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カラヤン英雄 さんのレビュー一覧 

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/11/09

    「サン=サーンスのレクイエムは、とても素晴らしい傑作だ」というレビューに惹かれ、メルシエ&イル・ド・フランス国立管弦楽団のCDを最初に購入しましたが、ヴェルディとフォーレのレクイエムが渾然一体となっているような演奏には、正直がっかりしました。フランスのオーケストラと合唱だから、サン=サーンスのレクイエムをより美しく演奏してくれていると思ったからです。しかし、フォルテになるとヴェルディのレクイエムのディレス・イレ風の演奏で合唱は荒く叫び立てるようになり、かと言って、ピアノになるとフォーレのレクイエムの合唱を力なく貧弱にしたような演奏になるので、演奏のスタイルがレクイエム全曲にわたって統一が取れていないとしか感じることができませんでした。しかし、この作品が傑作だということについては、演奏をただそのまま受け入れることをせず、自分の頭の中で作品本来の姿をイメージしながら聴くことにより確信が持てました。そこで改めて別のCDを探すことにし、ディエゴ・ファソリス指揮の本CDを選び出して”サン=サーンスのレクイエム”のCDを購入し直しました。「SSCavatina」さんのレビューに書かれているように、強弱の付け方も本当に自然で素晴らしく、オケも合唱も名前が全くと言っていいほど知られていないのに、上手なのには驚かせられました。テノールの独唱者がいまひとつ感心できませんでしたが、それ以外はサン=サーンスのレクイエムを美しく感じることができ、満足の出来る演奏でした。
    「サン=サーンスのレクイエムは、とても素晴らしい傑作だ」という言葉に疑問のある方は全て、本CDを聴いて、その素晴らしさを納得していただきたい!!!

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/09/02

    コバケンが最も得意とし、かつ、彼が最も愛しているチャイコフスキーの交響曲第5番で、オケがチェコ・フィルだったので購入したが、第4楽章にコバケンの唸り声が録音されているのは、セッション録音なのだから、このCDの購入者に対する冒涜だと私は思う。コバケン自身が演奏の録音の状態を、当然のことながら確認しているわけで、コバケン自身唸り声を聴いているのに、そのままにするのはライブ録音で、聴衆の誰かが携帯電話の着信音を鳴らしているのが、そのまま収録されているのを、コバケンが良しとするわけがない。従って、コバケンの唸り声が録音されているのは、コバケン自身が自分の演奏にわざとノイズを録音して、CDとして発売しているようなもので、購入者のひとりとして非常に腹立たしい。指揮者が唸って良いのは、オーケストラとのリハーサル(ゲネプロを含む)までで、セッション録音まで唸るのは、コバケンのプロの指揮者としての自覚に欠ける行為だとここではっきり申し上げておきたい! 演奏自体は第1楽章から肩に力が入り過ぎたような感じでゆとりがなく、じっくり聴かせて欲しいと思われる箇所も飛ばしすぎているようだ。ただし、オケがチェコ・フィルであるため、コバケンが力みすぎている箇所も、弦楽器を中心とする歌に満ち溢れているのは救いである。これが日本のオケだったら破綻していそうな箇所も難なく逃れているように思える(セッション録音だから、演奏の良い箇所しか使用しないから当たり前といえば当たり前なのだが)。コバケンが一生懸命に力を込めて指揮しているのは伝わってくるのだが、オケの音に込められてしかるべき感情が全くと言っていいほど伝わってこない。カラヤン/ベルリン・フィル(1980年代のウィーン・フィルとの録音でなく)はスマートだが音楽の完成度はピカイチであるし、征爾/ベルリン・フィルは長年ボストン響を指揮していたせいか弦の音が太く、征爾らしいいつもの感情移入過多ではないかと思うぐらいだが、これもいい意味で熱演である。コバケン=チャイコ第5番のスペシャリストと思う人が多いようだが、チェコ・フィルという名器を鳴らしても、また、コバケン自身が演奏の録音を自分の耳で聴いてOKを出しているセッション録音でも完成度がいまひとつ高くないのは、この曲をコバケン自身のなかに取り込んで解釈する段階に問題があるように思う。要するにコバケンはライブ(演奏会)と
    セッション録音とを区別して指揮することが出来ない指揮者なのだと私には思える。このCDの演奏もライブ(演奏会)のノリで指揮しているために、演奏の完成度が高く出来ないのだと思う。以上をまとめると、チャイコフスキーの交響曲第5番のライブ(録音)のノリの演奏で、かつ、指揮者の唸り声がHi−Fi録音されているCDを購入したい方にはおすすめのCDである。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/10/21

