ショスタコーヴィチ(1906-1975)

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CD 輸入盤

【中古:盤質A】 ショスタコーヴィチ:交響曲第10番、チャイコフスキー:『雪娘』より、他 スヴェトラーノフ&ソ連国立交響楽団(1968年ライヴ)

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

中古情報

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A
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基本情報

ジャンル
カタログNo
ICAC5036
レーベル
Europe
フォーマット
CD
その他
:
輸入盤

商品説明

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ショスタコーヴィチ:交響曲第10番(1968年ライヴ)
スヴェトラーノフ&ソ連国立交響楽団


1968年8月20日の夜、ソ連軍戦車部隊を中核としたワルシャワ条約機構軍がチェコ国境を突破し、同国全土を占領下に置くという「チェコ事件(プラハの春)」が勃発、西側諸国に衝撃を与え、翌日におこなわれたこのロンドンでの演奏会にも波紋を広げることとなりました。
 チェコからの公式な通信はソ連軍によって阻止されていたため、アマチュア無線など地下放送で事件についての報道がおこなわれたといいますから、どのタイミングで英国で報道され、どれほどの人がそのことを周知していたのかということについては定かではありませんが、翌日におこなわれたこのコンサートにも早速その影響があらわれているようです。
 オーケストラの名前がソ連国立交響楽団で指揮者もソ連人、とりあげた作品がソ連の作曲家ショスタコーヴィチによる交響曲第10番ということで、プロムス名物のアリーナ席当日券を購入して示威行動をおこした人がいたのでしょう。開始早々、会場は抗議の叫び声によって騒然となり、演奏は中断を余儀なくされてしまうのです。しかし、スヴェトラーノフは指揮を再開、当時まだ39歳のパワフルなパフォーマンスで、このハードな交響曲を見事なテンションで仕上げています。
 ICA CLASSICSによると、このCDのテスト盤を聴いたスヴェトラーノフ未亡人は、演奏会当夜の感情が鮮やかに蘇り、眼には涙が浮かんでいたということでした。
 なお、余白には、同じく1968年8月のプロムスでとりあげたチャイコフスキー『雪娘』の「メロドラマ」と、リムスキー=コルサコフ『見えざる町キーテジ』の「自然への讃歌」「タタールの侵略とケルジェネツの戦い」が収録されています。モノラル音声をアンビエント・マスタリングによって聴きやすくしたアルバムです。(HMV)

【収録情報】
1. ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調
2. チャイコフスキー:付随音楽『雪娘』組曲より「メロドラマ」
3. リムスキー=コルサコフ:歌劇『見えざる町キーテジ』より(自然への讃歌/タタールの侵略とケルジェネツの戦い)

 ソ連国立交響楽団
 エフゲニー・スヴェトラーノフ(指揮)

 録音時期:1968年8月21日(1)、8月22日(2)、8月30日(3)
 録音場所:ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール(ライヴ)
 アンビエント・マスタリング

ユーザーレビュー

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交響曲は、スヴェトラーノフとソヴィエト国...

投稿日:2011/11/24 (木)

