サミュエル・ベケット

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名づけえぬもの

サミュエル・ベケット

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784560043486
ISBN 10 : 4560043485
フォーマット
出版社
発行年月
1995年10月
日本
共著・訳者・掲載人物など
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追加情報
:
20cm,269p

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読書メーターレビュー

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  • NAO さん

    マロウンやモロイは、名前を持っていることによってそこに存在している。ならば、名前の分からない「おれ」は、どうなのか。「おれ」の自分についてのイメージは、「しゃべっている大きなボール」。しゃべり続けることでどこまでも転がり続けていくことでしか存在意義がない。なぜなら、この世界に存在しているためには、言葉を発し続けなくてはならないから。だが、しゃべりながらも、「おれ」は何度も、「それはおれじゃない」と繰り返す。それは、「おれ」には名前がないから。しゃべりながらも、話す端から否定していくしかないという矛盾。

  • zirou1984 さん

    小説三部作ラスト。ここでは自己の名前を喪失した上に五感も機能しているのか定かじゃない主体が、己の存在を証明するためにと思弁に思弁を重ね続ける。しかし物語ろうにも言葉を語れば語るほど堂々巡りを続け、言葉の位相は合成することによって消失されていく。ベケットにより西洋形而上学の解体は執行され、主体の存在は失効されたのか。つまるところ我思う、されど我見つからず。一人称小説の極北どころか大気圏突破したかの様な本書を読んで残るのは真空の如き何もない、という感覚。なのに読んでいる最中は笑えて、泣けて仕方なかったんです。

  • 長谷川透 さん

    名づけえぬもの、それは己のことか、否、名づけるものさえも分からないのだ。沈黙するれば、己が何者か分からぬ者は消滅してしまうだろう。そう、ただそれだけが怖いのだ。沈黙は死なり、だから彼は語り続ける。何者かを指示し、それを一先ず名付けてみせる。モロイ、モラン、マロウン、マフード、マーフィー、ワーム、名前巡りの遊戯の果てにどうなるか。堂々巡りの末に円環の成すのではなく、名付けられた束の間の存在が、束の間にだけ存在していた者を打ち消してしまうから、結局のところ何も残らない。己の存在を示すには、言葉は無力なのか。

  • 御前田あなた さん

    長編小説を書くのに登場人物は最低限何人必要なのだろう?答えは「ひとり」だ。では何を語ればいいのだろう?答えは「何も」。対話は?「不要」。教訓・寓意・哲学・知識・恋愛は?「不要」。じゃあ物語って何なわけ?「ただ語ること。ただ語りはじめ、ただ語り続け、ただ語り終わること。だから、物語とは、名づけえぬもの」

  • koz さん

    この想いをなんと呼ぶべきか、フリーズ状態で気の利いた表情も出来ないまま言葉を探す。この本ならあらゆる悪態が探せそうだ。「ジョニーは戦場へ行った」の幽閉から因果すら無くした状況。肉体も無ければ魂も無い俺、彼?あいつ、いずれにせよ男だ。悪態だって途中で忘れちまう。「でも、もう一度やってみようとする。なくならないうちに、なにをやってみるんだ、忘れた、まあいいや、もともと知らなかったんだ。」時折戯れにすがるイメージ。救い、はある。扉、があれば。デカルト的自我よりも「父母未生以前の自己」としたら。うへぇ、ヒドい。

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人物・団体紹介

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サミュエル・ベケット

1906‐1989。アイルランド出身の劇作家・小説家。1927年、ダブリンのトリニティ・カレッジを首席で卒業。28年にパリ高等師範学校に英語講師として赴任。ダブリンやロンドンでの生活を経て、37年の終わりにパリに移住。ナチス占領下には、英国特殊作戦執行部の一員としてレジスタンス運動に参加。『モロイ』

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