SACD 輸入盤

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ ライヴ・イン・東京1973(シングルレイヤーSACD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
TFMCSA0021
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
International
フォーマット
:
SACD
その他
:
輸入盤

商品説明

名盤ミケランジェリ1973年東京ライヴが
ついに非圧縮SACDシングルレイヤーで登場!
驚きのリアル・サウンド


巨匠ミケランジェリといえば大変なキャンセル魔ですが、この録音も当初予定していたリサイタルをキャンセルされ、録音が許されたのがこの日のリサイタル。しかし録音してみるとFM東京の音を気に入った様子で、当時のプロデューサー東条碩夫氏の談話によると、かなり協力的で大変満足なものであったようです。現状日本における唯一のオリジナルテープが現存するリサイタル録音がこれと申せましょう。
 その貴重な音源をDSD化するにあたってはアナログからDSDへの変換に通常以上に時間をかけ、キングスタジオに残るこれも日本で唯一の現役稼動しているテレフンケンのオープンリール再生機で丁寧にオリジナルのアナログテープをトランスファーいたしました。そしてアルトゥス・ミュージック斉藤啓介氏によるマスタリング。オリジナルテープに限りなく近いリアルで野太い音質です。(キングインターナショナル)

【収録情報】
・シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化
・ショパン:ピアノ・ソナタ第2番
・ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
・ラヴェル:夜のガスパール

 アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ)

 録音時期:1973年10月29日
 録音場所:東京文化会館
 録音方式:ステレオ(アナログ/ライヴ)
 SACD Single Layer
 日本語解説付

ディスクは国内プレスとなります。

総合評価

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「音楽は単なるエンターテイメントではない。演奏は...

投稿日:2013/08/12 (月)

「音楽は単なるエンターテイメントではない。演奏は作曲家に奉仕し、真理を追求する為にあるのであって、決して聴衆に受ける為にやるのではない。」……ミケランジェリの演奏を聴くと、そんな怒号すら聞こえてきそうだ。今日、“音楽”という名の“流行の産物”が大量生産・大量破棄を繰り返し、似たり寄ったりの“アーティスト”が造り物の個性を売りに乱立している。それに踊らされ続けている聴衆も聴衆で、次々と新曲を“消費”しては物欲を助長させている。そんな中にあって、真の音楽とは何かを知りたく、殆ど縋る想いでたどり着いたのがミケランジェリである。筋金入りの完全主義者にして大の録音嫌い、おまけにお騒がせなキャンセル魔という、三拍子揃った変人ではあるが、それは真の音楽を希求する上では、むしろ必然なことだったに違いない。ここで聴かれる演奏も、そんなミケランジェリの究極の美学に貫かれている。全編“死”の香りが支配するという、聴衆受けなど糞喰らえと言わんばかりのプログラムからして、凄い。拍手から始まり、椅子を引き、しばらく間を置いてからシューマンを弾きはじめる。もう、冒頭の数小節からして異次元である。分厚い和音が多い曲であるが、ミケランジェリときたら驚く程の透明感を獲得しているのだ。煌めく高音から地響きのような低音まで、一つとして埋もれさせない。全ての音が主役であるのと同時に、他の音を支える名脇役なのだ。白眉は《高雅にして感傷的なワルツ》だろう。ラヴェルの名盤といえばフランソワが名高く、軽妙洒脱にして即興的な中に絶妙な色彩感を醸し出す名演といえる。一方のミケランジェリは、ある意味フランソワとは真逆である。即興的なニュアンスは皆無といってよく、透徹の極致というべき計算され尽くした打鍵で弾き切る。それが奇しくも、ラヴェルがドビュッシーとは違う古典的造形美を宿していたことを、強く聴き手に認識させるのだ。特に終曲の繊細極まりなさと言ったら……!どうしてこんな響きが作れるのであろうか。刹那的な感情の高ぶりとか快楽などから完全に隔絶された、殆ど聖域というべき音響世界がそこにはある。これこそ、音楽、これこそ、真理だ。

遊悠音詩人 さん | 埼玉県 | 不明

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海賊盤CD、初出の正規盤CD、そしてHQCDと聴...

投稿日:2013/05/12 (日)

海賊盤CD、初出の正規盤CD、そしてHQCDと聴いてきたが、今では決してお目にかかることのないような巨匠時代ならではの神々しいライヴだ。完璧な響きだの解釈だのと説明的な評はこの演奏の前ではもはや無力だ。ミケランジェロかミケランジェリかとすら言いたくなるほどの芸術家としての大きさを感じる。当時、対抗できたのはホロヴィッツかポリーニぐらいだろう。特にラヴェルの夜のガスパールは圧巻だ。生で聴いたら一生忘れられないだろう。HQCDになり生々しい音質も磨きがかかり、素晴らしい。その後も来日したが、ピアノが不調だと言って演奏会を全部キャンセルしたり、奇行が話題になった巨匠だが、カルロス・クライバー同様、その完璧主義ゆえに、多くの人々がライヴに接する機会が少なかったのは悔やまれる。埋もれた放送録音の発掘が待たれる。

eroicka さん | 不明 | 不明

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素晴らしすぎますね。 これを聴いている...

投稿日:2011/11/12 (土)

素晴らしすぎますね。 これを聴いていると、彼の「完璧さ」が「目的」でなく、あくまで表現の「手段」だということがよくわかります。 まるでミケランジェリはわれわれの見えないところで、見えない氷の彫刻でも作っているのではないかと思われますね。 それは「音」による彫刻で、なかにはなにかを秘めながらも、それは我々にはみせてくれない。ただその創造の過程と痕跡としての「音」だけが、我々の耳にはとどいてくる。 共感もゆるされず、感傷にひたることも拒まれている。人の興奮をあおったり、鼓舞することもない。ではここにはなにがあるのか? ミケランジェチを聴く意味は? それはとても言葉にあらわせるものではないが、やはり「神秘」というものはあるのだなと、しみじみと感じられます。 たぶん(乱暴ないいかたをすると)、ミケランジェリ自身にだって、自分がどんなすごい領域にふみこんでいるのかと、「言葉」では説明できなかったでしょう。 僕たちは彼のつくりあげた「結晶」をみることはできないけれど、その音から、秘められた素晴らしいものをかすかにでも感じとるしかないのです。 それだけでも、十分過ぎるほどありがたいことだし、得がたい体験です。ミケランジェリという天才をしずかに讃えましょう。 さて、この演奏はライヴなので、彼の「彫刻」はすこし溶けはじめています。 つまり「観客」という存在が、ミケランジェリの芸術を多少なりとも、共感しうる余地がうまれているのです(それがグールドがこばんだところの、演奏家と観客の「相互作用」なのでしょう)。 つまりここでは僕たちは、彼の氷のとけた「潤いのある美音」にひたることができ、彼と本当の意味で「出会う」ことができるのです。 もちろん「録音」と「生」ではちがうので、その分の差があることは言うまでもないですが、彼亡き今となっては、これだけが彼と「出会う」唯一のチャンスなのです。

Nantsu さん | 鹿児島県 | 不明

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