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交響曲第9番 ブーレーズ&シカゴ交響楽団

マーラー(1860-1911)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
457581
組み枚数
:
1
レーベル
:
Dg
:
Germany
フォーマット
:
CD

商品説明

マーラー交響曲第9番
ブーレーズ&シカゴ交響楽団

【ブーレーズのマーラー今昔】
交響曲第5番、第6番、第7番、第10番の第1楽章、『嘆きの歌』に、『リュッケルト歌曲集』といった数々のマーラー演奏で、ブーレーズがこれまでに示してきたことは、作品解釈への“知”の介在が、マーラーのような作品の場合、極めて有効であることにほかならないのではないかという問題提起でした。それは、例えばユダヤ系の指揮者たちに多く見られる濃厚な主情的演奏とは対極に位置するもので、複雑な作品構造を綿密に解き明かしてゆく知的楽しみを前面に押し出した、いかにも現代的なアプローチとでも呼べるスタイルです。
 1970年代前半におこなわれたBBC交響楽団との全曲サイクルでは、極端に遅いテンポを導入したり、時期的に近い演奏にも関わらず、同じ曲でのテンポ設定が大幅に異なる局面をみせるなど、かなり実験的要素の強い解釈に関心を示しており、放送や、非正規盤などでその演奏に接したリスナーを驚かせたものでした。
 当時に較べれば、現在のブーレーズの表現様式は、かなり安定したものになっていることが特徴的で、対象がブルックナーであろうが、メシアンであろうが、そこに示されるのは、ブーレーズという、作曲家であり指揮者でもある音楽家の、長年に渡る蓄積を反映したものにほかならず、微細な部分にまで、明晰な判断に基づく確信に満ちたアプローチがおこなわれているのが、強い印象をもたらすことにつながっています。指揮者としての統率力、管弦楽の掌握能力といった点では、現在のブーレーズの高度な水準が、以前のそれをはるかに凌ぐものであることについては疑念の余地はありません。
 今回の、DGによる一連のマーラー・サイクルでも、それは十分に確認できることで、例えば第5番では、かつてないほど細密画的なビジョンが、迫力満点の肉感的なフォルムにパーフェクトに結実して、それは見事な姿を示してくれたものです。“交響曲”としての首尾一貫した美意識が感じられ、作品本来の姿かたちといったものに思いを至らせてくれる、優れて啓発的な演奏とも言えるものでした。

【第9番の演奏】
今度の第9番も、基本的には同様な手法で対処されたものであり、注意深く楽譜にアプローチし、作品に込められた様々な要素を、バランス良くすべて引き出してゆこうという姿勢は、近年のブーレーズならではの真摯なスタイルと言えるものです。
 作曲者自身による、実演を踏まえた細かな改訂作業を経ていない第9番では、以前から演奏上の様々な問題点が指摘されており、実際、コンサートや、一部のCDではかなり濁った音や、未消化な姿に出くわしたりするものですが、ここでは、そうした問題に対して、クリアなサウンドばかりを追及するのではなく、不協和は不協和として、個々の音の緊張関係を前面に打ち出し、本来豊富な情報量を、そのままの形で生かしてゆこうという姿勢が顕著です。そこには、いわゆる“マーラー指揮者”たちがおこなってきた明晰指向ゆえの声部バランスの調整や、デフォルメによる細部の拡大といった要素は希薄であり、結果的に、作品本来の“カオス的性格”が、より強調されることになっているのが、いかにもブーレーズらしいところです。
 もちろん、いつもながらの高度なディテール追及も見事なもので、第1楽章第43小節のコントラバスのトレモロの処理や、同第408小節以降のホルンとフルートの巧さ、第4楽章第98小節のフルートのデュナーミク調整など、印象的な箇所が数多く存在し、屈指の名人オーケストラであるシカゴ交響楽団の実力をフルに発揮させた統率の凄さを改めて実感させます。
 第4楽章の有名な主題が、完璧なまでの各部のバランスによって、対位法的テクスチュアの美感を最大限引き出し、結果的に、第159小節以降の精妙をきわめたアダージッシモ(コーダ)との鮮やかな呼応関係を呼び覚ますあたり、主情的な演奏ではまず判らないフォルムの美の具現として見逃すことのできないものです。第3楽章ロンド・ブルレスケでの冴え渡るリズム、抜群の遠近法の感覚も見事なもので、第2楽章でのくずし過ぎないスマートな表情も、現代の農民たちの洗練された立ち居振る舞いを考えれば、十分に納得できるものですし、この交響曲全体が、本来巨大なパロディの場でもあるということを考えれば、こうした手法も十分に頷けるものです。

