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0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/03/17
「バブーシュカ」は、手紙をテーマにした曲ではクリムゾンの「レターズ」と並ぶ名曲です。変名を名乗って夫の浮気心を試す妻の恐ろしさ。またそれに乗って見知らぬ女との逢瀬に現れる夫。双方にとって破滅的未来が待ち受けることを、この妻が知らぬはずがない。なぜそこまでする、の世界です。また「ウェディング・リスト」では、新婚の夜に夫を殺された女の復讐計画が語られます。どうも犯行を行ったのは、彼女の双子の兄または弟なのですね。 ケイト・ブッシュが、初めてプロデュース権をレーベルから奪い取った作になります。言い方がきつければ、彼女の親族を中心としたプロダクション・チームが完成し、レーベルがそれらの仕事を任せられるようになった、と。これでチャート・アクションをあまり気にせず、彼女のアイデアを純粋に反映させる音楽になり、また曲もさらに売れるようになりました。 ケイト・ブッシュの制作スタイルは実に独自で、一種秘密めいたチーム・スタッフで外界と関わりなく仕事が進んでいくようです。外からの雑音がない分、ケイト・ブッシュの内面が純粋培養された音楽になります。一方、外から影響を受けることもないわけで、ほとんど彼女は文学や映画や史実から曲の発想を得ているのでした。わたしの子宮からは、何でも出てくる、という半分自信、半分はおののきが表紙のテーマです。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/03/17
「ローラ」は、女性名をもつ歌舞伎町にいるような人のこと。主人公は、ローラと一晩楽しく遊んだという曲で、彼女の生き方に共感したわけでもなければ、まして同情したわけでもありません。わたしは「ローラ」という曲が大好きで、キンクスから離れられないのはこの曲のせいだと言っていいです。キャリアを代表するような曲がトランスベスタイトをテーマにした曲だと言うのが、キンクスです。 この盤は、レイ・デイビーズの自叙伝執筆プランがとん挫し、その代わりにバンドの悲惨物語を歌詞に入れ込んだ、ということになっています。「ローラ」にしろ、無人島で原始的に暮らしたいと歌われる「エイプマン」にしろ、何かから逃れたいというつぶやきみたいなものが聞き取れる盤になっています。 ただ「マネーゴーラウンド」では拝金主義、「パワーマン」では権力に対する嫌悪が歌われています。「ローラ」には親近感を感じるけど、金や権力に媚びない、というのがバンドのスタンスです。アクースティック・ギターがとても効果的に使われている盤です。「ローラ」のライブでは、レイ・デイビーズがギター一本で登場し、オーディエンスに歌わせ、その後バンドサウンドになる、という劇的効果をあげる曲です。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。
デラニー&ボニーを聴いても、CSNYを聴いても出てくるのはリタ・クーリッジという名前。もっと言うとクラプトンでもデイブ・メイスンでもジョージ・ハリスンでもそうです。ボニー・ブラムレットのパワフルな歌声と同時になると、大人しい落ち着いた歌手という印象。でもこの盤では彼女の芯の強さが否応なしに伝わってきます。 歌手としてはとてもオーソドックスで、こぶしを回したりはしません。ところが彼女の歌には心を溶かす、あるいは解放させる魔力があり、聴き手も素直にならざるをえません。はっきり言って垢抜けないアレンジと外連味ない演奏です。ただ普通に実直に細部を大事にした演奏です。これが心にしみます。南部の優しさがあふれている、と申しますか。 ニール・ヤング曲もデイブ・メイスン曲もありますが、作曲者なんてどうでもいい説得力。これが派手なアレンジでしたら大して心に響かないのでは、と思います。「アイル・ビー・ヒア」は、沈み込むようなブルーズで、いやなことがあった時に聴いたら涙ぐんでしまうでしょう。俺にもこんなこと言ってくれる女がいねぇかなぁ、なんて。
