CD 輸入盤

イギリス組曲全曲 ヴォルフガング・リュプザム(リュート・チェンバロ)(2CD)

バッハ(1685-1750)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
BRL97554
組み枚数
:
2
レーベル
:
:
Holland
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


すべての音を克明に響かせた超高解像度演奏&録音

バッハ:イギリス組曲全曲 BWV806〜811
ヴォルフガング・リュプザム(リュート・チェンバロ)


バッハ演奏の大御所、ヴォルフガング・リュプザムが、イギリス組曲をリュート・チェンバロで演奏した全曲録音。リュプザムは1995年にもイギリス組曲全曲を録音していたので、これが2度目の取り組みとなりますが、前回はピアノ演奏で、今回はキース・ヒルの製作したリュート・チェンバロによる演奏という大きな違いがあります。
  上の画像は1段目左から、バッハ、当時のイギリスの国章、ヴィルヘルムス宮殿(通称「黄色い城」)、2段目左から、ヴィルヘルム・エルンスト公、リュート・チェンバロ、ヴィルヘルムス宮殿内の「城教会」。
  ブックレット(英語・12ページ)には、ドイツのオルガニストで教会音楽家のクリスティアン・フォン・ブローンによる解説が掲載。表紙の東洋風の龍の絵はキース・ヒルが以前チェンバロ装飾のために描いたものです。

リュート・チェンバロ
バッハはライプツィヒでは楽器のレンタルや販売仲介などをおこなっていたこともあってか、遺品目録にはチェンバロなど計8台もの鍵盤楽器が記載されており、うち2台はリュート・チェンバロでした。
  リュート・チェンバロのオリジナルはすべて失われ、どのような外観の楽器かもわからないため、現在、さまざまな形で復元がおこなわれていますが、ガット弦が張られ、ダンパーを使用していないという点では共通のようです。
  キース・ヒル製作による楽器を用いたここでのリュプザムの演奏は、穏やかで柔和なソノリティによる繊細で微妙な陰影のある表現が可能なものとなっています。

リュート・チェンバロ・シリーズ
リュート・チェンバロによるBrilliant Classicsのシリーズは、これまでフランス組曲集トッカータ集パルティータ集平均律クラヴィーア曲集が発売済み( ゴルトベルク変奏曲はNAXOSから発売)。

シリーズの特徴-1
このシリーズの録音の特徴は、眼の前に楽器が置かれたような距離感でリュート・チェンバロの音が聴こえてくることで、リュプザム自身がレコーディング・プロデューサーとエンジニアを兼ねているからこそできる大胆な手法ともいえます。

シリーズの特徴-2
演奏の方も実に大胆です。バッハの音楽をいったん解体し、点検しながら組み上げて行くような独特のアプローチで、近接録音の効果もあってその音の情報量は膨大です。一方で通常聴かれる疾走感や元気なリズムといった要素は希薄化されており、リュプザムの演奏目的がフィジカルな快感ではないことは明らかです。

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 作品情報

イギリス組曲

作曲時期
かつてはケーテン時代に書かれたとされてきましたが、最近では各種資料の検証から、1715年頃、ヴァイマール時代の作曲と推測されています。

外部からの影響
「イギリス組曲」に最も影響を与えたとされるシャルル・デュパール [1676-1751]の「6つのクラヴサン組曲」がアムステルダムで出版されたのは1701年のことで、デュパールがロンドンで有名になるのは1703年頃。
  バッハがそのデュパールの「6つのクラヴサン組曲」全曲を写譜したのはヴァイマール時代の1709年から1714年にかけてのことで、イギリス組曲の冒頭、第1番前奏曲の主題にはデュパールの組曲第1番のジーグが引用。ジーグはイギリス由来の舞曲でもあります(デュパールの4年後の1705年に出版されたガスパール・ル・ルーのジーグにも同じものがあります)。

曲名
「イギリス組曲」という曲名はバッハの命名ではなく他人によるもので、由来の推測にも諸説ありますが、デュパール引用以外で説得力があるのは、当時、イギリスの大型ハープシコードでは演奏することが可能だった非常に低い音が書き込まれていることや、イギリス的な記譜の方法、バッハの富裕層の知人にイギリス人の知人がいた話などが挙げられます。

