CD 輸入盤

オランダのピアノ協奏曲集 ロナルド・ブラウティハム、イーフォ・ヤンセン、オランダ放送室内管、オランダ放送響、オランダ放送フィル、他(3CD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
BRL97000
組み枚数
:
3
レーベル
:
:
Holland
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


オランダのピアノ協奏曲100年史を辿る便利なセット!

オランダのピアノ協奏曲集(3CD)
ブラウティーハム、ヤンセン、オランダ放送室内管、オランダ放送響、オランダ放送フィル、他


1990年代なかばにNMクラシックス・レーベルで発売されて以来、長らく入手困難だったシリーズの音源をブリリアント・クラシックスがライセンス発売。

オランダの事情
収録作品の作曲年代は1892年から1991年。オランダは同時代音楽に門戸を開くオーケストラや団体に恵まれており、通常レパートリーと組み合わせて紹介される機会も多数。そのため、聴衆から拒絶されそうなものは再演されにくくなるため、20世紀作品といっても、ある程度以上の聴きやすさが確保されたうえで、様々な工夫が凝らされているケースが多いようです。

ケースとブックレット
ケース・デザインは、オランダの画家モンドリアンの「コンポジションII」[1929]から使用したもので、背面が赤・白、正面と裏面が白・黄・青という配色。
  ブックレット(英語・16ページ)には、NMクラシックスから発売された際に作成されていた作曲家と作品に関するわかりやすい解説を掲載。

 トラックリスト (収録作品と演奏者)

CD1  63'06

ヘンリエッテ・ボスマンス [1895-1952]
ピアノと管弦楽のためのコンチェルティーノ [1928]
1.  ヴィーヴォ  14'48
ロナルト・ブラウティーハム(ピアノ)
オランダ放送室内管弦楽団
エト・スパンヤールト(指揮)
録音:1994年5月14、21日、ユトレヒト、ヘールテ教会
作曲家情報

両親
母サラ[1861-1949]はメンゲルベルクとも共演していたピアニストでアムステルダム音楽院のピアノ教師。1人でヘンリエッテを育てています。
父ヘンドリク[1856-1896]はコンセルトヘボウ管弦楽団のチェリストですが、ボスマンスが生後8か月のときに死去。

誕生
1895年12月6日、オランダ王国、アムステルダム。

学業
幼少期から母がピアノを指導。
1913年、17歳で音楽振興協会のピアノディプロマ試験に合格。
作曲と音楽理論をヤン・ウィレム・ケルスベルヘンに師事。
1921年、管弦楽法をコルネリス・ドッパーに師事(1922年まで)。
1920年、シェーンベルクの作曲講座を受講(1921年まで)。
1927年、ウィレム・ペイパーに作曲を師事(1929年まで)。

作曲
1914年、ピアノ曲を作曲。
1919年、ヴァイオリン・ソナタを作曲。
1929年、「ピアノと管弦楽のためのコンチェルティーノ」がジュネーヴで開催された第7回国際現代音楽協会フェスティヴァルで紹介。

演奏
1915年、ピアニストとしてユトレヒト市立管と共演。公開演奏会デビュー。
1916年、ピアニストとしてコンセルトヘボウ管と共演。
1918年、作曲家・ピアニストとしてコンセルトヘボウで自作の6つの前奏曲など演奏。
1922年頃、女性チェリストのフリーダ・ベリンファンテ、フルーティストのヨハン・フェルトカンプとともにアムステルダム・トリオを結成。フリーダ・ベリンファンテはボスマンスの恋人で1922年から1929年まで同棲。ベリンファンテは翌1930年にフェルトカンプと結婚。
1929年、自作の「ピアノと管弦楽のためのコンチェルティーノ」をモントゥー指揮コンセルトヘボウ管と共演して初演し成功。以後、メンゲルベルク、ベイヌムなど多くの指揮者と多くのピアノ協奏曲で共演。
1934年、ユトレヒト市立管のコンサートマスター時代から10年以上共演していたヴァイオリニストのフランシス・クーネと婚約するものの、翌年1月に彼が脳腫瘍で死去。クーネは1926年から1932年までフリッツ・ブッシュのもとでシュターツカペレ・ドレスデンの第1コンサートマスターとして活躍。
1952年、3月に最後のコンサート。

