ショスタコーヴィチ(1906-1975)

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SACD

交響曲第5番『革命』 インバル&東京都交響楽団

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
EXCL00080
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
日本
フォーマット
:
SACD
その他
:
ハイブリッド

商品説明

インバルの厳しく深い音楽的洞察力から生まれた新たなショスタコーヴィチ

都響とインバルの蜜月ぶりを実感できる名演となった、2011年12月12日に東京文化会館で行われた定期演奏会のライヴ録音盤です。インバルの厳しく深い音楽的洞察力と創造力、そして都響の安定した実力とが相まって、極めて密度の濃い演奏内容となりました。
 高い集中力と張りつめた緊張感の中で奏でられるアンサンブルは、悲壮と苦悩に満ちた第1楽章から第3楽章を、息も詰まるような凝縮された演奏で聴くものの心を掴みました。インバルが「真の喜びを表現している」と捉える第4楽章では、インバルならではのテンポの変化、ダイナミズムの変化が自在に繰り広げられ、ダイナミックでスケールの大きな熱い演奏で駆け抜けます。随所にインバルならではの解釈がちりばめられた新たなショスタコーヴィチ・シリーズが始まります。(EXTON)

【収録情報】
・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 op.47『革命』

 東京都交響楽団
 エリアフ・インバル(指揮)

 録音時期:2011年12月12日
 録音場所:東京文化会館
 録音方式:DSDレコーディング(ライヴ)
 SACD Hybrid
 2ch HQ (CD STEREO/ SACD STEREO)

内容詳細

ショスタコーヴィチの交響曲は速度表示が多い。ムラヴィンスキーのようにそれをあまり尊重しない例もあるが、この演奏は指示に限りなく忠実に従ったもの。それでいて不自然さを感じさせず、スケールは大きく、緻密。模範的な名演だろう。録音も優秀。(白)(CDジャーナル データベースより)

総合評価

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この曲のインバルさんとしては3回目の録音...

投稿日:2014/01/15 (水)

この曲のインバルさんとしては3回目の録音。最初のフランクフルトとの録音が実に鮮烈で、いまだに愛聴しております。そこでの劇性をはらみながらも基本的には恐るべきクールさを保った姿勢は衝撃的でもありました。今回の録音は、その後のインバルさんの到達した境地を実によく表しています。クールであるよりかは曲に共感・同化している感じだし、しかしながらちょっと突き放して、ライブ的な「気分(感興)」でひねってみたりもしていて、なかなかに不思議な出来栄えとなりました。正直、演奏の完成度ということではフランクフルトとの録音が上のように思います。しかし、今回は今現在のインバルさんの到達度を示すものとしての興味では大変に面白いものではあります。つまり、インバルさん主体の聴き方をするならば大変意義深いディスクでありましょう。ショスタコーヴィチの交響曲第5番の名盤としては、いささか微妙なポジションとなるでしょう。オケはいつもながら見事なもの。録音は超優秀。なお、ライナーノートの一柳富美子さんの文章は、この曲及びショスタコーヴィチの理解に関して大変有益な文章で、教えられることの多いものなのですが、インバルの3度目の録音のライナーノートとしてはこれで(これだけで)いいのかな、とはちょっと思いました。たとえば都響のこのシーズンのインバルの取り上げた曲目(=シリーズのコンセプト)、そしてこの録音の日の曲目(=この日のプログラムの位置づけ)、それらを紹介してくれた方が、今のインバルさんの「考え」の理解には役立つんじゃないかなあ。ライブ録音についてはそういうところも注意してほしいかな。

ほんず内閣総理大臣 さん | 北海道 | 不明

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毒も、棘も、本音も、隠すことに意味がある...

