ショスタコーヴィチ(1906-1975)

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CD 輸入盤

交響曲第7番『レニングラード』 ケーゲル

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
SSS00282
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
Europe
フォーマット
:
CD

商品説明

特別寄稿 許光俊の言いたい放題
第5回 「私はこれを待っていた ― 予想を超えた恐るべき《レニングラード》《巨人》」
  ついに、待望久しい超弩級の名演奏が日の目を見た。
 これほどまでに感情豊かに演奏された「レニングラード」は他にないだろう。

 今までショスタコはあまりにドライに演奏される傾向がありはしなかったか。作曲家の自作自演は相当表情が濃く、ロマンティックですらあり、決して無表情な作品を書いていたとは思われないのに。

 たぶん、「弾圧を恐れて本心を隠していた作曲家」というイメージが、無表情系・抑制系の演奏が幅を利かせる原因となっていたのだ。それがショスタコを一部のマニア向け作曲家にしてきた。やたらと暗い内向性の音楽みたいに思わせてきた。

 だが、この演奏はどうだ。今まで石像かロボットかと思っていた音楽に、熱い血潮がたぎっているではないか。本当は、「レニングラード」はこんなに身近で、人間的で、表情豊かで、楽しくて、悲しい、ロマンティックでセンチメンタルな音楽だったのだ。

 第1楽章は他のどの指揮者にもまして滑稽でユーモラスだ。酔っぱらいの千鳥足踊りといった感じの、B級的な可笑しさがある。が、それが徐々にシリアスになっていき、最後には押しつぶされるような恐怖にまで到達する。その変化の恐ろしさこそこの楽章のキモであり、ケーゲルは鬼気迫るリアルさで表現している。私は、この演奏によって、ようやく作曲者の生々しい心情に触れ得たという感慨を抱いた。

 さらに、13分過ぎのカタストロフもすさまじいの一言。単にオーケストラの威力がすごいといったレベルの問題ではない。暴力的だというだけではない。もっと巨大なものだ。

 この曲の演奏はしばしば尻すぼみになりがちだが、フィナーレにも息をのんだ。

 激しく燃えさかる炎のようで、テンションがまったく落ちない。最後、金管楽器、弦楽器が渾身の力を振り絞り、まるでブルックナーの第8番最後みたいなクライマックスを築き上げる。

 すばらしい演奏である。ずしりと重い演奏である。そして、多くのことを考えさせる演奏である。

 私は、今ほど「レニングラード」の音楽を身近に感じたことはなく、作曲家が書いた音符の意味はこうだったのかと得心がいったこともない。

 「巨人」も「レニングラード」に勝るとも劣らないが、詳細は別の機会に書きたい。ひとことだけ言えば、第1楽章の暗鬱な迷いと、そこからはまったく予想できないフィナーレの爆発ぶりの激しいコントラストに仰天した。
 最後はバーンスタインテンシュテット(シカゴ響)に一歩も引けを取らぬ圧倒的な高揚で、スタジオ録音とは比べものにならない。実に危険な香りのする演奏だ。

 「レニングラード」も「巨人」も幸いなことに、音質がよい。

総合評価

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壊れた世から生まれた音楽が、壊れた状態のまま、演奏されるのは、必然。だが、それは、なかなかできる事ではない。勝利とか、国を守れ、希望はある、この道は正しいのだ、という言葉、スローガン、キャンペーンにすり替えられるのが常。壊れたこの曲の本質を、そのまま演奏したケーゲルのこのライヴ、本来、コンサート会場の中だけの物として演奏されたからこそできたのだろう。さて、又、違った形で壊れゆく国が、アジアの片隅にあって、ちゃんと壊れた演奏、音楽を奏でている人は、居るだろうか。居て欲しい。否、きっと、居る。現れている。

sunny さん | 兵庫県 | 不明

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ヤンソンス、コンセルトへボウの上手い、真面目な迫力のある「レニングラード」も悪くはないが、このケーゲルの一発ライヴの方が、曲の本質が良く分かり、面白い、笑える。スネアのずれ、金管のキレ、崩れまくった咆哮。ショスタコの虚無と怒り、情念等々が見事演奏された稀有の一枚。後世の人に聴かれることなど考えて演奏していないが、これこそライヴ、会場ノイズ多いが、よくぞこの世の中に出してくれました。

sunny さん | 兵庫県 | 不明

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投稿日:2009/05/25 (月)

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ほんず内閣総理大臣 さん | 北海道 | 不明

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ショスタコーヴィチ(1906-1975)

「わたしの交響曲は墓碑である」という“証言”の中の言葉によって象徴されるショスタコーヴィチの音楽と生涯への価値観の変質は、今もって盛んな議論と研究、演奏解釈によって再認識過程の最中にあるとも言えますが、作品によってはすでに演奏年数も75年に及び、伝統と新たな解釈の対照がごく自然におこなわれてきているとも言えそうです。 圧政と戦争の象徴でもあったソビエト共産主義社会の中に生き、そして逝ったショスタコ

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