教師
1922年、アムステルダム音楽学校でピアノ教師として指導を開始。

迫害
1940年、ボスマンスは母がユダヤ人だったため、オランダがドイツに占領されると公的な活動が制限。
1944年、母サラがオランダ国内のヴェステルボルク強制収容所に送られますが、メンゲルベルクの尽力で釈放。メンゲルベルクは計48人のユダヤ人を釈放させることに成功し、そのうち34人が戦後まで生き延びており、母サラも88歳まで生きて1949年に死去。

死去
1952年7月2日、オランダ王国、アムステルダム。57歳。胃癌。




ケース・ファン・バーレン [1906-1970]
ピアノと管弦楽のためのコンチェルティーノ [1934]  11'47
2.  第1楽章 アレグロ・モデラート・エ・モルト・ペザンテ  4'08
3.  第2楽章 レント  5'17
4.  第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ  2'22
ダーフィト・クイケン(ピアノ)
オランダ放送室内管弦楽団
エト・スパンヤールト(指揮)
録音:1994年5月14、21日、ユトレヒト、ヘールテ教会

作曲家情報

誕生
1906年10月22日、オランダ王国、エンスヘデ。

学業
幼少期からピアノ、チェロ、ハーモニカを演奏。生家は楽器店。
1924年、ベルリンのシュテルン音楽院でピアノをルドルフ・ブライトハウプト、作曲と音楽理論をボリス・ブラッハーとフリードリヒ・コッホに師事(1929年まで)。
1931年、ロッテルダム音楽院でウィレム・ペイパーに作曲を師事(1936年まで)。

作曲
1930年代、作曲を開始。
1969年、スウェーリンク賞を受賞。

教師
1942年、アムステルダム音楽院協会音楽学校で指導を開始。
1948年、アムステルダム音楽院協会音楽学校の校長に就任。
1953年、ユトレヒト音楽院の院長に就任(1956年まで)。
1957年、ハーグ王立音楽院の院長に就任。(1970年に亡くなるまで)。

死没
1970年9月2日、オランダ王国、ウストヘーストで死去。63歳。




レオ・スミット [1900-1943]
ピアノと管楽オーケストラのための協奏曲 [1937]  11'53
5.  第1楽章 アレグロ・モデラート  3'48
6.  第2楽章 レント(コラール)  5'02
7.  第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ  3'03
ロナルト・ブラウティーハム(ピアノ)
オランダ放送室内管弦楽団
エト・スパンヤールト(指揮)
録音:1994年5月14、21日、ユトレヒト、ヘールテ教会
作曲家情報
作曲家、教育者。
誕生 
1900年、オランダ王国、アムステルダム。

学業 
アムステルダム音楽院でピアノをセム・ドレスデンとウルフェルト・スフルツに、作曲をベルナルト・ズヴェーアスに師事。

教師
1924年、アムステルダム音楽院で和声と音楽理論を指導(1927年まで)。

作曲
1927年から1936年までパリ、1936年から1937年までブリュッセルを拠点として計約10年間、作曲家として生活。パリではミヨーらと交流しフランス音楽の影響も受けています。また、1933年からは、オランダで結婚した妻リンチェもパリに滞在。

個人教師
1937年、アムステルダムに帰還し、音楽教室を開いてピアノと作曲の個人レッスンを開始。

迫害 
1940年、オランダがドイツに占領されると、音楽教室の非ユダヤ人生徒は激減し、次第にユダヤ人生徒も減少。
1942年、ゲットーへの転居を余儀なくされます。
1943年3月、移送用の収容所と化していたユダヤ劇場(旧称:オランダ劇場)に妻とともに収容。
1943年4月27日、ソビボル絶滅収容所に送られ、3日後に殺害。父は同じくポーランド総督府ルブリン地区にあるアウシュヴィッツ=ビルケナウ絶滅収容所で殺害。

死没 
1943年、ポーランド総督府ルブリン地区、ソビボル絶滅収容所。42歳。




トン・デ・レーウ [1926-1996]
神聖な舞曲 [1989-90]
8.  24'27
ダーフィト・クイケン(ピアノ)
オランダ放送室内管弦楽団
エト・スパンヤールト(指揮)
録音:1994年5月14、21日、ユトレヒト、ヘールテ教会