「クロスロード」あるいは「十字路」という曲にどんな思いをお持ちですか。ここでの「クロスロード」は、ライ・クーダーが弾きまくり、また声を張り上げる陽気なブルーズ・ロックです。ブルーズ・ロックと表現したのは、この曲の元来の曲が弾き語りであるから。当然クリームの演奏も元唄とは全然違うものです。ライ・クーダーは、ワーナーの映画音楽専門ミュージシャンのような人であり、いろいろな傑作を残しています。特にこの映画は彼の人生や生活と重なるので、ノリにノッた演奏です。 ロバート・ジョンスンは、畑の真ん中(クロスロード)で、悪魔に出会い、ギターが上手くなることと引き換えに自分の寿命を差し出した、という伝説のギタリスト。実際にジョンスンの曲には悪魔や地獄が歌詞に出てきます。英国のブルーズ・ロックや、ブラック・サバスのオカルト趣味の発祥は、このエピソードにあります。ドラムズもベースもいない中で、ひとりでギターの胴を叩きながら、コードとアルペジオを同時に弾きます。最初聴いたとき、ひとりでこの音を出しているとはとても思えませんでした。 ライ・クーダーが正面きってブルーズをテーマにしたCDは、実はあまりありません。ブルーズ弾きとしては破格に上手い人なんですが。
サンタナのこの作は、大きな音で聴かないとなかなか全体がつかめません。わたしはヘッドフォンで聴くことにしております。70年代にサンタナと言えば、高校生ユーザーのものではなく、もっとアダルトな年齢層が夢中になる音楽でした。そのせいか、わたしがサンタナを聴こうと思ったのもかなり最近のことです。文字を最も拒否するグループが彼らではないかと思っています。ラテンだ、ブルーズだ、ジャズだと言われておりますが、当時誰もやっていなかったジャンルつき交ぜのサンバ・フュージョンで、ギターが始まるとブルーズです。彼らが狙っているのは「官能」を音で表現すること。「官能」と言いましても宗教的と言っていい至高体験のほうです。 何より魅力あるのが、パーカッションの熱さと複雑さです。これがグレッグ・ローリーのオルガン、ベースと一体となると他のグループでは到達できそうもないうねりです。さらにアルバムの統一感も凄まじく、ほとんど曲が変わっていることに気づきません。「マザーズ・ドーター」の激しさなんて手に汗握ります。フリートウッド・マックの寝ぼけたような「ブラック・マジック・ウーマン」も、彼らの手にかかると壮大な揺り籠ビートに変わります。
ダニー・ハサウェイは、貧しいゲットー出身ではなく、ゴスペルから出発し、大学でクラシック理論を勉強したインテリです。ロバータ・フラックと同窓で、彼女とアルバムも作っていますし、公私にわたる盟友だったようです。このライブは、彼の絶頂期の記録。でも彼は精神の病に倒れ、短い人生で鮮烈な爪痕をポップ・ミュージック界に残しました。ボーカルの説得力ではスティービー・ワンダー以上ではないかと思うことがあります。 4曲目の「ユーブ・ガッタ・フレンド」で、オーディエンスが感極まって歌い始めるのです。もう教会のミサ状態。ダニーが歌う、聴衆が返すというやり取りは、R&Bでは伝説になっているほどです。歌い方は叫ぶでもなくいたってオーソドックスなのですが、演奏がすさまじい。2曲目の「ザ・ゲットー」では12分にわたり、ほぼインスト合戦が展開されます。ハサウェイのエレピにリードされ、波が何度も押し寄せるような高揚感です。 このライブは、録音もとてもよろしい。R&B界を背負って立つことを期待されている彼でしたのに、病気のせいで表舞台から消え、ロバータ・フラックとラスト・シングルを録音。ロバータ・フラックは、彼が再起するものと信じていたようです。その録音直後に、住んでいたホテルから彼が転落しているのが発見されました。悲しい話です。
CSNは、スーパーグループと持ち上げられていますが、バンドを破綻させた男、バンドからくびになった男、国から逃げてきた男という敗残兵が集まった、というのが真実のところです。アーメット・アーティガンのサポートを得て、何とか録音にこぎつけ、ウッドストックで意外にも大好評を博したことで軌道にのりました。特にデイビッド・クロズビー、グレアム・ナッシュは、このプロジェクトがなかったら芸能界から消えていたかも知れないと思います。 わたしは最初グレアム・ナッシュ曲のとっつきやすさで入り、以後スティルズの経歴を知り、それから初期バーズを聴き始めました。このデビュー盤の演奏とアレンジではスティルズが、和声と和音ではクロズビーがリーダーシップをとったことが想像つきます。 演奏ではスティルズがいなかったら、このプロジェクト成り立っていません。また、クロズビーがいなかったらベトナム戦争前後の難しい空気を読めていなかっただろうと思います。特に「グウィニヴィア 」「ウッドン・シップ」「ロング・タイム・ゴーン」のクロズビーが関わった曲の深さには驚くばかりです。コーラスが共通するだけで、作曲者によって全く違う曲想なのも、このバンドの特徴であります。良いかと問われれば、「マスト」であります。このバンドを聴かないでUSロックは語れないでしょう。長年聴いていますが、トシとるほど聴けなかった音が現れてくるレコードです。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2019/04/27
