シューマン、ロベルト(1810-1856)

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『ゲーテのファウスト』からの情景 フリム演出、ダニエル・バレンボイム&ベルリン国立歌劇場、ローマン・トレーケル、他(2DVD)(日本語字幕付)

シューマン、ロベルト(1810-1856)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
109418DVD
組み枚数
:
2
レーベル
:
:
Europe
画面サイズ
:
ワイドスクリーン
:
カラー
フォーマット
:
DVD
その他
:
輸入盤

商品説明


ベルリン国立歌劇場7年ぶりの再開公演
バレンボイム指揮、ローマン・トレーケルがファウストを歌った
シューマン『ゲーテのファウスト』からの情景
演出付きの豪華上演でオープニングを祝う!


ベルリン国立歌劇場は1743年に完成。第2次大戦中の空襲で破壊され1950年代に再建、旧東ドイツを代表する歌劇場として知られています。設備の老朽化を受け2010年から大規模な改修工事に着手。最新の舞台機構の導入や、天井を5メートル引き上げて音響の改善を図ることなどがおもな改修ポイントで、当初2億3千万ユーロ(約310億円)だった予算が4億ユーロ(約530億円)まで膨らむなど、世界中のオペラ・ファンの話題となっていました。待ちに待った再開は2017年10月3日。この日はドイツ統一記念日でもあり、アンゲラ・メルケル首相も来場し記念碑的公演となりました。
 音楽総監督ダニエル・バレンボイムが選んだ演目は、ロベルト・シューマンの『ゲーテのファウストからの情景』。この作品はドイツ最大の詩人ゲーテの有名な戯曲「ファウスト」をもとに作曲されたオラトリオ。「ファウスト」の内容はあまりにも巨大であるので、当初はオペラ化を考えていたシューマンですが、原作から場面を抜粋し3部で構成されたオラトリオとして発表しています。今回、演出付きで上演され、シューマンが作曲していない場面を、物語の補完として歌手とは別にファウスト、メフィストフェレス、グレートヒェンの3役に俳優を起用して台詞を追加しています。
 歌手陣もオープニングにふさわしく豪華で、ファウストにはローマン・トレーケル。彼は1988年よりベルリン国立歌劇場のソリストとして活躍。2000年12月には宮廷歌手の称号を授与され、同歌劇場のスター的存在です。メフィストフェレスには存在感抜群のルネ・パーペ、そしてグレートヒェンにはドイツ期待の若手エルザ・ドライジヒ。
 演出は、2018年3月までベルリン国立歌劇場のインテンダントを務めたユルゲン・フリム、舞台装置はドイツ新表現主義と呼ばれる現代芸術を代表するアーティスト、マルクス・リュペルツという最高のチームでの上演となりました。(写真c hermann-und-clarchen-baus)(輸入元情報)


【収録情報】
● シューマン:『ゲーテのファウスト』からの情景


 ローマン・トレーケル(バリトン/ファウスト、マリア崇拝の博士)
 エルザ・ドライジヒ(ソプラノ/グレートヒェン、贖罪の女)
 ルネ・パーペ(バス/メフィストフェレス、悪魔、瞑想の神父)
 カタリーナ・カンマーローアー(メゾ・ソプラノ/マルテ、憂い、栄光の聖母)
 エヴェリン・ノヴァク(ソプラノ/困窮、罪深き女)
 アドリアーネ・ケイロス(メゾ・ソプラノ/欠乏、サマリアの女)
 ナターリア・スクリツカ(アルト/罪、エジプトのマリア)
 シュテファン・リューガマー(テノール/アリエル、法悦の神父)、他

 俳優:
 アンドレ・ユング(ファウスト)
 スヴェン=エリック・ベヒトルフ(メフィストフェレス)
 マイケ・ドロステ(グレートヒェン)

 ベルリン国立歌劇場合唱団(合唱指揮:マルティン・ワイト)
 ベルリン国立歌劇場児童合唱団(合唱指揮:ビンツェンツ・ワイセンブルガー)
 シュターツカペレ・ベルリン
 ダニエル・バレンボイム(指揮)

 演出:ユルゲン・フリム
 装置:マルクス・リュペルツ

 収録時期:2017年10月3日
 収録場所:ベルリン国立歌劇場(ライヴ)

 映像監督:ミヒャエル・ベイヤー

 収録時間:148分
 画面:カラー、16:9
 音声:PCM Stereo、DD 5.0
 原語:ドイツ語
 字幕:英独韓日
 NTSC
 Region All


ユーザーレビュー

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この作品を舞台にかけるとは素晴らしく攻め...

