ハイドン(1732-1809)
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ハイドン(1732-1809) レビュー一覧 6ページ目

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商品ユーザーレビュー

1146件
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  • さっぱりしていて、なかなか良いですね。特に良いのは...

    投稿日:2021/07/12

    さっぱりしていて、なかなか良いですね。特に良いのは49番です。1楽章からたいへんよい。他の楽章も薄くなることなく良いですね。

    せごびあ さん

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  • 貴重なハイドン初期の作品がピノックのキレの良い指揮...

    投稿日:2021/07/10

    貴重なハイドン初期の作品がピノックのキレの良い指揮で堪能できる! ハイドンというと大御所たちが後期の作品群を競うように録音しているが 初期の作品群の録音は比較的選択肢が少ない。 後期はモダン楽器の重厚さがマッチすると思うが初期の作品群はピノックの古楽器を使った演奏は曲想にピッタリマッチすると思う。

    I.O.U さん

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  • 当盤は、トーマス・ファイとハイデルベルク交響楽団に...

    投稿日:2021/07/06

    当盤は、トーマス・ファイとハイデルベルク交響楽団によるハイドンの交響曲全集プロジェクトの中で別個に録音されたものを、抜粋して編集したものであるが、第101番のみ、コンサートマスターであったベンジャミン・シュピルナーが指揮を担っている。なぜそのようなことになっているかと言うと、全集企画に完遂が見えてきた頃、まったく予期していなかった悲劇が襲ったためである。2014年、ファイが自宅内で転倒して重症を負い、指揮活動の継続が困難となってしまったのだ。そのため、シュピルナーが、当盤中の時計交響曲を含む未収録作品について、指揮を担って、現在プロジェクトの完遂を目指している(シュピルナーの起用は暫定的で、ヨハネス・クルンプが引き継ぐとの報もある)。交響曲101番の演奏を聴くと、そのことに思いを馳せて、様々なことを感じてしまう。ファイ自身と関係者の無念は如何ばかりかと思うが、一音楽ファンとして、再起を願いたい。さて、録音内容であるが、なかなか素晴らしいハイドンの交響曲集である。シュピルナーが継いだ101番も含めていずれも気持ちよく、ハイドンの音楽がもつ真摯な古典性を堅牢かつ闊達に表現したものだ。おそらくファイのハイドンに関する表現方法がオーケストラの団員の血肉に染みついているのだろう。そう思わせてくれる。オーケストラは、現代楽器をベースとしながらホルン、ティンパニ、トランペットにはピリオド楽器を用いた編成で、ファイの指揮はノン・ヴィブラートを主体とするピリオド奏法を応用している。両端楽章の急速部分がアグレッシヴでスピーディーなこと、メヌエットでは、トリオをゆったりと響かせ、楽曲の規模を大きく感じさせることなどが特徴と言える。緩徐楽章や序奏部は、ノン・ヴィブラートゆえの硬さや重さを感じさせてしまうが、表現としては一貫しており、楽しい聴き味がある。ハイドンのユーモアに対しては、人によってはやや真面目過ぎると感じるかもしれないが、古典の名作を聴くと言う点では、それは落ち着きと捉えることも出来るし、少なくとも私はその解釈を十分に好意的に感じる。印象の強さで言うと、まず第99番。第1楽章におけるこまやかなフレーズの生気に溢れた表現が抜群で、スリリング。終楽章の疾風のような鮮やかさも忘れがたく、この交響曲が名作であることを再認識させてくれる。第97番も大成功。特に両端楽章の鮮やかな推進性は、豊かで、内発的なエネルギーに溢れている。ハイドンの交響曲がもつ勇壮な要素に焦点を当て、そのまま力強く押し切ったもので、多少粗くなったり、ウィットの要素が減じられたりするのは承知の上で、ドイツ的なエネルギーを充填し、開放している。その聴き味は、ベートーヴェン的な熱の発散を感じさせる。交響曲第100番は木管の発色性豊かな演奏が心憎いほど効果を上げている。なるほど、この交響曲には、このような表現方法もあったのか、と感嘆させてくれる。前述の通りシュピルナーが代行した第101番も素晴らしい名演だ。中間2楽章は、気持ち表現が穏当になっているかもしれないが、それは先入観がもたらした悪戯なのかもしれないし、そうでなかったとしても、聴き味を損なう要素ではなく、むしろ古典的なバランスが貴ばれたとも感じられる。第102番の緩徐楽章のエッジの利いた表現と比較すると、スタイルの違いがほんの少しある。第93番、第96番、第98番、第100番は、序奏やテンポの遅い部分で、やや硬さがめだち、時々音色が無表情になるところがあるが、それはピリオド奏法ゆえの必然であり、解釈の前提ゆえに許容すべき部分であろう。むしろ、快活な部分とのメリハリが強調されたと肯定的に捉えた方が、楽しく聴けるだろう。第103番のティンパニは意外と保守的な表現だが、これも全体的な解釈から導かれたものだろう。当演奏では、第2楽章の愉悦性に満ちた変奏が肝要なところとも感じられる。シリーズ最初のころに録音された第94番、第104番は、ハイドンの交響曲のうちでは最も効き馴染まれた2曲だろう。それらの録音で、すでにファイの主張は明瞭だ。活力豊かで、本格的で、両端楽章はエッジの利いた輝かしい響きでグイグイと引っ張る。その前進性がなによりの特徴だ。結果として、ハイドンのこれらの交響曲を、まるでベートーヴェンの作品であるかのように、勇壮に鳴り響かせていることに成功している。ファイが全集途中で舞台を退いたのは無念この上ないが、シュピルナーもしくはクルンプとこの素晴らしいオーケストラが、全集を完結することを切に望む。