スティル・ブリゼ(壊れた様式)
「スティル・ブリゼ」は、クープランなどフランス・バロックの鍵盤音楽で、リュートの演奏様式を模して取り入れたものを指し、当初はそのまま「スティル・リュテ(リュート様式)」と呼ばれていました。
  これはリュートが和音を不規則に分散して演奏するアルペッジョに由来するもので、場合によっては音楽に曖昧さや揺らぎといった変化をもたらす効果もあります。
  しかし、リュプザムの演奏ではすべてが克明に響くので、和音が分解された要素が揺らぐことなく示されるため、通常とはまったく違った様相を呈しています。

スティル・ミスト(混合様式)
様式については、当時のバッハらしく、対位法や舞曲、ギャラントリー小品に加え、フランス様式、イタリア様式、ドイツ様式などなんでもありの「スティル・ミスト」となっており、イギリスの要素についてもジーグによって盛り込まれているとみることもできます。
  リュプザムの演奏では細部まですべての音が響くため、そうした多様式的な諸要素を把握しやいのも大きなポイントとなっています。
 作曲家情報

ヴァイマールからヴァイマールへ

1703-1703 ヴァイマール (半年間在職)

仕事
宮廷楽士(弦楽器奏者)。宮廷オルガン奏者、ヨハン・エフラー[1643-1711]の助手を務めた可能性も。
雇主
ヨハン・エルンスト3世 [1664-1707]。
場所
神聖ローマ帝国、ザクセン=ヴァイマール公国、ヴァイマール(人口約5千人)。
職場
ヨハン・エルンスト3世の宮殿。通称「赤い城」。
年俸
27グルデン9グロッシェン(約14万円相当)。従僕待遇。

1703年、18歳を迎えるバッハは初めて就職に成功。当時のザクセン=ヴァイマール公国では長子相続制度が未導入だったため、ヨハン・エルンスト3世は、2歳年長の実兄ヴィルヘルム・エルンスト公と共に共同で統治。しかし、アルコール依存症だったため、実際には統治せず。

1703-1707 アルンシュタット (約4年在職)

仕事
教会オルガン奏者。
雇主
アルンシュタット市参事会。
場所
神聖ローマ帝国、シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯国、アルンシュタット(人口約3,800人)。
職場
「新教会」。
年俸
50グルデンの現金+飲食費・宿泊費30グルデンの計80グルデン(約40万円相当)。結婚式、葬儀など特別な行事での演奏では臨時手当も支給。

1703年7月、オルガン試演により採用が決定し、翌8月から勤務。若かったバッハは血気盛んで、路上の喧嘩で喚問されたり、ブクステフーデをリューベック(人口約2万人)に聴きにいって心酔し、4週間の休暇を4か月無断で延長して喚問されるなどしながらも、1707年6月に辞表を提出するまで約4年間在職。アルンシュタットはバッハの一族が多く暮らした街でもありました。

1707-1708 ミュールハウゼン (約1年在職)

仕事
教会オルガン奏者。
雇主
ミュールハウゼン市参事会。
場所
神聖ローマ帝国、帝国自由都市ミュールハウゼン(人口約7,500人)。
職場
「聖ブラジウス教会」。
年俸
85グルデン(約43万円相当)の他に、穀物や薪も現物支給。結婚式、葬儀など特別な行事での演奏では臨時手当も支給。

1707年4月、オルガン奏者死亡による後任公募試験に合格。1707年6月に契約し、市の記念行事用のカンタータが市参事会により出版(バッハ初の楽譜出版)。9月に母の兄が死去し50グルデンの遺産を相続。10月、又従姉妹のマリア・バルバラ・バッハ[1684-1720]と結婚。翌1708年6月に辞表を提出するまで約1年間勤務。

1708-1717 ヴァイマール (約9年在職)

仕事
宮廷オルガン奏者、宮廷楽士(弦楽器奏者)。
雇主
ヴィルヘルム・エルンスト [1662-1728]。
場所
神聖ローマ帝国、ザクセン=ヴァイマール公国、ヴァイマール(人口約5千人)。
職場
聖マルティン宮廷教会(城教会)とヴィルヘルムス宮殿。
年俸
金貨150フロリン(約75万円相当)の他に、穀物約450kg、大麦約320kg、ビール約300リットルと、薪4立方メートルが現物支給。

