ヘイリー

ヘイリー プロフィール

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1987年生まれ。ニュージーランド/クライストチャーチ出身のシンガー。
6歳の時にヴァイオリンのレッスンを初め、その後、ピアノ、リコーダー、ジャズダンス、バレエなども習得していく。
二人の妹・弟と共に、バスキング(路上パフォーマンス)をしていた彼女は、2000年、にデモ・アルバムを作る。それが直ちに話題を呼び、ユニバーサルニュージーランドと契約。2001年にリリースされたNZデビュー・アルバムは、POPチャートを駆け上り、Didoやウェストライフ、ロビー・ウィリアムズを押しのけて、4週連続No.1をGET。トリプル・プラチナを獲得し、国内で最も早くトップに上り詰めた女性アーティストとなった。2003年夏、Deccaレーベルより、インターナショナルデビューを果たす。

〜 天使誕生 〜
場面は小学校のクリスマス学芸会の当日。子供たちが音程を外して歌ったり、セリフを忘れたり、舞台装置につまずいたりするのを目にすることが、親たちの予想。誰もがちょっとしたお笑いは期待しても、素晴らしい才能を目撃することなど想像だにしない。
ニュージーランドのごく普通の親だったジルとジェラルド・ウェステンラが娘ヘの類稀なる才能に初めて気付いたのも、そういった出し物であった。ジルはこう語る。
『学校で〈リトル・スター〉という舞台をやることになりました。ヘイリーはまだたった6歳だったのですが、彼女が私に言ったことといえば、「ママ、バレエのお衣装がいるの」って。それで出かけていったのですが、観に行ってわかったのは、彼女はそのショウのスターだったのです。題名と同じで小さなスターでした。』
舞台が終わると教師の一人がジルのもとへ行って、ヘイリーには絶対音感があるからその才能を伸ばすためになにか楽器を習わせたら、と奨めた。ヘイリーはヴァイオリンのレッスンを始めたが、これば彼女と音楽との関わり合いの始まりとなった。そしてこれは彼女の人生の起動力であり続けている。
ほとんどの子供が練習を強いられるのとは正反対に、ヘイリーは自分の才能を伸ばすためにどんな機会も逃さなかった。ヴァイオリンに加えてピアノとリコーダーのレッスンを受けるようになり、7歳の時には楽譜の読み方も習うようになった。また、ミュージカルの舞台に対する彼女の情熱が目覚めたのもちょうどこの頃である。11歳になる頃にはヘイリーが出演した舞台は40にもなり、TVのショーでも歌い、大規模なコンサートでも歌っていた。
『本当にすばらしい気持です』と16歳の彼女は振り返って語る。『舞台にいる時は暗闇にいて、光へ向かって足を踏み出すのです。まるで別世界に移動したような感じです』。

〜 「メメント(思い出の品)」 〜
ヘイリーは2000年にデモ・アルバムを録音したが、これは主として彼女が「メメント(思い出の品)」と呼ぶためのものであった。この個人的な思い出の作品は1000枚プレスされたが、未来へとつながる鍵を開けたのである。そのCDの録音が終わった日に、ヘイリーは妹のソフィー(同じくヴォーカル、ヴァイオリン、ピアノをこなす。ちなみに弟のアイザックはフルート担当)地元のクライストチャーチで芸を披露していた。この二人はすぐさま人だかりを集めた。「女の人が近づいてきてなにか録音したものはあるかと尋ねてきました」。
この若い二人組の芸人のファンが地元テレビ局のジャーナリストだったので、ヘイリーはまもなく電波にのることになった。この出演の模様がニュージーランドのコンサート・プロモーション会社の目に止まり、ユニバーサル・ミュージック・ニュージーランドとの契約がこれに続いた。

