ショスタコーヴィチ(1906-1975)

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ショスタコーヴィチ:交響曲第5&9番 ゲルギエフ/マリインスキー劇場管弦楽団

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
UCCP1083
組み枚数
:
1
:
日本
フォーマット
:
CD

商品説明

ゲルギエフのショスタコーヴィチ交響曲第5番『革命』&第9番!
“第4番から第9番は戦争シンフォニー”と捉えるゲルギエフならではのダイナミックな名演!

通常、ショスタコーヴィチの“戦争交響曲”というと、第7番から第9番の3曲が挙げられますが、ゲルギエフによれば「第二次大戦開戦前の不穏な時代に書かれた第4番から第6番もそれらに含めるべき」とのこと。

 戦争という異常な状況がもたらす人間ドラマ、精神の葛藤にインスパイアされた作品群であるという認識を前提として、ここでは特に《第5番》で凄まじい緊張感と劇的迫力に満ちたアプローチを聴かせています。

 第1楽章冒頭の弦楽器による掛け合い部分から低弦の打ちつけるような強烈なアタックが象徴的で、その荒々しく力感に富んだ響きが尋常ならざる緊迫感を生み出します。一度この激烈な『出だし』を知ってしまうと他の表現が物足りなく感じられるほどです。展開部は後半のトランペットと打楽器による行進曲(9:15)部分の腰の座ったテンポが素晴らしく、その後導かれるこの楽章のクライマックス(10:55)は、ドラマティックな表現にかけては当代随一といわれるゲルギエフの独壇場。フルートとホルンの対話(12:21)に続くクラリネットの情感のこもった歌わせ方など、弱奏部分での表情の美しさも傑出しています。

 第2楽章も重く逞しい響きの低弦は迫力満点で、その後ホルン(1:02)がレガート気味に吹奏するのも印象的。切れのあるリズムに加え、コーダの豪快なティンパニ・ソロ(4:46)なども見事の一語に尽きる緩急自在な表現です。

 金管楽器を使用せず、ヴァイオリンを3部、ヴィオラとチェロを各2部に細分化した第3楽章は、室内楽的な響きと繊細な表情が美しいラルゴ。第3ヴァイオリンによって歌いだされる悲しみを湛えた第1主題、ハープの伴奏にのってフルートが憧れに満ちた表情で歌う第2主題(2:58)など、ここではゲルギエフならでの深く濃厚な表現を聴くことができます。

 第4楽章は比較的ゆっくりとしたテンポで始められますが、その彫りの深い表現は圧倒的。パワー全開の金管と雄渾なティンパニが作り出す壮大な響きは快感ですらあります。ゲルギエフの力強くシンフォニックなアプローチはここでも一貫しており、騒々しい音響やこけおどし的表現に陥りがちなコーダにおいても、外面的効果とは無縁のダイナミックかつ格調高い表現が達成されています。

 20世紀には数多くの指揮者によりこの曲の名盤が多数残されましたが、ようやくこれらを凌駕する『21世紀の名盤』というにふさわしいアルバムが誕生しました。自らが信じる音楽をストレートに表現しようとするゲルギエフの強靭な意志とその底知れぬ表現意欲から生まれた現代の名盤です。

 カップリングの第9番は軽く扱われがちな曲ですが、ゲルギエフによる第1楽章冒頭の絶妙なテンポを一聴するだけで、ここでは十分な重みをもって演奏されていることが分かります。さらに繊細かつ大胆なアゴーギクによって作品から驚くほど雄弁な表情が引き出され、アイロニカルな面での魅力抽出も申し分ありません。

大幅日本先行発売。


■ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 OP.47『革命』
■ショスタコーヴィチ:交響曲第9番 変ホ長調 OP.70

ワレリー・ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団

録音:2002年6月30日(第5番)、2002年5月14日(第9番)

内容詳細

第5番は随所にゲルギエフ節を聴かせつつもオーソドックスな設計。第9番はさらに名演で、疾走感や軽妙さを抑え(とくに両端楽章)作品に込められたアイロニーを深く響かせる。このコンビ特有の息の長さやピアニッシモの緊張感、スケールの大きさは両作品で遺憾無く発揮されている。★(ま)(CDジャーナル データベースより)

収録曲   

総合評価

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ショスタコーヴィッチ交響曲第5番と言えば1...