1708年6月、オルガン試演に招かれた際、領主ヴィルヘルム・エルンスト[1662-1728]に、現職の宮廷オルガン奏者ヨハン・エフラーの後任を打診され承諾。ヴィルヘルム・エルンスト公所有のヴィルヘルムス宮殿(通称「黄色い城」)の中にある「城教会」のオルガニスト、および宮廷楽士として雇われることになります。
  「城教会」は巨大な昇天オブジェにより「ヒンメルスブルク(天上の城)」とも呼ばれていた教会。バッハは多くのオルガン曲をヴァイマールで書き上げてもいます。


1708年、ヨハン・エルンスト王子
ヴィルヘルム・エルンスト公のバッハへの給与令には、亡き実弟の子で音楽好きのヨハン・エルンスト王子[1696-1715](当時11歳)の相手もするよう明記されています。ヨハン・エルンスト王子は、宮廷楽士のアイレンシュタインにヴァイオリンを習い、前年からヴァイマールの聖ペテロ・パウロ教会のオルガニストを務めているヨハン・ゴットフリート・ヴァルター[1684-1748](バッハの従兄弟)にチェンバロや作曲を師事していました。
1711年、ヴァイマール宮廷で昇給
年俸200フロリン(約100万円相当)に一気に昇給。この金額は1683年からヴィルヘルムス宮殿で28年も楽長(≒音楽監督)を務めるヨハン・ザムエル・ドレーゼ [1644-1716]と同額。
1713年、ヴァイマール宮廷で昇給
2月頃、年俸215フロリン(約108万円相当)に昇給し、楽長ドレーゼを上回ります。
1713年、ハレ聖母教会オルガニストにヴァイマール宮廷で昇給
12月、
1714年、ヴァイマール宮廷楽士長に昇進
2月、年俸250フロリン(約125万円相当)に昇給し、3月に宮廷楽団の楽士長(≒コンサートマスター)に任命。病身のドレーゼ楽長に代わって、カンタータの作曲や指揮も命じられるなど重責を担うことになります。

1715年、イギリス組曲
ヨハン・エルンスト王子は1711年2月から1713年7月までの2年半に渡ってユトレヒト大学で学び、滞在中にアムステルダムで盲目のオルガニスト、デ・グラーフの編曲演奏に触れ、それが刺激になってさまざまな音楽家の楽譜を集めた可能性があり、実際に、帰国後にバッハらに編曲させています。
  バッハは王子の帰国直後の1713年7月にそれらの編曲に取り掛かり、1714年7月に王子が難病の治療のため出国(翌年8月に18歳で死去)するまでに、王子の作品も含めて多くの編曲をおこなっています。
  こうしたことから、イギリス組曲はこれらの編曲作業を通じてバッハが身につけた「混合様式」の結実であるとも考えられるため、近年の作曲時期推測が1715年となっているのは妥当と思われます。
1716年、ヴァイマール宮廷楽長の死とバッハの落胆
12月にドレーゼ楽長が72歳で亡くなりますが、ヴィルヘルム・エルンスト公は、後任として、宮廷内の序列に従い、副楽長のヨハン・ヴィルヘルム・ドレーゼ(息子) [1677-1745]を任命しています。バッハは肩書はそのままで、268フロリン(約134万円相当)に昇給。

1717年、ケーテンのレオポルト侯がバッハを宮廷楽長に任命
昇給はしたものの、楽長の肩書が得られず落胆していたバッハでしたが、8か月後の1717年8月、ケーテンの音楽愛好君主レオポルト侯 [1694-1728]から宮廷楽長に正式に任命され、移住のための金銭まで支給されるという幸運に恵まれます。年俸も約400ターラー(約300万円相当)とヴァイマールの2.4倍の額でした。