【収録情報】
・マーラー:交響曲第9番ニ長調
 シカゴ交響楽団
 ピエール・ブーレーズ(指揮)

 録音時期:1995年12月
 録音場所:メダイナ・テンプル、シカゴ
 録音方式:デジタル(セッション)
 プロデューサー:カール=アウグスト・ネーグラー
 エンジニア:ウルリヒ・フェッテ

収録曲   

クラシック曲目

  • Gustav Mahler (1860 - 1911)
    Symphony no 9 in D major
    演奏者 :

    指揮者 :
    Boulez, Pierre
    楽団  :
    Chicago Symphony Orchestra
    • 時代 : Romantic
    • 形式 : Symphony
    • 作曲/編集場所 : 1908-1909, Austria
    • 言語 :
    • 時間 : 79:46
    • 録音場所 : 12/1995, Medinah Temple, Chicago, Illinois [Studio]

総合評価

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 過ぎ去った希望の反射光として美が照らし...

投稿日:2024/01/01 (月)

 過ぎ去った希望の反射光として美が照らしている・・・。第九交響曲についてのテオドール・アドルノの哲学的言辞は、マーラーが完成した最後の交響曲の性格をよく表している。アドルノは、「マーラーはウィーン楽派の原点」と考えた。ブーレーズは、このアドルノの考えに影響をうけて、「私はシェーンベルク、ウェーベルン、ベルクを“発見”したのちに、彼らの音楽との連続性からマーラーを発見した。」と語っている。  ブーレーズは、1950年代にバーデン・バーデンで、ハンス・ロスバウトから「この交響曲を聴きなさい」と、彼が南西ドイツ放送交響楽団を指揮した第九のレコードを勧められた。このときブーレーズは第九を初めて聴き、大変印象深かったと回想している。  マーラーの交響曲はテンポの設定が重要であり、特に第九は両端の重要な緩徐楽章のテンポの設定に、指揮者の姿勢が顕著に表れる。ロスバウトの1954年1月7日の演奏は、第1楽章が23分06秒、第4楽章が21分38秒である。1950年のヘルマン・シェルヘン指揮ウィーン交響楽団の「超速」の演奏には及ばないが、最速の演奏の範疇に属する。ロスバウトの1960年の演奏も、この速さを維持している。  ブーレーズは、彼が首席指揮者を務めていたBBC交響楽団と第九を取り上げ、1971年と1972年にライヴ録音をしている。1971年6月6日の演奏は、第1楽章が32分16秒、第4楽章が23分20秒である。 1972年10月22日の演奏は、第1楽章が26分57秒、第4楽章が21分37秒である。この当時、ブーレーズは第九の演奏の実験をしていた感がある。ブーレーズは、1990年代からドイツ・グラモフォンでの録音が多くなり、1995年12月に、DG・マーラー・チクルスの第4弾としてシカゴ交響楽団とともにセッション録音に臨んだのが本ディスクである。演奏時間は、第1楽章が29分17秒、第4楽章が21分25秒、全曲は79分23秒である。純音楽的に最も重要な第1楽章をじっくり、第4楽章は比較的あっさり、全曲を1枚のCDに収めてしまうテンポ設定に落ち着いた。第1楽章をより重視する指揮者の代表例は、ブーレーズの他にはワルター(コロンビア響)やジュリーニをあげることができる。一方、第4楽章をより重視する指揮者の代表例としては、バーンスタインやベルティーニをあげることができる。この指揮者の姿勢の違いは聴き手の好みが分かれるところであるが、私は第九交響曲については第1楽章をより重視する演奏を好む。ブーレーズの演奏は、前打音やポルタメントなどの細かな指示は強調しないが、全楽章で総譜に忠実に音楽を奏でている。ごく一例をあげると、第1楽章冒頭の第4~5小節のヴィオラのトレモロにも曖昧さがない。オーケストラ全体が奏でる音楽には、厳格な構成美があり、各パートの音量のバランスも的確である。第九の総譜を実際の音で認識するためにも、最も適した演奏である。怜悧な解釈と表現でありながら情熱もある。マーラーの伝記を排し、純粋に音楽の美を追求した理想的な演奏の一つと言うことができる。  シカゴ交響楽団による第九の正規録音は意外に少なく、現時点においても、1976年のジュリーニ、1982年のショルティ、そして1995年のブーレーズの3つのみである。時が流れてオーケストラのメンバーも変遷しているが、いずれもシカゴ交響楽団の圧倒的な実力を遺憾なく発揮した超弩級の名演奏である。