投稿日:2013/05/07 (火)

ショスタコーヴィッチ交響曲第5番と言えば1930年代後半に作曲されたにもかかわらずその分り良さから初演(演奏はムラヴィンスキー/レニングラード・フィルハーモニーSO)後すぐにあちこちで採り上げられ私もTVでニュース、ドラマでのBGMを通して早くから親しんでいました。特に最終楽章のスタートは印象深く例えば民放大阪ローカルTVでの「部長刑事」という番組で出だしタイトルで確か1960年前から使われていて懐かしい思いがすると共に刑事役出演者の中村栄二、波田久夫といった何れも故人の味のある演技も思い出されます。さて、その交響曲第5番を昨年秋本盤と同じ?ゲルギエフ率いるオーケストラ=マリインスキー劇場O(旧キーロフ劇場O)が前述の民放経営するシンフォニー・ホールにおいて30周年記念として演奏会があり記憶頼りで申しますと本盤演奏よりやや全体テンポは早めで実演に接した事もあり濃密且つ強烈な勢いが印象的でありました。肝心の本盤はその十年前2002年ゲルギエフ49歳の時のフィンランドでのライブ録音(タイム@16’30A5’11B14’51C11’29)で重い響きでのスタートから運びは割りとスラッとした印象を持ちました、ただやや篭り勝ちな音色?が気になる時があり弦の高音の抜けが今一だったりピークマーチでのドス溜めがあっさり気味なのがちょつと私の思惑とズレていました。しかし、〆へ向っての見得きりは大いに歌わせ流石カリスマたる指揮者ゲルギエフです。第2楽章は低音を表に強調しつつ早めに進め〆きティンパニーと管とゆっくりやりとりさせ一筋縄では行きません。美しい第3楽章へは間を置かず入り次第に凄みを醸し出してストーリー性を緊張感を高めてたっぷり力強く訴え小奇麗にはまとめておりません。冒頭の最終楽章スタートはそう特徴あるものではありませんが一段落しますとテンポを触って緩急をつけつつ最後クライマックスは堂々とティンパニーも唸り声?もフルに説得力有る仕上げになりました。まだ若かったゲルギエフなりにこの名曲を咀嚼して曲本質をドラマチックに描く再生作業において全体雄弁で大波・小波が醍醐味ある演奏なのですが私などの素人感触では更なるパンチが欲しい気もしました。第9番(同@6’47A2’44B3’47C6’31)は未聴であります。先日マリインスキー歌劇場の新館が完成しプーチン大統領が招かれコケラ落としがなされたそうですが総責任者として益々ゲルギエフは張り切らざるを得ないでしょう・・・丁度還暦だし・・・。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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まぁ寿司に例えると、トロばかり食べた後に...

投稿日:2010/02/03 (水)

まぁ寿司に例えると、トロばかり食べた後に白身を食べると味がボケるみたいなもんですかね。しかし、トロにも白身にもそれぞれ良さはあるわけで、白身がトロに劣る訳ではないでしょう。これをムラビンスキーとゲルギエフに例えてみては? さて、このゲルギエフ盤、期待通りでゲルギエフらしい荒さと豪快さが楽しめる名盤だと思います。 カラヤン的と批判している人がいますが、どこかのボケた音楽評論家もどきのようで説得力がありません。時代がどうのこうのというのは、グルメでいうところの「〇〇産だからどうのこうの」という蘊蓄が味には直接関係ないのと同じで、音楽そのものとは関係ないでしょうね。

なかじぃ さん | 大阪府 | 不明

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非常にスコアを読み込んだ秀演だと思います...

投稿日:2009/08/28 (金)

非常にスコアを読み込んだ秀演だと思います。共産党政権下では許されなかった解釈です。音一つ一つ・モティーフに込められたショスタコーヴィッチの体制に対する反骨精神ある意味ではモーツァルトのフリーメーソンへの共感につながる気がするには私だけでしょうか?楽譜を理解し解釈することの複雑さ困難さを改めて理解させてくれる演奏です。誰の演奏がよい好きという話は音楽談義ではなく演奏に対する好き嫌いの話になってしまうので注意が必要だと思います。誰の演奏の何年の録音と何年の録音を比較すると何小節目から何小節目がこのよううに解釈が変わったどう思いますかという意見交換の場にしたいものです。

山形の髭熊 さん | 山形県 | 不明

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「わたしの交響曲は墓碑である」という“証言”の中の言葉によって象徴されるショスタコーヴィチの音楽と生涯への価値観の変質は、今もって盛んな議論と研究、演奏解釈によって再認識過程の最中にあるとも言えますが、作品によってはすでに演奏年数も75年に及び、伝統と新たな解釈の対照がごく自然におこなわれてきているとも言えそうです。 圧政と戦争の象徴でもあったソビエト共産主義社会の中に生き、そして逝ったショスタコ

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