投稿日:2023/06/10 (土)

この作品を舞台にかけるとは素晴らしく攻めた企画ではないでしょうか。当時のメルケル首相の顔も客席に見える、ドイツ統一記念日でもあるこの日。おそらく「統一」とか「神聖」とか「壮大」といった価値観をいったんパステルで塗りつぶして子どもの遊びにしてしまおうという舞台。ドイツ表現主義から真剣さと漆黒さをあえて取り外し、ふざけ倒してしまおうという「ノイエ」な舞台。その結果複雑怪奇な「ファウスト」の世界が輪をかけてちんぷんかんぷんなものにされ、内容伝達よりは脱臼化が確信犯的に繰り広げられる。その意図は分からなくもないが、正直最後までいたたまれない思いがあった。 で、あるにも関わらず、視聴した翌日も、美しいとしか言いようのないわだかまりが残っている。雨後の水溜まりが紫陽花を映しているように。なぜなのか。やはり音楽である。繊細過ぎ、一心過ぎて影のように流れていたシューマンの音楽が、「舞台」という視覚への暴力のあとに、不屈の野花のように香り、脳裏に立ち上がってくる。 そしてそれが舞台の記憶に逆流して、汚泥が汚泥のまま祝福される世界が広がっていた、そんな気がしてきた。 ファウスト、グレートヒェン、メフィストフェレス、それぞれが同時に2人づつ存在するが、それは演じ手と歌い手であるとともに、二重化している人格を人間存在の象徴とみなすものと思われ、原作をあえて忠実に視覚化するならこうなるほかあるまい。 つまりある程度原作を知っていることが求められる舞台である。しかしそれならシューマンが曲をつけなかった部分まで語らせる必要は、私見では、なかった気がする。それがあっても内容理解が直接深まることはなく、むしろ混乱するし、ストーリーは人間存在の悲惨とそこからの脱却を象徴するものと割り切れば、シューマンが付曲した範囲で充分と思われるからである。 そのことを別にすれば、舞台化困難と思われる楽曲への、大胆な挑戦であり、私としてはかねて大事に聴いてきた曲をますます好きになれた思いがするだけでも感謝したい。 第1部では葬列に生きながら運ばれてくるグレートヒェンの祈りがまず卓抜な着想であると思われた。全体に、舞台がどんなに極彩色でも、歌と管弦楽の響きはまさに王道のものと感じられ、その視覚と聴覚の齟齬が非常な詩情を醸す瞬間もある。 第2部での控え目だがドラマティックな音楽は舞台の有無に関わらず素晴らしいが、やはり死者たちを少年少女合唱が演じる作曲者の着想に驚嘆を新たにする。 第3部はマーラーに半世紀以上先駆している超絶的な音楽だが、マリアを讃える神父役のテノールが私としては不満であった。しかし一切を茶番化する方針の舞台にあって、この熱く悲愴な旋律は、何者が歌っても違和感を伴ってしまうであろう。 全体に、この曲はやはり思念の中で、ひとり向き合うときにだけ、理屈や論理を越えたヴィジョンをもたらしてくれるものであろう。作曲者は、ゲーテを使って、ゲーテ以上のものを模索していたと思われてならない。そのことに気づかせてくれたのがこの舞台であることに間違いはない。 この内面的な音楽に現実の舞台を与えて、大勢の美意識や価値観に問題を提起するというリスクを敢えてとった企画実行者と出演者全員に、この場を借りて心からの感嘆と感謝を捧げたい。

Maya さん | 熊本県 | 不明

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シューマン、ロベルト(1810-1856)

ロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann)は、 1810年6月8日にドイツのツヴィッカウに生まれました。5人兄弟の末っ子で、出版業者で著作もあったという父親のもとで早くから音楽や文学に親しみ、作曲や詩作に豊かな才能を示したといいます。  ロベルト16才の年にその父親が亡くなり、安定した生活を願う母親の希望で法学を選択、1828年にライプツィヒ大学に入学しますが、音

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