シュッツ(1585-1672)

シュッツ(1585-1672) プロフィール

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ハインリヒ・シュッツHeinrich Schutz, 1585年10月8日(ユリウス暦)/10月18日(グレゴリオ暦) ケストリッツ - 1672年11月6日 ドレスデン)は、ドイツの作曲家、ドレスデン宮廷楽長。ドイツの初期バロック音楽を代表し、ヨハン・ヘルマン・シャインやザムエル・シャイトとともに「3S」と呼ばれる。大バッハ生誕のちょうど100年前に生まれ、ドイツ音楽に息吹を与えた「ドイツ音楽の父」と形容される。ドイツ語で "シュッツ" とは射手座を意味することから、そのラテン語である "サギタリウス" というあだ名で呼ばれていた。出版楽譜に "ヘンリクス・サギタリウス" 名が見られるものもあり、また自ら署名する時にはラテン語を意識して必ず "ヘンリヒ Henrich" と書いたという。

少年〜青年期

1585年にドイツ中部テューリンゲン州 ケストリッツで、宿屋を経営するクリストフ・シュッツとユーフロジーネ・ビーガーの長男(8人兄弟の2番目)として生まれ、翌日、同地の聖レオンハルト教会で洗礼を受けた。1590年に家族はワイセンフェルスに移って新しい宿屋の経営を始め、ここで少年時代を過ごしている。

1599年、14歳のシュッツはヘッセン=カッセル方伯モーリッツに音楽の才能を見出されてカッセルの教会学校の歌手となり、ギムナジウムに入った。1607年からはマールブルクで法律を学ぶことができるようになり、同時にオルガン演奏と作曲の勉強も始めた。

卒業後、方伯の奨学金を得て、1609年にイタリアに赴き、ヴェネツィア サン・マルコ寺院のオルガニストであるジョヴァンニ・ガブリエリの弟子となった。この間、1611年に最初の公式曲集「イル・プリモ・リブロ・ディ・マドリガリ」(マドリガル集第1集、SWV 1-19)を完成した。死の床にあったガブリエリから、シュッツは指輪の遺贈を受けている。シュッツが「師匠」と呼んだのは生涯でガブリエリただ一人であった。その師匠ガブリエリは1612年に亡くなった。

翌161…

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