    アーノンクールは後にヨーロッパ室内管との再録音も一部の交響曲は残している。しかし、モーツァルトが後期3大交響曲を残して亡くなったあとに、ベートーヴェンが交響曲作曲家として名声を得ているばかりでなく、現代のモダン・オーケストラがベートヴェンの交響曲の編成を大きくしているのに対して、モーツァルトは作曲された当時の編成にやたら近づきすぎて、ピリオド・オーケストラが現在は隆盛を極めているのは、尋常なクラシック音楽界とは到底思えない。(最も、ピリオド・オーケストラが活躍できるのは、どう長く見積もっても21世紀中だけだろう!!!!!!!!!)モダン・オーケストラは常にその時代の中心であり、ピリオド・オーケストラにとって代られることは、絶対にあり得ない。前置きが長くなってしまったが、そういう意味でアーノンクールがモーツァルトの後期交響曲をコンセルトヘボウ管を指揮して、ベートーヴェンのように音楽に情熱と迫力を注ぎ込み、反復を行ったこのCDは、例えば、モーツァルトの交響曲第41番が何故今でも「ジュピター(ゼウス)」と呼ばれるのかという疑問を完全に払しょくして余りある。アーノンクール/コンセルトヘボウ管によるモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」の演奏を聴いて、(私はそれまで全ての交響曲の中で、ベートヴェンの交響曲第3番「英雄」が最も素晴らしい交響曲だと考えていた。『第9番「合唱付き」ではない』)モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」は、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」に勝るとも劣らない交響曲だという確信を得ることが出来た。この領域まで達することが出来たのは、この時期のアーノンクールだけであり、アーノンクール自身、ヨーロッパ室内管との録音では迫力のない穏やかな演奏に終始している。ベートーヴェンのモダン・オーケストラによる演奏の視点から見たモーツァルトの交響曲演奏というものに興味・関心がある方は、(モーツァルトの父レオポルドに宛てた手紙の通り、モーツァルトがウィーンで活躍を始める以前からウィーンには、8ていのコントラバスで演奏しているオーケストラが存在していたことを考慮すれば、モーツァルトの交響曲を大編成のオーケストラで演奏することは、現代のベートーヴェンの交響曲演奏が大編成で当たり前のように演奏されている状況から考えても、なんらおかしいとは全く思わない)ぜひ購入して聴かれることをお勧めする。時代を超えて聴き続けられる演奏とは、正にこのCDに収められている演奏そのものなのだ。 

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2011/08/09

    ピエール・ブーレーズの指揮によるラヴェルということで、かなり期待していたのだが完全に裏切られたという感じである。ベルリン・フィルの豊潤すぎる響きをまったく抑えることが出来ず、ドイツ・グラモフォンへ移籍後、ブーレーズが指揮をする機会の多かったクリーブランド管弦楽団で聴くことの出来たフランス音楽のエスプリといったものは、、この録音には全く存在しない。カラヤン/ベルリン・フィルの方がフランス音楽として、もっと素晴らしく聴けるように思う。ブーレーズにはベルリン・フィルをコントロールしきれないのだろう。この録音のためのオーケストラに、なぜベルリン・フィルを選んだのか全く理解できない。少なくともフランス音楽を聴くためには、ブーレーズ/ベルリン・フィルの録音は絶対に避けた方が良い。蛇足だが、スペイン奇想曲の名演には、ロリン・マゼール/フランス国立管弦楽団(ウィーン・フィルとの録音ではない)のソニーへの録音があることを挙げておきたい。スペインの夜の中に入っていく、ある意味での不気味さとスペインの踊りや祭りの雰囲気といったものが、フランス音楽として見事に表現されている。クリュイタンスやデュトワなどフランス音楽に定評のある指揮者の演奏も聴いてきたが、マゼール/フランス国立管弦楽団に遠く及ばない。そういったこともあって、フランス音楽にも定評のあるブーレーズのCDの購入だったのだが、オーケストラのことも考慮に入れておかないと今回のように失敗するものだと思い、ただ反省することしきりである。

