペテルブルクの弟モデストの住居で死去。53歳。11月1日にサンクトペテルブルクの高級レストラン「レイネロム」で飲んだ生水によりコレラに感染していました。
◆11月9日、チャイコフスキーの葬儀。皇帝アレクサンドル3世の私費により、帝国劇場総局が監督し、ロシア正教会指導者、ナルヴァのニカンドラ主教によりカザン大聖堂で実施。
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1894年(20-21歳)
◆モスクワ音楽院に在学。
◆モスクワ大学に在学。歴史文献学部に在籍。
◆アントン・アレンスキー(1861-1906)の作曲クラスに短期間参加。
◆ミハイル・イッポリトフ=イワノフ(1859-1935)の作曲クラスに短期間参加。
◆春、慈善コンサートに出演。
◆5月、モスクワ音楽院を金メダル授与の栄誉とともに卒業。
◆6月、故郷タンボフのショフスコエ村に滞在。
◆9月、モスクワに帰還。演奏会の企画に苦慮。
◆ソリストとして公式デビューを果たし、本格的な演奏家としての道を歩み始めます。
◆12月、慈善コンサートに出演。
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1895年(21-22歳)
◆2月、慈善コンサートに出演。
◆6月、故郷タンボフのレベジャニに滞在。
◆ベルリンで開催された第2回アントン・ルビンシテイン国際ピアノコンクールに出場し、名誉賞を授与されます。優勝は審査員でもあるモスクワ音楽院院長サフォノフの一番弟子レヴィーン(1874-1944)。イグムノフは、4年前にサフォノフと対立して教授を辞めたジロティの弟子なので不利でした。ちなみに、コンクールを聴いたスクリャービン夫妻はイグムノフの演奏を絶賛していますし、また、コンクール委員会の報告でもイグムノフの演奏の方が称えられています。
◆8月、アントワープでジロティと再会し交流。
◆秋、モスクワに帰還。音楽界ではコンクールの結果が疑問視され、イグムノフに注目が集まることになります。
◆10月、サンクトペテルブルクでコンクール参加者3名、イグムノフ、レヴィーン、フョードル・ケネマン( 1873-1937)による演奏会が開催。
◆10月、モスクワのコンサートで約400ルーブルを受領。当時のロシアでは破格の金額でした。
◆12月、トルストイ邸を訪問して演奏し交流。以後、10年近くもの間、折に触れて訪問するようになります。
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1896年(22-23歳)
◆モスクワで個人指導を開始。
◆11月、モスクワでコンサート。
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1897年(23-24歳)
◆モスクワで個人指導。
◆5月、恩師パプスト、死去。43歳。未亡人はイグムノフを頼り、協力して追悼コンサートや出版などを準備しますが、未完の「魔笛」序曲編曲の完成は引き受けませんでした。
◆12月、モスクワのタネーエフ宅に音楽家が集まって「トリスタンとイゾルデ」をピアノ編曲で全曲(!)鑑賞することになり、イグムノフ、スクリャービン、ラフマニノフらも出席しますが、ラフマニノフは楽譜を見ながら残りページをカウントして、あまりの長さに次第に憂鬱な表情になっていったのだとか。
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1898年(24-25歳)
◆モスクワで個人指導。
◆春、ロシア音楽協会附属チフリス音楽学校のピアノ教師として招聘。タネーエフは反対し、サフォノフは賛成。
◆ロシア音楽協会附属チフリス音楽学校でピアノ教師として雇われ、グルジアに赴任。
◆10月14日、父ニコライ、⼼不全と肺⽔腫により死去。76歳。
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1899年(25-26歳)
◆ロシア音楽協会附属チフリス音楽学校ピアノ教師を退任。
◆モスクワ音楽院の教授に就任。タネーエフが推薦。
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1900年(26-27歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆演奏会ではチャイコフスキーやショパンの作品を中心に、聴衆に深い感動を与える「歌うような響き」を追求し続けました。
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1901年(27-28歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
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1902年(28-29歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆6月、ウィーン旅行。
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1903年(29-30歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆ロシア南部の黒海沿岸、クラスノダール近郊トゥアプセに、夏の住居用の土地を購入。
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1904年(30-31歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
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1905年(31-32歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆1月、ロシア第一革命勃発。
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1906年(32-33歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆2月25日、アレンスキー死去。44歳。
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1907年(33-34歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆春、ラフマニノフの自作ピアノ・ソナタ第1番の試演を、メトネル、カトゥワールらと鑑賞。
