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神学・政治論 下 古典新訳文庫

スピノザ

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784334752903
ISBN 10 : 433475290X
Format
Books
Publisher
Release Date
May/2014
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

『エチカ』と並ぶスピノザの代表作、ついに新訳なる。破門と禁書で封じられた危険な哲学者スピノザの“過激な”政治哲学!「国家は自由のためにある」

目次 : 残りの旧約聖書各巻が、既に取り上げられた各巻と同じ仕方で検証される/ 使徒たちはその「手紙」を使徒や預言者として書いたのか、それとも教師として書いたのか、ということが考察される。さらに、使徒たちの役割とはどういうものだったかが明らかにされる/ 神の法が記された本当の契約書について。聖書はなぜ聖なる書物と呼ばれ、なぜ神の言葉と呼ばれるのかについて。そして最後に、聖書は神の言葉を含む限りにおいて、損なわれることなくわたしたちまで伝えられた、ということが示される/ 聖書は単純きわまりない教えしか説いていないこと、ひとびとを服従させることだけが聖書の狙いであること、そして聖書は神が本来どういうものであるかについては、ひとびとがそれを見習って生き方の指針にできるようなことしか説いていないことが示される/ 信仰とは何か。信仰のある人とはどのような人か。信仰の基礎になることが決められ、最終的に信仰が哲学から切り離される/ 神学が理性に奉仕するのでも、理性が神学に奉仕するのでもないことについて。そしてわたしたちが聖書の権威を認める理由について/ 国家体制の基礎について。個人のもつ自然な権利と、市民としての権利について。そして至高の権力の持ち主たちの権利について/ 至高の権力にすべてを引き渡すことは誰にもできないし、その必要もないことが示される。ヘブライ人たちの国家体制はモーセの存命中、その死後、王たちを選ぶ前はそれぞれどうなっていたかについて。この国家体制の優れていた点について。そして最後に、この神による国家体制が滅びた原因や、存続している間もさまざまな反逆にさらされずにはいられなかった原因について/ ヘブライ人たちの国家体制と歴史物語から、いくつかの政治的教訓が引き出される/ 宗教上の事柄にまつわる権利は、すべて至高の権力の持ち主たちの管理下にあることが示される。正しい形で神に奉仕したいなら、宗教上の礼拝活動は国の平和と両立するように行わなければならないのである/ 自由な国家体制では、誰にでも、考えたいということを考え、考えていることを口にすることが許される、ということが示される

【著者紹介】
スピノザ : 1932‐1677。オランダ・アムステルダム生まれの哲学者。父母ともポルトガルから迫害を逃れてきたユダヤ人で、父はユダヤ人居住区で貿易商を営んでいた。父の死後弟と2人で家業を継ぐが、思想・宗教上の理由でユダヤ人共同体から破門を宣告され、経営権を弟に譲り隠居。以後、オランダ各地でつつましい生活を送りながら、独自の哲学を築き上げた。1670年、『神学・政治論』を匿名で刊行するが、数年後に禁書処分となる。晩年に完成した主著『エチカ』は、当局の監視が厳しく、刊行を断念

吉田量彦 : 1971年茨城県水戸市生まれ。慶應義塾大学文学部、同大学院文学研究科を経て、ドイツ・ハンブルク大学にて学位取得(哲学博士)。17・18世紀の西洋近代哲学を専攻。2011年より、東京国際大学商学部准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

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  • おたま

    下巻ではそれまでの神学論(聖書論)から一気に政治論へと転換する。16章と20章に特に顕著。スピノザは、たぶんホッブズ(未読)の「社会契約論」から多くを継承しているように思う。人間はその本性からして自由な存在ではあるが、自由同士が衝突を繰り返すようでは安定した社会とは言い難い。そこで相互に契約し、自己の自然の権利を譲り渡すことで「至高の権力」を生み出す。それに従うことで社会を安定させる。そこに国家が生まれてくる必然もある。これがたぶん、法による統治ということだろう。宗教とは決別して、権力は語られる。

  • ころこ

    『エチカ』から入り本書を読むか検討している人は、読む必要がないと思います。独裁者に対抗するためには、何らかの特別な啓示によって約束された人に限られる。聖と俗を一致させるのが手っ取り早いというのは、アダム・スミスの考えと近いのではないでしょうか。宗教上の理由から市民生活上の権利をはじめ自由が擁護されるのは、我々の目からは射程が狭い議論だと映ります。現代でも知らずに我々はこの論理を使っていますが、「聖戦」を行う論理に非常に近く、無意識に潜在しているものを批判するためにならば読む意味はあるかも知れません。

  • 1.3manen

    モーセは自分の指摘を民衆にもっともらしく思わせようとして、自分で考えてイスラエル人に「わたしがお前たちとともに生きてきた間でさえ、お前たちは神に背いてきた。だとすると、わたしが死んだあとはなおさらそうなるだろう」と語った(47頁〜)。契約が破られたら、破った側に利益を上回る害が生じるようにしておくよう努めてなければならない(159頁)。ひとはそれぞれ自分の欲望に引きずられ、その精神は理性の入る余地など残らないくらい、往々にして貪欲や虚栄心や妬みや怒りに強く支配されてしまう。 

  • chanvesa

    政教分離をどちら側からも徹底していく姿勢は、まさに両者の狭間にあった哲学をいかに確立していくかが背景にあったのだろう。「国というものは実は自由のためにある(304頁)」という宣言はもちろん理性という大前提にある。この本の中で明言されているわけではないが「思想・信条の自由」、内面的自由が最上位にあり、その補完的な手段として「表現の自由」のような外面的自由があると無理矢理だが読めないだろうかと考えていた。いまや「理性」が怪しい。理性をブレーキとするには、全幅の信頼を置くだけでなく、何か補助線が必要な気がする。

  • 加納恭史

    この本の主題の一つは「神即自然」。主著「エチカ」でも述べられるが、この本の説明が丁寧である。神と自然(厳密に言えば自然の世界を生み出している力そのもの)を同一視するスピノザの立場を力説する。神が自然であるといっても、自然の世界には山の神や川の神や便所の神という無数の神々が宿っているという多神教に慣れた日本人の考え方に近い。スピノザにとっての自然とは、同じ法則に隅々まで支配されるただ一つの世界。この神は無限で、あらゆる自然を内包する。いわゆる汎神論である。従って自然の法則の通用しない外部領域は存在しない。

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