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     2010/11/18

    まず、なんといっても幸田浩子の歌声が素晴らしい!!!。幸田浩子の充分すぎるほど余裕のある高音域の美しさにコロラトゥーラのテクニックの素晴らしさは、まさに世界レベルである。選曲も実に考えられていて、フランクの有名な「天使のパン」に始まり、さまざまな宗教的雰囲気をかもしだす曲や愛の歌がちりばめられている。クリスマスに聴くも良し、違う季節に癒されることを目的として聴くも良し、全ては聴き手にまかされているが、どういった聴き方にせよ「ソプラノ歌手:幸田浩子」の素晴らしさに感動することうけあいである。これまで「DENON」レーベルより発売されてきた3枚のCDを購入してきた方はもちろん購入すべきだし、このCDから幸田浩子に接する方にとっては、これまで幸田浩子が出してきたCDを購入することを薦める。単に音楽そのもの以外の「幸田浩子の美しい容姿」に接したい方にも
    DVD(ビデオ・クリップ2本収録)付きなので、満足していただけるのではないかと思う。

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     2010/01/11

    ドミンゴには、ワーグナーのどの役柄を歌って録音しても、どうしてもその容姿の素晴らしさから、DVDによる映像も求めたくなるのだが、現在では歌声でもドミンゴを超えるヘルデン・テノールは、存在しなくなってしまった。ドミンゴとしても年齢を重ねた現在、オペラ・ハウスでの舞台公演に備えて歌詞を、改めてもしくは新たに憶えるのは難しくなってきた。実際に舞台公演を記録したDVDは「ローエングリン」だけであり、ドミンゴのドイツ語の理解力・発音能力の限界なのかもしれない。
     しかし、このCDにおいて、そのような心配は全く必要ないようだ。この楽劇「トリスタンとイゾルデ」のセッション録音をしている様子を撮影した写真映像を見ると、ドミンゴは楽譜台を前にしてオーケストラに取り囲まれた中で歌っている。ドミンゴの過去の録音を振り返っても、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」におけるヴァルター,「タンホイザー」におけるタンホイザー,「ローエングリン」におけるローエングリン,そしてこの「トリスタンとイゾルデ」におけるトリスタンといったように、ヘルデン・テノールとして輝かしい実績を誇っている。この「トリスタンとイゾルデ」において、イゾルデはシュテンメ,ブランゲーネは藤村美穂子というように実績のある主役を配し、脇役の一人である牧童にはボストリッジを配する豪華なキャスティングがなされている。とにかく、ドミンゴの歌うトリスタンの輝しく豊かな
    声の響きには、過去のトリスタン役の誰とも異なる素晴らしさが感じられる。パッパーノの指揮もドミンゴの美声を生かすのに一役買っている。そして、主役の二人をしっかりと支えているのが、藤村美穂子のブランゲーネである。
     異色でセッション録音だが、これまでで最も美しい「トリスタンとイゾルデ」全曲ではあるまいか。

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  • 12人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/01/11