◆10月、ラフマニノフから手紙で、ピアノ・ソナタ第1番が長すぎて耐えられないので、短縮についての意見を求められます。
◆11月、ラフマニノフのピアノ・ソナタ第1番の短縮プランについて回答。
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1908年(34-35歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆10月、ラフマニノフがイグームノフの助言により短縮したヴァージョンのピアノ・ソナタ第1番をイグムノフが初演。
◆11月、ドイツ・ツアー。
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1909年(35-36歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
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1910年(36-37歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
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1911年(37-38歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
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1912年(38-39歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
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1913年(39-40歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
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1914年(40-41歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
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1915年(41-42歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆4月27日朝、友人のスクリャービンが死去。43歳。4月15日の慰問公演の後、上唇部分に癤ができて急速に悪化して癰となり体温も41度6分まで上昇、やがて敗血症により亡くなっています。
◆4月29日、スクリャービンの葬儀。
◆6月19日、恩師タネーエフが死去。58歳。スクリャービンの葬儀の際、雨の中で棺を担いだことで風邪が悪化して肺炎となり、合併症により死去。
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1916年(42-43歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
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1917年(43-44歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆1月、ロシア革命勃発。
◆教育人民委員部(コンサート部門)傘下の音楽評議会に参加。音楽教育の改革に尽力し、特にモスクワ音楽院では美学、文化史、文学史の講座が開設され、室内楽アンサンブルの授業も導入。
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1918年(44-45歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆モスクワ音楽院ピアノ科主任教授に任命。
◆新体制下での音楽教育の再編に関わります。戦乱の中、食糧難や燃料不足といった過酷な状況下でも、学生たちの教育を中断させないよう尽力。
◆2月27日、恩師サフォノフ死去。66歳。
◆ライプツィヒとベルリンで演奏。
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1919年(45-46歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆モスクワ音楽院教育芸術委員会の常任委員に選出。
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1920年(46-47歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆労働者や兵士のための慰問演奏会に出演。
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1921年(47-48歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
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1922年(48-49歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆3月、レーニンが「聖職者全員銃殺」を指令。まず翌年にかけて、主教28人、司祭2,691人、修道士1,962人、修道女3,447人のほか、信徒も多数を処刑。財産を没収し、飢饉対策にも使用しました。
◆5月、レーニンによる「知識人追放指令」。秘密警察(GPU)の分類により、反政府的とされた知識人を追放。この場合の「知識人」は、哲学者、文学者、法律家、経済学者、組合活動家などが対象となります。
レーニンは、音楽、演劇、映画、美術などの「芸術家」は、プロパガンダに結び付くことから積極的に活動を支援し、「科学者」「建築家」なども、人数が不足していたことから優遇していました。
◆5月26日、レーニン、最初の脳梗塞発作。5か月間の入院中に回復するものの簡単な計算なども困難な状態に。その間、スターリンは、カーメネフ、ジノヴィエフとのトロイカ体制を確立、有力幹部トロツキーに対抗します(のちにカーメネフ、ジノヴィエフは粛清、トロツキーは国外追放のうえ暗殺)。
◆6月、レーニンが反政府知識人の大量追放を指令し、数万人を強制収容所などに送致。
