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マーラー(1860-1911)

Hi Quality CD 交響曲第7番『夜の歌』 レナード・バーンスタイン&ニューヨーク・フィル(1985)(2CD)

交響曲第7番『夜の歌』 レナード・バーンスタイン&ニューヨーク・フィル(1985)(2CD)

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  • ★★★☆☆ 

    gakusei  |  北海道  |  不明  |  2021年07月07日

    良い演奏の部類だと思う。しかし、極端にテンポの遅いクレンペラー盤を聞いた後に聞くと、強烈さやおどろおどろしさが少なく、物足りない内容に感じてしまう。また、近年の優秀な録音に比べるとやや音質が劣っている。

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  • ★★★★★ 

    コーキロマンハ  |  兵庫県  |  不明  |  2011年12月23日

    この曲を聴くと世紀末、幾何学的、混沌、多義的とかの言葉をいつも連想してしまいます。その点でバースタイン+NYPの現代的なイメージがマッチしてマーラーの交響曲の中でこのコンビが一番相性が良いような気がします。いろいろ議論の多い曲のようですが、器楽曲群の中で特に異質のものとは思われず、マーラーの独特なロマンチックな要素があふれていて大変好きな曲です。NYPの合奏技術はスキがなく、それでも二つの夜曲楽章はこってりと演奏し、この曲の演奏ではトップクラスと思います。

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  • ★★★★☆ 

    一人のクラシックオールドファン  |  兵庫県  |  不明  |  2011年05月31日

    1960年代というとまだそんなにマーラー交響曲全曲を演奏・録音する時代ではなかったのにバーンスタインはマーラー交響曲広告塔の如く持前の情熱的な推進力でもってNYPO他を振って断行した指揮者でそれは自他共に認じていたと思われます。私もLPでその大半を求め時折聴いたものでした。曲によっては中々馴染みにくく殊に第7番はスコアの第2,4楽章に「ナハト・ムジーク」と記せられていた事から「夜の歌」というタイトルもついていながら支離滅裂な感じでとっつきにくい印象を長年持っており今言った全集盤中の第7番(1965年収録、タイム@20’52A16’38B9’37C14’38D17’50)も積読状態であります。今回本盤演奏(1985年ライブ、タイム@21’30A16’57B10’27C14’33D17’15)に接して勿論完全に手中におさめたわけではなく更に聴き込む必要というか義務感も伴っているのが現状ではあります。まぁ、プラハでマーラー自身の指揮での初演も聴衆の反応はかなり鈍かったらしくまして我々素人はそのレベル以下で当然なのかもしれませんね。この聴き様によっては単に「音の瓦礫」にしか聞えかねない世紀末芸術的作品を自己顕示欲に駆られつつその起伏経路の流れをマーラー演奏の先駆者、67歳になったバーンスタインが前回同様NYPOを振って如何に表すかがポイントに置きました。この曲はマンドリンとかカウ・ベルなど交響曲には珍しい楽器も使われ矛盾・分裂気味の印象を更に煽ります。最終楽章と対をなす第1楽章は冒頭葬送雰囲気の陰鬱なリズムでスタートしますがオーケストレーションにおける長短調の絶えざる行き来やシェーンベルク的不協和音に加えるに突如とした爆発と停滞の繰り返しはオーケストラもついて行くのがやっとでアンサンブルも怪しくなりますがやはりユダヤ系の指揮者がその整理に向いており勝利感で盛り上がる部分ではバーンスタインの声?も聴き取れます。第2楽章は変わって山岳風景的なホルンや前述のカウ・ベルなどで抽象的ではありますが田園風景が想起される楽章です。途中美しいメロディアス部分もありますがただマーチ基調は各楽器に加えティンパニーもアクセント付けします。なお、この楽章はイメージとしては第4楽章と対をなしているとの事です。第3楽章の冒頭の不気味なスタートは印象的、やがて現れるグロテスクなテーマもマーラー独特の感触。ある退廃的な臭いをバーンスタインは抽出して行きます。第4楽章はヴァイオリン・ソロから入るのですが優しい雰囲気でマンドリンののどかさがホッとさせます。時折室内楽的雰囲気も捨てがたいですね。最後は消え入りそうに〆めます。連打ティンパニーがこの最終楽章の象徴で実に濃厚な脂ギラギラの阿鼻叫喚ぶりと勝利感的盛り上がり方はバーンスタインならではといったところ。鐘も大いに鳴らされフィナーレへの体勢は万全・・・ティンパニーが多用され正しく音量主義そのものでこの辺りがしんどくなるオールドな私ではあります。マーラー没後百年ということでバーンスタインによる第7番再録盤に挑戦しました。バーンスタインのマーラー演奏の凄さを認めつつ、とてつもないタイムのクレンペラー盤が私の中では一歩リード??。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2011年03月21日