    カラヤン&ベルリン・フィルによるベートーヴェン/交響曲全集として、1970年代,1980年代に録音されたCDに続いて、1960年代に録音されたCDを購入した。各年代のCDを聴いてみて思うことだが、カラヤン/ベルリン・フィルのベートーヴェンの交響曲に対するアプローチは基本的に変わってはいないが、1970年代の録音は若干スタイルが他の年代の録音とは異なっている。小生はピリオド奏法,ピリオド楽器並びに編成を好まないが、1970年代の録音は最もスケールが大きく今では多少のスタイルの古めかしさを感じないこともない。この1960年代の録音は、カラヤン&ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲演奏のスタイルを確立したばかりでなく、1980年代まで続くカラヤン&ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲の解釈を決定づけたものとして現在でも存在価値を失っていない。それは2010年代になってもカラヤン&ベルリン・フィルによるベートーヴェン/交響曲全集を超える演奏・録音が全く存在しないことからも理解できよう。例に出すのは余り好きではないが、カルロス・クライバーのベートーヴェンの交響曲演奏・録音に慣れてしまった一部の音楽ファンにとって、カラヤン&ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲演奏は地味に聴こえるかも知れない。しかし、単に
    音楽上の演奏効果を狙ったクライバーのベートーヴェンの交響曲演奏は、一時代としては受けるかも知れないが、ベートーヴェンの交響曲全集をいくつも聴いていくうちに、その存在価値が無くなっていくことに気づくだろうし、気づくべきだろう。
     カラヤン&ベルリン・フィルによるベートーヴェン/交響曲全集を手に入れたいが、金額の面で1980年代のディジタル録音には手が届かないという方には、迷わず1960年代のベートーヴェン/交響曲全集を購入する事を薦める。カラヤンが意図したベートーヴェン像が明らかになって心に伝わってくるとともに、今なおカラヤンのベートーヴェン解釈がいささかも古くなっていないことに気づかされるであろう!!!!!

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/08/08

    ラトルやベルリン・フィルの演奏シーンに惑わされることがないよう、CDから聴き始めて一気に1番から4番まで聴き終えた。率直な感想からいえば、ラトルの演奏は表面的な音の姿にとらわれ過ぎて、心に響いて人を感動させる情熱がみじんも感じられない!もし、まだお金に余裕があってブラームスの交響曲全集を、CDであれDVDであれ集めて音楽に感動したいと思う方は、DGより発売されているカラヤンのCDやDVDを購入する事をお薦めします。CDは’80年代に録音したもの,DVDは’70年代に収録したライヴ演奏です。いずれも国内盤がHMVより購入出来るはずなのでショッピング・サイトを検索してみて下さい。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/06/28

    ヘルマン・プライが、’70年代に録音したシューベルト3大歌曲集をCD3枚にまとめたBOXセットであるが、ヘルマン・プライの全盛時の録音だけに、歌唱はどの歌曲集を採っても、’80年代にDENONに録音したものよりも歌唱は良く、ディジタル・リマスタリングにより音質も向上しているので、いささかも遜色はない。これらの歌曲集の中で最も出来の良いのが、「白鳥の歌」でジェラルド・ムーアの伴奏のもとに、さまざまな声域の歌手のために作曲された歌曲(レルシュタープ,ハイネ,ザイドル)を見事に歌い分けている。抒情性,情感,感傷的,威圧的,劇的、楽天的等々要求される表現を見事に織り込んでいる。次に出来が良いのが、「冬の旅」だが、声がハイ・バリトンにしては重くて力強すぎるため、恋に破れた若者の心境を上手に表わすことが出来ている曲と、そうでない曲との違いがはっきり出てしまっている。現在、ドイツ歌曲を歌うテノールの多くが「冬の旅」を、リサイタルであれ、レコーディングであれ、採りあげて原調(本々、テノールのための連作歌曲集である)で歌っているのを聴く機会がどんどん増えているので、今ではいかにしてシューベルトが「冬の旅」において、若者の姿を表現しようとしていたのかといったところに関心が移ってきている。かつては、ハンス・ホッターのようなバス・バリトンやバスの声によって、老人が若かりし頃の自分の姿を回想しながら、独白するような歌唱スタイルがもてはやされていたが、今は歌唱スタイルの転換期にあたり、徐々にその姿を消しつつある。最後は、「美しき水車小屋の娘」であるが、この連作歌曲集も原調はテノールであり、バリトンで歌うためには移調して音域を下げる必要がある。プライは、高音域が苦しくならないよう必要とされる音域を思いっきり下げて、明るい声色で若者を表現しようとしている意図が見て取れる。しかし、この発声では高音域は作り声のようになっており、この歌曲集全体をなぞるようにしか表現出来ていない。やはり、ハイ・バリトンのD・F=ディースカウでも「冬の旅」に比べ、「美しき水車小屋の娘」は得意とはしていないみたいで、ナイーブな男性像を表現できずにたくましく感じられる男性像を描き出してしまっている。「美しき水車小屋の娘」をバリトンで表現するのは難しく、やはり、テノールでないと‘美しき水車小屋の娘’に恋し、破局、そして自殺してしまう男性は表現できないと再認識した次第である。