作曲家情報

誕生
1926年、オランダ王国、ロッテルダム。

学業
1947年、アムステルダムでヘンク・バーディングスとルイ・トゥボスに作曲を師事(1949年まで)。続いて、パリでオリヴィエ・メシアンとトーマス・デ・ハルトマンに作曲を師事。その後、アムステルダム大学で1954年までヤープ・クンストに民族音楽を師事。1960年代には、インド、日本、インドネシアで学び、アジア音楽と西洋音楽を融合させて新しい「ワールドミュージック」を作ることを提唱。デ・レーウは、若い頃からアジアの音楽や演劇の伝統、そしてその背景にある哲学に魅了されていました。

仕事
1959年、アムステルダムのスヴェーリンク音楽院で作曲と電子音楽を指導(1986年まで)。一時は同音楽院の院長も務めていました。1962年、アムステルダム大学でも現代音楽のコースを担当(1982年まで)。この経験からオランダの音楽教育の標準的な教科書である「20世紀の音楽」を執筆。1986年から亡くなるまでの10年間はパリで作曲活動に専念。

死没
1996年、フランス共和国、パリ。69歳。




CD2  75'04
カルル・スミュルダース [1863-1934]
ピアノと管弦楽のための協奏曲 イ短調 [1892]  22'57
1.  第1楽章 モデラート  10'21
2.  第2楽章 アダージョ  6'54
3.  第3楽章 アレグロ・スケルツァンド  5'42
イーフォ・ヤンセン(ピアノ)
オランダ放送交響楽団
ケース・バーケルス(指揮)
録音:1995年10月31日、11月1日、ユトレヒト、フレーデンブルフ大ホール
作曲家情報

誕生
1863年、オランダ王国、マーストリヒト。当時のオランダの人口は約470万人。

両親
オランダ最南部のマーストリヒトは国境の街で、ベルギーのリエージュ、ドイツのアーヘンに近いカトリック・ゾーン。父親はピアノ製作者で、会や聖堂のカリヨンも担当し、聖セルヴァティウス大聖堂のカリヨンも設置。母は近くのオランダのカトリックの街シッタルトの出身。

マーストリヒトの歴史
1815年、ネーデルラント連合王国成立。マーストリヒトは新設リンブルフ州の州都に。
1830年、ベルギー独立革命勃発。
1839年、ベルギー独立によりマーストリヒト周辺がベルギーに帰属。
ちなみにリンブルフ州の旗は今回のボックスと同じ白・青・黄・赤で配色。

学業
1878年、ベルギーのリエージュ音楽院でピアノと作曲を学び、1886年に試験課題曲としてピアノ協奏曲イ短調を発表し、金賞を受賞。

教師
1889年、リエージュ音楽院の和声教師になり、当初はソルフェージュも担当。この仕事を得るために、スミュルダースはベルギーに帰化。

作曲
1891年、カンタータ「アンドロメダ」で、ベルギー・ローマ賞で準優勝(ギヨーム・ルクーも)。なお、スミュルダースの親友はオランダ人作曲家のディーペンブロックで、スミュルダース作品の演奏が最も多くおこなわれたのもオランダでした。

死没
1934年、ベルギー王国、リエージュ。70歳。肝臓疾患。




ウィレム・ペイパー [1894-1947]
ピアノと管弦楽のための協奏曲 K.75 [1927]
4.  12'28
ロナルト・ブラウティーハム(ピアノ)
オランダ放送交響楽団
ヤック・ファン・ステーン(指揮)
録音:1994年12月1〜2日、ユトレヒト、フレーデンブルフ大ホール
作曲家情報

誕生
1894年、オランダ王国、ユトレヒト近郊のザイスト。

学業
1915年、ユトレヒトのトーンクンスト音楽学校(後のユトレヒト音楽院)で、ヨハン・ワーヘナールに作曲、ヘレナ・ヨハンナ・ファン・ルンテレン・ハンセンにピアノを師事。