◆モスクワ音楽院院長にゴリデンヴェイゼルが就任。前任のイッポリトフ=イワノフは、ロシア帝国時代から16年間在任していたので、この年に正式にソ連成立ということで、1917年から初代教育人民委員(≒文部大臣)の任に就いていたアナトリー・ルナチャルスキー(1875-1933)のもと、教授陣も含めて前向きな人事刷新という運びになったと考えられます。背景にはロシア帝国時代の知識人を、なるべく抹殺しないで取り込みたかったというルナチャルスキーのソビエト文化への考え方がありました。
◆10月、フェインベルク、モスクワ音楽院の教授に就任。以後、1962年に亡くなるまで40年間在任。ゲンリヒ・ネイガウス(1888-1964)と叔父のフェリクス・ブルーメンフェリド(1863-1931)も同じく教授に就任。
◆10月、第2回通貨切り下げ実施。1922年度紙幣100ルーブル=1923年度紙幣1ルーブルという基準。第1回通貨切り下げに当てはめると、100万分の1になった計算。
◆12月、ソヴィエト社会主義共和国連邦成立宣言。
◆12月16日、レーニン、2度目の脳梗塞発作。右手の麻痺はあるものの仕事は口述で遂行。
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1923年(49-50歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆ロシア・プロレタリア音楽家同盟設立。
◆3月10日、レーニン、3度目の脳梗塞発作。回復せず10か月後に死去。その間、スターリンが実権掌握。
◆夏、クリミア南部のガースプラに滞在。同じくクリミアのコクテベリと並ぶイグムノフのお気に入りの保養地。
◆11〜12月、紙幣の種類に、10,000ルーブルと15,000ルーブルが追加。
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1924年(50-51歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆1月、ソ連最高指導者、レーニン死去。
◆1月、ソ連最高指導者、スターリンが就任。
◆2月、ソ連政府、通貨改革実施。旧紙幣50,000ルーブル=1924年度紙幣1ルーブルという基準。ソ連建国後の切り下げは、これで500億分の1になった計算。
◆8月、ソ連政府、酒類販売を許可。10年間の禁止期間中に、モルヒネやコカインなど麻薬中毒患者が増えすぎたため。一方でアルコール中毒患者も増加するものの、麻薬中毒よりは社会的影響が少ないという判断。
◆ソ連政府、麻薬販売を違法とし、違反者には懲役10年の刑。これにより麻薬使用者が激減。
◆モスクワ音楽院の院長に就任。任期は5年間。教育課程の改革や組織の近代化を指揮。
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1925年(51-52歳)
◆モスクワ音楽院院長在任。
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆院長として、演奏家教育に人文学的な深みを持たせるための改革を推進。具体的には、美学、文化史、文学といった講義を音楽院のカリキュラムに正式に導入。
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1926年(52-53歳)
◆モスクワ音楽院院長在任。
◆モスクワ音楽院教授在職。
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1927年(53-54歳)
◆モスクワ音楽院院長在任。
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆弟子のレフ・オボーリンがワルシャワで開催された第1回ショパン国際ピアノコンクールで優勝。これによりイグムノフの名声もさらに高まりました。
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1928年(54-55歳)
◆モスクワ音楽院院長在任。
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆雑誌「音楽教育」(モスクワ音楽院出版)の編集委員に選出。
◆9月、アルメニア旅行。
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1929年(55-56歳)
◆5月、モスクワ音楽院院長任期が満了となり退任。
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆雑誌「音楽教育」(モスクワ音楽院出版)の編集委員に選出。
◆9月、スターリンによって教育人民委員(≒文化大臣)のルナチャルスキーが解任され、アンドレイ・ブブノフ(1884-1938)が後任として着任。
◆9月、モスクワ音楽院の院長にボレスワフ・プシビシェフスキ(1892-1937)が就任。プシビシェフスキはワルシャワ音楽院出身のポーランド人ですが紆余曲折を経て1920年にモスクワで共産党に入党。教育関係の部署で働いて頭角をあらわし、やがて教育人民委員会の音楽部門責任者に就任していました。
プシビシェフスキは政府(音楽官僚)に従って改革に乗り出し、「ロシア・プロレタリア音楽家同盟」(ソ連作曲家同盟の前身)の方針に基づき、モスクワ音楽院のプロレタリア化に着手。新規入学者は労働者と農民の子のみとします。
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1930年(56-57歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆モスクワ音楽院のプシビシェフスキ院長により、カリキュラムが変更され、音楽と関係の無い社会や経済の授業などが増加。しかし、モスクワ音楽院の多くの教授陣と「ロシア・プロレタリア音楽家同盟」と、の関係は元々あまり良いとは言えない状態で、この変更により辞任する者まであらわれ、また、生徒たちの演奏水準もどんどん落ちて行ったので、モスクワ音楽院プロレタリア化計画はやがて中止となります。
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1931年(57-58歳)
◆フェリクス・コン高等音楽学校(モスクワ音楽院)教授在職。
◆モスクワ音楽院の名前が、プシビシェフスキ院長により、「フェリクス・コン高等音楽学校」と改名。フェリクス・コン(1864-1941)は、ポーランド出身のユダヤ人で、教育人民委員会博物館部門のベテラン責任者で、プシビシェフスキにとっての恩人。