交響曲は、スヴェトラーノフとソヴィエト国立響による、同曲セッション録音の2年後の演奏。ちなみに、スヴェトラーノフの同曲録音は、セッション録音の2か月前のライヴも商品化されたことがあり、同盤で3種目のディスクとなる。スヴェトラーノフは、決して「ショスタコ指揮者」といえる存在ではないが(ショスタコーヴィチはスヴェトラーノフの演奏をあまり高く評価していなかった)、気に入った曲は何度も繰り返し演奏していたようで、10番もそういった作品に数えられるだろう。従って、今後、知られざるライヴ録音が商品化されることもあるだろうが、本盤の演奏は、皆が絶賛しているような、スヴェトラーノフの同曲演奏としては決してクオリティの高いものではない。私は、セッション録音前に行われたライヴ録音が、同曲トップクラスの名演だと思っているが、壮絶さでいうなら、本盤のライヴの翌年に行われたカラヤンのモスクワ公演の方が数段勝っている。演奏冒頭のソヴィエト軍のチェコ侵攻に対する抗議も、「とりあえず、やっとく?」程度のもののようで、他の観客の叱責によりすぐに静かになってしまうし(チェコ侵攻も直後で、その悲惨さはまだ伝えられていないので、まだ本気ではない。英国の活動家やフーリガンがその気になったら、抗議はこんな程度では済まない)、ソヴィエトでは演奏前に会場がザワついているのは日常茶飯事だから、スヴェトラーノフも「なんかザワついてるな」程度の気持ちで普通に演奏をスタートしたのだと思う。従って、商品帯の「会場は一触即発の事態」「スヴェトラーノフは果敢にも演奏を続け」という文言は噴飯モノ。また、スヴェトラーノフの指揮は、リズム感やテンポ感に一元的な面が強い。そして、スヴェトラーノフは、それほどスコアを緻密に表現する人ではなく、オーケストラの自発性に任せるようなところもある。良くいえば猪突猛進なのだが、その面に寄りかかったこの演奏では、それが悪い効果をもたらしている。すなわち、演奏全体が極めて単調で食傷気味なのだ。結論としては、ムラヴィンスキーやカラヤンが肉薄したこの曲の理想から、大きく隔たった演奏といわなければならない。c/wのチャイコフスキーとコルサコフも、交響曲と大同小異の単調な演奏で、作品の持つ微妙な味わいが全く失われている。音質は、低音がかなりモワ付くが、アンビエント・ステレオは一応の効果は出していると思う。ひと昔前の擬似ステレオとは大きな違いだ。少なくとも、大きめのシステムで聴くのであれば、それによって、演奏の印象が大きく変わることはないはずだ。

MISPRISIONER さん | 東京都 | 不明

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スヴェトラーノフの若き日の圧倒的な名演の...

投稿日:2011/09/22 (木)

スヴェトラーノフの若き日の圧倒的な名演の登場だ。いまだショスタコーヴィチが存命の時代であり、なおかつ旧ソヴィエト連邦が存在していた時代。しかも、東西冷戦下で、旧ソヴィエト軍を中核としたワルシャワ条約機構軍がチェコの民主化を阻止するために、チェコ全土を占領化に置くといういわゆる「プラハの春」が勃発した日の翌日の演奏である。当時の西側諸国からすれば、こうした東側諸国、とりわけ旧ソヴィエト連邦による軍事行動は許し難い暴挙であり、旧ソヴィエト連邦への敵対意識が否応なしに高まっていたことは想像に難くないところだ。そのような中で、旧ソヴィエト連邦の指揮者であるスヴェトラーノフとソヴィエト国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)が、当時、旧ソヴィエト連邦政府に忠実な作曲家であると西側諸国では誤解されていたショスタコーヴィチの交響曲第10番を、ロンドンで演奏するということは、当時の西側諸国の旧ソヴィエト連邦への悪感情を考えると、ある意味では実に無謀な行為であったとも言える。実際に、コンサートは抗議の声で騒然となり一時は演奏を中断せざるを得なくなったとのことであり、本盤においても冒頭の何小節かが何人かの聴衆の抗議の声で聴き取れなくなるなど、当時の厳しい状況が生々しく記録されているところだ。しかしながら、そうした厳しい状況の中でもめげることなく、最後まで演奏を行ったスヴェトラーノフ、そしてソヴィエト国立交響楽団の不屈の精神力にまずは拍手を送るべきであろう。そして演奏も素晴らしい。さすがに、本演奏には、後年のスヴェトラーノフの演奏のようなスケールの大きさは存在していないが、前述のような逆境を演奏に最大限に活かしたとも言えるような、圧倒的な生命力や強靭な気迫が演奏全体に漲っていると言える。ショスタコーヴィチと同時代を生き、そして例えて言えば現在の北朝鮮のようなとんでもない共産党独裁国家であった旧ソヴィエト連邦下に生きていたスヴェトラーノフとしても、同曲に込められた独裁者スターリンへの怒り、粛清への恐怖と粛清された者への鎮魂などのあらゆるメッセージに深く共感していたはずであり、そうしたものを十分に汲み取った彫の深い凄みのある表現が、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っていると考えられるところだ。もちろん、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる超名演(1976年)ほどの深みには達しているとは言い難いが、39歳の若きスヴェトラーノフが、前述のような逆境を乗り越えて、これだけの凄みのある豪演を成し遂げたことを高く評価したいと考える。演奏終了後の圧倒的な熱狂は、冒頭の抗議の罵声を含めて考えると、いかに本演奏が当日の聴衆に深い感銘を与えたのかがよく理解できるところだ。併録のチャイコフスキーやR・コルサコフの楽曲も、スヴェトラーノフならではの強靭な迫力とメランコリックな抒情が相まった素晴らしい名演だ。音質は、1960年代のライヴ録音、しかもモノラル録音ということもあって、音場が今一つ広がらない(特に、交響曲第10番の第1楽章)のが残念ではあるが、アンビエント・マスタリングによってかなり聴きやすい音質になっている点を評価したい。

