ショスタコーヴィチ(1906-1975)

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CD 輸入盤

交響曲第11番『1905年』 クライツベルク&モンテカルロ・フィル

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
OPMC005
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
Europe
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明

クライツベルク自身が「会心の出来」と振り返った
ショスタコーヴィチの交響曲第11番!


2011年3月15日に急逝したクライツベルクのショスタコーヴィチの登場。自身が「会心の出来」と振り返っていた交響曲第11番のライヴです。
 サンクト・ペテルブルクに生まれ、ビシュコフの弟でもあるクライツベルクはショスタコーヴィチに対して特別な思い入れをもっていました。特に第11番は、ニューヨーク・フィルのデビュー公演となった演奏会で指揮したもので、その後もフィラデルフィア管などとも共演をしていた特別な作品。モンテカルロ・フィルとどのような演奏を展開しているか期待が高まります。
 ショスタコーヴィチの第11番『1905年』は、演奏時間1時間を要する大曲。ロシア革命前夜を描いた映画的音楽で、ショスタコーヴィチの驚くべき描写力が発揮されています。「血の日曜日」の民衆虐殺の場面をはじめ、全体に指揮者の能力が試される難曲。不気味な事件を予感させるようなおどろおどろしい第1楽章は実にリアルに響き、第2楽章の射撃のシーンは痛々しいほど。終楽章の激しさは圧巻です。
 クライツベルク自身が「会心の出来」と振り返ったのも納得の、各楽器のバランスの采配が実に見事な、稀有な名演となっています。(キングインターナショナル)

【収録情報】
・ショスタコーヴィチ:交響曲第11番ト短調 op.103『1905年』

 モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団
 ヤコフ・クライツベルク(指揮)

 録音時期:2010年1月25-26日


【プロフィール】
ヤコフ・クライツベルクは、1959年10月24日、レニングラードに生まれたロシア人で、兄は同じく指揮者のセミヨン・ビシュコフ。5歳からピアノを始めたクライツベルクは、やがて高名なイリヤ・ムーシンに師事して指揮を学びますが、1976年、17歳の年にアメリカに移住、タングルウッドでバーンスタインやラインスドルフ、小澤征爾らに学び、その後、ティルソン・トーマスのアシスタントを務めています。
 プロとしての最初のキャリアは、ドイツのクレーフェルト/メンヘングラートバッハ合同劇場での音楽監督で、期間は1988年から1994年まででした。
 1994年から2001年までは、ベルリン・コーミッシェ・オーパーの音楽監督として活躍。有名な演出家、ハリー・クプファーと協力して数々の話題作を上演して注目を集めます。
 その間、1995年から2000年にかけてはボーンマス交響楽団の首席指揮者も兼任し、さらにベルリン・フィルやバイエルン放送響、コンセルトヘボウ管、ニューヨーク・フィル、ボストン響にもデビューするなど、着々と声望を高めてゆき、ウィーン交響楽団の首席客演指揮者にも任命。
 2003年には、2011年までの契約でオランダ・フィルとオランダ室内管弦楽団の首席指揮者に就任し、2009年にはモンテ・カルロ・フィルの首席指揮者にも就任。
 クライツベルクは、2011年3月15日にモンテカルロの病院で癌のため亡くなりますが、その少し前まで順調な活動を展開しており、最後のコンサートは、2011年2月14日にアムステルダムで開催されたオランダ・フィルを指揮した公演で、『シェエラザード』と『ルスランとリュドミラ』序曲、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番というプログラムでした。(HMV)

ユーザーレビュー

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ここのところこの曲を集中して聴いている。...

投稿日:2014/02/07 (金)

ここのところこの曲を集中して聴いている。 とにかくたくさん聴いた。 1楽章の出たしから 細部まで行き届いた 「あまりに丁寧」な演奏。 会心の出来」とあるけど、 素人で聴くこちら側も 11番のファーストチョイス、かつベスト3に推したい 音が立体的であまりにもリアルな描写。 好みもあるが その場の息遣いが伝わってくるすばらしい演奏。 ちなみにテンポは中庸だけど 聴けば聴くほど味わい深いので 重い曲なのに何度も聴きたくなる 久しぶりにヒットのCD!! でも クライツベルク 亡くなってるんですよね・・・

ぶひ さん | 東京都 | 不明

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ショスタコーヴィチ(1906-1975)

「わたしの交響曲は墓碑である」という“証言”の中の言葉によって象徴されるショスタコーヴィチの音楽と生涯への価値観の変質は、今もって盛んな議論と研究、演奏解釈によって再認識過程の最中にあるとも言えますが、作品によってはすでに演奏年数も75年に及び、伝統と新たな解釈の対照がごく自然におこなわれてきているとも言えそうです。 圧政と戦争の象徴でもあったソビエト共産主義社会の中に生き、そして逝ったショスタコ

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