「帝国」の文学 戦争と「大逆」の間 以文叢書

すが秀実

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784753102167
ISBN 10 : 4753102165
フォーマット
出版社
発行年月
2001年07月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
20cm,360p

内容詳細

藤村、花袋、荷風、鴎外、漱石から中上健次に見る、天皇制の文学的側面。日露戦争で高揚したナショナリズムと、それによって析出された〈個〉=市民意識のダイナミズムを、日本自然主義と「大逆事件のあいだに読む。

【著者紹介】
〓@5FA3@秀実 : 1949年生まれ。学習院大学中退。文芸評論家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • hatohebi さん

    西洋の自然主義は日本では十分に開花せず事実偏重の身辺雑記的な私小説へと変貌を遂げたというのが中村光夫に代表される文学史的通説であり、その主犯とされるのが田山花袋「蒲団」だ。逆に当時全盛を極めた自然主義から傍流にあり“余裕派”と称したのが漱石で、漱石—芥川—太宰が現代の主流と目される。しかし本書で筆者は、藤村・花袋・漱石・荷風・秋声らを、文壇的エコールを越えて横断的に〈日露戦後文学〉と見做すことで、新しい視野を開く。これはとても刺激的だ。

  •   さん

    何度目か。というか、未だに絓秀実が設定した地平に誰一人として答えようとしていないのではないか、ともやもやする笑 これと前作の『日本近代文学の<誕生>』から文学史的な叙述スタイルに変わっていることは、どちらも「国民作家」である漱石へのラディカルな批判で締めくくられていることは偶然ではない。

  • zumi さん

    とりわけ面白いのが「表象=支配」の問題。文学だけでなく、現実の人間ですら表象に取り込まれてしまう。そこに発生するのは「父殺し」のような上下関係に「力」でもって挑む構図。いかにして、この上下関係の構図から脱出するか、というのが要。「男ー女」「聖ー殲」「真理ー非真理」などに共通する、この構図は壊してしまっては、また新たな対立を生むだけ。ならば、手段はただ「逃走」のみ。エピローグの『地の果て 至上の時』に関する「大逆の挫折」には思わず唸らされた。『不敬文学論序説』『カフカ マイナー文学のために』との併読が吉。

  • 古義人 さん

    フロイト-ラカン-ジジェクで殴られる本。

  • ♨️ さん

    おもにラカン理論を応用させ、「民族」と「市民」というその原理としては矛盾しあう二項を結び合わせた「国民」というシステムを安定化させるために排除される〈もの〉についてその顕現を日露戦後の日本自然主義の根本問題として提出する。藤村、花袋、荷風、秋聲がそれをどう思考したか、また(啄木同様)それら思考との延長線上に「大逆」事件を位置付け、その中でも〈もの〉である「女」によるシステムの条件(ファルス)としての天皇への「大逆」として菅野すがのそれが特権化できることが本人らのテクスト解釈からも示される。

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