仕事
1917年、生計を立てるためユトレヒトの日刊紙で音楽評論家としての執筆を開始。同時にアムステルダム音楽学校で作曲の指導も開始。1918年、ペイパーの作品がコンセルトヘボウ管弦楽団により演奏。

死没
1947年、オランダ王国、ハーグ近郊のライツヘンダム。52歳。




ケース・ファン・バーレン [1906-1970]
ピアノと管弦楽のための協奏曲 [1964]
5.  14'53
ダーフィト・クイケン(ピアノ)
オランダ放送交響楽団
アレクサンドル・ヴェデルニコフ(指揮)
録音:1994年10月28〜29日、ユトレヒト、フレーデンブルフ大ホール
作曲家情報

誕生
1906年10月22日、オランダ王国、エンスヘデ。

学業
幼少期からピアノ、チェロ、ハーモニカを演奏。生家は楽器店。
1924年、ベルリンのシュテルン音楽院でピアノをルドルフ・ブライトハウプト、作曲と音楽理論をボリス・ブラッハーとフリードリヒ・コッホに師事(1929年まで)。
1931年、ロッテルダム音楽院でウィレム・ペイパーに作曲を師事(1936年まで)。

作曲
1930年代、作曲を開始。
1969年、スウェーリンク賞を受賞。

教師
1942年、アムステルダム音楽院協会音楽学校で指導を開始。
1948年、アムステルダム音楽院協会音楽学校の校長に就任。
1953年、ユトレヒト音楽院の院長に就任(1956年まで)。
1957年、ハーグ王立音楽院の院長に就任。(1970年に亡くなるまで)。

死没
1970年9月2日、オランダ王国、ウストヘーストで死去。63歳。




ヘンク・バーディングス [1907-1987]
2台のピアノと管弦楽のための協奏曲 [1964]  24'23
6.  第1楽章 レント・アレグロ  10'14
7.  第2楽章 レント  7'26
8.  第3楽章 プレスト  6'43
エレン・コルファー(ピアノ)
セップ・フローテンハイス(ピアノ)
オランダ放送交響楽団
ケース・バーケルス(指揮)
録音:1995年11月2〜3日、ユトレヒト、フレーデンブルフ大ホール

作曲家情報

誕生
1907年、オランダ領東インド、ジャワ島、バンドン。
両親
父はオランダ領東インド軍将校ヘルマン・ルイス・ヨハン・バーディングス[1871-1915]、母はマリア・スザンナ・バーディングス(旧姓:ポトフリート)[1873-1916]。
1915年、父の死により、母と10歳年長の兄と共にオランダのハーグに帰還。
1916年、母の自殺により養護施設で生活。

学業
幼少期から、数学、音楽、絵画、彫刻、詩に特別な才能を示し、作曲は12歳で開始。
コンセルトヘボウ管第2ヴァイオリン奏者シャルレ・ファン・デ・ロシエーレからのヴァイオリンのレッスンのほかは、独学で音楽を学んでおり、それを作曲家ウィレム・ペイパーからの管弦楽法のレッスンで補っただけでした。
デルフト工科大学に進んで地質学と鉱山工学を学び、1931年に優秀な成績で学位を取得。
デルフト応用科学大学の歴史地質学および古生物学部門で研究助手として働き、バルカン半島を含む数多くの研修旅行に参加(1934年まで)。

作曲
1930年、交響曲第1番がアルンツェニウス指揮コンセルトヘボウ管で初演。
1933年、交響曲第2番がベイヌム指揮同管弦楽団で初演。
1935年、交響曲第3番がメンゲルベルク指揮同管弦楽団で初演。ショット社やウニヴェアザール社からも声がかかります。
1945年、戦時中に数か月間オランダ文化評議会のメンバーを務めたことで、戦後、名誉評議会により2年の禁止処分が決定。しばらくはフリーの作曲家として活動。
1954年、フィリップス研究所に電子スタジオを設立し、ラジオ音響オペラ「オレステス」でイタリア賞を受賞してもいます。
1960年、ユトレヒト大学の電子音楽スタジオの設立に関与。
1972年、オランダ政府から全作品に対してスウェーリンク賞が授与。

