シベリウス(1865-1957)
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シベリウス(1865-1957) レビュー一覧

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商品ユーザーレビュー

1437件
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  • 「つよしくん」さんに猛省を促しておきたい。@アバド...

    投稿日:2011/08/13

    「つよしくん」さんに猛省を促しておきたい。@アバドのマーラーやフルトヴェングラーのSACDとかの一連のシリーズで同じ文章をコピーして各CDごとに貼り付けるをまずやめてください。Aこれらの「リマスター盤」が「音が向上した」と全て肯定されていますが、具体的にその根拠をお示しください。でないと「業者」と思ってしまいます。B無意味な長文をご遠慮ください。ここは貴方の落書き帳ではありません。Cミュージシャンを侮辱するような「上から目線」の批評は不愉快極まりません。おやめください。D「自分の価値観にそぐわないものの価値を肯定すること」を「教養」と言います。遅いテンポの演奏がお嫌いなら、CDのタイムを見て買わなければいいではありませんか?罵詈雑言を尽くして否定するのは勝手ですが、ミュージシャンは何故このテンポで演奏したのか?を考えてみてはいかかですが?E貴方のレヴュー全般に言えることですが、「レコ芸」やそのMOOKで評価が高いものは必要以上に持ち上げ、逆にこのCDのように世間の評価が低いものは徹底的にこきおろす…貴方独自の「価値観」が見えてきません。もし「業者」さんならご退場ください。…ついでにですが、バロック音楽とかには一切レヴューがございませんね。クラシック音楽はオーケストラ曲、特に交響曲だけではありませんよ。老婆心ながら。

    影の王子 さん |40代

    42
  • 5番から7番までをすでに聴いている(レビューも書か...

    投稿日:2017/11/13

    5番から7番までをすでに聴いている(レビューも書かせていただいた) ここでは”4番”までを聴く 乱暴を承知でベルグルンドのシベリウス観を云えば 非ロマン主義で脱民族主義の音楽そして表現主義の先駆けという捉え方がこうした演奏を産んだ 第1番の冒頭クラリネットとティンパニのソリが象徴している 情緒性を排した奏でに違和感を覚える人はシベリウスをロマンチックに見ている シベリウスの交響曲は作曲者の内面を吐露したものと考えるベルグルンドと相容れない この個人主義は突き詰めればフィンランド気質でもある スラヴ人気質とは一線を画す 赤信号みんなで渡れば怖くないというどこかの島国根性では理解できない 侵略され蹂躪されたのは国家民族ではない 私なのだ 私があって初めて一族も国も存在する 独立への闘争を人任せにはできない だからこの演奏の随所に見られる暴力的とも言える攻撃性にたじろぐ人もあろう 頬を紅潮させ涙ぐみ聴く人には胸に迫る音楽と演奏だ 番号を追ってより内向的になる交響曲は取っ付き難く感じられるものだ だがここにシベリウスの詩と真実があからさまになっている このシベリウスの現代性は個人から発して普遍なるものへと転化し フィンランドの心を救い世界へ飛び出て人類の心に届いた ベルグルンドは伝達の使徒となった お聴きになっては如何 

    風信子 さん

    18
  •  シベリウス交響曲集の中では、これが愛聴盤です。カ...

    投稿日:2010/12/11

     シベリウス交響曲集の中では、これが愛聴盤です。カラヤン・ベルリンフィルのような技巧や豪華さはないかもしれなませんが、この盤の方が人間味があるというか、素朴で、愛おしく、好きです。それにしてもタイムキャンペーンとはいえ2000円でこれが購入できるとは、カラヤン新盤LP1枚を2800円で買った学生時代は何だったのかと思いつつ、また大人買いをしてしまいそうです。HMVの箱が届くたび妻はあきれています。

    TKOクラシック さん

    16
  • 人は豪華を好む。善し悪しではない。豪華なものに惹か...

    投稿日:2014/07/09

    人は豪華を好む。善し悪しではない。豪華なものに惹かれるようにできている。カラヤンのシベリウスは60年代のDG盤の誉れが高く、小生も所持している。この演奏はカラヤンにしては、贅肉を削ぎ落としたような演奏で、骨格がクリアなのが良い。ただし吉松隆氏の絶賛がこの盤の評価を上げたことは間違いない。一方、このEMI盤はいつもの通りカラヤンゴージャスである。しかし1番、2番はこの演奏を聴くと、他の演奏が細く聞こえる。シベリウス初期交響曲はこういうアプローチでよいのではないか。5番も音が分厚くなったが、曲想が調性もあってこのアプローチでも悪くない。4番、6番は賛否わかれるだろう。またカレリアのマーチなどはこの演奏を聴くと他の演奏は「役不足」と思える。フィンランディアも同じ。シベリウスはシンプルに薄めの響きで演奏されないといけないのか?ベートーヴェンはピリオドに限る、と言う方以外は、DG盤こそカラヤン、という思い入れをちょっと置いといて、このディスクを聞いてみませんか。人は豪華が好き、と言う体験ができますから。

    てつ さん |50代

    15
  • カラヤンはシベリウスを得意とし、DGやEMIなどに...