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     2009/06/27

    ヘルマン・プライが、’70年代に録音したシューマンの連作歌曲集「詩人の恋」がメインとなっているCDで、他には同じくシューマンの歌曲が数曲,メンデルスゾーンの歌曲が数曲,リストの歌曲が1曲,そしてブラームスの歌曲も数曲収められている。ヘルマン・プライによるシューマンの「詩人の恋」は、彼が残した同曲の録音としてはベストであるが、ハイ・バリトンでありながらD・F=ディースカウとは対照的に高音域をあまり得意としなかったプライの歌唱はピッチの関係からも重く感じられ、若い詩人の喜怒哀楽を充分に表現できているとは言い難い。プライの甘くソフトな感じの歌声はそれなりに魅力的だが、音楽的には発声上の問題があり、胸声域と頭声域の間には、それが聴き手に感じられるかどうかは別にして、ブレイクと呼ばれる換声点があるが、プライのブレイクより上の声は、声を響かせるポイントを、本来変えることによって響きの質を出来るだけ同じようにしなければいけないのを、あまり変える事をせずに作り声で表現してしまうところがあり、この事がプライの歌声は常にフラット気味で良くないという評価がなされていたことにつながっている。前述の通り、このCDはほとんどシューマンの「詩人の恋」を聴くためのCDといっていいほどであり、もしバリトンでシューマンの「詩人の恋」の優れたCDを挙げるなら、第1にD・F=ディースカウ/エッシェンバッハ(P)盤,第2にゲルハーエル/フーバー(P)盤となる。総合的に声種を問わずにシューマンの「詩人の恋」のベスト盤となると、本々テノールのために作曲され、若き詩人にふさわしい声となると、テノールによる歌唱のCDということになるのだが、夭逝して今ではドイツの伝説のテノールになりかけているヴンダーリヒ/ギーゼン(P)盤を挙げておく。

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     2009/06/27

    白井光子が歌う、シューマンの「女の愛と生涯」を耳にするまで、私の愛聴盤はE.シュヴァルツコップが歌っているCDだった。この当時の白井光子の声は、のちに恩師の1人であるE.シュヴァルツコップのアドヴァイスによってメゾ・ソプラノに転向した後と比較して、まだ音域が高く、まだ、ソプラノとして歌っていたころである。そのためだと思うが、白井光子が歌う、シューマンの「女の愛と生涯」は主人公となっている女性が実に若々しく描かれ、彼に対する憧れが生き生きと伝わってくる。それでいて、白井光子の声はメゾ・ソプラノに転向する前とはいえ、しっとりとしており、やたらぎらつくこともなく説得力をもっている。恩師E.シュヴァルツコップが性格表現を主体とした歌唱に傾きすぎるために聴き手に聴きづらさまで与えてしまうのに対し、白井光子はあくまでも女性を生き生きと表現し、かといって、終曲の彼の死に際しての表現が軽くなりすぎる事もない。白井光子は恩師E.シュヴァルツコップが表現した世界を越えて、現代の私たちにシューマンの「女の愛と生涯」を伝えてやまない。シューマンの「女の愛と生涯」を録音して後世に残す女性歌手は、決して少なくはないが、リサイタルの演目に採りあげる歌手はあまり多くない。そうしたことも踏まえて、シューマンの「女の愛と生涯」をCDで購入して聴きたいという方には、白井光子が録音したCDを第1番に薦めたい!!!