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1932年(58-59歳)
◆フェリクス・コン高等音楽学校(モスクワ音楽院)教授在職。
◆2月、プシビシェフスキ院長が解任。フェリクス・コン高等音楽学校の名前がモスクワ音楽院に戻されます。
◆ソ連で国内パスポート制、導入。
◆ウクライナ国境封鎖。
◆大飢饉発生。翌1933年にかけて、ウクライナで約350万人、カザフスタンで約130万人、ヴォルガとコーカサス北部で約40万人、その他のソ連地域で約100万人が飢餓などで死亡。
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1933年(59-60歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆還暦を迎え、多くの弟子や同僚から敬愛を受ける存在となりました。彼の演奏会は、常に音楽の真髄を求める聴衆で満員となりました。
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1934年(60-61歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆アルメニアの高山湖、セヴァン湖へ旅行。
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1935年(61-62歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆モスクワ音楽院ピアノ科学科長に任命。
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1936年(62-63歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
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1937年(63-64歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆エジョフ率いるNKVD(内務人民委員部兼秘密警察)のおこなった「ポーランド作戦」により、ソ連在住のポーランド人約63万6千人のうち約14万4千人が逮捕、すぐにそのうちの約11万1千人が処刑され、数十万人がポーランドに強制送還、その後、逮捕の効率が下がったため、電話帳を見てポーランド風な名前の者を逮捕・処刑するというデタラメな作戦も展開、計約31万人が殺害されています。当時、電話のある家には財産もあることが多かったので、金品を盗むことができるというNKVD(内務人民委員部兼秘密警察)側の大きなメリットも被害の拡大に繋がったものと考えられます。
◆3月1日、前モスクワ音楽院院長のプシビシェフスキがNKVDにより逮捕。。8月21日、ソ連最高裁判所軍事評議会はスパイ活動とテロ計画の罪で彼に銃殺刑を宣告し、刑は即日執行。虚偽の罪名による逮捕・処刑だったため、19年後の1956年9月15日に名誉回復。ちなみに妻のエミリアもこの1937年に逮捕・投獄、結核に罹患した1945年に釈放され、翌年死去しています。エミリアの父は元オルスク市長で元ロシア帝国陸軍予備役中佐でした。
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1938年(64-65歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
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1939年(65-66歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆4月、ラフマニノフ「パガニーニ狂詩曲」をソ連初演。
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1940年(66-67歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆1月、ソ連南部諸都市をめぐるツアー。ビリシ、バクー、ロストフ・ナ・ドヌなど各地で演奏し 、いずれも大成功。
◆モスクワ音楽院より芸術学博士号授与。
◆3月1日、演奏活動45周年、教育活動40周年記念公演開催。前半はイグムノフ、後半はオボーリン、フリエールら弟子たちが演奏。
◆6月、月初と月末にレニングラードで国家試験を監督。
◆10月、リスト、ショパン、ベートーヴェン、シューマンなど1人の作曲家をテーマとしたコンサート・シリーズを開始。
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1941年(67-68歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆ロシア共和国政府より人民芸術家の称号を授与。
◆1-5月、リスト、ショパン、ベートーヴェン、シューマン、シューベルトなど1人の作曲家をテーマとしたコンサート・シリーズを継続。
◆6月22日、ドイツ政府が不可侵条約を破り、ソ連領土への軍事侵攻を開始。前年12月に侵攻計画(および占領地からの食料調達&移住計画)を立て始めていたドイツは、すでにソ連国境付近に約550万の兵と戦車3,712両、軍用機4,950機、野砲等4万7,260門などから成る大部隊を配備済みで、以後、3年10か月で約2,660万人のソ連国民を殺害することになります。
◆6月、モスクワではドイツ軍の攻撃に備える作業が前月から始まっており、ボリショイ劇場の前でも巨大な防空気球が準備されたりしていましたが、それでも追いつかないほどの執拗な無差別爆撃がおこなわれることになります。
◆政府の決定により、イグムノフは、ゴリデンヴェイゼル、フェインベルク、プロコフィエフ、ミャスコフスキー、シャポーリンらと共に、モスクワの南南東約1,400kmに位置するコーカサスのナリチクに疎開。
◆7月22日、ドイツ軍が初めてモスクワを空爆。5時間に渡って約4万5千発の焼夷弾と約100トンの高性能爆弾(SC1000等)が、220機の爆撃機(ハインケル社のHe-111、ドルニエ社のDo-17、Do-217、ユンカース社のJu-88等)により無差別爆撃。多くの建物・施設を破壊・焼失させ、疎開前の多くの民間人等も殺害。以後、1943年夏までの2年間に121回のモスクワ無差別爆撃を実施。下の画像は高射砲と、撃墜されたドルニエ Do-17。