〜 POPチャート4週連続第1位/トリプルプラチナ獲得 〜
ユニバーサル・ニュージーランドでの彼女の名がついたデビュー作品は、ショー音楽とクラシック曲がミックスされたもので、ポップ・チャートの1位に輝き(4週間連続)、トリプル・プラチナとなり、このためにヘイリーはニュージーランドの歴史で最も急速に売れたアーティストとなった。
そして間もなくこれにクリスマス・アルバム『 My Gift To You 』が続いた。

〜 恩師デイム・マルヴィナ・メイジャーとの出会い 〜
ヘイリーの歌声を耳にしたニュージーランドのオペラの神話的存在であるデイム・マルヴィナ・メイジャーは、彼女のためのレッスンをかって出た。
ヘイリーの声について彼女は『本当に音楽的です。美しい声をもつ若いシンガーは多いけれど、明快さをもつように指導されなくてはなりません。ヘイリーには生まれながらにこれがあるのです』。
この関係は親密になり、彼女にとって貴重なものとなった。『デイム・マルヴィナは沢山のことを教えてくれます。とてもステキな方で、他の分野のことでも助けてくれるのです。つまり、テクニックのことだけでなく、一緒に私のキャリアについてとか舞台での演奏についても話し合ってくれます』。

〜 デッカ・ミュージック・グループとインターナショナル契約 〜
ヘイリーは歌うことに対する情熱を語る時になると、微笑んで瞳を輝かせる。『ずっと歌手になることを夢見てきましたが、自分が望むことに対してはとても現実的でした。たぶん大きくなったら、パートタイムでプロとして歌いつつ、本業としての仕事にも就くだろうと思っていました。ユニバーサルとのレコード契約を交わす段階になって、いろいろなことが活気づいてきました。今ではデッカ・ミュージック・グループとインターナショナル契約を交わして、ラッセル・ワトソンと一緒に歌うというようなことまでやるようになりました。ほんとうにエキサイティングです』。
『私は音楽一家の出身です。母の側から言うと、祖父母は共にパブで歌っていました。おじいちゃんはピアノ‐アコーディオンとピアノを弾き、おばあちゃんが歌っていたものです。父側では、祖母はラジオ番組で歌っていましたから、音楽性は祖父母たちから受け継いだものだと思います』とヘイリーは語る。彼女の強いケルト人のルーツも彼女に栄光を与えている。彼女の祖父はアイルランド出身であるが、曽祖父母はウェールズやスコットランドから移住してきているのである。
『ヴォーカリストにとっては、どの言語ででも歌えるということはとても大切なことです。歌の中で感情を描写するということは、その歌がどういうことについてなのか理解していなくてはならないのです。もしその歌が外国語で歌われているのなら、訳詞を探します』。
既に学校でフランス語とドイツ語は学習したので、ヘイリーは目下イタリア語をレパートリーに入れようと努力している。
舞台を降りれば、ヘイリーは典型的なティーンエイジャーである。音楽は彼女の最優先事項であるが、ネットボールや水泳、室内のロック・クライミングにも熱心で、クロス・カントリー走では学校の代表選手にもなった。『音楽以外では、バレエを踊るのも好きだし(ロイヤル・ニュージーランド・バレエの舞台に出演した経験もある)、読書、映画鑑賞、ショッピング、それに友達とブラブラするのも好きです。音楽を聴くのも好きで、お気に入りのアーティストはネリー・ファタード、クレイグ・ディヴィッド、シャキラ、ザ・コーアズ、ヴァネッサ・カールトンです』。