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     2009/06/25

    シュトューダーは、ヴァーグナーのオペラ歌手的な観点からR.シュトラウスやヴァーグナーの歌曲を表現しようとしているようなところが感じられ、R.シュトラウスの「4つの最後の歌」では人生の最後時期差しかかってからから人生を振り返って、ただ、ひたすらに死の訪れを待っているような情感は全く感じられず、E.シュヴァルツコップ/セル盤のような趣には程遠く感じられる。また、ヴァーグナーの「ヴェーゼンドンク歌曲集」では、詩に込められた内容に踏み込む前に5曲の歌曲が終わってしまているような感じで、指揮者のシノーポリとこのCDを録音する前に2人で充分に話し合って決めたということのようだが、結果として何の成果もあげられていないようだ。シュトューダーとして、残るは「イゾルでの愛の死」だが、ここのみはヴァーグナー歌手として歌いきることが出来たという感じでこのCDとして唯一の聴きどころである。このCDは、R.シュトラウスやヴァーグナーによるオーケストラ歌曲集として、シュトューダーの声を聴きたいという方以外には薦められない。もっと言葉と音楽,言葉の対する強弱の変化がもっと出来るようになるまでは、再録音しても無意味なことに過ぎないだろう。

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     2009/06/17

    小生が中学生時代にLPレコードで聴いた録音のCD復刻であるが、当時、大人の男性の孤独感や哀愁といったものと、思春期だった小生の孤独感が自分の中で複雑に入り混じり、人生についていろいろ考えたことを思い出す。この「Reflections」というアルバムの中で印象が強くて今でも憶えているのは8曲目の「ダイヤルM」である。この曲を聴いて大人になっても恋愛というものは難しいものなんだというふうに認識を新たにしている。「ルビーの指輪」はレコード以外でも飽きるくらい聴いているので、特別な感慨はないが、このアルバムは今でも古さを感じさせることがないような気がする。小生と同様にLPレコード時代に飽きるほど聴いた方でも、CD復刻盤を購入して改めて聴きなおしてみるのも一考かと思う。

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     2009/06/17

    小生にとって、ドイツの往年の名ソプラノであるアンネリーゼ・ローテンベルガーのオペレッタやオペラのアリア集10CDsが、わずか1CD分の費用で購入できることは、この上ない喜びの1つである。残念なことは録音が1950年代のためモノラルであることであるが、10CDsのアリア集が発売されるくらい彼女のオペレッタやオペラのレパートリーは広く、そのほとんど8割くらいはオペレッタのアリアであるため、オペレッタにおけるソプラノのためのアリア集がまとまって発売されていない今日の状況では、ただ単に貴重だというばかりでなく、音楽として聴く楽しみがあり、また、音大生などにとってはアリアを学ぶための教材として使用できそうである。イタリア・オペラにおいてソプラノのアリアが、ドイツ語で歌われているのは、確かに違和感があるがCD2枚ほどであり、それなりに楽しめるものである。

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     2009/06/16

    日本のギタリストの最高峰に君臨するスーパー・ギタリスト「今 剛」の
    2nd ALBUMは、今 剛のギターも前作に比べ自己主張が増し、各曲のサウンドも全体的に厚くなっているが、常に音楽的であるという基本的姿勢は変わっていない。楽器も以前に使用していたものから変わっていることと、テクニックの在り方が変わっているためだろうか、音そのものもより美しくなって、心に自然に入ってくる。このアルバムに収められた4曲のヴォーカル曲も、彼の弾くギターの前では、ヴォーカルもただ単に言葉を持った1つの楽器程度にしか響いてこない。今 剛と共演を広げるミュージシャンの豪華なこともあろうが、それにしても彼の弾くギターの音に身をゆだねることが非常に心地よいのはなぜだろうか。小生が思うには、今 剛というスーパー・ギタリストが、これまで数多くのミュージシャンと共演を重ね、その都度、彼自身の音楽性が磨かれてきたからではないだろうか。小生の言葉に対するその人なりの感じ方の違い,真偽のほどは今 剛のこのアルバムを聴いて確認されたい!!!

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