99年8月にはマキシシングル青い空をひっさげ夏のイベントライブに出まくり、フジロックをはじめ各地で強烈なパフォーマンスを見せる。11月にはシングル街をリリース、そして奇才ジム・オルークを迎えて制作された2ndアルバム図鑑を2000年1月にリリース。
4月には名曲春風をリリース、全国ツアー「世田谷線旧型車輌を残そうキャンペーン」は全12公演ソールドアウト、夏にはSummer Sonic 2000、Rock in Japan Fesなどのイベントに出演、再びくるり旋風を巻き起こす。
4月からは全国 ツアー 「TEAM PARTY 2001」、「TEAM PARTY 200000001」がスタート。 6月の日比谷 野音まで全国37公演という過去最大のツアーを公演。 ツアー中の5月17日にはアルバムTeam Rockからリバーをシングルカット。2001年夏は、FUJI ROCK FES.をはじめ、野外フェスティバルにも多数出演。 フジでは入場制限がでるほどの反響をえる。この時分から大村達身がサポートギターとして加入。
そしてギタリストとして参加していた大村達身が9月正式加入。4人組になったくるりは、9月から4枚目となるアルバムのレコーディングをスタート。2002年2月にシングルワールズ・エンド・スーパーノヴァ発売。そして3月には待望の4thアルバムWorld Is Mineを発売。またもや新しい次元に突入した新モード。これまた大傑作でした。