シューマン、ロベルト(1810-1856)

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シューマン:交響曲第4番、シューベルト:交響曲第5番 シモン・ゴールドベルク&新日本フィル(1993)

シューマン、ロベルト(1810-1856)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
TBRCD0036
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
日本
フォーマット
:
CD

商品説明


シモン・ゴールドベルクの遺産(指揮者編)
シューマン:交響曲第4番、シューベルト:交響曲第5番


東京芸術劇場アーカイヴ・シリーズ。相性抜群の新日本フィルとの最後の共演。弦楽器出身の指揮者だけに、隅々まで厳しい眼が光っております。新日本フィルの弦も定評あるものだけに聴き応えがあります。シューベルトの抒情と愉悦には、心洗われるばかりです。フルトヴェングラーを敬愛していたゴールドベルクだけにシューマンは超名演。無論、スタイルはフルトヴェングラーと違い、キリリと引締った精悍な造形を見せますが、熱の孕み方にはやはり強い影響を感じます。この演奏会のあと4月に水戸室内管に客演しましたが、それが生涯最後の演奏会となった模様です。
 名ヴァイオリニストにして名指揮者シモン・ゴールドベルク[1909-1993]。フルトヴェングラーからスカウトされ、ベルリン・フィルのコンサートマスターに就任したのが弱冠20歳。16歳で既にドレスデン・フィルのコンサートマスターを務めていたのですから、如何に早熟な天才であったかが分かります。ユダヤ人だったために、ナチスの台頭によって退団を余儀なくされ、1945年にはジャワ島で日本軍の捕虜になるなど辛酸を舐めますが、1953年にアメリカに帰化し、ヴァイオリニストとしてのみならず指揮者としての活動も活発に行います。1955年にはオランダ室内管弦楽団を組織し、世界各国で演奏会を開きます。1967年に同管と二度目の来日。1987年には桐朋学園大学の招きで来日しオーケストラを指導。ピアニストの山根美代子氏と1988年に結婚。1990年には新日本フィルを初めて指揮し、後に指揮者に就任しています。
 1930年代の名盤、リリー・クラウスとのモーツァルト、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ集が広く知られておりますし、後にラドゥ・ルプーともモーツァルトを録音しているほどですが、ゴールドベルク自身は本来、録音嫌いというよりも録音自体を否定していたと言います。それ故に名声に比して極度に録音は少なく、特に解釈にますますの熟成が見られた晩年の演奏がほとんど残されておりません。
 東京芸術劇場アーカイヴより、最晩年(亡くなる5か月前)の新日本フィルとの名演を発見し発売できることとなりました。音楽の使徒ともいえる自らに厳格な音楽家による最後の証言をご堪能ください。(TOBU)

【収録情報】
● シューベルト:交響曲第5番変ロ長調 D.485
(7:22/ 10:36/ 4:55/ 5:42)
● シューマン:交響曲第4番ニ短調 Op.120 (11:16/ 4:48/ 6:34/ 5:59)

 新日本フィルハーモニー交響楽団
 シモン・ゴールドベルク(指揮)

 録音時期:1993年2月9日
 録音場所:東京芸術劇場
 録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