    ココパナ さん

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  • きわめて真摯な演奏。ハイドンの楽曲は、自然な伸びや...

    投稿日:2021/07/06

    きわめて真摯な演奏。ハイドンの楽曲は、自然な伸びやかさや品の良さとともに、ウィットの表現が含まれている。ゆえに機知に富んだアプローチを心掛けることは、楽曲の魅力を明らかにすることに繋がるが、場合によっては、愛想を振りまき過ぎて、楽曲の格式が少し低下したように感じられてしまうこともある。しかし、タカーチのこの演奏においては、心配皆無。典雅なメヌエットであっても、一種の凛々しさを崩さず、楽器のバランスとアクセントのポイントを慎重に配置し、ルバートも一定の範囲内で収まる。しかも、音色自体の深みとコクがあいまって、楽曲が気高く響く。この演奏を聴くと、おそらく本来ハイドンのこれらの楽曲は、このように演奏されてしかるべき作品なのだろう、ととても納得させられる。一言で言うと、説得力のある演奏。そして、楽曲自体も言うまでもないかもしれないが、魅力的だ。あえてそう書くのは、これらの弦楽四重奏曲が、最晩年の名作群、エルデーディ四重奏曲(第75番〜第80番)の輝かしさの影に隠れて、その素晴らしさに比し、聴かれる機会が少ないのではとの危惧ゆえである。第69番では深遠な第2楽章のアダージョ、そして軽快なトークを思わせる終楽章が絶品。第70番は第1楽章の短い序奏の後に開始される4つの楽器がこまかいフレーズを受け渡しつつ進む主題が、弦楽四重奏曲を聴く醍醐味を伝えてやまないし、第71番の冒頭の合奏音はタカーチの響きの素晴らしさとあいまって、一瞬で聴き手を音楽の世界に引き込んでくれる。

    ココパナ さん

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  • ウィーンSQのハイドン、ということで、いわば自家薬籠...

