フラナリー・オコナー

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秘義と習俗 フラナリー・オコナー全エッセイ集

フラナリー・オコナー

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784393416099
ISBN 10 : 4393416090
フォーマット
発行年月
1999年11月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
238p;20

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読書メーターレビュー

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  • パトラッシュ さん

    業病に侵されて常に死を意識しながら小説を書き続けたオコナーは、文学について深く考えを巡らせていた。「文学は悪魔が個人の中に存在するものと認められぬ雰囲気の中では育たない」「希望のない人は小説は書かないし読みもしない」「広島に落ちた爆弾はジョージアの農村生活に対する私の判断に影響する」「作家の本質は経験をじっくり眺めることであって、その中にどっぷり浸ることではない」これらの言葉に今の日本作家で反論できる作家がいるか。米南部のグロテスクで異常な生態を描くとされた彼女だが、何より人間の真実を追い求めていたのだ。

  • chanvesa さん

    小説を「髪は抜け落ち、歯がボロボロになる(74頁)」まで書くオコナーは、「ある少女の死」では、自身の病気は微塵も感じさせず、一切の感傷を排し、冷酷なまでにシスターと接し論ずる。オコナーほど小説家であるプライドを持った作家はいないのではないか?「習俗を通して秘儀を具体的に表すのが小説の務め」(117頁)という言葉は正直理解を超えているが、リアリズムの追求であったり、膿を出すために作った傷のようなグロテスクな内容なのだろう。また自身をフォークナーだけでなく、コンラッドにつながる系譜であるというのが興味深い。

  • ムチコ さん

    そして、自分を知るということは、とりわけ、自分にないものを知るということである。真理に照らして自分を測るということであって、決してその逆ではない。自分を知った結果、最初に出てくるものは謙譲の感情である。(「作家と祖国」)/憐れみを表現するのに憐れみをもってしては不可能であり、情緒を情緒で、思想を思想で書きだすことはできないのであって、作家はこのことをしっかり認識しておくべきである。(「物語の意味」)−−誠実で激烈な言葉が刺さる、箴言集のようなエッセイ集。絶版のようだができれば手元に置きたい。

  • 三柴ゆよし さん

    これ読むと結構作品の印象が変わる。

  • いのふみ さん

    グロテスクなもの、滑稽なものを、技法としてあえて使っているのだ。

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人物・団体紹介

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フラナリー・オコナー

1925‐1964。生涯のほとんどをジョージア州で過ごした。故郷の農場を舞台に、母と娘または母と息子との暮らしにみなぎる緊張を描く短編の名手。しばしば意表を突く展開を特徴とする。長編小説『賢い血』などのほか、書簡集もある

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