【ゴールドベルク・プロフィール】
モーツァルトやブラームス、シューベルトの名盤で知られるシモン・ゴールドベルク[1909-1993]は、名ヴァイオリニストであると同時に名指揮者でもありました。
ポーランドに生まれたゴールドベルクは、幼少期からワルシャワでヴァイオリンを習い始め、8歳のときにベルリンで高名なカール・フレッシュの門下生となり、12歳でワルシャワでコンサート・デビュー、センセーショナルな成功を収めます。
その後、16歳でドレスデン・フィルのコンサート・マスターとなり、20歳のときにはフルトヴェングラーに請われてベルリン・フィルのコンサート・マスターに就任、同時にヒンデミットのヴィオラ、フォイアマンのチェロとの組み合わせで「アマール弦楽三重奏団」を結成して室内楽分野でも活躍します。
しかし1934年になるとナチス政権が樹立され、フルトヴェングラーの抗議もむなしく、ユダヤ系ポーランド人だったゴールドベルクはベルリン・フィルを退団させられてしまい、演奏活動にも支障をきたすようになった為、ロンドンへと移り住むことに。
ロンドンではリリー・クラウスとめぐりあい、意気投合した二人は演奏会のほか、レコーディングにも取り組み、さらに世情不安な中、世界ツアーまでおこないます。
ツアー中、1936年には日本を訪れ、1938年にはアメリカでもデビューを果たす彼らですが、アジア・ツアー中の1942年、ジャワ島滞在中に、進撃してきた日本軍の捕虜となってしまい、終戦まで抑留生活を余儀なくされることに。
戦後は再び渡米し、1951年からアスペン音楽学校で教え(1965年まで)、指揮者としての活動も開始。1953年にはアメリカに帰化しますが、1955年になるとオランダ室内管弦楽団を結成して音楽監督に就任、以後22年間に渡って同楽団と密接な関係を保つ一方、室内楽でもカザルス、ゼルキンとトリオでの演奏活動をおこない、アスペン音楽祭の委員も務めるなどして活躍します。
1969年になるとイギリスに居を移し、1977年からマンチェスター・カメラータの指揮者を務めていますが(1979年まで)、1978年からは再びアメリカに戻り、ジュリアード音楽学校で教えるほか、エール大学やカーティス音楽院、マンハッタン音楽学校などで教授活動を展開。
やがて、日本人ピアニストの山根美代子との結婚を機に、1990年には日本に居を構え、新日本フィルハーモニー交響楽団の指揮者に就任し、多くのファンを魅了、1993年7月19日、富山県大山町で84年の生涯を終えることとなります。(HMV)

ユーザーレビュー

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ポーランド出身の名匠シモン・ゴールドベル...

投稿日:2020/02/20 (木)

ポーランド出身の名匠シモン・ゴールドベルク(1909〜1993)は晩年日本を活動の拠点に据え、1993年に急逝するまでヴァイオリニスト、指揮者、教育者として精力的に活動した。指揮者としては新日本フィルの「指揮者」に就任し古典派を中心にたびたび共演を重ねた。本盤はゴールドベルクと新日本フィルの最後の共演となった1993年2月9日、東京芸術劇場での演奏会のライブ収録である。スケール感はさほど大きくはなく、むしろ求心力の高さとよく引き締まったスタイリッシュさで評価すべき演奏である。指揮者の透徹した音楽哲学がよく伝わってくる感じで、さぞかし厳しいトレーニングを積んだのだろうなと思える。メインのシューマンの第4番についてゴールドベルクは「交響曲というより大きなファンタジー」だと語ったそうだが、演奏自体はファンタジックではなくむしろ淡麗辛口といった趣きである。音質良好。

金山寺味噌 さん | 愛知県 | 不明

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シューベルトは巨匠風の演奏を期待すると肩...

投稿日:2017/03/21 (火)

シューベルトは巨匠風の演奏を期待すると肩すかしを食う。素直で優しい演奏と言えるが、これと言う特徴には乏しい。やや褌が緩い印象。シューマンで印象は一変する。楽章が進むにつれ演奏は熱を帯びるのが好ましい。これまでの演奏で聞かれないような音が句読点のように打ちこまれ、演奏効果を高めている。このシューマンは良い。録音は会場の雰囲気が良く出ている。ひなびたような音色は華やかさはないが、むしろ好ましく繰り返し聴くに値する。

はな さん | 岐阜県 | 不明

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シューマン、ロベルト(1810-1856)

ロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann)は、 1810年6月8日にドイツのツヴィッカウに生まれました。5人兄弟の末っ子で、出版業者で著作もあったという父親のもとで早くから音楽や文学に親しみ、作曲や詩作に豊かな才能を示したといいます。  ロベルト16才の年にその父親が亡くなり、安定した生活を願う母親の希望で法学を選択、1828年にライプツィヒ大学に入学しますが、音

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