1717年、ヴァイマール宮廷で逮捕・投獄
バッハはケーテンとの契約が8月に有効になって給与計上も開始されていたことから、ヴァイマールでの職を辞任しようとしますが、ヴァイマールの宮廷人が国を去る場合には領主の許可が必要と定められていたにも関わらず、ヴィルヘルム・エルンスト公の承認を得ずに話を進めていたため、11月6日に逮捕・投獄、26日後の12月2日に、不名誉状態のまま釈放されています(291年後の2008年に子孫のザクセン=ヴァイマール=アイゼナハ侯ミヒャエルにより名誉回復)。
  法令違反とはいえ、バッハが約4週間も投獄された背景には、宮廷人に対して就寝時刻を冬季は20時、夏季は21時と厳命して消灯させ、兵士にまで礼拝出席を義務付け、礼拝後に説教の内容を語らせるなどしていた狂信的なまでに信心深いルター派教徒のヴィルヘルム・エルンスト公の性格の問題もありそうです。
  自身の「城教会」でオルガニストを務めさせ、要求に応じて費用のかかるオルガンの大規模改修もおこない、さらにルター派のカンタータも書かせていたバッハが、同じプロテスタントとはいえ、まったく異なる「カルヴァン派」の若い君主と仲良くなってしまったのですから裏切られた感もあって激昂したということなのかもしれません。
  ちなみにヴィルヘルム・エルンスト公は、21歳のときに従姉妹のシャルロッテと結婚していますが、彼女が出奔した際には捜索させて逮捕・投獄し、28歳のときに離婚。翌1691年には自身の蔵書約1,400冊を人々に公開すべく図書館も創設し、その後の37年間は独身で過ごしているので、若い頃から真面目人間だったようです。


1723年、カルヴァン派職場からルター派職場へ
カルヴァン派プロテスタント(≒長老派、ピューリタン、ユグノー、フーセン等)は、教会ではなく聖書を重視し、教会への寄進も求めず、また、聖書には楽器や聖歌隊が登場しないことから教会音楽家を必要としないなど、教会音楽家によって盛大に神を賛美するカトリックやルター派プロテスタントとは著しく異なっていました。
  バッハがケーテン時代に数多くの世俗音楽を書くことができたのはそのためですが、しかしそれは主に教会音楽家として活動してきたバッハにとっては、ケーテン(人口約4千人)では得意分野であるオルガンもカンタータも無縁ということでもあり、ケーテンで仕事を始めてから2年11か月目の1720年11月にはルター派のハンブルク市(人口約8万人)にあるヤコブ教会のオルガニスト試験を受けたりもしています。ちなみに試験は合格でしたが寄付金が高いため辞退してケーテン勤務を継続。それから2年5か月後の1723年4月に辞表を提出し、間もなくルター派のライプツィヒに移り、以後、約27年間を過ごすことになります(それまでの通算はヴァイマール約10年、ケーテン約5年、アルンシュタット約4年、ミュールハウゼン約1年で約20年)。
1728年、ヴィルヘルム・エルンスト公死去
バッハがヴァイマールを去った11年後の1728年、45年に渡ってザクセン=ヴァイマール公国を統治してきたヴィルヘルム・エルンスト公が65歳で亡くなると、経験不足で名目上の「共同統治者」に過ぎなかったエルンスト・アウグスト1世[1688-1748]が40歳で領主となり単独統治を開始。
  エルンスト・アウグスト1世は趣味の大規模な狩猟を頻繁におこない(猟犬保有数千匹以上)、20もの城を手に入れ、小国ながら軍備も増強。また、複数の愛人を囲ったり、有力家臣たちの財産まで繰り返し奪って神聖ローマ帝国の首都ウィーンで裁判になって負けるなど、異常な金銭感覚により愚行・悪行を重ね、59歳で亡くなるまでの19年間でザクセン=ヴァイマール公国の財政を破綻に追い込んでいます。
 演奏家情報

ヴォルフガング・リュプザム
誕生
1946年10月16日、ドイツ国、ギーセン。
学業
1949年、3歳でピアノで遊び始めます。
1952年、6歳でピアノのレッスンを開始。
1963年、ヘッセン州のフルダでエーリヒ・アッカーマンにオルガンを師事(1967年まで)。
1967年、フランクフルト音楽大学に入学。教会音楽部門でヘルムート・ヴァルヒャに師事。在学中、テキサス州ダラスの南メソジスト大学に1年間留学。ヴァルヒャの弟子のロバート・T・アンダーソンに師事。古楽からメシアンまで、世界中のオルガンのレパートリーを毎日6時間練習し、修士号も取得。
1971年、パリでマリー=クレール・アランに師事(1974年まで)。