    投稿日:2021/07/06

    ウィーンSQのハイドン、ということで、いわば自家薬籠中のもの。録音はやや古いものですが、端正な演奏がよく合います。敢えて申すと、「セレナード」は今となってはJ.ハイドンの作品ではないと同定されているので、最近はあまり録音されることもないので、その意味では貴重と言えば貴重かも知れません。個人的には結構好きな曲なので、有難い録音です。

    Verdi さん

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  • 響きは美しいが、この団体の常として音楽が流れすぎだ...

    投稿日:2021/07/02

    響きは美しいが、この団体の常として音楽が流れすぎだと思う。もう少しメリハリ、けい角があってもいいのでは。それは彼らのモーツアルトやベートーヴェンにも言えることで、響きに掘り下げたところが少なくやや外面的という印象がある。セレナードで私が気に入っているのは、デッカのステレオ初期ではあるが、ヤナーチェク Qtによる演奏でテンポに余裕がありかつ深い溜めもあり、じっくりとこの佳曲を味わえる。モノラルのバリリQtもこのイタリアQtよりはよいと思う。

    robin さん

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  • メリハリが強く機能主義の代表者のように評されている...

    投稿日:2021/05/31

    メリハリが強く機能主義の代表者のように評されているショルティだが、そんな先入観を捨てて白紙状態できいてみよう。音楽は切れることなくスムーズに流れ、音の響きも美しくメリハリもはっきりしコクもあり現代的響きといえよう。音楽がよく流れているので聴いていて納得できる。このショルティに比べればヨッフム盤はやはり伝統的古典的で、そこがいいところだろうが、録音が新しいためか音の響きはこのショルティのほうが上で聴いていて気持ちがよい。全曲録音のドラティよりこちらのショルティ盤のほうがすべてにおいて勝っていると言わざるをえない。セル、Ⅽ・デイヴィス、カラヤン、ドラティ等より聴きごたえがあると思う。

    robin さん

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  • 10年前、このディスクが出たときのことを覚えています...

    投稿日:2021/05/03

    10年前、このディスクが出たときのことを覚えていますが、今回約半額で再発されたことを喜びたい。とは言えですねぇ、先日ベートーヴェンの全集を激賞したばかりでありますが、彼のハイドンは評価が難しいと思います。93年録音のロンドンクラシカルプレーヤーズとの演奏と基本的には同じ。ベートーヴェンと同じ路線を期待していたのに、なんでかなぁ、このレガートの多用は。レガート自体を否定するものではないのですが、HIPアプローチと合わない気がして仕方ありません。もしかしたら、融合を目指したのかもしれませんが、ハイドンとは違う気もします。この演奏は、もちろんサーロジャーのような素晴らしい指揮者が検討に検討を重ねた録音であり、私ごときがどうこう言える話ではないことは理解しております。それでも、アーノンクールや弟子のファイのハイドンを聞くと、サーロジャーは少しもどかしく思えます。演奏って難しいものなのだと、改めて思いました。

    てつ さん

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  • ほかのレビュアーの方が書かれているとおり、ペレーニ...

    投稿日:2021/04/07

    ほかのレビュアーの方が書かれているとおり、ペレーニのソロが冴え渡っています。 この曲ではジャンドロン盤、特にレパードの伴奏による1番が大好きで、これがあればもう十分、と思ってきたのですが、ペレーニ盤は1番の第3楽章などジャンドロン盤より1分も速く飛ばしに飛ばしていて爽快この上なく、何度か繰り返して聴いてしまったくらいです。ジャンドロン盤のほかに、この曲の愛聴盤が加わりました。

    コンセルトヘボウ さん

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  • グールドのCDはほとんど持っているが、バッハであろう...

    投稿日:2021/03/13

    グールドのCDはほとんど持っているが、バッハであろうとハイドンであろうとグールドにとっては表現素材でしかないので私のようなグールド好きには「ハイドンの曲を表現素材」としたグールドの演奏を聴くには良いかもしれないが、パロック音楽としてハイドンを聴くのであれば別のCDを選んだ方が良いかもしれない。

    Bugsy さん

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ありがとうございました

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