〜 ラッセル・ワトソンとの共演 〜
ヘイリーが2002年の春に英国へ顔見せに行った際には、カーディフ、ニューカッスル、ウェンブリーでのコンサートでラッセル・ワトソンと舞台に立った。『家に彼のCDを持っていたから、'ラッセル・ワトソンと一緒に歌ってもらいたいのだけど'という電話を受けたときはもう'ワオ!'という感じだったのよ』。
>ラッセル・ワトソンも『彼女にはニュージーランドで初めて逢ったけれど、こんな小さな女の子だというのに一度声をきいたら、信じられなかった。僕にはその声を天使のようだとしか表現できなかった。彼女こそ非凡な才能の持ち主だと思うよ』。
『将来は自分で曲を書きたいと思っています。でも今は世界中で歌って、いろいろなオーディエンスを前にして歌うという経験を積むのが楽しみでしかたないのです。きっとすごくカッコいいことだわ』。
『もしこの世の誰かになれるとしたら、私は今の私自身しか選べないわ。今自分がやっていることにとてもワクワクしているし、本当に好きでたまらないから。私に与えられた機会は信じられないものばかりです。自分でも予想さえしませんでした』驚きに目を丸くしてヘイリーは語る。『ひとつのことが次につながっていくのはすごいことです』。
16歳となった彼女は、ニュージーランドの出身で、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団やラッセル・ワトソンと共演した経歴を持ち、ヘイリーの声はニュージーランドのオペラ・ディーバと称されるデイム・マルヴィナ・メイジャーに個人教師を申し出させるに至った。ヘイリーにとって彼女は助言者、そしてミューズという存在になった。
多くのことがあまりにも急激に起こると、ませたティーンエイジャーになることを予想するだろう。ヘイリーは横柄でもなければ、変に控えめでもなく、その年頃のものによくあるようなごく普通の情熱を持ち、そして年齢に似合わず、自分自身を表現するという人並みはずれた才能を持っているのである。
彼女は歌を自分のものにするためには、まず初めにそれが何を言っているかを理解し、その内部に踏み込んで、聴衆に感情を表現するということを知っている。それがフランス語やドイツ語、イタリア語(これらは彼女が学んだ言語である)、英語、マオリ語でのオペラのような曲であるかどうかにかかわらず、彼女は全てのニュアンスを理解しているということを確認するのである。

ビートルズの伝説のプロデューサー、サー・ジョージ・マーティンの書き下ろし曲を含むアルバム 「 Pure」で遂に世界デビュー
ヘイリーはアルバム『 Pure 』の曲を選択するにあたって、新たな境地に踏み出した。
『以前はショウの曲や軽めのクラシック曲を歌っていました。それらは一つのジャンルに限られていたけれど、今ではより沢山のヴァラエティに富んでいます。これからはさらに正式なクラシック曲とかよりポップな歌を追求していこうと思っています。このアルバムを制作することで、私の歌い方も幅が広がったし、異なった歌唱スタイルも身につけました』。
ヘイリーは自分自身をまずクラシックの演奏家と考えているが、スタイリスティックな一部分だけとどまらず、彼女の初のインターナショナル・リリースのCDである『 PURE 』ではポップスやマオリの伝統的な合唱曲を追求し、サー・ジョージ・マーティンによるアレンジの〈アメージング・グレイス〉に新風を吹きこんでいる。ビートルズの伝説のプロデューサーであるサー・ジョージは、彼女のために特別に〈Beat Of your Heart〉を作曲し、この曲はヘイリー自身によれば"シンフォニック・ポップ"と表現されるものである。彼女は彼のような大物が彼女のために曲を書いてくれたことを信じられずにいる。
芸術の才能を持つ3人兄弟(アイザック、ソフィー、ヘイリー)の一番上に生まれたヘイリーは、ピアノ、ヴァイオリン、バレエに精通している。クライストチャーチの宝石学者であるジェラルドと妻のジルは、その子供達をサポートはしたが、押しつけがましいステージ・ペアレンツではなかったと主張する。彼らは子供達の芸術面での希望を、それが踊りでも、音楽でも演劇でも、手助けしているのである。
その結果はヘイリーによって実現されたように、内面外面ともに落ち着きのある若者であり、ごく普通の家族生活を続けることがどんなに大切であるかを理解している。そのことによって、彼女はインターナショナルなパフォーマーであることのプレッシャーに対応できるのである。これも同様に、『 Pure 』によってヘイリーがメジャーな新たな世界のスターの地位を確立することは間違いない。(ユニバーサル)

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