コンクール
1970年、インディアナ州フォートウェインで開催されたオルガン・コンクールで優勝。
1972年、ニュルンベルクとスペインのアビランで開催された国際コンクールで3位を2回獲得。
1973年、シャルトル国際オルガン・コンクールで優勝。

演奏
1962年、16歳で教会の礼拝でオルガン演奏開始。
マリエンシュタット修道院で定期的に演奏。
1981年、シカゴ大学ロックフェラー記念礼拝堂の大学オルガニストに就任(1997年まで)。
1998年、ウィスコンシン州ローレンス大学のアーティスト・イン・レジデンスに就任、大学オルガニストも兼務(2003年まで)。

教育
1974年、シカゴ近郊、ノースウェスタン大学の教会音楽とオルガンの教授に就任(1997年まで23年間在職)。
1997年、ザール音楽大学オルガン科教授に就任(2010年まで)。

録音
1977年、バッハ:オルガン曲全集を録音。CD16枚分(PHILIPS)。
1985〜1995年、バッハ:ピアノ曲集を録音。CD12枚分(NAXOS)。
1988〜1995年、バッハ:オルガン曲全集を録音。CD18枚分(NAXOS)。
1991〜1994年、ヴィエルヌ:オルガン曲全集を録音(IFO Classics/Brilliant Classics)。
1998〜2007年、ラインベルガー:オルガン曲全集を録音。CD8枚分(NAXOS)。
2011年、ヴァルヒャ:コラール前奏曲集を録音(NAXOS)。
2016〜2017年、バッハ:平均律クラヴィーア曲集をリュート・チェンバロで録音(Brilliant Classics)。
2017年、バッハ:無伴奏チェロ組曲第1〜3番をリュート・チェンバロで録音(COUNTERPOINT)。
2017年、バッハ:ゴルトベルク変奏曲をリュート・チェンバロで録音(NAXOS)。
2018年、バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲をリュート・チェンバロで録音(COUNTERPOINT)。
2019年、ヴァイス:リュート・ソナタ集をリュート・チェンバロで録音(Brilliant Classics)。
2020年、バッハ:フランス組曲をリュート・チェンバロで録音(Brilliant Classics)。
2021年、バッハ:トッカータ、パルティータをリュート・チェンバロで録音(Brilliant Classics)。
2022年、バッハ・オルガン・トランスクリプションを録音(Brilliant Classics)。
2024年、バッハ:イギリス組曲をリュート・チェンバロで録音(Brilliant Classics)。


 トラックリスト (収録作品と演奏者)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ [1685-1750]

CD1 77'48

イギリス組曲第1番イ長調 BWV806
1. I. プレリュード 2'35
2. II. アルマンド 6'22
3. III. クーラント I 2'29
4. IV. クーラント II 2'57
5. V. ドゥーブルI 1'55
6. VI. ドゥーブル II 1'06
7. VII. サラバンド 4'56
8. VIII. ブーレー I 1'49
9. IX. ブーレー II 1'07
10. X. ブーレー I 1'31
11. XI. ジーグ 2'43

イギリス組曲第2番イ短調 BWV807
12. I. プレリュード 8'08
13. II. アルマンド 3'41
14. III. クーラント 1'53
15. IV. サラバンド 3'44
16. V. ブーレー I 2'19
17. VI. ブーレー II 2'48
18. VII. ジーグ 2'23

イギリス組曲第3番ト短調 BWV808
19. T. プレリュード 5'22
20. II. アルマンド 3'38
21. III. クーラント 2'19
22. IV. サラバンド 2'33
23. V. ガヴォット I & II 3'19
24. VI. ジーグ 3'49

CD2 76'02
イギリス組曲第4番ヘ長調 BWV809
1. プレリュード 7'23
2. II. アルマンド 3'01
3. III. クーラント 1'36
4. IV. サラバンド 2'21
5. V. メヌエット I 1'15
6. VI. メヌエット II 1'09
7. VII. メヌエット I 0'52
8. VIII. ジーグ 4'32