つよしくん さん | 東京都 | 不明

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1968年8月21日のこの演奏会は、ワル...

投稿日:2011/09/18 (日)

1968年8月21日のこの演奏会は、ワルシャワ条約機構軍のプラハ侵攻の翌日という、政治的に異様な状況下で演奏された、きわめて特異な演奏会です。同日に演奏され既にリリースされているロストロポーヴィチとのドボルザークのチェロ協奏曲のライナーに、 「この演奏は45年間で聴いた交響曲第10番の中で最もきらめき、はらわたをえぐるような演奏だった」 と書かれていたもので、どうしても聞きたかったのですが、これが初のリリースになります。 CDを聞き始めると、場内が異様にざわついています。前のドボルザークのチェロ協奏曲の比じゃありません。 演奏はそんな騒ぎを無視して始まります。 この曲は最初弱音で入りますので、騒ぎを聞いているんだか、演奏を聴いているんだかわからないほどの状態が30秒ほど続きますが、会場内の「シー」という声に圧倒され、やっと会場が落ち着きます。 交響曲第10番は初めて聞きました。演奏はとにかく壮絶。 もともと曲自体が分裂症気味の作品ですが、高速で絶叫する各楽器はまさに「きらめき、はらわたをえぐるような演奏」です。 そして最後は絶賛の嵐。 ドボルザークのチェロ協奏曲と同様、この演奏も、最初の罵声から絶賛の拍手の嵐まで、音楽の持つ強い力が、政治とか国を超えて人々に訴えかける強さというものを感じさせる最高のドキュメンタリーだと思います。ドボルザークのチェロ協奏曲がロストロの答えだとしたら、交響曲10番はスヴェトラの答えなんでしょうねぇ。 それにしても同じ日の演奏が、それぞれ切り離されてバラ売りされているのがとても不思議です。 ちなみに、この10番の録音にはアンビエント・マスタリングという擬似ステレオ方式が用いられていますが、録音全体の音量レベルが低いことも相俟って、演奏の迫力を削いでいる印象を受けました。私はモノラルに再リマスターして聞いていますが、迫力が違います。やはりモノラルには余計なことをしないのが一番ですね。ちょっと残念です。

座敷童子 さん | 栃木県 | 不明

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ショスタコーヴィチ(1906-1975)

「わたしの交響曲は墓碑である」という“証言”の中の言葉によって象徴されるショスタコーヴィチの音楽と生涯への価値観の変質は、今もって盛んな議論と研究、演奏解釈によって再認識過程の最中にあるとも言えますが、作品によってはすでに演奏年数も75年に及び、伝統と新たな解釈の対照がごく自然におこなわれてきているとも言えそうです。 圧政と戦争の象徴でもあったソビエト共産主義社会の中に生き、そして逝ったショスタコ

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