    投稿日:2010/02/20

    カラヤンはシベリウスを得意とし、DGやEMIなどにかなりの点数の録音を遺している。そのような中で、最高峰の名演は、やはり本盤におさめられた録音ということになると考える。カラヤンの指揮者としての全勢時代は60年初頭から70年代の後半くらいまでであるが、本盤が録音されたのは正にその全盛時代。当時、蜜月の関係にあったベルリン・フィルも最高の時代であり、両者による演奏が悪かろうはずがない。録音は、イエス・キリスト教会であり、ここの美しい残響もシベリウスの録音には最高のロケーションと言えるだろう。交響曲第4〜第7のいずれも非のうちどころのない名演であるが、いずれもベルリン・フィルの重量感溢れる低弦の響きや高弦による繊細な美しさはシベリウスの交響曲を聴く醍醐味というべきであり、金管や木管も最高のパフォーマンスを示している。一部評論家からは、大言壮語だとか、シベリウスの本質を逸脱しているとの批判があるが、シベリウスは北欧のローカルな作曲家ではない。20世紀を代表する国際的なシンフォニストであり、シベリウスの演奏はこうでないといけないというような様式などどこにも存在するはずがない。したがって、カラヤンの演奏が、シベリウスの本質を逸脱しているなどと、何を根拠にして言っておられるのであろうか。現に、作曲者であるシベリウスもカラヤンの演奏を高く評価していたと言うではないか。私としては、あらゆるシベリウスの交響曲演奏の中でもトップの座を争う至高の名演と評価したい。併録の管弦楽曲2曲もカラヤンが何度も録音した楽曲であるが、本盤の演奏が随一の名演。特に、タピオラの演奏の透徹した美しさはこの世のものとは思えない高みに達しており、おそらくは同曲の演奏史上最高の超名演と評価したい。

    つよしくん さん |40代

    15
  • クリストファー・パーカーとともにEMIのアナログ全盛...

    投稿日:2013/01/22

    クリストファー・パーカーとともにEMIのアナログ全盛期を支えた名エンジニア、スチュワート・エルザムによる名録音が2013年の最新リマスターで蘇った(クレジットには確かに2013年とあるが一体こんなに早いリリースが可能なのか疑問ではあるが…)。嬉しい事にリマスタリングも上々で、ヒスノイズは始終聴こえるし、楽音以外のノイズ成分もカットされていないことから、オリジナルマスターテープにほとんど手を加えず、フラットトランスファーしたものと思われる。 録音は72年から77年までの5年間に渡り、サウザンプトンのギルドホール、ロンドンのアビロードスタジオ、同じくロンドンのキングスウェイホールという3箇所でのセッションによるものだが、それぞれのホールが有する固有のアコースティックをエルザムは極めて正確にリスナーの前に届けてくれる。 ギルドホールは写真で見る限り、集会場とおぼしき縦長の平土間空間で、前面に小さなステージを有しているが、セッションでは平土間いっぱいにオーケストラを配置したと思われ、CD再生を通しても、左右の広がりよりも奥行き方向に何層にも重なった分厚いオーケストラサウンドにより確認することができる。 アビーロード第一スタジオはEMIの本拠地でもあり、エルザムにとっても手慣れた会場であるが、オーケストラの奥行きこそやや浅くなるとはいえ、左右の広がりはぐんと増し、楽音とホールレゾナンスのクリアネスとシャープネスは一段と向上する。 そして注目すべきはキングスウェイホールで収録された第6番である。イギリス国内においては、どちらかというと地方都市での仕事が多かったエルザムにとって、天下の名録音会場キングスウェイホールでの録音は極めて少ないが、シネマスコープのようにワイドで、洞窟のようにどこまでも深いサウンドステージの再現性や、キングスウェイホール特有の木質系のぬくもりとブリリアントさを併せ持つ豊饒なオーケストラサウンドを聴くと、エルザムの高い技術と優れた音楽性に改めて驚きを禁じ得ない。もちろんホールの地下を通る地下鉄のノイズも盛大に収録されている。 エルザム録音の特徴は、パワフルかつダイナミックな音響と、原寸大のオーケストラが広大なパースペクティブを伴ってリスニングルームに現れ、個々の楽器がピンポイントであるべき場所に定位する三次元的なサウンドステージにあるが、これらは最上級のK・ウィルキンソン録音と取り違えられるに値する資質を十分に有しているといえよう。 スペースの都合上、曲毎の評価は差し控えるが、交響曲はもちろん小品についても、その録音にはいささかの手抜きもない。 全曲を聴き終えて、特に「フィンランディア」でのスペクタキュラーなサウンドの渦と、静謐な「トゥオネラの白鳥」で聴かれる恐るべき重低音の再現性は、聴く者すべてを強く惹きつけるに違いない。 ベルグルンドのシベリウス全集では80年代のヘルシンキフィルとのデジタル録音があまりに有名であり、ボーンマス響とのアナログ録音の影は薄いが、こちらの演奏の方がダイナミクスの幅は大きく、表情付けも濃厚なうえ、遅いテンポでシベリウス節をとことん歌いぬいている。さらにエルザムによるガッツのある豊饒な優秀録音がこれを大きく助長しており、ライブ的な臨場感やスリリング感においても本アルバムの方がはるかに上だ。 ヘルシンキとのデジタル録音も悪くはないが、演奏もやけにスッキリしているし、録音もどことなく綺麗に整った印象が強く、エルザム録音と比べてもDレンジは劣るし、ステージ奥のティンパニや金管群の重量感、解像度共に大きく水をあけられている。 これらの点から、ベルグルンドのシベリウス全集では、演奏上も、録音上も、それに価格の面からも、本アルバムをベストとしてチョイスするのになんの躊躇も感じないし、数あるシベリウス全集の中でもトップクラスの名アルバムとして広く聴かれるべきディスクである。

