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人物・団体(アーティスト) > ジャズ > ジャズヴォーカル
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1981年、ダイアナに転機が訪れる。「ヴァンクーヴァー・ジャズ・フェスティヴァル」の奨学金を得て、バークリー音楽院に入学することになったのだ。一年半の猛勉強の後、ダイアナは故郷へ戻った。ここで、今度は現在にまで繋がる大きな出会いがあった。地元ナナイモで演奏していたダイアナを、当地に来ていたベーシストのレイ・ブラウンが耳にしダイアナを協力にバックアップすることになる。 続きを読む
ニーナ・シモン、本名Eunice Waymonは、1933年2月21日にノースカロライナ州、トライロンに生まれた。7人兄弟の6番目に生まれたニーナは4歳からピアノを弾き始め、彼女の才能にほれ込んだ周囲のバックアップを得て、クラシック音楽のトレーニングで有名なジュリアード音楽院に進学した。しかし、貧しかった家族を助ける為ニーナは、1954年にはアトランティック・シティのアイリッシュ・バーで初めて音 続きを読む
エラ・フィッツジェラルドの声の魅力は、張りのある高音とスキャットになったときに、搾り出すように歌う独特のグルーヴ感、そして、何よりステージでの清々しいまでの爽やかさである。どこか隣のお店のオバチャンが歌う、そんな安心感と、歌い始めたときの素晴らしくスピードに乗ったスイング感は御三家随一だ。若くしてビッグバンドの女性リーダーとして責任を持ったエラは、どこか安定感では一番だった。ヴォーカル御三家の中 続きを読む
Francis Albert Sinatraことフランク・シナトラほど、21世紀のアメリカ音楽界全体から見ても重要な歌手はそう多くは存在しないだろう。 先輩Bing Crosbyが持つ、独特の“余裕”、Fred Astairの“粋”、そして、シナトラ自身が付け加えた、Artie Shaw楽団で鍛えられた、例えようのない“スイング感”、そして、歌手として何より素晴らしく、縦横無尽のスキャットヴォー 続きを読む
その歌声は、他のジャズ・ヴォーカルの歌手達とは異なり、時代を追って変化しつつも、どんな一片の歌声さえ彼女の人生を感じさせ、人間の悲しみや苦しみを彼女の体を通して表現した、まさに“神が使わしたディーヴァ”だった。少なくともジャズの歴史の中で、彼女ほど人生を感じさえ、人生について聴く者に考えさせる歌手は、いまのところ現われていない。 続きを読む
御三家の中でも抜きん出た抜群の声量と暖かい歌声、様々な分野の歌を全て自分のものにしてしまう懐の深さを持った不世出の歌手サラ・ヴォーンは、生涯前進をし続けたヴォーカリストだった。初期にレコーディングされた歌の中からポピュラリティのあるものが「マーキュリー」から、よりコンセプチュアルなものが「エマーシー」から発売された。この当時のレコーディングはいづれも「外れなし」の素晴らしさで、サラの第1期黄金時 続きを読む
米国ニューヨーク生まれ。サラ・ローレンス大学では文学を専攻。1991年のヨーロッパ旅行の際、ロンドンで英国のミュージシャンと交流を深め、以後ロンドンを拠点に活動中。97年にキャンディド・レーベルからデビュー作『クローズ・ユア・アイズ』を発表。スタンダード・ソングを可憐に歌うチャーミングな歌手。夫君は彼女の 続きを読む
新世代のジャズ・ヴォーカリスト、ヘイリー・ロレン 続きを読む
9月22日、ニューヨーク州ニュー・ロシエル生まれ。 1966年にカデット・レコードに吹き込んだシングル「マーシー・マーシー・マーシー」の大ヒットで一躍有名に。 同時期にカウント・ベイシー・オーケストラの歌姫として4年間在籍。 72年にベイシーの元を離れ、女性歌手としては初めてブルーノート・レコードと契約。 こ 続きを読む
1950年代にはコロンビアから、“ビコーズ・オブ・ユー”“コールド・コールド・ハート”などヒット・シングルを続け、“思い出のサンフランシスコ”でグラミー賞を受賞した。その後もコンンスタントに活躍を続け、ジャズ・ファンにとってはビル・エヴァンスとの共演盤は忘れられない作品。 続きを読む
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