クイーンはライブ向けのバンドではありません。ジャムやインタープレイに特質があるわけではないし、優秀なソロ・プレイヤーがいるわけでもないです。音の積み上げと曲想の多彩さが彼らの特質で、これはスタジオ・ミュージシャンに向いた制作方針です。同じような作りこみをするバンドがボストンですが、ボストンのライブは実はすっかすかです。(だから未だ公式ライブがない。)イエスのように完璧なスタジオ録音の再現をするのでもなく、彼らはどうしてライブで支持を集めるバンドになれたのか。これはフレディのパフォーマンスとブライアンのギター中心にアレンジをつくり直しているのです。だからライブで、彼らはシンプルなロックンロールを演奏する体育系のバンドに変形します。逆に考えると個々の曲の基礎ができていなければ、この芸当は無理です。ビートルズの曲は誰が演奏したってビートルズだと言われますが、クイーンにも似た曲の地力があります。さまざまなライブ音源が今ではあります。でも彼らが本当に輝いていた70年代の実況録音盤は別格だと思います。ほとんどオーバーダブもありません。丸ごとクイーンに向き合える時間は至福です。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2019/04/27
クイーンは、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルとは違う世代のハードロックという印象が強いです。しかし、この盤がリリースされたのは71年で、時代がそれほど違うわけではありません。決定的に違っていたのはファン層で、いわゆるブルーズを基本にしたハードロックには不感症だったファンを彼らは取り込みました。わが国で洋楽を一般的存在にしたのは、ビートルズでもパープルでもなく、クイーンだったとわたしは感じています。従来のロックに共感することのなかった若い層、ファッションやコミックに親しむティーンエイジャーを彼らはターゲットにしていきました。彼らのドキュメンタリーを見るとわかりますが、英国ではただのマイナー・バンドだったようです。この音とルックスを最初に気づいて支持したのが日本だったことはよく知られています。クイーンは、今までロックなんて聴かない人に向けてエンターテインメントを開始したのです。ジミ・ヘンドリックスのような重い音の上に、格調高いコーラスと物語をのせるスタイルはとても新しいし、わかりやすい。逆に英国のユーザーは、この新しさに気づけずにいたのでしょう。でも、これはよくできたデモ音源だとも思います。おそらくジョン・アンソニーとロイ・トーマス・ベイカーは、スタジオと録音技師のブッキングをやったのみ。彼らはレーベルの助けも借りずに、ブライアン・メイの知識だけでこの録音をやってのけたはずです。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2019/04/24
「オペラ座の夜」でピークを極めた彼らが、またまた短時間でピーク越えをやってのけた印象です。わたしは当時とても驚きました。この人たちの限界点はどこになるのかと空恐ろしくさえありました。彼らの世俗的卑しさに焦点をあてたような構成で、「バイシクル・レース」のコンセプトやビジュアルは、とても下品です。ブライアンがヘンドリックスの「エレクトリック・レディランド」のビジュアルを真似たのかもしれませんが……。わたしが好きなのが、カントリー丸出し田舎ハードの「ファット・ボトムド・ガール」です。この曲の野太いベースや、どかどかドラムズには意味もなく凶暴な気持ちになります。ちなみに「ジャズ」は、洗練されたという意味でなく、混雑しているという意味合いのタイトルだと思います。わたしは、クイーン流幕の内弁当、しかも松・竹・梅の「梅」だと思います。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。
ブライアン・メイにとってのアイドルはヘンドリックス。初期の彼らのアルバムには、シンセサイザー、コンピューターを使っていないというクレジットがありました。理系であるブライアンが決定したと考えて差し支えないでしょう。なぜならヘンドリックスがそれらを使わず、オーケストラに匹敵する音作りをしていたからです。「ブライトン・ロック」は、ブライアン流ヘンドリックスの再現です。わたしは当時中学生で、文化祭のレコード・コンサートで、1時間に一度はこの曲がかかる、というとんでもないことになっていました。そして寺内タケシをブライアンも聞いていた、という証拠でもあります。 わが国では「キラー・クイーン」もとんでもないことになりました。この曲が爆発的に受けていた日本にクイーン本人たちが現れ、英国でマイナーな自分たちを日本人が熱狂的に受け入れたことに驚き、感動していました。「心臓発作」というタイトルでありますが、本当に心臓を射抜かれたのは日本人だけだったというわけです。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2019/04/24