教師
1934年、アムステルダム音楽院とロッテルダム音楽院で作曲の指導を開始。
1941年、ハーグ王立音楽院の院長に就任。
1954年、ハーレムの国際オルガン・アカデミーで作曲を指導。
1961年、ユトレヒト大学の音楽学研究所で音響学およびコンピュータ・サイエンスの指導を開始。
1962年、シュトゥットガルト音楽大学作曲科教授に就任(1972年まで)。
死没
1987年、オランダ王国、フフテン。80歳。




CD3  50'17

トリスタン・クーリス [1946-1996]
ピアノ協奏曲 [1980]
1.  22'09
レネ・エックハルト(ピアノ)
オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団
ルカ・フィス(指揮)
録音:1995年1月26〜27日、ユトレヒト、フレデンブルフ大ホール

作曲家情報

誕生
1946年、オランダ王国、アーメルスフォールト。

教育
アーメルスフォールト音楽院でヤン・ファン・フライメンに師事し、1962年からユトレヒト音楽院でトン・デ・レーウに作曲を師事(1969 年まで)。

仕事
1974年、フローニンゲン音楽院で指導を開始。1977年、ヒルフェルスム音楽院の教師となり、1984年にはユトレヒト音楽院で教えるようになり、1992年から亡くなるまではヒルフェルスム音楽院で音楽理論と作曲を教えていました。
  1975年、「シンフォニア」により成功してフェルミューレン賞を受賞し、国際的に知られるようになり、ヒューストン交響楽団、BBC交響楽団、コンセルトヘボウ管弦楽団、エミリア・ロマーニャ交響楽団などから委嘱。

死没
1996年、オランダ王国、アムステルダム。50歳。




ヤン・ファン・フライメン [1935-2004]
ピアノと管弦楽のための協奏曲 [1991]
2.  28'01
セップ・フローテンハイス(ピアノ)
オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団
ルカ・フィス指揮者
録音:1995年1月26〜27日、ユトレヒト、フレデンブルフ大ホール

作曲家情報

誕生
1935年、オランダ王国、ロッテルダム。父は聖ロザリア教会のオルガン奏者で1940年にドイツ軍の爆撃により教会が炎上したため、デン・ボッシュのアルフォンス合唱団の合唱指揮者となっていいます。

教育
ユトレヒト音楽院でケース・ファン・バーレンに作曲を、テオ・ブルーインスにオルガンとピアノを師事。

仕事
卒業後、ユトレヒト音楽院でしばらくピアノを教えた後、1961年からアーメルスフォールト音楽学校の校長を務めています(1965年まで)。1965年、ユトレヒト音楽院に戻り、音楽理論を指導(1968年まで)。1967年、ハーグ王立音楽院の副院長に就任。1970年、ケース・ファン・バーレンが亡くなると後任として院長に就任。1984年、オランダ・オペラの理事を務め(1988年まで)、1990年、オランダ音楽演劇フェスティヴァルのディレクターに就任(1997年まで)。

死没
2004年、フランス共和国、レヴェイヨン。69歳。白血病。


 演奏家情報

ロナルト・ブラウティーハム (ピアノ)


ダーフィト・クイケン (ピアノ)


イーフォ・ヤンセン (ピアノ)


エレン・コルファー (ピアノ)


セップ・フローテンハイス (ピアノ)


レネ・エックハルト (ピアノ)


ヤック・ファン・ステーン
1956年、アイントホーフェンに誕生。ブラバント音楽院でオーケストラ指揮、合唱指揮、音楽理論を学んで卒業。
  ナイメーヘン・バッハ合唱団 音楽監督(1986〜1990)、アムステルダム国立バレエ団 音楽監督(1989〜1994)、ボーフム交響楽団 客演指揮者(1992〜1994)、ニュルンベルク交響楽団 首席指揮者(1997〜2002)、ヴァイマール・ドイツ国民劇場 音楽総監督(2002〜2005)、BBCウェールズ管弦楽団 首席客演指揮者(2005〜2013)、ドルトムント・フィルハーモニー管弦楽団 音楽監督(2008〜2013)を歴任したほか、世界各地のオーケストラに客演。
  1992年以来、ハーグ王立音楽院でオーケストラ指揮を教えてもいます。
  CDは、Brilliant Classics、NM Classics、Channel Classics、Cassa Nova Records、Avro、Winterthur、MDG、Chandos、cpo、BIS、Dutton、Somm、Bridge、Signum Classics、NMCなどから発売。