投稿日:2013/12/05 (木)

毒も、棘も、本音も、隠すことに意味がある。ショスタコーヴィチの大きな特徴であるアイロニーとは、そういう事でもあるだろう。社会的存在である人間は、本音と建前を使い分けたり、方便をいったり、認知バイアスがあったりと、倒錯した感情や言動を表明してしまう生き物だ。それに現代に生きる我々は、もはやシンプルな、倚り懸かれるような価値尺度を失っている。このことは、様々な学問芸術の分野で随分前から告発されてきた。アンビバレンスさ、割り切れなさ、都合の良さ、それに対する反発、葛藤、そして移ろいゆく儚さ、くだらなさ…きっとこれらもまた人間の妙味だ。そしてそれはショスタコーヴィチの交響曲の妙味でもある。(マーラーをヒントにしてはいるが。)例え作曲の経緯がジダーノフ批判に対する名誉回復を狙っていたとしても、前作の素材から切り貼りして作られたようなこの作品に、ひとりの人間として、思いを込めずにはいられなかったんじゃないかな。インバルの演奏では、ショスタコーヴィチの隠し切れなかった思いを「隠し切れなかった」ことがわかるように感じ取ることが出来る。インバルもまた、徹底的に、神経質に過ぎるくらいに恣意性を廃し、エゴを消し去ろうとするのだが、曲の佳境に来ればむしろエゴはついに抑圧をバネにして噴出し、代えがたいほどに壮絶な印象を刻み付ける。個人的に都響との演奏は、マーラー等よりもずっとショスタコーヴィチのほうがあっていると感じる。それは上記のような演奏者と作曲者の、意外なほどの共鳴があるおかげなのだと思う。(あと都響のシャープな音、機動性反応性。)表象としての演奏は確かにドライで楽譜に忠実なのだが、決して突き放しているわけではない。むしろ逆だ。私は最終楽章の所謂「強制された歓喜」の部分に涙した。なんという虚しさ。この曲、随分飽きていたのに、こういう演奏にあえるからライブ、新録は面白い。

ダルマ人間 さん | 茨城県 | 不明

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 僕は子供のころから父の書斎にこの曲のレ...

投稿日:2013/10/03 (木)

 僕は子供のころから父の書斎にこの曲のレコード(指揮はミッチェル)があるのを知ってはいたが、このLPを聴いていた父を見た試しがない。後からわかったことだが、このレコードは、共産党系の知人から、半ば強制的に聴くことを強制されて買ったのだそうだ。 そんなこともあり、『日本では長らく、ショスタコ好きは「サヨク」だとレッテルが貼られた』と書かれてある、一柳富美子さんの「曲目解説」の文章にまずは惹かれた。 そして解説は「その後『ショスタコーヴィチの証言』が出版されると、ショスタコの評価は一転して『2重言語を駆使した体制批判の作品だ』と、今度は悲劇のヒーローに祭り上げられた…」と続くと、もうこの解説はどこへ向かって進んでいるのだろう?と、夢中になって読み進むこととなった。 んが、最終的に「この作品は、かなわぬ恋人への思いが込められた『ラヴソング』だ」ということになり、カルメンのハバネラがどうのこうのと書かれてある箇所に来ると、一気にテンションの気圧が下がってしまった。 作曲家の色恋沙汰にかこつけるくらいなら、まだ「サヨク」にされたり「2重言語」を解読していたのほうが、はるかに面白い。 肝心の演奏であるが、これまたインパルらしい、指揮者の個性を廃した 客観的なアプローチだ。 バーンスタインやムラヴィンスキーのような、主張のハッキリした面白さは皆無で、楽譜を忠実に再現した立派な演奏…に過ぎない。インバルは昔からそうであったが、それでも昨今の東京都交響楽団とのCDと聴き比べた場合など、かつてのフランクフルト響などとの演奏のほうが、まだ個性(僕個人としては、昔のインバルの演奏は、宇宙に存在する「ブラックホール」のような存在で、光すら発しない、静かで冷たい…しかし何らかの質量は感じる… そんなイメージ)と呼べる片鱗はあったように思う。 このCD、評価はとても高そうだし、確かに水準の高い演奏だとは思う。しかし正直言って一回聴いてそのままお蔵入りしそうな、「毒」も「棘」も感じられない演奏だ とも言える。

ヒューブーン さん | 静岡県 | 不明

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ショスタコーヴィチ(1906-1975)

「わたしの交響曲は墓碑である」という“証言”の中の言葉によって象徴されるショスタコーヴィチの音楽と生涯への価値観の変質は、今もって盛んな議論と研究、演奏解釈によって再認識過程の最中にあるとも言えますが、作品によってはすでに演奏年数も75年に及び、伝統と新たな解釈の対照がごく自然におこなわれてきているとも言えそうです。 圧政と戦争の象徴でもあったソビエト共産主義社会の中に生き、そして逝ったショスタコ

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