井尻千男

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プロフィール

昭和13年(1938)山梨県生まれ。立教大学卒業後、1962年に日本経済新聞社入社。文化部に勤務し、読書コラム「とじ糸」「活字のうちそと」などのコラムを25年間執筆、コラムニストとして活躍するかたわら社会評論を数多く執筆して注目される。編集委員を経て平成9年(1997)春、同社を退社し、拓殖大学日本文化研究所長に就任。「昭和精神史」と「都市社会学」を講じ、2010年度まで公開講座「新日本学」を主宰...
歴史にとって美とは何か 宿命に殉じた者たち』より

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  • 今年度のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』での明智光秀と...

    投稿日:2014/10/09

    今年度のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』での明智光秀と本能寺の変の描写に思わず「うーん」とうなってしまった。本書の記述と共通する描写がかなり多かったからである。天皇と朝廷を崇敬する光秀は公家の吉田兼和(兼見)と親しく、朝廷と信長の間を取り持つような動きをしている。一方信長は自分の家臣を使い捨ての道具としてしか見ず、裏切りを絶対に許さない独裁的な君主。天皇や朝廷への崇敬心などかけらもなく、むしろその権威を踏みにじるかのような行為を何度も行う。光秀はその行為に心を痛め、信長に諫言するが聞き入れられない。それどころか信長は「この日の本に王は2人も要らぬ」と嘯くに至る。ついに光秀は信長打倒を決意し、本能寺に宿泊していた信長をう・・・・と、こんな感じである。 脚本家の前川洋一氏が本書を読んでいたかは寡聞にして知らないが、あるいは偶然だったのかもしれない。ドラマの描写は本書よりもかなりざっくりしたもので、重要人物の一人である誠仁親王は登場しないし、著者井尻氏が唱えている「細川幕府」説も採ってはいない。それでも、信長・光秀と朝廷の関わりをここまで時間をとって描写したことはこれまでになかったことである。 井尻氏は現在の保守論壇を代表する論客で、信長・光秀が本拠地を構えた近江の豪族佐々木源氏の末裔でもある。彼は自身の立場から光秀と信長、そして本能寺の変を分析し、「本能寺の変は天皇、朝廷を信長の魔手から守る為に起こしたテロ」と結論づける。井尻氏が資料として着目した『明智軍記』はこれまでの歴史学の常識では誤謬の多い悪書とされ資料価値はほとんどないとされてきた。井尻氏もその誤謬の多さを認めつつ、『明智軍記』がわざわざ書かれた理由を考えなければならないと指摘する。記述のいくつかに、明智家の内情を知っていた人でないと知りえないものが含まれているからである。『明智軍記』には明智家中の末裔らしき事情通が編纂に関与している形跡がある、との指摘もなされており、光秀の死後100年ほど経ってから書ける事柄もあったと思われる。井尻氏は『明智軍記』の表面的な誤謬よりも編者(氏名不詳の人物)の思いを重要視し、その記述を参考にして「テロ説」を組み立てていったのである。 井尻氏は光秀最大の誤算は盟友細川藤孝の裏切りにあった、と見る。光秀は足利将軍家の一族出身で姻戚関係にあった藤孝を擁立して「細川幕府」をつくることをひそかに考え、本能寺の変を起こしたのではないか、と井尻氏は主張する。いくつかの傍証もあり、決していいかげんな憶測ではない。しかし藤孝は日和見を決め込み光秀を裏切る。当時朝廷の実権を握っていた皇太子誠仁親王も光秀の行為を「謀反」と断定する。光秀は山崎の戦いで秀吉に破れ滅んでいく。逆賊の汚名を着せられて。 しかし井尻氏は光秀の思いは正親町天皇にまで届いていた、と考える。信長から退位を迫られ、様々な嫌がらせを受けつつも粘り強く抵抗していた天皇の存在は無視できない。この天皇の存在が無かったら光秀の名は歴史からほとんど消されていただろう、と。「すめろぎの道」に生きた武人であった光秀の名が消えることなく現在まで残った理由はそこにあるのかもしれない。

    金山寺味噌 さん

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