◆7月、赤軍、ポーランドでドイツ軍に破れ撤収。ポーランド全土がドイツ領に
◆8月、ドイツがウクライナを占領。「帝国管区ウクライナ」とし、親衛隊が直接統治。西ウクライナでは、ナチス・ドイツを解放者として歓迎。西ウクライナは古くからポグロムの盛んな地として有名。
◆9月、ウクライナの首都キエフのバビ・ヤールでユダヤ人など大量虐殺。虐殺実行部隊は約1,200人のウクライナ人と、約300人のドイツ人。29日と30日だけでキエフ市民のユダヤ人ら33,771人が殺害。その後も虐殺行為は続けられ、赤軍に解放される1943年11月までの2年間に計7〜12万人のユダヤ人、ロシア人、ウクライナ人、ロマなどが殺害
◆9月、ドイツやフィンランドなどによるレニングラードへの攻撃が開始。まずドイツが食糧貯蔵庫や燃料貯蔵庫を爆撃
◆10月、モスクワ攻防戦(翌年1月まで)。政府機能をクイビシェフに移転(1944年まで)。多くの政府関係者や学校関係者、文化関連機関関係者が疎開するものの、市民の多くは残されていたため、ピアニストのマリア・ユージナなどは疎開せずに活動。
◆11月、赤の広場で軍事パレード実施。これは約410万人のモスクワ市民のうち、疎開できていたのが、主に政府関係者や学校関係者、文化関連機関関係者だったことから、残された市民が近づくドイツ軍への恐怖から暴動などを起こさないよう安心感を与えるためで、同じ理由からロシア正教への弾圧をやめ、ほどなく復活させることを約束してもいました。
◆11月、ドイツ軍、モスクワから8キロの地点まで侵攻。赤軍必死の抵抗。
◆11月中旬、政府の決定により、イグムノフらは、グルジアのティフリス(現・トビリシ)に疎開。慰問公演のほか、現地の音楽院を支援。
◆11月29日、ジューコフ将軍による大攻勢が開始。兵力は極東に展開していた赤軍40個師団、約75万人の精鋭部隊で、すでにモスクワへの移動を完了していました。
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1942年(68-69歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆グルジアのティフリスを拠点に各地で慰問公演をおこなったほか、現地の音楽院を支援。
◆8月末、疎開者一行は中央アジアのウズベク共和国タシケントを目指すことになりますが、直線距離で2,000km以上の距離があり、途中カスピ海を船で渡るという旅は、痛風治療中のイグムノフには過酷すぎ、途中、アルメニアのエレヴァンで停車した際にアルメニアの音楽家たちの説得に応じてエレヴァンで下車することにします。
◆軍の病院で傷病兵のために多数の慰問演奏会を実施。
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1943年(69-70歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆1月、赤軍、モスクワ攻防戦に勝利。
◆アルメニアのエレヴァン音楽院で、アルノ・ババジャニアンらを指導。ティフリスなどでも演奏。
◆6月、エレヴァンでイグムノフの70歳を祝う祝賀コンサートが開催。ソ連各地から100通を超える祝電が届き、アルメニア最高評議会幹部会からは名誉勲章が授与されます。
◆11月初旬、2年4か月ぶりにモスクワに帰還。到着2日後にはモスクワ音楽院での指導を再開し、ほどなくコンサートにも出演。
◆ローザ・タマルキナがイグムノフのクラスに参加。
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1944年(70-71歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆1月、赤軍、レニングラードを解放。
◆1-2月、各種コンサートに出演。
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1945年(71-72歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆春、心臓の痛みを訴え療養。
◆5月8日、独ソ戦が終結。
◆7月14日、音楽人材育成の貢献に対しソ連政府よりレーニン勲章が授与。
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1946年(72-73歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆3月、チャーチル首相がアメリカ訪問中、マスコミが注視する場で「鉄のカーテン」という言葉を使って演説。「鉄のカーテン」という言葉そのものは1918年のロシアで使われ始め、ナチス・ドイツのゲッベルスも使用していましたが、政治・マスコミ向けの本格的なプロパガンダ・ツールとなるきっかけはこの時の演説でした。以後、世界の莫大な税公金が東西両陣営のプロパガンダや軍需産業に注ぎ込まれることになります。
◆6月27日、チャイコフスキー作品の優れた解釈と演奏に対し、スターリン賞第1席が授与。
◆モスクワ音楽院大学院の助手としてローザ・タマルキナが任命。
◆ソ連政府より人民芸術家の称号を授与。
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1947年(73-74歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆3月27日、レニングラードでベートーヴェン・リサイタルを開催。
◆6月2日、レニングラードでベートーヴェン・リサイタルを開催。
◆6月末、アルメニアのエレヴァンに向けて出発。
◆7月、エレヴァンで連日10時間以上の過酷なスケジュールで国家試験を監督。
◆夏、モスクワの南約140qに位置するタルーサで療養。
◆秋、エレヴァンで再び国家試験を監督。
◆秋、体調を崩した状態でモスクワに帰還。
◆12月3日、モスクワ音楽院大ホールで、生涯最後となる演奏会を開催。体調が万全ではなかったものの演奏は素晴らしく、伝説的なコンサートとして語り継がれています。
◆12月4日、モスクワ音楽院に出勤。授業をおこなおうとしますが体調が悪く帰宅。
◆12月6日、予定されていた録音を延期。
◆12月9日、モスクワ音楽院に出勤。これが最後の機会となりました。
◆12月中旬、医師はイグムノフの状態が重症であると曖昧に表現。
◆12月29日、レニングラードで予定されていたコンサートを体調の悪化によりキャンセル。
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1948年(74歳)