宗仲 克己 さん | 東京都 | 不明

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作曲家で現代音楽は勿論シェーンベルクやド...

投稿日:2017/10/01 (日)

作曲家で現代音楽は勿論シェーンベルクやドビュッシーなどに素晴らしい演奏を聴かせる彼のこと、マーラーも期待をして聴いたのだが、その表現は想像通りだった。第1楽章からフレーズの重なりや逆に各パートの分離独立性、そしてハーモニーやパースペクティブは精妙ではあるが、かつての様な尖った前衛的にはならずに表現は円熟し柔らかなトーンと共に安心してじっくりと聴かせる様になっている。全体的な解釈や表現には文句の付けようがないが、告別のアダージョである最終楽章だけはやはり幾分かの不満が残った。出だし主題の弾き方や対位法的な描出、そして展開部へと至る構成など は他に類を見ない表現だしテンポが速いのはいいのだが、どうしても聴き終わり感情的に(情緒的に)訴えて来るものが弱い。クールで洗練された分析的な表現が特徴の指揮者なのであまりそこら辺を言っても仕方がないのだが、一連のDGへのバルトークやラヴェル、ドビュッシーは同様な表現でも、より集中し凝縮した完成度とエネルギー(パッション)を感じたので、曲との相性なのか。オケは相変わらず素晴らしく上手い。

いやみなぶらいあん さん | 神奈川県 | 不明

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Boulezは他のマーラーもシカゴと録音すべき...

投稿日:2011/10/04 (火)

Boulezは他のマーラーもシカゴと録音すべきだったのではないだろうか? マーラーの交響曲に何を求めるかにもよるが、80年代から90年代にかけてブームとなった演奏形態は概ね濃厚でドラマティックな演奏であると思われる。 しかし、Boulezはあえてそれらの猥雑さに背を向けてマーラー自身に内包していた音楽理論を再現しているともいえる。 それはまるでマーラーの交響曲の中から対位法と和声学を浮き彫りにしようとするバッハ的な回帰にも似たアプローチである。 このような明快な解釈にはシカゴのような透明感のあるオケが合っていると感じる。 Boulezももう少しオケや演奏する楽曲を選別すべきであったと思う。 と言うわけでこの第9番については★4つ!

klemperer fan さん | 北海道 | 不明

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人物・団体紹介

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マーラー(1860-1911)

1860年:オーストリア領ボヘミア、イーグラウ近郊のカリシュト村で、グスタフ・マーラー誕生。 1875年:ウィーン楽友協会音楽院に入学。 1877年:ウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受講。 1883年:カッセル王立劇場の副指揮者に就任。 1885年:『さすらう若人の歌』を完成。プラハのドイツ劇場の

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