前作「ホット・スペース」に収められた「ライフ・イズ・リアル」で、フレディ・マーキュリーのエンターテイメントに関するポリシーは一度壊れました。言うまでもなく、ジョン・レノン殺害事件が影を落としたわけです。そこから立ち上がって制作したのがこのアルバムで、フレディは自分の出自、嗜好を脚色なく提示するようになりました。「プレイ・ザ・ゲーム」を改作した「イッツ・ア・ハード・ライフ」に考え方が表れていますが、人生はハードでタフでも生きていかなければならないというものです。また、このアルバムから、ほとんどフレディがボーカルに固定されました。メンバーが、フレディ中心主義で行く、という再確認をしたものと思われます。彼らのターニング・ポイントになる作でありながら、当時のわが国のメディアは冷たいものでした。クイーンのファンは、この作でファンを続けるかどうか、問われた気がします。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2019/04/24
夜はオペラで観劇、昼は競馬というのが大英帝国の上流階級。それにしては競馬に関する曲はひとつも出てきません。ロイ・トーマス・ベイカーに代わり彼ら自身がプロデュースを行っていて、つまりたった一作で制作作業のノウハウを会得してしまったわけです。派手な前作の続編という捉えられ方をしたせいか、地味な扱いを受けている作でもあります。「ボヘミアン・ラプソデイ」に比較できるのは「サムバディ・トゥ・ラブ」。誰も愛せない、愛したことがないという男が主人公で、これはひょっとすると「ラプソディ」主人公の後日譚なのかも知れないです。これだけ独自なストーリーを書けるフレディは、ほとんど読書なんかしなかったとか。彼にインスピレーションを与えていたのは何だったのでしょうか。あと「タイ・ユア・マザー・ダウン」は、彼ららしいハードロック。日本でのセカンド・シングル決定のとき、ラジオ番組でこの曲とほかの曲とを流して、電話投票で決定したことを覚えています。
わたしは、このセカンド作こそ実質的なデビューであり、自己紹介をテーマにしたアルバムであると思っています。彼らの特質は、貴族的な気高さと俗世間の卑しさが同居したところにあるのではないでしょうか。 このアルバムの旧A面は、ホワイト・サイドで彼らの気高さを、旧B面はブラック・サイドで邪悪な一面を表現しています。特に「オウガ・バトル」からの畳みかけは圧巻。彼らは多彩な曲が書けるばかりに、様々なタイプの曲がごろごろしていることが多いんです。クイーン全史の中で最も統一感があるのが、このブラック・サイドでしょう。 実は「オウガ・バトル」は、デビュー時から演奏されていた曲でした。彼らのBBC録音に入っています。つまり、デビュー時から温めていたコンセプトを具現したのが、このブラック・サイドというわけです。わたしは、このアルバムから彼らに入りました。実に幸運だったと思います。クイーンとは何か、という問いかけに最も的確にこたえるのがこの作です。
10CCの「パリの一夜」からアイデアをとっていることは、かなり前からコアなファンの間で議論されていました。10CCでは組曲形式だったものが、アルバム単位に拡大され、しかも次作「デイ・アット・ザ・レース」に曲がつながるというギミックもあります。 「ボヘミアン・ラプソディ」は、ひょんなことから人殺しをしてしまった男の独白です。男は、これが現実なのか、夢なのかとつぶやきながら母に許しを請うわけですが、最後のハードロック部分は、男の立ち位置が逆転し、俺に唾を吐きかけるがいい、と逆切れします。この異質なパートをつないだことがこの曲の肝だと思っています。手に汗握らずにいられません。 「ユー・マイ・ベスト・フレンド」では、ドシャドシャしたドラミングに違和感を覚えませんか。ロジャー・テイラーのドラムズは、常にこうでこのいなたい叩き方が初期のクイーンの特徴でもあります。これがあるから、どんな曲でもクイーンだと識別できる個性になっています。 貴族的であり、下品である、という彼らの二極が味わえます。素晴らしいモノリスです。
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