◆モスクワ音楽院教授在職。
◆3月19日、非常に衰弱した状態で、モスクワ市内のヴォトキン病院に搬送。
◆3月24日午後4時頃、意識がはっきりしたままの状態から静かに息を引き取ります。74歳10か月と23日の生涯でした。
◆3月27日、モスクワ音楽院大ホールで葬儀が執り行われ、政府や公共団体、音楽機関、友人、弟子、学生などからの花輪が捧げられます。同日、ノヴォデヴィチ墓地の夕日が沈む中、ニコライ・ルビンシテイン、タネーエフ、スクリャービンの墓のすぐ近くに埋葬。
トラックリスト(収録作品と演奏者)
CD1
ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(1770-1827)
◆ピアノ・ソナタ第7番 ニ長調 Op.10-3
【1】 第1楽章 プレスト [7:03]
【2】 第2楽章 ラルゴ・エ・メスト [7:52]
【3】 第3楽章 メヌエット. アレグロ [2:31]
【4】 第4楽章 ロンド. アレグロ [4:12]
フレデリック・フランソワ・ショパン(1810-1849)
◆ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 Op.58
【5】 第1楽章 アレグロ・マエストーソ [8:23]
【6】 第2楽章 スケルツォ. モルト・ヴィヴァーチェ - トリオ [2:19]
【7】 第3楽章 ラルゴ [7:37]
【8】 第4楽章 フィナーレ. プレスト・ノン・タント [5:29]
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)
◆ピアノ・ソナタ(大ソナタ) ト長調 Op.37
【9】 第1楽章 モデラート・エ・リゾルート [12:32]
【10】 第2楽章 アンダンテ・ノン・トロッポ・クワジ・モデラート [8:53]
【11】 第3楽章 スケルツォ. アレグロ・ジョコーソ [2:57]
【12】 第4楽章 フィナーレ. アレグロ・ヴィヴァーチェ [6:41]
コンスタンチン・イグムノフ(ピアノ)
録音:1947年12月3日
場所:モスクワ音楽院大ホール
CD2
アナトーリ・コンスタンチノヴィチ・リャードフ(1855-1914)
◆グリンカの主題による変奏曲 変ロ長調 Op.35
【1】 主題:アンダンテ・クワジ・アレグレット [0:49]
【2】 第1変奏:アレグレット [0:40]
【3】 第2変奏:アレグロ・グラツィオーソ [0:27]
【4】 第3変奏:アレグロ [0:37]
【5】 第4変奏:アンダンテ・トランクィッロ [1:38]
【6】 第5変奏:アレグロ・エネルジコ [0:19]
【7】 第7a変奏:アダージョ [2:00]
【8】 第7b変奏:(オッシア) アダージョ [1:17]
【9】 第10変奏:アレグロ [0:55]
【10】 第11変奏:アンダンテ・コモド [1:00]
【11】 フィナーレ:ヴィーヴォ [2:51]
アナトーリ・コンスタンチノヴィチ・リャードフ(1855-1914)
◆3つの小品 Op.11 より
【12】 第1曲 前奏曲 ロ短調 [2:41]
フランツ・ペーター・シューベルト(1797-1828)
◆6つの楽興の時 D.780 より
【13】 第4番 嬰ハ短調 [4:22]
アントン・グリゴリエヴィチ・ルビンシテイン(1829-1894)
◆3つの小品 Op.16 より
【14】 第1曲 即興曲 ヘ長調 [3:31]
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)
◆3つのロマンス Op.16 より
【15】 第1曲 ゆりかごの歌 変イ短調 [3:53]
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)
◆交響的バラード「地方長官」 Op.78 より
【16】 熱い告白 ホ短調 TH148 [2:47]
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)
◆6つの小品 Op.19 より
【17】 第1曲 夕べの夢想 ト短調 [3:37]
フレデリック・フランソワ・ショパン(1810-1849)
◆3つのマズルカ Op.56 より
【18】 第1曲(第33番) ロ長調 [3:14]
アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン(1871-1915)
◆2つの詩曲 Op.32 より
【19】 第1番 詩曲 嬰ヘ長調 [2:54]
アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン(1871-1915)
◆9つのマズルカ Op.25 より
【20】 第7曲 嬰ヘ短調 [3:48]
セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(1873-1943)
◆サロン小品集 Op.10 より
【21】 第3曲 舟歌 ト短調 [4:26]
アントン・グリゴリエヴィチ・ルビンシテイン(1829-1894)
◆ペテルホッフのアルバム Op.75 より
【22】 第9曲 前奏曲 ニ短調 [3:34]
アントン・グリゴリエヴィチ・ルビンシテイン(1829-1894)
◆6つの小品 Op.51 より
【23】 第1曲 メランコリー ト短調 [5:38]
コンスタンチン・イグムノフ(ピアノ)
録音:1947年12月3日(1-17)、1935年(18-19)、1946年秋(20-23)
場所:モスクワ音楽院大ホール(1-17)、ソ連(18-19)、モスクワ音楽院小ホール(20-23)
CD3
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)
◆四季 Op.37a
【1】 1月:炉端で [4:50]
【2】 2月:謝肉祭 [2:38]
【3】 3月:ひばりの歌 [1:44]
【4】 4月:松雪草(スノードロップ) [2:40]
【5】 5月:白夜(または星月夜) [3:26]
【6】 6月:舟歌 [4:31]
【7】 7月:刈り入れの歌 [1:44]
【8】 8月:収穫 [3:20]
【9】 9月:狩り [2:43]
【10】 10月:秋の歌 [4:26]
【11】 11月:トロイカ [3:05]
【12】 12月:クリスマス [3:22]
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)
◆ピアノ三重奏曲 イ短調 Op.50「偉大な芸術家の思い出に」 より
【13】 第1楽章 ペッツォ・エレジアコ [18:29]
