シューベルト(1797-1828)

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CD

Sym, 9, : Rattle / Bpo

シューベルト(1797-1828)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
WPCS50982
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
日本
フォーマット
:
CD
その他
:
CDエクストラ

収録曲   

  • 01. 交響曲 第9番 ハ長調 D944 「ザ・グレイト」 第1楽章:アンダンテ~アレグロ・マ・ノン・トロッポ
  • 02. 交響曲 第9番 ハ長調 D944 「ザ・グレイト」 第2楽章:アンダンテ・コン・モート
  • 03. 交響曲 第9番 ハ長調 D944 「ザ・グレイト」 第3楽章:スケルツォ アレグロ・ヴィヴァーチェ
  • 04. 交響曲 第9番 ハ長調 D944 「ザ・グレイト」 第4楽章:フィナーレ アレグロ・ヴィヴァーチェ
  • 05. (エンハンスド)サイモン・ラトル インタビュー映像 シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレイト」について

総合評価

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ラトルの聴いたCDは10枚ぐらいで、聴いて...

投稿日:2023/12/25 (月)

ラトルの聴いたCDは10枚ぐらいで、聴いてきた限りにおいてはパットした演奏のものはなにもなかった。ベルリンフィルには小粒だと思う。人気だけが独り歩きしている感じ。彼には大陸のメジャーオケは荷が重いのでは、イギリスのオケが似合っているのでは、と勝手ながら思う。

robin さん | 兵庫県 | 不明

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これは好みの問題の一言。ベルリンフィルは...

投稿日:2011/09/30 (金)

これは好みの問題の一言。ベルリンフィルはヴァントがすばらしい同曲を残しているが、今回のは同じオケとは思えない小ささ、不器用さを感じた。この曲はロマン派の出発点であり、やがて古典からブルックナーへの架け橋的存在の位置付けになっていると思う。またシューベルトはベートーヴェンの第九を大きな編成で聴いているので、やはり壮大さを意識して作曲していたと思う。この演奏、聴き所はあることはあるが、音が鳴りきらない、何かつまっている感覚が多く、しっくりいかない。好みの問題でしょうが、わたしならヴァントを選ぶ

アッキ さん | 茨城県 | 不明

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ここでのラトルのアプローチには、かのフル...

投稿日:2011/06/14 (火)

ここでのラトルのアプローチには、かのフルトヴェングラーと相通ずるものを感じます。とはいえ、音楽作品あるいは音楽演奏もまた文化であり、文化とは時代の空気を敏感に読み取って文化それ自体のなかに投影する性質を有するものであるからには、演奏スタイルにかつての巨匠の面影を求めることなど不可能なことは…歴史の証明するように…自明の理でありましょう。ラトルとフルトヴェングラーに通ずるのは「アプローチの方法論」に過ぎないのですから…。そもそもシューベルトその人もまた世代が異なるとはいえ、ベートーヴェンと同じ時代に同じ街の空のもとで音楽活動をしていながら、世代が異なるがゆえにシューベルトの作品内容の核心にはベートーヴェンとは相容れない要素があることこそ、文化と時代の空気感との関係をよく物語っているのではありますまいか。それらに思いを致してみると、この演奏にたいする多くの酷評を拝読する限り、あまりにも表面的にしか聴いていない聴き手が多いことに危惧の念を抱きます。かつての巨匠がそうであったように、ラトルもまた時代の「新しい」空気を、鋭敏な感覚と指揮者としての類い稀なる手腕によって「新しい」シューベルト像として結実させることに成功していると言えましょう。たしかにここではスケール感も重厚さも聴けはしません。ですがシューベルトの音楽が、ピリオド楽器やピリオド・アプローチなど珍しくもなくなった今日にあって、果たしてスケールの大きい重厚な音楽であったのでしょうか…。わたくしに限らずそこに疑問を抱く聴き手は少なくないはずです。ここでのラトルとベルリン・フィルの演奏の真の価値は、テンポだのリズムの刻みだのといった極々表面の部分ではなくて、「大ハ長調」という呼称に代表されるような既成の概念にとらわれず、アグレッシブなまでにこの音楽が本来持っている新たな生命を引き出したところにあるのではないでしょうか。

I amSterdam さん | 東京都 | 不明

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