    マーラーの第7は、最近では多くの指揮者によって数々の名演が成し遂げられており、他の交響曲と比較しても遜色のない演奏回数を誇っていると言えるが、本盤の録音当時(1985年)は、マーラーの他の交響曲と比較すると一段下に見られていたのは否めない事実である。本盤と、ほぼ同時期に録音されたインバル&フランクフルト放送交響楽団による名演(1987年レコードアカデミー賞受賞)の登場によって、現代における第7の名演の隆盛への道が開かれたと言っても過言ではないところである。その意味では、本盤におさめられた演奏は、第7の真価を広く世に認知させるのに大きく貢献した至高の超名演と高く評価したい。ここでのバーンスタインの演奏は、他の交響曲におけるアプローチと同様に実に雄弁であり、濃厚さの極みである。バーンスタインの晩年の演奏は、マーラー以外の作曲家の楽曲においても同様のアプローチをとっており、ブラームスの交響曲全集やドヴォルザークの第9、シベリウスの第2、チャイコフスキーの第6、モーツァルトのレクイエム、ショスタコーヴィチの第7など、雄弁ではあるが、あまりにも大仰で表情過多な面が散見され、内容が伴っていない浅薄な凡演に陥ってしまっているものが多い。ところが、同じようなアプローチでも、マーラーの交響曲や歌曲を指揮すると、他の指揮者の演奏を圧倒する素晴らしい名演が仕上がるという結果になっている。これは、バーンスタインがマーラーの本質を誰よりも深く理解するとともに、心底から愛着を抱いていたからに他ならず、あたかもマーラーの化身のような指揮であるとさえ言える。本盤の第7も、第1楽章の葬送行進曲における激しい慟哭から天国的な美しさに至るまで、表現の幅は桁外れに広範。これ以上は求め得ないような彫の深い濃密な表現が施されており、その情感のこもった音楽は、聴き手の深い感動を呼び起こすのに十分だ。また、第7の愛称の理由でもある第2楽章及び第4楽章の「夜の歌」における情感の豊かな音楽は、至高・至純の美しさを誇っていると言える。終楽章の光彩陸離たる響きも美しさの極みであり、金管楽器や弦楽器のパワフルな力奏も圧巻の迫力を誇っている。ここには、正にオーケストラ演奏を聴く醍醐味があると言えるだろう。第7の評価が低い理由として、終楽章の賑々しさを掲げる者が多いが、バーンスタインが指揮すると、そのような理由に何らの根拠を見出すことができないような内容豊かな音楽に変貌するのが素晴らしい。録音の当時、やや低迷期にあったとされるニューヨーク・フィルも、バーンスタインの統率の下、最高のパフォーマンスを示しているのも、本名演の大きな魅力の一つであることを忘れてはならない。

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  • ★★★★★ 

    sunny  |  兵庫県  |  不明  |  2011年01月31日

    バーンスタインのマーラーは、クラシックをはじめとする音楽、人間の金字塔の様な音楽です。独自の、濃厚、過剰、熱演、力と技と情熱の集合体。3楽章では、ホントに悪夢を見ているようで、目覚めたらそこは漆黒の闇。ふざけんとのかい?と言う所も、コーダの盛り上がりも見事。本命盤。

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