コンスタンチン・イグムノフ(ピアノ)
ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン)
スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー(チェロ)
録音:1947年(1-12)、1939年(13)
場所:ソ連(1-12)、モスクワ(13)
CD4
ロベルト・シューマン(1810-1856)
◆詩人の恋 Op.48(ロシア語歌唱)
【1】 第1曲 美しい五月に [1:30]
【2】 第2曲 私のあふれる涙から [1:05]
【3】 第3曲 ばらに、ゆりに、はとに、太陽 [0:42]
【4】 第4曲 君の瞳を見つめると [1:51]
【5】 第5曲 私の心を浸そう [0:47]
【6】 第6曲 ラインの聖なる流れに [2:14]
【7】 第7曲 恨みはしない [1:58]
【8】 第8曲 もし小さな花々が知ったなら [1:06]
【9】 第9曲 あれはフルートとヴァイオリンの響き [1:26]
【10】 第10曲 かつて愛する人の歌った歌を聴くと [1:46]
【11】 第11曲 若者は娘を愛し [1:04]
【12】 第12曲 まばゆい夏の朝に [1:59]
【13】 第13曲 夢の中で私は泣いた [2:27]
【14】 第14曲 夜毎君の夢を見る [1:51]
【15】 第15曲 古いおとぎ話の中から [3:01]
【16】 第16曲 古い、いまわしい歌は [3:59]
ロベルト・シューマン(1810-1856)
◆クライスレリアーナ Op.16
【17】 第1曲 きわめて速く [2:23]
【18】 第2曲 きわめて内面的に、そして速すぎないように [9:45]
【19】 第3曲 きわめて興奮して [4:08]
【20】 第4曲 きわめて遅く [3:27]
【21】 第5曲 きわめて生き生きと [2:55]
【22】 第6曲 きわめて遅く [3:06]
【23】 第7曲 きわめて速く [2:24]
【24】 第8曲 速く、そして軽妙に [3:09]
コンスタンチン・イグムノフ(ピアノ)
イワン・コズロフスキー(テノール)(1-16)
録音:1946年(1-16)、1941年(17-24)
場所:ソ連
CD5
セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(1873-1943)
◆前奏曲集 Op.23 より
【1】 第1番 嬰ヘ短調 [2:47]
【2】 第6番 変ホ長調 [2:46]
アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン(1871-1915)
◆ピアノ・ソナタ第2番 嬰ト短調 Op.19「幻想ソナタ」 より
【3】 第1楽章 アンダンテ [6:35]
ヨハネス・ブラームス(1833-1897)
◆6つのピアノ小品 Op.118 より
【4】 第6曲 間奏曲 変ホ短調 [5:21]
アントン・ステパノヴィチ・アレンスキー(1861-1906)
◆海辺にて(6つのスケッチ)Op.52 より
【5】 第4曲 アレグロ・モデラート [3:11]
コンスタンチン・イグムノフ(ヴェルテ=ミニョン・ピアノロール)
収録:1910年
場所:ドイツ

Track list
The Art of Konstantin Igumnov
CD1
LUDWIG VAN BEETHOVEN (1770-1827)
Piano Sonata No.7 in D major, Op.10 No.3
1. I. Presto 7:03
2. II. Largo e mesto 7:52
3. III. Menuetto. Allegro 2:31
4. IV. Rondo. Allegro 4:12
FRÉDÉRIC FRANÇOIS CHOPIN (1810-1849)
Piano Sonata No.3 Op.58 in B minor
5. I. Allegro maestoso 8:23
6. II. Scherzo. Molto vivace - Trio 2:19
7. III. Largo 7:37
8. IV. Finale. Presto non tanto 5:29
PYOTR ILYICH TCHAIKOVSKY (1840-1893)
Grand Sonata for Piano in G major Op.37
9. I. Moderato e risoluto. 12:32
10. II. Andante non troppo quasi Moderato 8:53
11. III. Scherzo. Allegro giocoso 2:57
12. IV. Finale. Allegro vivace 6:41
Konstantin Igumnov, piano
3rd December 1947 at the Great Hall of the Moscow Conservatory (1-12)
CD2
ANATOLY KONSTANTINOVICH LYADOV (1855-1914)
Variations on a theme by Glinka in B flat major, Op.35
1. Thème: Andante quasi Allegretto 0:49
2. Var.1: Allegretto 0:40
3. Var.2: Allegro grazioso 0:27
4. Var.3: Allegro 0:37
5. Var.4: Andante tranquillo 1:38
6. Var.5: Allegro energico 0:19
7. Var.7a: Adagio 2:00
8. Var.7b: (Ossia) Adagio 1:17
9. Var.10: Allegro 0:55
10. Var.11: Andante commodo 1:00
11. Finale: Vivo 2:51
12. Prelude in B minor, Op.11 No.1 2:41
FRANZ PETER SCHUBERT (1797-1828)
13. Moments Musicaux in C sharp minor, D.780 No.4 4:22
ANTON GRIGORYEVICH RUBINSTEIN (1829-1894)
14. Impromptu in F major, Op.16 No.1 3:31
PYOTR ILYICH TCHAIKOVSKY (1840-1893)
15. Lullaby (Cradle Song) in A flat minor, Op.16, No.1 3:53
