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norry さんのレビュー一覧 

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/06/02

    「二人の巨人の間に挟まれたギリシャの乙女」というシューマンのベートーヴェン4番に対する評を差し当たりこの曲にも当てはめて見るとして、それにしても何と毒のある乙女か、と言わねばなるまい。青春の総決算として「地球交響曲」(第3)を書き上げたマーラーが、青春に別れを告げ、人生を直視する5番以降の世界に入る前で躊躇し、ユートピアへの夢想に現実逃避を図ろうとしたものの、否応なく「世界苦」は押し寄せる、そういった非常に不安定かつアイロニーに満ちた心理を描いた曲である。そしてそのことは、この演奏を聴けばたちどころに理解できる。何よりもマーラーの演奏には、偏執狂的な細部の繊細さへのこだわりと、暴力的なまでの激しさとが何ら妥協することなく、透明な響きの中に共存している必要がある。その両極の間に介在する無限の音色の階梯からなるポリフォニーこそマーラーの「言葉」である。それを最高に表現できるのが、インバルである。この都響との録音は、24年前のFRSOとの録音より、さらに表現の自由度と振幅を増した。確かに終楽章のソプラノは華奢に過ぎる。実演で聴いた前プロのラヴェルのシェエラザードの方が遥かに良かった。しかし上記のような曲の性格を考えれば、あながち朗々と美声を発揮していただくことだけが良いとも限るまい。決して声自体は悪くない。その意味でこのようなチョイスもありだろう。それに、実演でも感じたが、何よりも矢部達哉のソロとリーダーシップは素晴らしい。マニエリスティックな弦セクションの旋律美を余すところなく描き得たのは、矢部のリーダーシップに負うところが大きい。こういったところも含めて、マーラーと新ウィーン楽派との類縁性をインバルほど感じさせる演奏もあるまい。他評に論争を挑むつもりはさらさらないが、しかし、曲の内容に表現主義的なところがあるとしても、演奏様式まで表現主義でよいわけではない。このことはマーラーについては特に強く指摘したいところである。

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     2010/04/05

    誠に厳格なブルックナーである。フレーズやブロックごとの緩急の付けかたの激しさ、「原始霧」になることなく全ての音符を明確に引き切る弦セクション(フィナーレの最後でもはっきりと聞こえる!)、強い意志に貫かれた金管のコラール、といったアプローチは、フランクフルト放送響との録音や、同時期(1987年)の同響との来日公演(同じ会場!)の際と基本的に変っていない。よくゴシックの大聖堂に例えられる同曲であるが、インバルの演奏は、むしろコンクリート打ちっぱなしのモダニズム建築の大聖堂を想起させる。都響の響きは今一歩熟成が欲しいというところ(マーラーの場合そう感じないのは不思議だが)であるが、これには会場のデッドな音響も影響しているであろう(余談であるが東京文化会館の設計はモダニズム建築の巨匠であるル・コルビュジエの弟子の前川國男である)。ブルックナーの演奏については、カトリシズムの神秘性の観点から語られることが多いが、この演奏はむしろ旧約の世界に近い感じがする。そういえばインバルはユダヤ教の司祭の家の出であると聞いたことがある。そのことを妙に納得してしまう演奏である。前にも書いたが、とにかくエクストンには頑張ってこのライブのシリーズを続けて欲しい。現在これほどまでに哲学的・思想的に内容のある音楽を聞かせる指揮者がほかに何人いるだろうか。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/12/14

    表現主義という言葉を、表現が内容を超出するという意味で用いるなら、ここにおけるインバルの演奏はまさに表現主義的であると言えるであろう。以前のフランクフルト放送響との録音が、そのような演奏哲学の「解説」であったとすれば、今回の録音はまさに「表現」そのものを提示したものである。インバルはチャイコフスキーをそのような対象としてとらえているのだろう。これに対し、マーラーは彼にとって「古典」であり、「表現」と「内容」は常に一致しているべきものであるから、表現主義的なアプローチを取ることはないのだ。それを「物足りない」ととるかどうかは人それぞれだろうが、いずれにしてもこの辺がバーンスタインなどと全く異なるところだし、インバルの真骨頂というべきところだと私などは考える。話がそれてしまったが、このチャイ5は、インバルが恐るべき「表現の魔人」と化した演奏と言えるだろう。2楽章出だしのホルンはもう少し伸びやかであって欲しかったと思うが、都響の健闘にも大拍手。エクストンにはさらにどんどんとインバル/都響のライブ録音をお願いしたい。

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     2009/08/03

    「解釈者」としてのインバルの面目躍如たる演奏である。実演でも感じたが、録音を聴いてさらにその感を強くした。古き良き大指揮者の時代のアプローチへの回帰ととらえる評価を耳にするが、彼が行っていることはそう単純ではない。いつものように楽譜のテクストの奥深く分け入り、どのような響きや音色を作り、強弱を付ければそのような効果をもたらすことができるかを徹底的に意識して実践していることを感じさせる。だからといって冷たく分析的にならず、すべての音に確信があり説得力(「解釈の真理」:最近のインタビューにおけるインバル自身の言葉)に満ちている。フルトヴェングラー、クレンペラーのような大指揮者のベートーヴェンを「演じた」のではなく、「読み込んで現代語化した」ベートーヴェンであると言えるだろう。最後になったが、マーラーの8番の際と同様、エクストンの録音は見事である。インバルとのコラボがデンオンのときのように永く続くことを祈りたい。

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