イギリス組曲第5番ホ短調 BWV810
9. I. プレリュード 8'39
10. II. アルマンド 2'39
11. III. クーラント 2'27
12. IV. サラバンド 2'35
13. V. パスピエ・アン・ロンドー 1'45
14. VI. パスピエ II 1'10
15. Z.パスピエ 1'49
16. VIII. ジーグ 4'35

イギリス組曲第6番ニ短調 BWV811
17. I. プレリュード 11'43
18. II. アルマンド 2'45
19. III. クーラント 2'56
20. IV. サラバンド 1'57
21. V. ドゥーブル 2'08
22. VI. ガヴォット I 1'32
23. VII. ガヴォット II 1'15
24. VIII.ガヴォット 1'19
25. IX. ジーグ 2'25
ヴォルフガング・リュブザム(リュート・チェンバロ)

録音: 2024年5月、ミネソタ州ミネアポリス、セント・ヘレナ・カトリック教会

 Track list

Johann Sebastian Bach 1685-1750
6 English Suites BWV806-811

CD1 77'48
English Suite No.1 in A BWV806
1. I. Prelude 2'35
2. II. Allemande 6'22
3. III. Courante I 2'29
4. IV. Courante II 2'57
5. V. Double I 1'55
6. VI. Double II 1'06
7. VII. Sarabande 4'56
8. VIII. Bouree I 1'49
9. IX. Bouree II 1'07
10. X. Bouree I da capo 1'31
11. XI. Gigue 2'43

English Suite No.2 in A minor BWV807
12. I. Prelude 8'08
13. II. Allemande 3'41
14. III. Courante 1'53
15. IV. Sarabande 3'44
16. V. Bouree I 2'19
17. VI. Bouree II 2'48
18. VII. Gigue 2'23

English Suite No.3 in G minor BWV808
19. I. Prelude 5'22
20. II. Allemande 3'38
21. III. Courante 2'19
22. IV. Sarabande 2'33
23. V. Gavotte I & II 3'19
24. VI. Gigue 3'49

CD2 76'02
English Suite No.4 in F BWV809
1. I. Prelude 7'23
2. II. Allemande 3'01
3. III. Courante 1'36
4. IV. Sarabande 2'21
5. V. Menuet I 1'15
6. VI. Menuet II 1'09
7. VII. Menuet I da capo 0'52
8. VIII. Gigue 4'32

English Suite No.5 in E minor BWV810
9. I. Prelude 8'39
10. II. Allemande 2'39
11. III. Courante 2'27
12. IV. Sarabande 2'35
13. V. Passepied I en Rondeau 1'45
14. VI. Passepied II 1'10
15. VII. Passepied I da capo 1'49
16. VIII. Gigue 4'35

English Suite No.6 in D minor BWV811
17. I. Prelude 11'43
18. II. Allemande 2'45
19. III. Couante 2'56
20. IV. Sarabande 1'57
21. V. Double 2'08
22. VI. Gavotte I 1'32
23. VII. Gavotte II 1'15
24. VIII. Gavotte I da capo 1'19
25. IX. Gigue 2'25

Wolfgang Rübsam lute-harpsichord

Recording: May 2024, Saint Helena Catholic Church, Minneapolis, Minnesota, USA

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ぽつぽつと聞こえる楽器の音色が心に迫る。...

投稿日:2025/02/21 (金)

ぽつぽつと聞こえる楽器の音色が心に迫る。この曲の演奏のあるべき姿をある意味体現しているような感じに聞こえる。既成概念を一新させてくれるような演奏である。

げたんは さん | 鹿児島県 | 不明

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人物・団体紹介

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バッハ(1685-1750)

1685年:アイゼナハで誕生。 1700年:リューネブルクに移り、修道院付属学校の給費生として生活。 1703年:ヴァイマルの宮廷楽団に就職。 1707年:ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会オルガニストに就任。同年、マリア・バルバラ・バッハと結婚。 1708年:ヴァイマルに移って宮廷オルガニストに就任。 1714年:楽師長

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