    meji さん

    14
  • ある私大教授が、ブロムシュテットを貶していた。「ド...

    投稿日:2010/09/21

    ある私大教授が、ブロムシュテットを貶していた。「ドレスデンを振っていたから、有名になれたのだ」と。レコードファンなら笑うだろう。サンフランシスコ時代は名録音の嵐。ニールセンとシベリウスは共にベスト。世評の高いサロネン、ディヴィス、、カラヤン、バーンスタイン、ベルグルンドなどと比べていただきたい。「これがブロムシュテットだ」。

    ushio さん

    13
  • シベリウス2番を初めて聴いたのは、中二の万博の年、...

    投稿日:2019/01/24

    シベリウス2番を初めて聴いたのは、中二の万博の年、年末のセル=クリーヴランド来日公演の再放送でした。兄貴の御下がりのモノラルオープンリールテレコで長時間テープがなく4.8cm/secでエアチェックした演奏はテープが擦り切れるまで聴き、FMでモントゥーやロジェストヴェンスキーなどを聴いても、セルを超える演奏には出会えないと諦めていました。しかし、偶然FMでオーマンディのCBS盤を聴き、これこそセルの代わりになる演奏だと確信しました。(残念ながらRCA盤は方向性がちょっと違っていた)セルの東京公演がCD化されても、オーマンディの演奏は、やはり座右にあり続けています。今回のライヴは、セル盤のようにハイ上がりではなく、低音が豊かな雄大なサウンドで見事です。フィナーレはあっさりと仕上げる傾向のオーマンディにしては意外と、ティンパニをチェリビダッケ以上に目立たせているのが面白いです。他の曲も、元ヴァイオリニストのオーマンディらしく、弦の美しさが際立っています。また、愛聴盤が増えて夢のようです。

    ビアだる太郎 さん |60代

    12
  • 録音エンジニアはトニー・フォークナー。細部まで見通...

    投稿日:2014/04/16

    録音エンジニアはトニー・フォークナー。細部まで見通せる整然さと、朝霧が漂うような茫洋さを表現させたら右に出るものはおらず、その点ではディーリアスやヴォーン=ウィリアムズ(A・ディヴィスとの一連の録音)などのイギリス音楽をやらせたら、それこそ彼の面目躍如なのだが、このシベリウスでも巨匠の引き締まった解釈を背に、水を得た魚の如く思う存分にその技量を発揮している。第7番において目の前に巨大な壁が忽然と現れるような錯覚はもはや只事ではない。極端に言えばデイヴィスのシベリウスをフォークナー録音で聴くことこそこのディスクの醍醐味であり、最高の贅沢というものだろう。しかもこの価格。申し訳ないほどに安い。

    ドクロちゃん さん

    12
  • 全てのクラシック音楽ファンに言いたい。「瞠目せよ。...

    投稿日:2022/04/03

    全てのクラシック音楽ファンに言いたい。「瞠目せよ。天才の誕生である」。わたしのような所謂「老境」に差し掛かった者の人生の楽しみに「若い才能との出会い」というものがある。例えば先年まで東京都交響楽団の首席客演指揮者を勤めていたヤクブ・フルシャ。彼は素晴らしい指揮者だ。 わたしは彼のコンサートに幸いにも多く接する事ができたが、中でもマーラーの交響曲第1番は驚くべきコンサートだった。わたしはあれを聴いてフルシャが「驚くべき」指揮者だと確信した。そして今また新しい才能に出会うことができた。「「クラウス・マケラ」という才能に。クラウス・マケラは何かが突出しているわけではない。彼は自分の行動がわかっているし、恣意的な処理など一つもない。それでいて彼は小さくまとまることを良しとしない。彼は自分を偽らず「正しく」行動する。しかも極めて高いレベルで。 この先も彼のコンサートに接することができると思うと、また生きる理由が増えた。なんと楽しい人生か。

    Q さん |60代

    11

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ありがとうございました

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