オランダ放送交響楽団
1985年にオランダ放送室内管弦楽団とプロムナード管弦楽団が合併して設立。歴代首席指揮者は初代(1985–1989)が北アイルランドのベルファストに生まれたイギリスの指揮者ケネス・モンゴメリー[1943-2023]、2代目(1989–1991)がアメリカのヘンリー・ルイス[1932-1996]、3代目(1991–1996)がオランダのケース・バーケルス[1945- ]、4代目(1996–2003)がエストニアのエリ・クラース[1939-2016]、5代目(2003–2004)がオランダのハンス・フォンク[1942-2004]。客演指揮者はラザレフ、スクロヴァチェフスキ、ジョルダン、ズヴェーデンなど多数。放送やオーケストラ公演のほか、オペラでも水準の高い演奏を聴かせていましたが、ハンス・フォンクの死の翌年、2005年7月7日の公演を最後に解散しています。
  CDは、Brilliant Classics、NM Classics、Ottavo、First Hand Records、Doremi、Philips、Columbia、JE Music、AVRO、Bongiovanni、DECCA、Naxos、Radio 4、Stradivarius、Etcetera、Exton、BV Haast Recordsなどから発売。


 Track list

PIANO CONCERTOS FROM THE NETHERLANDS

CD1 63'06
HENRIËTTE BOSMANS 1895-1952
1. Concertino for Piano & Orchestra (1928) 14'48
Soloist: Ronald Brautigam

KEES VAN BAAREN 1906-1970
Concertino for Piano & Orchestra (1934)
2. I. Allegro moderato e molto pesante 4'08
3. II. Lento 5'17
4. III. Allegro vivace 2'22
Soloist: David Kuyken

LEO SMIT 1900-1943
Concerto pour Piano et Orchestre d'harmonie (1937)
5. I. Allegro moderato 3'48
6. II. Lento (chorale) 5'02
7. III. Allegro vivace 3'03
Soloist: Ronald Brautigam

TON DE LEEUW 1926-1996
8. Danses sacrées (1989-90) 24'27
Soloist: David Kuyken

Netherlands Radio Chamber Orchestra
Ed Spanjaard conductor

CD2 75'04
CARL SMULDERS 1863-1934
Concert in A minor voor Piano en Orkest (1892)
1. I. Moderato 10'21
2. II. Adagio 6'54
3. III. Allegro scherzando 5'42
Soloist: Ivo Janssen

WILLEM PIJPER 1894-1947
4. Concerto per Pianoforte e Orchestra K.75 (1927) 12'28
Soloist: Ronald Brautigam

KEES VAN BAAREN 1906-1970
5. Concerto per Pianoforte e Orchestra (1964) 14'53
Soloist: David Kuyken

HENK BADINGS 1907-1987
Concert voor 2 Piano's en Orkest (1964)
6. I. Lento-Allegro 10'14
7. II. Lento 7'26
8. III. Presto 6'43
Soloists: Ellen Corver & Sepp Grotenhuis

Netherlands Radio Symphony Orchestra
Kees Bakels (tr. 1-3 & 6-8),
Jac van Steen (tr. 4),
Alexander Vedernikov (tr. 5) conductors

CD3 50'17
TRISTAN KEURIS 1946-1996
1. Piano Concerto (1980) 22'09
Soloist: René Eckhardt


JAN VAN VLIJMEN 1935-2004
2. Concerto per Pianoforte ed Orchestra (1991) 28'01
Soloist: Sepp Grotenhuis

Netherlands Radio Philharmonic
Luca Vis conductor

Recordings: CD1: 14 & 21 May 1994, Geertekerk, Utrecht;
CD2: 28-29 October 1994 (tr. 5), 1-2 December 1994 (tr. 4), 31 October & 1 November 1995 (tr. 1-3), 2-3 November 1995 (tr. 6-8), Grote Zaal Vredenburg, Utrecht;
CD3: 26-27 January 1995, Vredenburg, Utrecht, The Netherlands


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