16. Aveu Passionné in E minor, TH148 (Arrangement of a section of The Voivode Op. 78) 2:47
17. Rêverie du soir in G minor, Op.19 No.1 3:37
FRÉDÉRIC FRANÇOIS CHOPIN (1810-1849)
18. Mazurka in B major, Op.56 No.1 3:14
ALEXANDER NIKOLAYEVICH SCRIABIN (1871-1915)
19. Poem in F sharp major, Op.32 No.1 2:54
20. Mazurka in F sharp minor, Op.25 No.7 3:48
SERGEI VASILYEVICH RACHMANINOFF (1873-1943)
21. Barcarole in G minor, Op.10 No.3 4:26
ANTON GRIGORYEVICH RUBINSTEIN (1829-1894)
22. Prelude in D minor, Op.75 No.9 3:34
23. Melancolie in G minor, Op.51 No.1 5:38
Konstantin Igumnov, piano
3rd December 1947 at the Great Hall of the Moscow Conservatory (1-17);
1935 (18-19); Autumn 1946 at the Small Hall of the Moscow Conservatory (20-23)
CD3
PYOTR ILYICH TCHAIKOVSKY (1840-1893)
The Seasons, Op.37a
1. I. January. At the Fireside 4:50
2. II. February. Carnival 2:38
3. III. March. Song of the Lark 1:44
4. IV. April. Snowdrop 2:40
5. V. May. White Nights (or Starlit Nights) 3:26
6. VI. June. Barcarolle 4:31
7. VII. July. The Reaper’s Song 1:44
8. VIII. August. The Harvest 3:20
9. IX. September. The Hunt 2:43
10. X. October. Autumn Song 4:26
11. XI. November. Troika 3:05
12. XII. December. Christmas 3:22
Piano Trio in A minor, Op.50
13. I. Pezzo elegiaco: Moderato assai; Allegro giusto18:29
Konstantin Igumnov, piano; David Oistrakh, violin; Sviatoslav Knushevitsky, cello
1947 (1-12); 1939 (13)
CD4
ROBERT SCHUMANN (1810-1856)
Dichterliebe, Op.48
1. Im wunderschönen Monat Mai 1:30
2. Aus meinen Tränen sprießen 1:05
3. Die Rose, die Lilie, die Taube, die Sonne 0:42
4. Wenn ich in deine Augen seh' 1:51
5. Ich will meine Seele tauchen 0:47
6. Im Rhein, im heiligen Strome 2:14
7. Ich grolle nicht 1:58
8. Und wüßten's die Blumen, die kleinen 1:06
9. Das ist ein Flöten und Geigen 1:26
10. Hör' ich das Liedchen klingen 1:46
11. Ein Jüngling liebt ein Mädchen 1:04
12. Am leuchtenden Sommermorgen 1:59
13. Ich hab' im Traum geweinet 2:27
14. Allnächtlich im Traume seh' ich dich 1:51
15. Aus alten Märchen 3:01
16. Die alten, bösen Lieder 3:59
Kreisleriana, Op.16
17. I. Äußerst bewegt 2:23
18. II. Sehr innig und nicht zu rasch 9:45
19. III. Sehr aufgeregt 4:08
20. IV. Sehr langsam 3:27
21. V. Sehr lebhaft 2:55
22. VI. Sehr langsam 3:06
23. VII. Sehr rasch 2:24
24. VIII. Schnell und spielend 3:09
Konstantin Igumnov, piano; Ivan Kozlovsky, tenor [1-16]
1946 (1-16); 1941 (17-24)
CD5
SERGEI VASILYEVICH RACHMANINOFF (1873-1943)
Preludes, Op.23
1. No.1 in F sharp minor 2:47
2. No.6 in E flat major 2:46
ALEXANDER NIKOLAYEVICH SCRIABIN (1871-1915)
Piano Sonata No.2 in G-sharp minor, Op.19
(Sonata-Fantaisie)
3. I. Andante 6:35
JOHANNES BRAHMS (1833-1897)
Sechs Klavierstücke, Op.118
4. VI. Intermezzo in E flat minor 5:21
ANTON STEPANOVICH ARENSKY (1861-1906)
By the Sea, (Six Esquisses) Op.52
5. IV. Allegro moderato 3:11
Konstantin Igumnov, piano
1910, Welte-Mignon rolls (1-5)
